経験とは、長き人生に渡って、個人が獲得できる資産である。
そしてそれは各個人それぞれの環境に左右され、
それはけして他人と同じ物になることは無い。
つまり、何人にも侵される事の無い固有の財産でもある。
人類と違う動物ですらそういったものを持っている訳で、
人類が他の動物と大きく異なるのは、
その経験を利用して新たな手法を作り出せると言う点である。
例えば、
動物は火を恐れる、
自分が焼け死んでしまうのが、本能でわかっているから逃げるのである。
これは恐らく生物誕生の時から連綿とDNAの中に書き込まれた、
基本フォーマットとも言えるのではないだろうか?
最近、どこかの本だかで、
生物のDNAには、ひょっとすると過去に生きてきた自分の経験が蓄積されており、
自分が直接経験していなくても、本能が覚えているのではないか?
という話を読んだことがある。
なるほど、確かにDNA情報と言う奴は、雄と雌の半分半分がくっつき合っているものの、
過去の人物のDNAがその中に含有されている訳だから、
そういった考え方をしてみても、何の不思議も無い事に思える。
ひょっとすると生まれ変わりというのは、
そういった過去のDNAの記憶が蘇った人々の事なのかもしれない。
(何か、この辺はガサラキチックやね)
こうして人類は、他の動物と違い、今では恐れてはいるものの、
火の扱い方と言うのを経験で覚えた言えよう。
人これを「学習能力」とも言うらしい。
さて、前振りが長々続いたが、
本日は一体何を話そうかというと、その学習能力についてである。
本日の電車の中での一件である。
いつも通りのいつもの電車、いつものポジションで、
私は人の学習能力というものの発達を見ることとなったのだ。
以前から、この日記で爽やかな笑いを提供してくださっている、
ヘッドバッドおねいちゃん(略称、明美さん(仮名))が本日再びの復活である。
さて、この明美さん(仮名)は、本日も私の目の前に参上なさった。
当然であろう、通勤電車利用者に限らず、
通学電車を利用しているシャバ僧学生達にも共通するが、
結構普段から乗る場所を決めている御仁が多い。
かく言う私もその一人であり、この辺は昔の日記で書いたとおり。
で、この明美さん(仮名)もどうやらこの電車を利用する際は、
私が控えている場所のほぼ目の前に、いつも立って電車に乗っているわけである。
いつものように、車内の壁やらドアに、ヘッドバッドを喰らわせながら・・・・。
その対応が少々変わったなと気が付いたのは今日のことである。
いつも通りうつらうつらとしながら電車に乗っていた明美さん(仮名)だが、
それこそいつも通りに、ドアに向かってヘッドバッドを繰り出していた。
しかし、ここから私も
「楽園の魔女たち第10巻、不思議の国の女王様(コバルト文庫)」
(現在6回目の読み返し中)
を読む手をふと止め、明美さん(仮名)の動向をじっと伺うこととなる。
先ず第一点、ヘッドバッド敢行後、それまで頑なに押さえる事を拒んでいたであろう、
「額に手を当てる」
という行為を、恥ずかしがらずに実施し始めたという点である。
驚愕の一瞬であった。
なにか自分が見てはならないものを見てしまったような罪深さすら覚える。
明美さん(仮名)、一体キミにどんな心境の変化があったんだい?
何か悩みでもあるのかい?
それとも、こんな事程度では動じないくらい、世間に対して「すれて」しまったのかい?
いや、それだけでは自分の中でも認めたくは無い、
それでは、ただ単に「オバハン臭く」なってしまった"だけ"に見えるではないか!!!
そうだ!!
きっとこれこそが学習能力に違いない!!
電車の壁は固い
→頭突きをすると痛い
→痛い箇所には手を当てると早く直る
という三段論法が活きているに違いない!!!
いや、きっとそうだ!!そう思わせてくれ!!!!!
それは最早魂の叫びとも絶叫とも取れた、
この男の現実に対する対処能力の低さを露呈するには充分ではないだろうか?
電車は進む、目的地に向けて、現実は迫る、男の淡い幻想を打ち砕きながら・・・・・、
さらば青春の日々、さらばメー○ル、さらば銀○鉄道999(謎)。
だがしかし、嗚呼、だがしかし!!!!
明美さん(仮名)は更に私を驚愕のズンドコに叩き込んだのだ!!!!
ななな、なんてこったぁ!!!!
これぞまさしく経験による学習!!
彼女は、とうとう壁と自分の額の間に、
手を入れる
という、巨大な進化を遂げたのだった・・・・・。
この短時間にここまで劇的な変化を迎えるとは、
まさに「すごいよ 明美さん(仮名)!!」である。
この事態に、自分の敗北を認めざるを得まい。
(何の勝負をしてたんだよ)
でも、そー考えると経験ってあんまり価値がなさそうで嫌だなぁ・・・・(自沈)。
1999年10月25日