2000年11月5日、毎日新聞社の取材成果によって、総進不動坂及び上高森で遺跡の捏造を行なったことが、当事者の記者会見(於 宮城県庁)と共に報道されました。F氏の個人的な捏造ということですが、一部の真実と大部分の捏造とされたので、どこに線引きができるのか、いわゆる前期旧石器の捏造問題の全貌が明らかになるには、未だ時間がかかりそうです。
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[埼玉県の対応状況 00.11.7]
[県記者発表:検討委員会の設置について00.12.5]
[検討委員会の発足と陣容 00.12.6]
[検討委員会の初会議結果 00.12.28]
なお本ページは、あえて予断を抑えて、彼等の調査遺跡を目のあたりし、見学者の目で記録しておくことを目的として公表していたものです。 ● 2001年10月11日に秩父市内の関連「遺跡」9ヵ所の登録抹消が発表されました。 [報道] なお、多摩ニュータウン471-B(東京都稲城市)の石器も2001年10月25日に文化財指定を解除されました。 |
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●層序 ●調査区 ●1号遺構 ●2号遺構 ●石器埋納遺構 | 多摩ローム下底の遺構、生活面の検出 |
2000年1月18日に始まった埼玉埋文の試掘調査(学術)で、秩父市郊外の丘陵の小鹿坂峠近くから数十万年前と見られる旧石器と遺構群が発見され、小鹿坂(おがさか)遺跡と命名された。2月21日に新聞発表され、2月26日に現地説明会が行われた。 秩父市街の西方、荒川の対岸に横たわる尾田蒔(おだまき)丘陵−別名長尾根−は、多摩面相当の古い段丘地形である。段丘礫層は尾田蒔礫層、段丘を覆う風成層は安立(やすだて)ローム層と呼ばれている。安立ロームは、良好に残っている露頭では数枚のパミス層を挟みつつ厚さ20mに達する。ちなみに同じ多摩面でも、厚い多摩ロームの堆積で知られている狭山丘陵では30mに達する例もある。これは単純に考えて、堆積に30万年を要する厚さである。 一般に多摩面では、下末吉期(約13万年前)以降のロームはあまり堆積しない。堆積している場合は極端な不整合を呈する。つまり下末吉ローム層堆積以前に、かなり侵食を受けている。侵食によって現在までに多摩ローム層の大半が失われていることも多い。無論、残丘化して側方侵食が起こることも大きい。尾田蒔丘陵の先端に近い小鹿坂遺跡では、礫層上面から現地表まで2mもない。安立ローム層は1.5m程度しか残っていない。ちなみに同じ丘陵上の1.5km程南に位置する長尾根遺跡では15m程遺存しており、地形条件の差が著しい。 小鹿坂遺跡は尾根上の立地である。古くからある小道によって東側はやや削られているようで、調査区は分水嶺の西側にあたる。調査区の西端は、そのまま傾斜して丘陵の斜面につながっている。 ![]() 調査区地点を南から望む(2000年2月26日) | |
※本サイト内のコメントは独自に構成したもので、公式な見解ではありません。但し現地説明会資料(2000.2.26)をスキャン画像で示します。なおこのWebページは2000年2月27日に公開しました。 | |
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