東京駅の深夜
私はその日がバースデイだった・・・・・・・・・。
そしてその日が終わり、新しい日を迎えたその40分後、その時、私はなぜか東京駅八重洲口にいたのである。
なぜ、こんな事になってしまったのであろう。
ふと、この日のことを振り返り始める私である。
しばしこの記憶に身を埋没させよう。
きっと、時間も潰せる事だろうから・・・・・・。

この日、出勤日だった私は誰に祝ってもらうことなく、朝もはよから出勤したのである。
ここ連日の寒さは、今までの冬は暖冬であったと私に知らしめるには十二分に効果を挙げ、車をちょっと暖機した程度では、窓に張り付いた霜を拭い去ることが不可能であると言うことを嫌なほど思い知らせてくれた、ありがた迷惑な日でもあった。
ともかく暖機運転もそこそこに出発した私は、いいとこ帰宅が20:00前後と見通しを立てていた。
そして私はまだ知らない。
これがこの冬一番の不幸になるやも知れない、サバトな日であったと言う事を・・・・・・・。

この日の職場はやることが一杯だった。
ともかく新しい部署が出来たのである。
ユーザー情報の変更から、新規ユーザー登録、ユーザー登録用DBに対しても、その変更を反映させねばならず、あまつさえ通常作業プラス、どこぞの部署は、一刻も早くファイルサーバを再起動させ、早々に稼動状態に戻さなくてはならないなど、非常に時間がタイトであったのだ。
さて昼飯時は、私を筆頭に、3人のパシリが選出され、買出し。
その後はファイルサーバ復旧後に、新しいユーザー登録のため、DBに変更を加え、更に申請があったユーザーの情報を変更などしていたのである。
そしてこの後、不幸な時間がその姿を見せ始めたのであった。

こういう作業は昔からハマるのが昔からの麗しき伝統且つお約束であり、予定調和であり、欠かすことの出来ない刺身のツマみたいなものである。
我々の作業もとうに予定終了時刻を軽くオーバーし、果たして何時に終了するか、予断を許さない状況まで、てんぱっていた。
ここまでくるとなおさら中途半端には出来なくなり、何が何でも申請が出ている分のユーザー変更を終了させない限り帰宅は無いものと決まったようである。
私の帰宅可能限界へのカウントダウンは開始された。
この時の時間、既に23:00である。
ちなみに平日であれば、東京発千葉行きの最終電車は24:01というのを確認している。
さてそれよりも遅ければ、すでに東京からの脱出はおぼつかない訳であり、たとえこの電車に乗ることが出来ても既に内房線は終了しているのである。
大ピンチである。
しかし、運がよければ兄者に連絡の上、迎えに来てもらえるであろうが、それはあくまで、千葉まで戻って来れた場合である。
生活の場が千葉の私であるから、東京で電車が無くなった場合と言うのはあまり想定されている事態ではない。
端から帰宅が深夜に及びそうな場合は、既に電車出勤を諦め、車でやってくるのが常になりつつあった私としては、今直面しているこの状態は、まさに範疇外。
しかし無常にも、私は東京駅にたどり着いた時点で、その帰宅手段を失ってしまったのであった・・・。

実のところ、ここからが今自分の直面している緊急事態且つ、サバトであり、この時間に表をふらつくのは通常どう考えてもまともな神経ではないと思われる。
いや、決してその手段を思いつかなかった訳ではない。
最近では便利なものが沢山あるではないか、私は「むゎんが喫茶(まんが喫茶)」を探し、再び放浪の旅に旅立ったのである。

かくして、いやだがしかし、目的の店は私の視界には全く入ってこなかった。
切なさ炸裂!
である。
考えてみればここは東京番外地駅周辺である。
よくよく探せばまんが喫茶の一軒や二軒、探し出すことは容易であった筈である。
だが、冷え切った脳幹が、眠気に負けてるこの状態で、とてもまともな判断が出来る状況ではなかったと思われる。
残る最後の可能性にかけようかと、ふと自分の携帯を握り締めた訳だが、私はなぜかここで躊躇った。
そう、あそこに姿をあらわすのは非常に危険である。
頭の中で警鐘が鳴る。
「それだけは止めとけ」
そういう単語が脳内をクルクル回っている。
そうだ、きっとあそこに行ってしまったら、人の世界には帰っては来れないだろう。
例えそうではなくても、人として何か重要なものを無くしてしまいそうな、そんな予感に抗う必要はなかったのであった。
こうして、最後の拠り所を自ら放棄したとき、無常にも東京駅はすべてのシャッターを下ろし、片っ端から外へ追い出されたのであった。

