前節

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 若い者の遊惰《ゆうだ》に流れて居るのも困る。が、年寄達の頑冥《がんめい》なのも亦困る。巫女《みこ》の祈りで大軍を防ぎ止めんなんどと片腹痛い。それを唱えるのが酋長達だから実に驚く。我等民族の前途も思い遣られると、ヌマンベは甚だしく悲観をした。

 老人達は、片隅で叫んだ著者の態度に、心よしとは仕なかったが、それを咎《とが》めるよりも先ずセンゾックの説を打破るのが急なので、其中の一人は声を高め、

「いや、馬籠の酋長《かしら》の言葉では有るが、嶺の千鳥窪の老巫女殿は、我々の種族《なかま》の者では御座らぬ。委しく云えば、人間では無い、神様じゃ。体は仮に人間でも、それに神様が乗移って御座らッしやるのじゃ。されば其《その》神様にお願いするのに、備え物の数々を並べるのは、当然では有るまいか」と、言出した。

「然うじゃ。其通りじゃ」と多く雷同した。

「その神様の事を少しでも悪口言うと、どの様な恐ろしい崇《たた》りがあるか知れぬ。既《も》う此上何も云われるな」とセンゾックの口に戸を立てる様に言冠《いいかぶ》せた。

 大集落、小集落、唯連絡があるだけで、それを統一する大君主の無い悲しさに、酋長達が集まって物を議すれば、如何しても多数決で押えられる。先覚者の意見が通らずして衆愚の説が用いられる。それが為に種々の手違いや手遅れを生じて、次第に民族が滅亡するのだ。

 未だ此処に民族は多数に居る。彼方《あちら》此方《こちら》に大集落小集落沢山ある。それが直ぐ傍近くに敵が現われねば、弓矢取って立とうとしないのだから、如何とも仕様が無い。

 センゾックは、多数が巫女に依頼する意向と覚《さと》ったので、それと争うても詮無しと見て取って、

「それでは皆んなの言うのに従って、神にも祈ろう。巫女にも頼もう。では有るが、人は又人として、出来るだけの防ぎをして置かねば成らぬ。それに就ても謀ろうでは無いか」と一方に又道を開き掛けた。

「それは全く其通りじゃ」と大森のが受けて、

「先ず船の着きそうな処へは、木を伐り出して、海の中の木柵《ぼくさく》を造り、又水上に見張の小屋を立て(29)、敵の来るのを注意して居らねば成らない。先ず大森の海岸《うみぎし》に、第一それを設けねば成るまい。各集落《それぞれ》から木の伐出しを頼みまするぞ」と言出した。


29) 水上生活は、諏訪湖中の遺跡について故坪井先生の発表せられた処であるが、自分は水上に住居したという広い意味でなく、水上に特別用の小屋を設けて、時々そこに人が通ったという程度で賛成する。坪井先生の説では、猛獣及び外敵を防ぐために、水上に住家を設けて、そこに生活したというのであるが、自分はそんなのでなく、水上の見張り、又は漁業用の為にそれを設けて、他の住家から、其処へ通って居たと解するのである。
 

11」へ続く

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