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発端 その三

 不図《ふと》北方の空を見た。

 宛然《まるで》火事の如く空が赤く見える。それは併し全東京の装飾灯《イルミネーション》、御大典《ごたいてん》を祝したる歓喜の輝きという事が知られた。だが、今、小子《おのれ》の歩いて居る処は、星の光一ツも照らして呉れぬ。真暗である。電気、瓦斯、石油、いや、燐寸《マッチ》すらを離れた世界は、現時も三千年前も同じである。

 矢張わが前をコロボックルが歩いて居る様に思われて成らぬ。その先きに立つ幻の人は、種々太古の事を語って聴かすかに思われるのである。

「然《そ》うだ。俺は学者では無い。文士だ。科学の研究には迂《うと》いけれども、小説を作るのは家業である。感応した事を書いて発表する分には差支《さしつかえ》は無い。いや全然其は空想では無い、或る程度迄は科学上の説明の出来る、然うして残りの或程度たりとも、今に説明の出来そうな事を大胆に発表し得るのは、文士の徳である。学者としては躊躇《ちゅうちょ》する事も、其所は文士の難有《ありがた》さで、人は大目に見て呉れるだろう。石器時代の科学的小説を書くのには最も俺は適して居る」斯《こ》ういう叫びが自然に口から出た。

「それだ! それだ! 汝はつい先きの時間に、高尾小仏《こぼとけ》の連山に入らんとして、纔《わずか》に光を漏らして居た。それに比すべき文壇の落伍著である。それが滅亡したる人種の生活状態を筆にするのは、最も適任である。これが汝の保有する最後の微光なのだ。光の都の事は他の人に委せて置け!」

 誰やら後から諭《さと》す者のある様にも聴えて来た。

 道は未だ何程も進んで居らぬ。濘《すべ》っては転ばんとして、危く立直っては踏留《ふみとどま》り、時としては潦《にわたずみ》に飛込み、時としては小石に跼《つまず》く。背《せな》の石斧は益々重い。素《もと》より畑の中の路、家一軒も、奉祝の提灯《ちょうちん》一ツも見えるのでは無い。唯遠き都の空の光を、羨ましく望むに過ぎない。何か考えずに歩かれるものか。

 いつぞや丸岡九華《きゅうか》君が来て、英国の某女史の作という「ストリー・オブ・アブ」の話をして呉れた。それが石器時代の小説なのである。産れた峙にアブーと泣いたので、其子の名としたという程の単純な時代を、面白く書いた科学小説で、其舞台がテームズ河畔《かはん》で、今の倫敦《ロンドン》を遣《つか》った処が、如何にも趣向では無いかと話された。それを思出した。

 多摩川から今の東京、之を舞台にして科学小説、いや、科学小説に近い物を書いたならば、之は今度の御大典を記念するのに、最好の物ではあるまいかという、斯うした覚悟が徐徐《そろそろ》固まり掛ると、暗い中から坪井先生が出て来られる。それから採集の友で故人となった谷活東《かつとう》、飯田東皐《とうこう》、大野市平《いちへい》、西谷球雄《たまお》、吉川哲、其他の人々が嬉し相に姿を現わして「やるべしやるべし」と勧《すす》められる様に思われて溜《たま》らなく成って来た。

 然うかと思うと又コロボックルの酋長が現われ出て、

「それでは我々の多摩川端《べり》に拠《よ》って居た時の事をお話し致しましょう」と訥弁《とつべん》ながら諄々《じゅんじゅん》として語出した様に思われて、それを聴きながら歩いた為に、後には全く疲労を覚えないで、川崎停留所まで着く事を得た。

 其石器時代の人の暗中《あんちゅう》のささやきが、即ち「三千年前《ぜん》」の一篇である。

 

「1」へ続く

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