悪夢
目が覚めると、一人でベッドに寝かされていた。
寝かされていたと言う説明は果たして合っているかわからないが、少なくとも自分が望んでここに寝ているとは到底思えない。
首を左右に振ってみると、医療機器らしいモノが片隅にちんまりと置いてある。
はて、自分は何で病室で寝ているのだ?
この疑問は更なる疑問を呼ぶこととなる。
何でこの病室には窓が無い?
何よりこの埃臭さは、病室のソレとは明らかに違う!
頭の中がパニックを起こしている、自分は一体どこにいるのだ?!
答えを探そうともっと良く周りを見渡すが、その周囲にはそれ以上自分が置かれた状況を指し示すものは何もない。
落ち着け、自分は何があってここにいるのだ?!
思い出そうとして初めて気が付いた、自分は一体誰なのだ?!
過去を思い出そうとするが、ここに運び込まれた事情どころか、それ以外の事すら思い出せなくなっていた。
焦燥と混乱、そして恐怖、あまりの出来事に声すら出ない。
部屋の片隅には錆びた鉄扉がある、外に出れば何かを思い出すかもしれない。
足は裸足だ、埃を貯めた床から冷気を吸い上げながら鉄扉によろよろ向かう。
そしてドアノブに手をかける、廻そうとして手が一瞬止まる・・・・。
(まさか鍵が掛かってるんじゃないだろうな?)
思い切って廻す。
だがしかし、あるいは期待通りにドアノブは数ミリ廻っただけで廻ることを拒否した。
ともかく脱出路だ、探そうとして途端に止める。
どう考えても窓一つ無い部屋が地上にあるものと思えない。
だとすれば、棺桶に仕舞われた死体とそう変わりは無い。
その証拠に埃臭い空気に紛れているこの湿気は地上で感じられる以上のものだ。
それは同時に、普段使われることが無い部屋であり、泣こうが叫ぼうが、私をここに閉じ込めたもの以外が、それを聞きつけて助けに来てくれる訳でもないのだろう。
当然閉じ込めた人間が、好意で開いてくれる事も無いというのは、鉄扉に鍵をかけてある事から容易に判断できる。
「なんだってんだ・・・・」
独りボソッと呟いた。
今度は医療器具のあるほうに向かってみる。
何が収めてあるか、しっかり見届けておきたかった。
点滴用の器具と、注射器、医者の心得などある訳が無い(であろう)自分には、何に使うかわからない器具もある。
最後に黒いカバンが目に入る。
中を開けて、おや?と思った。
何か懐かしい感じのする、一台のノートパソコンが出てきたのだ。
サイズは約B5、黒いボディーに、長年使って色が剥げてきたらしい某有名メーカのロゴが入ったプレート。
近くに電源があったのでパソコンにアダプタを刺し、コンセントを刺してみる。
充電を示すランプが小さく灯ったのをみて、電源が生きていることがわかった。
ともかくこの懐かしい感情を確認する為に、スイッチを入れた・・・・・。
多分製品が既に古いのだろう、OSが起動するまでの時間が長い。
よくよく見ればCPUはMMX233MHzだ、重いOSなど動かせば、時間がかかるのは当然だろう。
起動が終了する前に、パスワードを要求される。
何気なく指が動く、いつもしているが如く、誰のものとも知れないパソコンにパスワードを入力しているのだ。
通常だったら、アクセス拒否一発、再度パスワード画面に戻ってしまうはずが、これまた困ったことに起動プロセスを完遂させてしまったのだ。
目の前には命令を待つパソコンが鎮座ましましていた。
(こうなったら徹底的に調べてやる)
プロパティシートや、ユーザー情報、HDD上に残っていたファイルを片っ端から開いていくが、個人を特定する情報は軒並み消し去られていた。
「これでまた振り出しか・・・・」
はっきりと口に出して言ってみる。
暗惨たる気分になってきた。
その時である、それまで硬く沈黙を守っていた鉄扉の向こうから、人の気配がしたのだ。
(ここに来る?!)
ベッドに戻って寝たフリをするか、ここで堂々と対峙するか、選択を迫られた。
どんな相手だかわからないのに、いきなり正面きって勝負するのはかなり憚られる。
隙を伺うためという簡単な理由をでっち上げて、ベッドに再び潜り込んだが、よほど慌てていたのだろう、パソコンの電源を切り忘れたどころか、収納することすら忘れていた。
それに気付いた時には、もう扉の鍵が外され、ためらいも躊躇も無く、部屋に複数の人間が入ってくる気配がした。

