「ごきげんよう、紅薔薇さま」
   「ごきげんよう、祥子さま」
正門をくぐり、何人もの生徒と挨拶をかわす。
「ごきげんよう」
−大丈夫のようね。
 朝の自分をどうにか消し去る事が出来ていたようでほっとした。
   暫くしても涙が止まる事はなかったので、本当に学校を休んでしま
   おうかと思っていたのだ。
   でも、休みたくなかった。
   祐巳が「お姉さま、ごきげんよう」といつものように笑顔で自分に
   挨拶をしてくれたら、きっと今の不安定な自分の心は元に戻せると
   思っていたから。
−マリア様。どうか愚かな考えから解き放ってくださいませ。
祥子はいつもより長く、そして一心不乱にマリア様にお祈りした。
─────────────── * ──────────────────
 昼休み。いつものように、薔薇の館で昼食をとるため2階の会議室
   にやってきた。
   中には令と由乃ちゃん、志摩子に乃梨子ちゃんと黄と白の姉妹が居
   た。しかし、祐巳とその妹の瞳子ちゃんの姿は無かった。
「由乃ちゃん、祐巳はどうしたのかしら?」
祐巳と同じ、2年松組の彼女に聞いてみる。
 「祐巳さんでしたら、4時限目の授業の片付けを言いつけられてし
    まったので、今日はこちらにはいらっしゃいませんわ」
   「そう、なの」
   「多分、時間的に教室でお昼をとってらっしゃると思います」
   「有難う」
 今日はまだ祐巳と逢っていなかった。
   お昼休みには……と期待していたけど、先生に用事を言い付かった
   のなら仕方が無い。
   本当は自分から逢いに行っても良かったけれど、用事も無いのに下
   級生の教室に行くのは躊躇われた。
「祥子、どうかしたの?」
令が心配そうに声を掛けてきた。
「なんでもないわ」
 素っ気無く答える。
   親友の言葉も、今の祥子の心の影を打ち払うには無力すぎた。
 結局、他の山百合会のメンバーともニ、三言交わしただけでお昼休
   みは終わってしまった。
   放課後までの2時間、また祐巳を想って憂鬱な刻を堪えねばならな
   いのかと、考えながら薔薇の館を出た。
 教室に戻る祥子の視界の中にミルクホールから続く廊下を微笑みな
   がら並んで歩く祐巳と瞳子ちゃんを見つけた。
   祥子は仲睦まじく歩いてゆく二人を呆然と見送った。
−教室でお昼を食べていたのではなかったの……
 薔薇の館に来る時間は惜しくても、瞳子ちゃんとミルクホールで昼
   食をとる時間は惜しくなかったの?
   祐巳への猜疑心と、瞳子ちゃんへの嫉妬が心の影に勢いを与える。
   打ち消そうとした疑念。
   追い払おうとした不安。
   祥子の心は呪縛のように影に飲み込まれつつあった。
−祐巳、祐巳。教えて頂戴。わたしより瞳子ちゃんのほうが大切なの?
 何度も何度も頭の中で祐巳に答えを尋ねた。
   祥子は、偶然通りかかった5限目の担当教諭が声を掛けてくるまで
   廊下に立ち尽くしていた。
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