少年は荒野を目指す
少年時代、本で冒険譚を読んだ御仁も多いであろう。
アラビアンナイトやトム・ソーヤ、無人島モノも多かったとおもう。
かく言う私の場合だと、TVアニメにもなった冒険者たち(※1)などは、いまだに名作だ。
毎日何かあると思っていた子供時代。
家の周りにも冒険は一杯あった。
それこそそこら中にだ。
具体例を申し上げるならば、自転車に乗って初めて遠出をした時。
この辺同じ世代で小学校や中学校に行っていた場合、自分が通っている学校の学区外に出るときは、親同伴が基本であり、中学に至っては制服着用なんて足枷がついて回ったのではあるまいか?
当時から結構大人っぽかった自分は、周りが止めようが何しようが、結構、
「んな事、大した事ではないんじゃないの?」
という思考一発で、好き勝手絶頂ぶっこいていたものだ。
学区外まで自転車で出かける。
これも相当冒険だったと思われる。
何よりも敵は先生。
見つかると小うるさかった。
中学に至ると学区外に自転車で出かけ、あまつさえヘルメットをかぶらなかった場合、自転車通学の者は自転車没収、期間を設けて自転車通学の禁止が申し渡され、徒歩通学を余儀なくされた。
さて、この場合学校に自転車通学できるものは、学校を中心に半径2キロ離れていることが条件だったので、意外と大変だったということを付け加えておく。
だがしかしである、そういうご近所探検隊は小学、中学を経ると段々開拓されてしまい、いつでも行ける何でも無い所になってしまった時点で探検の地では無くなってしまうのだ。
唯一その後に冒険したというのは、大学入学後の一人住まいであろうか?
確かに、いい加減大人だったので、冒険心がどうのという気分は殆ど無かった。
だが、心がわくわくしていたことは、私自身が良く覚えている。
甲州街道をひたすら歩き、近所の繁華街たる八王子まで出向いたり(当時のアパートはJR西八王子駅近辺だった)、またある時は学校のある高尾まで歩いてみたり、昔の探検家はこの時もまだ探検家であったと言えよう。

少年は荒野を目指す。
と誰かが言った。
日本には荒野なんてものは無い。
しかしあの時、あの時代、確かに私は荒野を突き進んでいたのだと思う。
今はどうなのだろう?
新しい土地に出掛ける機会は随分減った。
それが社会人としての日常なのだろう。
休みの日は出かけるよりもゴロゴロしたいという気分も増えた。
冒険と呼べるような事をする事も、そんな気分になれることも無くなったんじゃないかと思う。
しかし人間というのは贅沢な生き物で、刺激を求めて止まない生き物だ。
冒険とは刺激であり、刺激とは心の潤いだ。
今の冒険はTVゲームの主人公でなければ味わえないと思うこともある。
しかし、日常から一歩外に踏み出せば、そこには荒野が拡がる。
もちろん現実の荒野ではなく、言い換えれば未開の地が拡がっているのだ。
そして忘れている事を思い出すのだ。
「冒険は勇者だけの特権じゃない」
私にも貴方にも、実は冒険のチャンスが無数に転がっている。

そこでふと思い出しちゃったのだが・・・・・。
八王子駅までよく歩いたのは、駅前のビック○メラまでPCゲェム(所謂18歳未満×)のゲェムを買いに行く時が殆どだった・・・・やうな気がする。
う〜む、ある意味冒険者だ(莫迦)。

(※1)=ガンバの冒険といえば、私の年代から上の方は大抵ピピン@ピンとくる筈。



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