「寝たフリしないで結構よ」

女だ。

「モニターしてたから、起きてる事もわかってる」

ちっ、と舌打ちをする。
どこにそんなカメラがあったんだか知らないが、つまり自分のさっきまでの行動は筒抜けだった訳か。
ここまで来たら、正面きって話しでもしてみるか?
素性が知れないが、万に一つの可能性として、「いいひと」である可能性がある。
ともかくコミュニケートしなければ話にならないだろう。
上体を起こし、足を廻して床に下ろし、ベッドに座った状態で相手側をみた。
そのとき部屋にいる人数が三人であるとわかった。
ここまでされたんだ、多少ニヒルなマネをしてみても文句は言われまい。

「で、俺に何の用があって、こんなところに入れられてるんだ?」

三人の顔をそれぞれ確認してみる。
最初に声をかけたのは、中央の女性らしい。
歳で言えば20代後半か30代の頭、私の美的感覚でみれば美人と言って差し支えは無いだろう。
その隣には男が一人、これは40代というところか?
その二人の奥に、ハイティーンの女の子がいる。
・・・・・、一体どういう構成だ?
そんな混乱はお構い無しに女性が話を始める。

「あなたにはゴーストライターになってもらうわ」
「ゴーストライター?」

思わず聞き返していた。
突拍子も無い話だ。
第一、ゴーストライターだからといって、こんなところに閉じ込められる謂れは無い。

「そう、そしてあなたには、我々の組織の下、著名人の本を本人に代わって書くの」
「それで何でこんな目に遭うのかが、俺にはどうも納得いかないんだが?」
「それをあなたが知る必要はないわ、私達としては、あなたが優秀なライターになってくれれば問題は無いの」
「で、ついでに訊かせて貰いたいんだが、どうも記憶が混乱してるみたいで、自分の名前が思い出せないんだ。俺のパソコンらしいものはあるんだが、個人情報が全く確認できなくて難儀してる」

すると傍らにいる男が口を開いた。

「君の記憶は消させてもらった、生活その他には一切支障無く、個人に関する事だけを・・・・、だ」
「え?」

何やら自分で今聴いた言葉に自信が無かった。
記憶を消した、なんだそりゃ?
しかも個人の事だけだと?
そろそろ本気で頭がおかしくなってきたようだ。
こんなイカす冗談は久方ぶりだろう。
なんかどっかで読んだか見たかした話のようだなぁとか思っていると、男は再び口を開く。

「今後は彼女が君の指導にあたる」

あの傍らにいたハイティーンの女の子だ。

「・・・・」

彼女は何も語らない。
暫くした後、声をかけてきた二人が部屋を出て行った。
女の子と二人になった処で、不安がべっとりと張り付いた俺は、一人ごちるように、しかし女の子に聞こえるような声で、

「こんなの悪夢だ・・・・」

と呟いた。
要は何か話をして、気を紛らわせたかったのだろう。

「こんなのが悪夢以外に何がある。記憶まで周到に消され、訳のわからない所に連れ込まれ、何をするかと言えばゴーストライター、一体俺が何をしたんだ」

恐らく返答は無いと思っていた彼女が開いた。

「悪夢と思ってあなたの心が保てるのなら、悪夢と思っておきなさい」

思わず彼女の顔を見る。

「でも、長い夢になるわよ」

全ての希望が打ち砕かれた瞬間だった・・・・・・。

「うわっ!」

とここで目が覚める。
どうやら随分長い夢を見ていたらしい。
改めて自分の居場所を確認する。
見慣れた自分の部屋と知ってほっと安堵の溜息をついた時、机の上の真っ白な原稿用紙が目に入る。

悪夢は続いているらしい・・・・・。



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