前節

 日は全く暮れて、凩《こがらし》強く吹荒《ふきすさ》んだ。

 庭で殺して居た猪《しし》は、更に石斧に切刻まれて、幾個《いくつ》かの皿形の土器に盛られて、其一部は土器で煮られるべく、其一部は石焼にせられるべく、それぞれ人の手に分けられた。

 乾した木の実の堅いのを、石皿に入れて石槌《いしづち》で砕き且つ摺《す》って、それを捏《こ》ねて団子《だんご》にした物も出来るであろう。

 木の枝に刺した遠火で焼いた魚。

 潮水入れて汁多《しるおお》に煮た貝。

 脂肪《あぶら》で揚げた山の芋。

 様々の珍味は程なく出来揃うであろう。

 酋長センゾックは、今宵《こよい》大軍議を開くので、各方面から頭目《とうもく》の来るのを待つべく、若者ヌマンベを連れて家の中から出て来た。

 来る人に目じるし与える為に大篝火《おおかがりび》を焚《た》かしめた。

 此時、東の谷一ツ隔《へだ》てた台地の上に当って、大きな火の光が見え出した。それが次第に近づいて来た。

「月の出の様《よう》じゃ。あの火は大森の酋長《かしら》が大井のを誘うて来るのであろう」とセンゾックは嬉し気《げ》に云った。

 続いて西北《にしきた》の森の中からも、火の光が見えて来た。 「おう、宵の明星の様じゃ。石原のが来るのであろう」と益益機嫌は好い一方。

 問もなく東北《ひがしきた》からも、西南からも、盛んに火の手が見え出した。

「まるで星が降る様じゃ。皆打連れ立って、来るわ来るわ」とヌマンベは打喜び、此方《こちら》から燃木を取って、空中に打振り、渦巻を画いて見せた。

 彼方でもそれに応じて、松明《たいまつ》を盛んに打振る。それが美しき紋様《もんよう》を空中に現わして、此上もなき美観。好意は此様にして遠くから交換された。

 次ぎから次ぎと各集落の大小酋長は集まって来た。家の中は一杯である。炉の周囲はギッシリ詰った。

 熊の毛皮の上に座り得る者は、主人のセンゾックの他に、大森と権現台《ごんげんだい》との二酋長だけで、其他《そのた》は鹿のもある。狐のもある。狸のもある。身分に由って敷皮が違う。ヌマンベは斯う成ると莚《むしろ》の上にも座れぬ。土間の隅に小さく成って居らねば成らぬ。それでも同じ家の中に、此人達と一緒に居るという事が既に異例なのである。

 家の中には焚火の池に、鯨骨《げいこつ》(26)が熟してある。

 土瓶形土器《どびんがたどき》(27)に入れてある木《こ》の美《み》酒を、先ずすすめた。

 口づけにして次ぎから次ぎと呑廻した。

 ヌマンベは直ぐにも大軍議が開かれると思いの他、話はそれに少しも触れぬ。

 互いに髪に白毛の殖えた事や、歯の抜けた事や、皺《しわ》の寄った事、中には腰の曲ったのを嘆ずるさえある。集った人の多くは、皆此所《みなここ》の主人よりも年上であるからだ。

 ヌマンベは一人気をイライラさした。斯うして居る間にも、敵軍は川を渡って押寄せて来はせぬかと思われもする。

 凩《こがらし》の音もそれかと胸騒ぎする程である。

 其所へ、センゾックの部下の子で、椀形《わんがた》の小土器が人の数程配られた。骨製《こつせい》の肉刺も添えてある。

 前から炉の端《ふち》にある土器の他に、今又彼方《あちら》で料理塩梅《あんばい》された、諸々の珍味を、大土器に入れて持運んで来た。

 又これで一連《ひとしき》り、口は其方にのみ遣われた。

 ヌマンベは腹立しく成って来た。


26)鯨骨。東京湾に鯨の入る事は稀有の事では無い。品川に鯨が漂着したので、そこに鯨塚という記念の石碑さえ立って居る。現に余は権現台及び嶺の遺跡で、鯨骨を掘出した。それから曾て韓国に捕鯨見物に行った時に、鯨骨を燃して焚火と成したのを実見した。
27)土瓶形土器。各所より出づ。液体を入れたのは勿論だが、その美術的意匠を加えたる点より考えると、貴重な飲物を入れて珍蔵したかと思われる。この時代のそれに当る飲料は、矢張酒の類であろう。
 

「9」へ続く

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