心が・・・・・・、寒い・・・・・・。
すべてのシャッターが下ろされて、まだ一時間ほどである。
時間はまだ午前2時、草木も眠る丑三つ時。
八重洲口から丸の内口に移動していた私は、タバコに火をつけようと、灰皿の脇に立ったのだが、その直後前から迫ってきた人物に突如声をかけられる。
周囲を見渡し、もう一度正面に顔を向けると、どうやら私に声をかけてきたらしい。
もう、老婆と言ってもいいと思える女性であるが、風体から察するに、ホームレス系(系って何だよ?)らしい。
何でもホットコーヒーを奢ってくれ、と言うことだったが、私が喫煙するために立った灰皿のそのすぐ脇に、自販機があったのが災いしたらしい。
ともかく、給料が入った直後ではあったが、縁もゆかりもなく、まだ死にそうにもない寒さだった上に、私自身が人に奢っていられるほど今月(又は"も")生活は楽ではないので、たかが120円と言えど出す訳にはいかない。
ともかくやんわりと相手の申し出を断り、何とか金銭をキープ。
自分が飲む分はあっても、人には施してなんかいられません。
それにしても、深夜には深夜なりの人間模様があるもんだなぁと、こうした御仁たちをウォッチしていて気がつく。
こと、東京駅周辺の「束縛がない代わりに生きるのが大変な自由な人々」というのは、どこで糧を入手して生きているのかまで考えてしまうあたり、自分の足元も見えない奴が何を堂々と・・・・・・、と今更思う。
それならそれをテーマに、一本お話が書けそうであったが、私も今その一瞬はそんな御仁にかなり近いところにいる一人であったと言う事実と、思考回路はショート寸前だった私に、そのストーリーを考える余力は一切残されてはいなかったのであった。
あ〜、こりゃこりゃ。
ともかく時間を潰す事、それに伴い寒さを何とかしのぐ事。
これ以外には、この時間何も求めることはなく、善後策を実施しようとしても、土曜日の東京駅近辺で、開いてる店を探すのも一苦労である。
結局寒さに抗うために私が実行した事と言えば、東京駅周辺をグルグル歩き回るという、あまりにも間抜けな手段である。
全部で都合3周はしているのだから、私自身の莫迦さがキラリと光る瞬間である。
そして運命の3周目になった時、私は「なか卯」を発見するに至り、暖房の利いた中でカレーうどんをすすることに成功する。
そして時間はもうすぐ4時。
改めて駅の出入り口に向かうと、そこにはシャッターの鍵を持ったJR職員がいるではないか!
こうして私の長かった夜も、その全工程の2/3が終了したのである。
因みにこの日一番最初に東京駅丸の内南口から改札を抜けたのは、私であったことを明記しておく。
何事でも一番になるのは良いことだと思う。
(この辺がやはり莫迦)
だが安心するのはまだ早かった。
結局東京駅で快速電車を待つこと一時間、今度は乗り込んだ電車で人が少ない影響で車内温度は電車が停まるたびに下降線の一途を辿り、折角電車で爆睡しようとした私は、元から冷え切っていた体に襲い掛かる更なる寒さに抗いきれず、電車で移動する全行程の半分以上を起きていく羽目になったのであった。
あ〜、ぶるぶる。
こうして長い一日を終え、朝方家に到着した私は、居間のコタツに身を横たえ、
「パト○ッシュ、僕はもう疲れたよ」
というコメントを最後に静かに息を・・・・・・・。

ひきとりゃーしませんでしたが、その3時間後に、甥っ子の操作する74式中戦車の主砲を目の前に向けられることになろうとは、この時まだ私は知らない・・・・・。



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