古《いにしえ》を語るタツクリの翁は、危《あやう》き足下《あしもと》を踏締めて、杖に力をこ籠めながら、更に前の説を補うべく口を開いた。
「我々の先祖の初めに居た北の北の端《はし》の国には、氷の山、氷の原、氷を積んで造った家、それはそれは寒いのであった。一年の内に大方は雪の中で働かねば成らぬので、如何しても雪や氷に当る日の光の為に、眼を悪くして困ったものじゃ。それで、其《その》光を遮《さえぎ》る為には細く切目《きりめ》を造った(11)。だが、段々暖かい処へ来るに連《つ》れて雪は次第に少く成った。既《も》うそれは入らなく成って了ったので、今日では誰も用いない。お前達は其遮光器《ひかりよけ》を見た事もあるまい。私もそれは用いた事は無い。だが其遮光器を其儘に、土器の模様に画いてあるのは、お前達も知って居よう。これが北から我々の先祖が来た証拠の中の一ツじゃ」と口を結んだ。
此時、第一の少女は心細さ限り無しという声を絞《しぼ》って、「それでは又|妾《わたし》達は、其遮光器《ひかりよけ》とやらを眼の端に当てる様な寒い寒い処へ、之から追遣《おいや》られて了うのか」と問掛けた。
「いや、一気に其様な事も有るまい。此玉の溶けて流れる如き清き水の川の守りは、思いの外に長かった。白く高く煙を吐く山(富士山)と角《つの》の二ツある山(筑波山)との間は、寔《まこと》に住み心持の好い処。なるべく敵に渡さぬ様にしたいもの。お前達の子の代、其子の子の代、其間《そのうち》には次第次第に此細長い国の端《はし》まで行こう。又大きな島(北海道)へも渡ろう。それから又細長い島(樺太《からふと》)へも渡ろう。それからの先きは氷の上を……いやいや、そんな事の無い様に、石の御神《みかみ》に祈るが好い」とタツクリの翁は少女達に教えた。
「おう石の神(12)、まことにそれを祈るのが第一であろう」とヌマンベも言い添えたが、好き機《おり》と見て老爺に向って、
「老爺さん、あの石の神様だて。あれは酋長《かしら》殿の大事な宝物に能く似て居るでは無いか。我等を戦《たたかい》の時に指揮《さしず》するのに、必ず手に持って居られる、あの両方に頭のある石の棒に、石の神様の形は似て居る。小さいと大きいとの差がある。一方は手に持てるが、一方は二人三人でも持てぬ程、大きなのもある。一方には綺麗な彫刻《ほりもの》があれど、一方には滅多に無い。だが形は同じだ。頭の一ツのもある。両方に無いのもある。あれで如何して大きなのが石の神として祭られるのか」と問掛けた。
「おう、それは斯《こ》うじゃ。古い古い昔には、人と争うのに何も持たぬ握拳《にぎりこぶし》で殴り合った。其後《そののち》木の枝の節くれ立ったので殴り合うのが、手よりも都合が好いと成った。併し其枝は折れ易い。それで石で造り出した。これなら堅固《けんご》じゃ。したが、それは却々《なかなか》造《つく》り難《にく》い。石斧《いしおの》の様に沢山に数は無い。然《そ》うして居る間に又、弓矢が発明された。遠くから射台うので傍に寄って闘う事が少なく成った。其所で石棒《せきぼう》は酋長《かしら》の手に形式として残る様に成った。それで人々を指揮する様に成った。酋長でなければ石棒は持たれぬ、石棒が酋長の表象《しるし》の様に成った。さア其所で其酋長が死んで了《しも》うて、其体が無く成って見ると、其酋長を記念する物が留《とど》めて置きたい。斯う成ると何よりも石棒が其物に適《かな》って居る。人々は石棒を祭り出した。それは亡き人を尊敬し、崇拝する心からじゃ。従って伝える人の方から云えば、後の世に永く残すには、なるべく大きなのが好いという心もあろう。又伝えられる者供《ものども》の方から云えば、我等の先祖は此様に大きな物を持ち得たという誇りからして、長さ人の丈よりも高く、二人三人で持切れぬ様なのも造り出したであろう。それが伝わり伝わって、今では神様じゃ。我等の先祖の体は死んでも、魂は生きて居られる。我等は先祖の豪《えら》い人を崇拝する、尊敬する。其魂の乗移って居られるのが石の神じゃ。能《よ》く拝《おが》め。能く拝め」と翁《おきな》は答えた。