前節

16

「此時、老巫女《みこ》ウノキは威猛高に成って、若者カンニャックを睨付《ねめつ》けて、

「愚かなる若者よ。和主《おぬし》の口から聴かいでも、酋長達の打集い、妾《わし》に大祈祷を頼もうとする、其内容《そのいりわけ》は、能う分って居る。和主より先に知れて居る」と呼わった。

 カンニャックは吃驚《びっくり》して、

「先きへそれが知れましたか」

「おう、昨夜馬籠《まごめ》の方の空に怪しき星が六ッ七ッ輝いた。神と同じ息を通わせて居る妾《わし》には直ぐとそれで知り得られた。酋長達は此ウノキに頼んで、川の向うの敵人《てきじん》を、調伏して呉れよとの願いであろう」

「おう、巫女殿! 其通りで御座りまする」

「それ位な事が分らいで、神の使が出来るものか」

 誇り顔のウノキ。或る程度までは想像し得る事をさもさも神秘的に言廻して、的中さしたに過ぎぬのである。カンニャックにはそれが分らぬ。全く神と同じ息の通う人として恐れ且つ敬《うやま》い、「それでは言うまでもない。わしが此足を痛めた事、昨夜のあの暗闇の争いをも、巫女殿には知って居なされるか」と恐る恐る間うて見た。

「愚かなる若者よ」

 又叱られた。

「和主の様な者の身の上に、誰が絶えず遠眼を配ろう! 何処で怪我したか知るものか。いや、知ろうと思えば何んでも知れる。蝸牛《かたつむり》 (44) の殻の中で角《つの》を如何して居るという事。土竜《もぐら》 (45) の地の底の眩《ささや》きまで、知ろうと思えば何時でも知られるなれど、然《そ》う然う総てに気が配れようか。余程大事で無い限りは……」

「それならば、あの昨夜、わしが獣物取る為の狼穽《おとしあな》に陥ちて、此様に足を痛めたまでの事は知られぬとか……やれやれ、それで、お話が出来まする。これは巫女《みこ》殿、斯うで御座る。今申した数々の御供物を、酋長達が今日持来って、大祈祷をお頼み申そうとしたのを、それは全く無益じゃと、留めた者が御座りまして……

「何んという? 数々の御供物を無益じゃと留めた著が有るとか」

 見る見るウノキの顔色は険悪《けんあく》に変った。

 カンニャックは猶《なお》も其顔色を窺《うかが》いつつ、

「巫女が何んで川向うの敵人を呪い得ようぞ。数々の供物は唯取りせられるに極って居る。大祈祷は止めになされと、我賢しと言出でた一人の若者が御座りました」

「そ、そ、それは、何者じゃよ」

「巫女殿! 其様な詰らぬ事は知ろうとも思われまいが、未だそれを知られまい」

「知らぬ。知らぬ。今初めて……さ、さ、それは何者が留め居《お》ったか。妾《わし》の悪口を何者が言い居ったか。さ、さ、カンニャック、語れ、聴こう!」

「その若者は、ヌマンベで御座りまする」

「おう、あの、ヌマンベ!」

「あまりに小ざかしい事を申したに由《よ》って、わしは昨夜、彼奴を捕えて意見を加えてやりましたじゃ」

「して其意見を聞き入れたか」

「聞入れる処では御座りませね。巫女殿の事を益々悪《あ》し様《ざま》に言立て、端《はて》は神の事までさげすみました」

「僧っくきヌマンベ!」

「余りの無礼に、わしは彼目を打懲《うちこ》らして呉れんとして、つい彼目に……」

「敗けたのか」

「いや、明るい処で闘うなら、何んの彼如きが二三人、一時に掛って来ようとも、敗けなどするわしでは御座らぬが、何んと云っても昨夜の暗さ。つい狼穽《おとしあな》に足を踏込み、此様に怪我を致しました。痛や、痛や、やれ痛や!

 カンニャックは自分が酋長の娘のネカッタの養子婿《ようしむこ》と成り得ぬのも、ヌマンベが有る為と曲解し、ヌマンベが昨夜の誉《ほま》れ、更に敵地に入《い》って船を奪うの其軍功を立てん事を嫉《そね》み憎み、作り事を言立て、妖婆ウノキに讒言《ざんげん》した。

 見す見す貴重なる供物を取りはずした老巫女ウノキ、慾から発した怒りは一通りで無い。のみならず、他にも亦《また》胸に一物はある。

「おう、憎みても憎み尽《つく》せぬヌマンベ! 神罰の恐ろしさを示さいで置こうか!」と束《たば》ねたる白髪も弾切《はちき》れて、一本一本白蛇《はくじゃ》の形と変り、忽《たちま》ち逆立たんかと見るまでに怒り立った。

「どうか、ヌマンベに、罰を当て下さりませ。然うしてわしの此怪我を速かに治しては下さらぬか」と隙間さえあれば自分の痛みを訴える。

「好し、好し、和主の傷は立地《たちどころ》に治して取らせる。憎くきヌマンベの生命は十日と出てぬ間に奪い呉れん!」と妖婆ウノキは窪める眼の底深くより、異様の輝きを鋭く放った。

 カンニャック之《これ》を見て思わず慄然《ぞつ》とせずには居られなかった。


44) 蝸牛は、諸所の貝塚より出ている。以てその時代に繁殖していた事が知れる。
45) 土竜は、陸奥国中津郡十而沢から発見された土製品にある。現品は人類学教室に保存されてある。この他動物を模した土製品及び動物変形の把手類も少からずある。貝塚から出た遺骨の他に、右の如き土製品で以て、当時生存の動物の種類が考えられる。余は下総余山貝塚から完備したる狐の遺骨を発掘した。
 

17」へ続く

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