前節

14

 ヌマンベは、唯一人で此所まで来たと思って居る。だが、事実は然《そ》うでは無かった。

 松明の光の達《とど》かぬだけの間隔《へだて》を取って、後から一人の怪漢《くせもの》が附いて来て居た。隙間が有ったら打掛ろうと、それを執念《しつこ》く狙って居た。

 抑《そもそ》も其怪漢は何者?

 久《く》ケ原《はら》の若者でカンニャックと呼ぶのである。酋長の妻テラゴの甥に当って居る。

 酋長センゾックに男の子が無いので、養子に為《す》るという噂も有ったが、テラゴの大事にして居る土器を破《わ》ったので、感情を害されたので、其儘《そのまま》に成って居る。

 今日彼は手伝いに来て居た。大軍議の席には、食物を運ぶ時に出入りしたが、其他は多く外に居た。

 然《そ》うしてセンゾックが、ヌマンベに両頭石斧を贈り、テラゴが、ネカッタの玉を取って贈ったのを立ち聞きして憤怒した。

 センゾックの一家は、ヌマンベを愛し、彼の手柄に由っては、養子にする様子が有るのを覚《さと》っては、嫉《ね》たましさに耐えられぬ。

 ヌマンベを殺して了って、其玉を奪い取ろうという念が燃立って、直ぐと後を尾《つ》け出したのである。

 殺すには蛇紋岩《じゃもんがん》の磨製石斧《ませいせきふ》、柄無《えな》しで以て逆手《さかで》に持ち、唯一撃《ただひとうち》と思ったのだが、玉を見て、つい、其方《そちら》に手を先きにした。

 間違って、反対に、頭を打たれた。

 松明は消えて真の闇である。

 某所に居ると見て打って掛かれば、木立《こだち》。

 枯草のバラバラと散る音がする。

 向うからも打って来たらしい。

 空中に唸《うな》りを引いた。

 彼方《あちら》此方《こちら》と少時《しばし》探り合った。

 併し斯《こ》う成っては迚《とて》もカンニャックに勝目が無い。何故なれば、ヌマンベとは腕の力が違う。それにカンニャックの考えでは、最初の一撃で斃《たお》すつもりで有ったのだ。それが間違っては如何も成らね

 遺憾《いかん》ながら逃出さねばならね。

 ヌマンベの連《しき》りに探り寄る、其物音の反対の方に走ろうとした。が、其方は路では無かった。草原であった。のみならず、其所には陥穽《おとしあな》(35)が有った。

 それは、獣を取る為にこの集落の入が造って置いたのと見える。

 幸いにして、余り深くは無かったが、中に植立てた尖木《とがりき》で、皮靴の上からではあるが、足の裏を突刺した。

 其物昔に見当附けて、走り寄ったヌマンベは、又不幸にして同じ猟用の掛罠《かけわな》に足を踏入れて、横様《よこさま》に倒れた。

 其間にカンニャックは穴から這上って、足を引き引き逃げ出した。

 ヌマンベは急いで其罠を取脱したが、既《も》うこの時は遅かった。

 長追いするまでも無い。老母はさぞや待詫《まちわ》びて居ようと、 直《ただ》ちに家に帰る事にしたが、扨《さ》て何者の暗撃《やみうち》に掛ったのか、分らぬ。 「人に怨みを受ける覚え、少しも無いになァ」

 訝《いぶか》らずには居られなかった。


35) 陥穽に就て、次の如き物語がある。神奈川県下三沢の貝塚を、かつて英人マンロー氏が大発掘した。その時には八木奘三郎氏が監督して居た。学者達も多く参観した。余も数回見物に行ったが、その時に貝塚のシキに十数箇小さな竪穴の有るのを発見した。これは貝塚の出来る前の物で、直接貝塚に連絡の有るので無いのは分っている。つまり穴の上に貝塚が出来たのである。これを掘立小屋の柱を埋めた跡だろうという説も有った。その他二三の異説も出た様で有ったが、その後マンロー氏なり八木氏なりが、如何いう説を発表されたか、つい余は聞かずに居る。だがその時余は、動物を捕る為の陥穽の説を出した。別に深い考えからでは無かったが、前記「ストリー・オブ・アブ」の中に、動物を捕る陥穽の有る様に書いて有ったから連想したに週ぎなかった。だが石器時代の猟法に陥穽や掛罠の有った事を挟むのは、決して突飛の考えでは無かろうと思う。因に記す、三沢の穴を山の芋を掘った跡という説も有った。食物を埋蔵して置く場所という説も有った。両説も有力だったが、並んで数の多いので消滅した。
 

15」へ続く

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