将来の夢
最近の事件を見てみると、誘拐、殺人など、ほぼ毎日発生している。
こと最近では"目的無き殺意"がずいぶん跳梁しているようで、犯罪者にも一分の理なんてーのはほぼ見受けられなくなった。
こと窃盗系に話を限定すると、プロと呼ばれるような犯罪者はほぼ皆無で、殺さず傷付けずなんて意識は、その殆どは既に無いらしい。
やばくなったら即殺である。
通常の殺人事件に話を戻すと、事件の被害者、加害者に違いこそあれ、やってる内容がほぼ同一な気がする。
ストーカー殺人、気まぐれな殺人、勢いな殺人・・・・・・。
しかも内容が実にくだらない事件が非常に増えた気がするのだ。
こんなことを思うのは、帰宅後に親とふとニュースの話題になったときに顕著だ。
親父は朝の情報番組で仕入れた話を語り、お袋はその日に職場の休憩室のTVで見た事件を語り、私はネットで見たニュースを語る。
するとどうであろう。
お互いの見ている事件はまったく違う三つの事件であるにもかかわらず、しばらく話し込んでお互いの情報の差異に気付いて初めてそれが三つの異なる事件であった事が判明するのだ。
犯罪を犯すほうにちっとは個人差を出せとは死んでも言う気は無いが、こうも似たような事件を起こし続けることに心を痛めて止まない。
明日は我が身と冗談で言えるうちはまだ良かったが、今では洒落でもなんでもない事実として受け止めなくてはならない時代になったという事だろう。
しかも理由は、
「おいおい、それは人殺しまでする事では無いだろう」
と思えることが多く、最近の顕著な例で行くと一言注意されただけで暴行→勢い余って殺人。
なんて図式がなんとまぁ多いことだろう。
私自身、電車の車内で時々注意をしているタイプの為、密かに親を心配させているようだ。
ついこの間も、遅い夕飯を食みながらニュースを見ているときにそういった事件が放送されると、

「お前も注意なんて止めときな、殺されるよ」

とか言われる始末だ。
こんな話を聞いていると、心の中で、一つの夢が崩れ去った事に気が付いた・・・・・。

「あなたは将来何になりたいですか?」

諸君、こんな質問を子供の頃から何回、いや何十回も聞かれた事があろう。
その度に移ろい、様々な夢を語ってきたと思うが、ある程度自分が見えてきた今、自分はおっさんになりたかった事に気が付いた。
子供の頃から良く見ていたドラマ、
「刑事コロンボ」
「特攻野郎Aチーム」
「機動警察パトレイバー」
いずれの作品も、渋いおっさんの活躍がキラリと光る優秀な作品である。
例えばコロンボ警部、ハンニバル・スミス大佐、後藤警部補、榊整備班長等など、私としてはかっこいいと思えるおっさん方だ。
こうした偉大(?)な人物達を見る中で、私が目指したもの・・・・・。
それは、「ゴルァコラおじさん」である。
ステッキ片手に街を闊歩し、悪さしているガキどもを怒鳴りつけ人の道を説く、こんなおっさんになりたかった。
若者達に嫌われようが疎ましがられようが、正しいことを正しいと言い、悪いことを悪いと言えるこのおっさんは、社会生活を送る上での必要事項を繰り返し説き、いつか悪ガキどもがまっとうに社会に出た時に、

「あのおっさんが居たから、今の俺があるのかも・・・・」

とか言わせてみたいのである。
我ながら思う、何たる偽善。
いわゆる自己満足でしかない行為ではあるが、それこそ、

「キャシャーンがやらねば誰がやる」

である。
昔の社会は、こういったおっさんを筆頭に、強い大人がいた社会と思っている。
そこには大人と言うものを頂点とした、社会のヒエラルキーが存在していた。
だがしかし昨今のガキどもを見てみよう。
昔の子供ならば体で覚えた力加減も社会構造というものもついぞ学ぶ事無く、子供のままの精神は持てる力をあらん限りに使い、ふと気が付けば相手を死に至らしめてしまう、そんな"物体"に成り下がった。
こんな社会を見ていて、目標コラおじさんである私はふと思うのである。

コラおじさんは、ある意味健全な社会のバロメーターなのではあるまいかと・・・・・・。



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