人間の年齢とは・・・・

頭痛である。
朝から頭がなにやら痛いのである。
心臓が脈打つたびに、ずっきんずっきん鳴り響くのである。
特に首筋後方、肩から後頭部にかけてのポイントが痛いのである。
俗に言われる偏頭痛と思われるこの症例は、
最近私を苦しめる不実事実であり、
コレを回避する術を知りながら、おまんまの食い上げになってしまうので、
回避のしようが無いと言うのが、ウンナンのホントのトコロってーヤツである。(?)
原因は肩こりである。
ああ、腕を使う仕事が多い御仁なら、経験したのは一度や二度では済まない筈。
腰痛、眼精疲労を加えると、事務職人間三種の神器である。
私の場合だと、朝から晩までパソコンに向かっており、
ユーザの所に赴いて修理や障害の切り分けや、ケーブル配線、
機器交換など行うが、調査のためにはやはりPCに触らねばならず、
家に帰ったら帰ったで、趣味の為に更にパソに触っている訳だし、
今この日記を書くのも、愛用のThink Padの前なのである。
いくら今まで肩こり知らずで生きていたこの生物(ナマモノ)でも、
寄る年波に逆らい難くなってきたと言う事なのだろう・・・・・・、なぁ・・・・。
(少し寂しげ)

誰もが一度は、
「いつまでも若くは無いんだから」
とか、
「いつまでも無茶は出来ないよ」
とか、
「いつまでもあると思うな親と金」
とか、言われてるのではないだろうか?
(三つ目は今回の趣旨から外れていると思うが・・・・・。)
人間、一体どこで歳を感じるかは様々だ。
私が大人になったと感じたのは、
学校給食のサラダが食えるようになったときだろうか?
絶対に残していた苦手アイテムだったのだが、
とある日食わなければならない事情が発生し、
嫌々食ったわけである。
さすがにこの時は、キュウリと酢の匂いに挫けそうになり、
涙目になったものだが、それが暫く経つと食えるようになっていたのだ。
このように歳をとるごとに、味覚が改善されてゆき、
結果、子供の頃は食えなかったものが、結構食えるようになった。
と言うものは結構多い。
ここまで好き嫌いの話をしてきてなんだが、これも今回の趣旨とはまた違う。
話を元に戻そう。
今回の趣旨は、自分が年寄りになった瞬間って主旨だった・・・・、ハズ。
(ハズ?)
こうして大人になったこと感じた私であるが、
昨今、大人になったと言うよりは、歳をとったと実感することが多くなった。

例えば、
過去を回想することが多くなった。
独り言が増えた。
ボケやツッコミのセンスに、翳りを感じている。
疲れを感じると、挙動が鈍くなる。
頑固になった(昔からと言う話もある)
川岸に先祖が見える(ヲイヲイ)。
で、昨今の筆頭はやっぱり肩こりなのである。
私は今まで、肩こりと言うものを実感したことが殆ど無い。
事情は様々だが、特に肩こりと言うものがどんなものであるかを、
殆ど知らなかったあまり、
肩こりだと、どういう風になるのかが解らなかったためである。

つまり過去に遡れば、これは肩こりだったのではないかと言う事例が、
人生と言う名の俺的歴史の影で暗躍していたわけで、
これがふとしたきっかけで、まさに時の人になった訳である。
最初は、自分の頭痛が寝不足の所為ではないと、気付いたときである。
親にアリナミンA25を2錠もらい服用したところ、治ってしまったのだ。
こりゃまさに・・・・・、血行不良?
実はこれって気付かなかったけど肩こりだったの?
その衝撃たるや熊をも一撃で屠る勢いだった・・・・。

とある日、やっぱり肩こりがひどく感じられ、
「なぁ、おかん、肩揉んでくれへん?」
と頼んだときである。
おかんは最初、
「なにゆうとんの?」
と言う顔をしていたのだが、私にアリナミンを渡し、
私に肩こりであると言う事実を知らしめた結果であろうか、
結構あっさり引き受けてくれたのである。

30秒経過

「こりゃ、体重かけないと駄目だわ。」
おかんがあっさり言い放つ。
私も押される度に、
「う゜おっ!うおおおおおっ!なんかスンゲー痛いぃぃぃぃっ!」
そう、私は自分に自覚が無かったあまり、
強度の肩こりに成っていたのである。
あまりのひどさに、真っ先にさじを投げたのはおかんである。
「こんなもん揉んでたら、こっちが肩こりになっちまうよ。」
そんな訳で、第三者が認めてしまった以上、これは立派な肩こりだ!
と言っても過言ではない。

人間、生まれた時から死への階段を昇っていると言うが、
せめて三途の河原までは、年齢なんて気にしないで生きていたかったものである。
だがしかし、死への階段を昇って行く過程で、
老化とは切っても切れない関係であり、
両者はほぼ比例して生き物に迫ってくるのである。

私自身、肉体が悲鳴をあげるようになってしまった以上、
これは認めざるを得ない事実である。
しかし、せめて気だけでも若くいようとは思っている今日この頃である。

因みに、これだけ長々と、
こじつけとしか思えないような屁理屈を展開しているが、
理屈っぽくなるというのも、年寄りになった証拠だと言う話だ。
ぎゃふん!!


2000年4月28日

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