ヌマンベは、唯一人で此所まで来たと思って居る。だが、事実は然《そ》うでは無かった。
松明の光の達《とど》かぬだけの間隔《へだて》を取って、後から一人の怪漢《くせもの》が附いて来て居た。隙間が有ったら打掛ろうと、それを執念《しつこ》く狙って居た。
抑《そもそ》も其怪漢は何者?
久《く》ケ原《はら》の若者でカンニャックと呼ぶのである。酋長の妻テラゴの甥に当って居る。
酋長センゾックに男の子が無いので、養子に為《す》るという噂も有ったが、テラゴの大事にして居る土器を破《わ》ったので、感情を害されたので、其儘《そのまま》に成って居る。
今日彼は手伝いに来て居た。大軍議の席には、食物を運ぶ時に出入りしたが、其他は多く外に居た。
然《そ》うしてセンゾックが、ヌマンベに両頭石斧を贈り、テラゴが、ネカッタの玉を取って贈ったのを立ち聞きして憤怒した。
センゾックの一家は、ヌマンベを愛し、彼の手柄に由っては、養子にする様子が有るのを覚《さと》っては、嫉《ね》たましさに耐えられぬ。
ヌマンベを殺して了って、其玉を奪い取ろうという念が燃立って、直ぐと後を尾《つ》け出したのである。
殺すには蛇紋岩《じゃもんがん》の磨製石斧《ませいせきふ》、柄無《えな》しで以て逆手《さかで》に持ち、唯一撃《ただひとうち》と思ったのだが、玉を見て、つい、其方《そちら》に手を先きにした。
間違って、反対に、頭を打たれた。
松明は消えて真の闇である。
某所に居ると見て打って掛かれば、木立《こだち》。
枯草のバラバラと散る音がする。
向うからも打って来たらしい。
空中に唸《うな》りを引いた。
彼方《あちら》此方《こちら》と少時《しばし》探り合った。
併し斯《こ》う成っては迚《とて》もカンニャックに勝目が無い。何故なれば、ヌマンベとは腕の力が違う。それにカンニャックの考えでは、最初の一撃で斃《たお》すつもりで有ったのだ。それが間違っては如何も成らね
遺憾《いかん》ながら逃出さねばならね。
ヌマンベの連《しき》りに探り寄る、其物音の反対の方に走ろうとした。が、其方は路では無かった。草原であった。のみならず、其所には陥穽《おとしあな》(35)が有った。
それは、獣を取る為にこの集落の入が造って置いたのと見える。
幸いにして、余り深くは無かったが、中に植立てた尖木《とがりき》で、皮靴の上からではあるが、足の裏を突刺した。
其物昔に見当附けて、走り寄ったヌマンベは、又不幸にして同じ猟用の掛罠《かけわな》に足を踏入れて、横様《よこさま》に倒れた。
其間にカンニャックは穴から這上って、足を引き引き逃げ出した。
ヌマンベは急いで其罠を取脱したが、既《も》うこの時は遅かった。
長追いするまでも無い。老母はさぞや待詫《まちわ》びて居ようと、 直《ただ》ちに家に帰る事にしたが、扨《さ》て何者の暗撃《やみうち》に掛ったのか、分らぬ。 「人に怨みを受ける覚え、少しも無いになァ」
訝《いぶか》らずには居られなかった。