circle 柴又八幡神社古墳

東京低地


調査区全体図
西側調査区フォト
東側調査区フォト
人物埴輪

埴輪列
埴輪列・西側調査区

 東京低地には、少なくとも二つの古墳群が知られています。一つは足立区北部の毛長川流域、もう一つは葛飾区東部の中川流域から江戸川右岸にかけての地域です。他には、荒川区南千住の素盞雄神社、台東区の鳥越神社、北区の中里遺跡などに古墳の可能性があります(浅草寺周辺についても可能性はあるのですが確認不能です)。

 毛長川流域には、数多く存在していたことが江戸時代の絵図から分かっていますが、近年の調査で白旗塚古墳群の一部の周溝が見つかったものの、他の古墳に関しては詳細は一切不明です(史跡白旗塚は復元されていますが、正式調査はされていません)。葛飾区内では、推定総数は5ヶ所ながら、3ヶ所に正式な調査が及んでいます。

 まず柴又八幡神社では、以前から露呈していた石組や伝世されていた埴輪などから、古墳であると考えられていました。昭和40年の社殿改築に際して、考古学者による調査が行われ、埴輪片、馬具、石室石材の存在が確認されました。現在、社殿下には石室が復元されています。また昭和63年には緊急調査で出土した埴輪片から、南蔵院裏古墳の位置がほぼ確定しています。平成3年には、立石遺跡の緊急調査で、墳丘は全く失われていたものの、周溝内径12m、外径17mの陸橋付の円墳の周溝が検出されています。

 近年になって、柴又八幡神社古墳に対して葛飾区による本格的な学術調査が行われるようになりました。平成2年3月には、社殿周囲にいくつか調査坑を開け、周溝や埴輪など、基礎的なデータが得られています(第1次調査)。そして平成10年度以降、さらに詳細なデータを得るべく、葛飾区郷土と天文の博物館によって第2次学術調査が継続されています。
 最近の調査では、埴輪が列をなして立った状態で検出され、人物埴輪も発見されました。また周溝も西・北・東・及び南西で検出されています。なお、TK43相当の須恵器も出土しています。TK43は、通常の編年では6世紀後葉に位置付けられています。これは、出土している埴輪や鉄剣などの年代観とも符合します。

人物埴輪
出土した人物埴輪
社殿の北側調査区
  ※本ページ以下で紹介する現場写真は、葛飾区郷土と天文の博物館に帰属します


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