前節

12

 軍議果て酋長達は、おのおのの集落にと帰り行く。其松明《たいまつ》の光の先は、月の入る如く、星の消える如く、何方《いずれ》のも次第に見えず成った。

 馬籠の首長センゾックの家の中には、未だヌマンベを留《とど》めて、主人は非常に機嫌が好い。

 某所へ、軍議を他の家に避けて居た酋長の妻テラゴ、娘のネカッタを連れて戻って来た。

 ネカッタの髪は美しく結んである。鹿の角を細く削った短き簪《かんざし》。鹿の脛骨《けいこつ》を細く長く削り、それに美しき彫刻を施して朱で彩って居る長き簪 (31) 、それを後に挿して居る。

 耳飾りの意匠は精巧を極めて居る。

 首飾りには青き玉、白き玉、赤き玉 (32) を連《つら》ねて居る。

 折返した襟毛《えりげ》を見れば、雪の様に白い。珍らしき白狐《びゃっこ》の皮。

 娘ネカッタは、斯《こ》うして飾り立てないでも、広き武蔵野はいうまでもなく、霞《かすみ》ヶ浦辺《うらべ》、筑波の山麓、すべての集落を探し廻っても、比べる者なき美人である。

「おう、ヌマンベ。其方《そなた》は大事な命を捨てる覚悟で、敵の船を奪いに行くとか。まア、何んという強者《つわもの》であろう」とテラゴは良人《おっと》の側に坐りながら誉め掛った。

「それも皆民族《なかま》の為!」とヌマンベは答えた。

「其方は実に見上げたもの。其方の父親も優れた強者であった。其父親の父親も亦《また》強者であったそうな。酋長《かしら》の家筋で無い為に、出世も出来ずに居やるけれど」と猶《なお》もテラゴは誉め立てた。

「いや、それには私に考えがある。出世の出来ぬわけでも無い。船一隻でも取って来たら、私の胸に好い考えが貯えてある」とセンゾックは意味有り気に云った。

 ヌマンベは家族の人が帰って来たので、既《も》う自分の去るべき時が来たと考えて、

「それでは、いずれ又……いや好い便りを持ってでなければ、再び此所へは参りますまい。さらば酋長《おかしら》! 内方《うちかた》! 娘御《むすめご》!」

 斯《こ》う云って立上ろうとした。

「いや待て! わかれの贈り物、志《こころざし》じゃ。それを遣《や》ろう」と酋長は呼留めた。

 然うして一隅《いちぐう》の武器のみを列《なら》べてある吊棚の上から、両頭の石斧《せきふ》 (33) を取ってヌマンベの前に置いて、

「これを和主《おぬし》に遣る」とセンゾックは云った。

「おう、これは両頭の石斧!」とヌマンベは珍らしそうに見た。

「今は余り遣《つか》わぬ武器《えもの》じゃ。これに厳疊《がんじょう》な柄《え》を附けて、右と云わず、左と云わず、当るに委せて敵人を撃つのじゃ。古代《いにしえ》には石環《せきかん》と呼んで、石に孔《あな》を穿《うが》ち、それに棒を挿し込んで武器として、其石の処で人の頭を打砕いたのじゃそうな。それが次第に進んで来て、石を平たくして、外縁《そとえん》に薄く刃を附けて、当りを鋭くしたものじゃが、更に又進んで石環に幾個かの切目を入れ、刃を益々鋭くした。それが六頭石斧、又は三頭石斧の起りと成った。後には孔を穿つのを止めて、中央を木の枝で挟む様に成った。其代り刃は二ツだけで、両頭石斧が之じゃ。其両頭石斧の中央《まんなか》が木の枝に挟み好い為に、縊目《くびれ》を附け、又は隆起《ふしくれ》を附けるに至ったのは、後の事。今では其刃も円く、石の質《たち》も見た様《さま》の美しさを選んで、実の用には遠く成ったが、私の持って居るのは、私の父の父の父が、幾度か戦《いくさ》に持って出た秘蔵の品じゃ。それを和主《おぬし》の忠勇に愛《めで》で与える。其心で受けて呉れえ」

「はッ」

 ヌマンベは感激した。余りの嬉しさに手に取り得ないで、涙の浮んだ眼で昵《じつ》と見詰めて居た。

 此間《このうち》にテラゴは、ネカッタに密語《ささや》き、其首に懸けて居る数多《あまた》の飾り玉の中から、殊に斐翠《ひすい》の石の美麗なのを抜取りて、それを又両頭石斧の上に置き、「これは偏《ひとえ》に和主の力で、敵人を防ぎ得て、貞操《みさお》を正しく保ち得る我等民族《なかま》の女子《おなご》達の代理《かわり》として、ネカッタのを妾《わたし》から進ぜまする。捕獲《とりえ》た獣の牙のみを勇者の誇りと首に飾る、其中に之を一ツ交えて、異なる色を示すが好い」とテラゴの言葉にも意味は有り気。

「事無く船を取り得て来たらば、未だ此処に与える物有り。それは併し今は云わぬ」とセンゾックは言って打笑《うちえ》んだ。

 炉の火は今又盛んに燃上った。

 すべての人の顔面は輝き渡った。


31)簪の有無を論ずるのは、余りに大胆である。肝腎の土偶に未だ簪の有る形跡を認めないのであるが、それは挿さぬために無いのか。挿した処を現わすのに難かしいので造って無いのか。これは疑問である。だが一方の遣物中には、鹿角製、或いは獣骨製で、それに相当する物が少からず出ている。肉刺の部類に入れる論著もあるが、それとすれば余りに繊巧で又装飾的に過ぎ、とても実用品とは見えぬのがある。手の込んだ彫刻をしたのや、朱が一面に塗って有ったりする。肉を刺せば朱が取れて、口に入れるには具合が悪い。どうも簪と見た方が都合好く思われる。それに長き髪を結んで居れば、その頭髪中の痒さを掻く場合に、簪は必要で有るだろうと思う。又一説として、帽子止のピンの如く用いたとも考えていが、ここでは簪と見て置く。
32)装飾の玉は各所から発見されている。貝塚曲玉と呼んでいるが、必ずしも曲玉の形ばかりでは無い。小玉、管玉、其他様々のが出る。古墳から出る大和民族のと能く似ているが、別に深い関係を有して居るのではあるまい。人類の智識は、そんなに隔絶していない。それが単純な玉の形の上に現われるのでは、類似は免れない。石質には、悲翠、碧玉、瑪瑠、蛇紋、水晶、種々ある。その孔の穿ち方について、貝塚物は概して不器用であるが、中には又如何にして穿ち得たるかを疑わしむる程の精巧な品も稀に出ている。
33)両頭石斧は独鈷石の前身では無いかと思われる。その中間物と見るべき品も出ている。
 

13」へ続く

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