前節

 若者ヌマンベが、衰亡しつつある民族の為に慷慨《こうがい》して、平和のみ知る少女等に戦争の悲惨を語って居る処へ、後の小屋の中からよろぼいながら出来《いできた》った一人の老翁《ろうおう》。裘《けごろも》の裏毛の襟を折返して、首の廻りを房々《ふさふさ》さして居ても、髯《ひげ》は矢張無い。それが木の枝の杖に縋《すが》って、少女達と若者との問に立ち、「おう、ヌマンベの言う通りじゃ。船をそんなに沢山こしらえられては、迚《とて》も敵に勝てるものでは無い。残念ながら我々は逃げなければ成らない。此年寄などは、戦いも出来ないが、逃げて行くのも覚束《おぼつか》ない」と口を切った。

「おう、タツクリの老爺《おやじ》さん!」と若者は会釈《えしゃく》した。

 タツクリの翁《おきな》は眼をショボショボさせながら、「邪魔に成る年寄は捨《すて》て行け。敵に取られて向うの用をするのは口惜しい、逃げる時には貝捨場《かいすてば》に此方《こちら》で土器を破壊《こわ》して捨てえ。それと同じ様に年寄も捨て行って呉れ。だが、女達は早く逃げて、戦いの未だ始まらぬ間に姿を隠すが好い。髯《ひげ》の多い敵人《てきじん》に捕えられて憂目《うきめ》を見ては如何も成らぬ。我々の民族《なかま》は順押しに、北へ北へと皆逃げ腰じゃ。これから西北《にしきた》の方へは、広い広い原(武蔵野)がある。又大きな川(隅田川《すみだがわ》)もある。未だそれよりも大きな川(利根川《とねがわ》)もある。大きな大きな入江(霞《かすみ》ヶ浦《うら》)もある。此所からも見えるあの遠い二ツ角《つの》の有る山(筑波山《つくばさん》)の麓まで、いや、其先までも早や退いている集団《かたまり》がある。此所に斯《こ》うして最後まで踏留ったは、我等が此所を好いたからじゃ。けれども、いくら好いても仕方が無い。見捨てねば成らぬ時が迫って来たのじゃ」と声も次第に滅入《めい》って来た。

 少女達は全く貝剥《かいむ》きの方を止めて、老爺《おやじ》の周囲に集まりながら、

「どうしてこの様に我々は、北へ北へと退くように成ったのか」

「初めから其様に弱い人種《ひとだね》でか」

「我々の先祖は何方《どちら》から来たのか」

「それを老爺さんは知ってであろう」と口々に問掛《といか》けた。

「おう、我々の先祖の事か。それは決して弱くはなかった。今も強い。昔から今まで強いのだが、ヌマンベのいう通り、武器《えもの》で敗けるのじゃ。少女《むすめ》達よ、これを後々まで語り伝えよ。我々の先祖は北から来た。寒い寒い北から暖かい地を慕って、南へ南へと進んだのじゃ。此《この》川も此方から向うへ越して進んだのじゃ。此長い長い国を何処までも、南、西、西、南、と進んで、後には狭い海を越して大きな大きな島(九州)まで行った。未だそれから進んだ組も有ったが、我々の先祖は、その大きな島から、急に逆戻りしなければ成らなく成った。タカマガハラの人達は鉄《かね》の刀を持って居る。鉄《かね》の鏃《やじり》を持って居る。押戻されて此所まで来た。タカマガハラの人達の他に、イズモの人達も後には同じ様に押寄せた。我等は又北へ帰らねば成らぬ(10)」と語り終って、杖と共に早や打倒れん気配と成った。

10)北より南へ進み、再び北に退いたという説は、羽柴雄輔氏等の唱える所。余もこれに賛成である。それについて余にも一発見がある。それは次回に説こう。
 

「5」へ続く

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