父の憂鬱
目が覚めた。
一人布団で寝ている分には特に変わった様子は無い。
いつも通りの朝である。
いつもと違う事を痛感させられるのはこの後だ。
彼はそんな事を考えられるほど覚醒してはいなかった。
寒い朝。
吐く息は家の中にあっても白く、廊下の床板を踏む足は、たちまち痛くなるほどだ。
この辺まで来るとさすがに意識ははっきりしてくる。
何か家の中の様子が違うのだ。
そう、何か足りない。
それまで家にいたはずの愛娘の朝シャン姿だ。
よくもまぁ、朝からそんな面倒ができるもんだと感心する一方、昨夜も洗ってるだろうに、何を非効率的な。
とか思っていた彼である。
だがそれが日常と化していた身としては、そのいつもの姿が無いことに異様なまでの違和感を感じた。
だがそんな違和感も、すぐに払拭される。
そう、手塩にかけて育てた娘は、既に嫁入りをしていたのだ。

「あ、そうだった」

今更ながらなボケぶりである。
しかし、一度娘のことを思い出せば、たちまち一緒に過ごした時間が頭の中で走馬灯の如く蘇り、それこそ何も手につかなくなってしまう。
仕事をすっ飛ばし娘の顔を見に行ったあの時、病気にかかってしまった時、成長する姿に目を細め、稀にプレゼントを買って娘に贈ってみたりしたものだ。
拗ねて、言うことを聞かなくなった時、それを諭した時。
一緒に出かけた時や、社会人になった時、思い出すとかくも多くの思い出があったことかと自分でも驚くほどだ。
居なくなってから初めて気付くのは、そんな生活があたりまえの如く続くと思っていた所為か?
という具合に、今はまだそんな風に浸ってしまうが、いつかは気にしなくなるだろう。
そして、気にしなくなるまでは、まだ時間がかかりそうである。
時計を見上げると、既に出勤時間だ。

「いかん、また朝飯は抜きだ」

いそいそと服を着替え、顔を洗って髭を剃り、歯を磨くと慌てて仕事に出て行く。

「行ってらっしゃい」

耳の奥に、そんな声が聞こえた気がする。



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