軍議果て酋長達は、おのおのの集落にと帰り行く。其|松明《たいまつ》の光の先は、月の入る如く、星の消える如く、何方《いずれ》のも次第に見えず成った。
馬籠の首長センゾックの家の中には、未だヌマンベを留《とど》めて、主人は非常に機嫌が好い。
某所へ、軍議を他の家に避けて居た酋長の妻テラゴ、娘のネカッタを連れて戻って来た。
ネカッタの髪は美しく結んである。鹿の角を細く削った短き簪《かんざし》。鹿の脛骨《けいこつ》を細く長く削り、それに美しき彫刻を施して朱で彩って居る長き簪 (31) 、それを後に挿して居る。
耳飾りの意匠は精巧を極めて居る。
首飾りには青き玉、白き玉、赤き玉 (32) を連《つら》ねて居る。
折返した襟毛《えりげ》を見れば、雪の様に白い。珍らしき白狐《びゃっこ》の皮。
娘ネカッタは、斯《こ》うして飾り立てないでも、広き武蔵野はいうまでもなく、霞《かすみ》ヶ浦辺《うらべ》、筑波の山麓、すべての集落を探し廻っても、比べる者なき美人である。
「おう、ヌマンベ。其方《そなた》は大事な命を捨てる覚悟で、敵の船を奪いに行くとか。まア、何んという強者《つわもの》であろう」とテラゴは良人《おっと》の側に坐りながら誉め掛った。
「それも皆|民族《なかま》の為!」とヌマンベは答えた。
「其方は実に見上げたもの。其方の父親も優れた強者であった。其父親の父親も亦《また》強者であったそうな。酋長《かしら》の家筋で無い為に、出世も出来ずに居やるけれど」と猶《なお》もテラゴは誉め立てた。
「いや、それには私に考えがある。出世の出来ぬわけでも無い。船一隻でも取って来たら、私の胸に好い考えが貯えてある」とセンゾックは意味有り気に云った。
ヌマンベは家族の人が帰って来たので、既《も》う自分の去るべき時が来たと考えて、
「それでは、いずれ又……いや好い便りを持ってでなければ、再び此所へは参りますまい。さらば酋長《おかしら》! 内方《うちかた》! 娘御《むすめご》!」
斯《こ》う云って立上ろうとした。
「いや待て! わかれの贈り物、志《こころざし》じゃ。それを遣《や》ろう」と酋長は呼留めた。
然うして一隅《いちぐう》の武器のみを列《なら》べてある吊棚の上から、両頭の石斧《せきふ》 (33) を取ってヌマンベの前に置いて、
「これを和主《おぬし》に遣る」とセンゾックは云った。
「おう、これは両頭の石斧!」とヌマンベは珍らしそうに見た。
「今は余り遣《つか》わぬ武器《えもの》じゃ。これに厳疊《がんじょう》な柄《え》を附けて、右と云わず、左と云わず、当るに委せて敵人を撃つのじゃ。古代《いにしえ》には石環《せきかん》と呼んで、石に孔《あな》を穿《うが》ち、それに棒を挿し込んで武器として、其石の処で人の頭を打砕いたのじゃそうな。それが次第に進んで来て、石を平たくして、外縁《そとえん》に薄く刃を附けて、当りを鋭くしたものじゃが、更に又進んで石環に幾個かの切目を入れ、刃を益々鋭くした。それが六頭石斧、又は三頭石斧の起りと成った。後には孔を穿つのを止めて、中央を木の枝で挟む様に成った。其代り刃は二ツだけで、両頭石斧が之じゃ。其両頭石斧の中央《まんなか》が木の枝に挟み好い為に、縊目《くびれ》を附け、又は隆起《ふしくれ》を附けるに至ったのは、後の事。今では其刃も円く、石の質《たち》も見た様《さま》の美しさを選んで、実の用には遠く成ったが、私の持って居るのは、私の父の父の父が、幾度か戦《いくさ》に持って出た秘蔵の品じゃ。それを和主《おぬし》の忠勇に愛《めで》で与える。其心で受けて呉れえ」
「はッ」
ヌマンベは感激した。余りの嬉しさに手に取り得ないで、涙の浮んだ眼で昵《じつ》と見詰めて居た。
此間《このうち》にテラゴは、ネカッタに密語《ささや》き、其首に懸けて居る数多《あまた》の飾り玉の中から、殊に斐翠《ひすい》の石の美麗なのを抜取りて、それを又両頭石斧の上に置き、「これは偏《ひとえ》に和主の力で、敵人を防ぎ得て、貞操《みさお》を正しく保ち得る我等|民族《なかま》の女子《おなご》達の代理《かわり》として、ネカッタのを妾《わたし》から進ぜまする。捕獲《とりえ》た獣の牙のみを勇者の誇りと首に飾る、其中に之を一ツ交えて、異なる色を示すが好い」とテラゴの言葉にも意味は有り気。
「事無く船を取り得て来たらば、未だ此処に与える物有り。それは併し今は云わぬ」とセンゾックは言って打笑《うちえ》んだ。
炉の火は今又盛んに燃上った。
すべての人の顔面は輝き渡った。