バスの中で、佳乃さまは一言もしゃべらなかった。
誰かに話を聞かれたくない、そんな感じではなくって、ただ車窓から見える街の景色を睨むように見ていただけだった。
美弥も、特に話題もなく、そんな佳乃さまの横顔を見ているだけ。
ただ、一体どこに行くのだろうかとぼんやり考えるくらいだった。
リリアン女学園からいくつ目かのバス停を通り過ぎたとき、佳乃さまが左手を上げ、停車を知らせるボタンを押した。
「次、降りるから」
ボタンを押したその手を下ろしながら、窓の外を見つめたまま、佳乃さまが告げる。
「はい……」
バスが停留所に停車するまでの僅かな時間、美弥は佳乃さまの横顔をを眺め続けた。
そんな美弥に気づく風もなく、佳乃さまはずっと外を眺め続けていた。
降りた停留所は住宅街の中にあった。
佳乃さまはゆっくりと歩いてゆく。何かを躊躇っているかのように。
「美弥ちゃんはご両親のこと、どう思っている?」
既に十分近く歩いたろうか。
佳乃さまが久しぶりに口を開いた。
「どうも、思ってませんけど……」
よりにもよってこんな質問なんて。
美弥は答えようにも、言葉が思いつかなかった。
「わたしはね、お父さんを殺したいと思っているの」
「え……」
最初、佳乃さまが何をおっしゃっているのかわからなかった。
「お父さんを殺したい」そう聞こえたような気がする。
「あの……」
「そうね、普通はそんな事思わないわよね」
美弥自身、母に対して複雑な想いを抱えているだけに、佳乃さまの言葉が理解できそうで出来なかった。
「殺したい」美弥のなかで、父や母がどうでも良い。と思っていることは事実だったけれど、それが殺意に結びついた事は少なくともなかった。
後ろについてゆくだけの美弥には、佳乃さまがどんな表情をして話をしているのか想像も出来ない。
けれども、今まで見たことのないような表情をしているだろう事だけはわかった。
「着いたわ」
そういって佳乃さまが振り返る。
そこは古いお寺だった。
「お寺、ですか?」
「ええ、そう。お寺」
それだけ言って、佳乃さまはお寺の門をくぐる。
「佳乃さま」
慌てて美弥も続く。
中は意外に広く、本堂と母屋と思われる建物と、小さな多角形の建物があった。
建物や庭、小道は手入れが行き届いていて、木造の建物は年月を経た材木が良く手入れされている時に放つ鈍い輝きを湛え、小道には目に見えるような雑草もなかった。
佳乃さまは勝手知ったるといった様子でずんずんと進んでゆく。
本堂の脇を抜け、雑木林が茂る小道に入ってゆく。
小道の周りの雑木林に見えたのは竹林だった。
まだ夕方で、日が高いからこそなんとも思わないけれど、正直なところ日が暮れてからは来たくない、そう思ってしまった。
その小道を一度曲がると、墓石の並ぶ墓地に突き当たる。
「佳乃さま…」
「着いてきて」
振り返らず、佳乃さまはまっすぐに墓地の一箇所を目指す。
「ここ」
とある墓石の前で佳乃さまが立ち止まる。
「桜月佳代……」
「わたしのお母さんのお墓よ」
「あの……」
言葉が出なかった。
「わたしが小学校の時に亡くなったの」
ぽつりと出た言葉に、美弥は佳乃さまの方を見る。
その顔には表情がなかった。
「よかったら一緒に手を合わせてくれないかしら」
「は、はい」
佳乃さまが瞳を閉じ、両手を合わせる。
美弥も佳乃さまに習って手を合わせ、瞳を閉じる。
(はじめてお目にかかります。どうか安らかにお眠り下さい)
心の中で佳乃さまのお母さんに伝える。
もしかしたら、美弥も母へこんな風に手を合わせていたのかもしれない。母が命を取り留めていなければ。
しばらくして、まだ手を合わせていた美弥の耳に佳乃さまの声が聞こえた。
「ありがとう、親族以外でお母さんに手を合わせてくれたのは美弥ちゃんが初めてなの」
「……」
佳乃さまの顔に浮かぶ笑みが痛い。
「本当に有難う、美弥ちゃん。そろそろ行きましょうか」
「はい」
さきほど来た道を戻ってゆく佳乃さまに続いて、美弥も墓地を後にする。
前を行く背中を見ながら、美弥は佳乃さまのことを考える。
お父さんを殺したいと言った佳乃さま。
お母さんを亡くした佳乃さま。
お節介な佳乃さま。
怖いほど美弥の心を見透かす佳乃さま。
可笑しい時に髪の毛を弄る癖のある佳乃さま。
たった二週間足らずでいろいろな佳乃さまを見た。
どの姿も本当の佳乃さまであり、偽りの佳乃さまであるような気がする。
結局、よく解らない。それが今の佳乃さまの印象だった。
「おや、佳乃ちゃん」
本堂の側まで来たとき、突然、佳乃さまを呼ぶ声が聞こえた。
「ごきげんよう、ご住職」
佳乃さまが声のした方に顔を向けて応える。
そこには袈裟、というのだろうか。お坊さんが良く来ている衣装に身を包んだ一人の小父さんが居た。
「佳代さんのお参りだね」
「はい」
「隣の可愛いお嬢さんはお友達かい」
「友達、と言うよりは可愛い後輩かな」
美弥に顔を向けて佳乃さまが微笑む。
「は、はじめまして。水無瀬美弥です」
慌てて挨拶をする。
「はじめまして。ここの住職をしております、藤森と申します」
小父さんが優しく微笑んで、挨拶を返される。
「もう帰るところかい。だったらすぐに用意させるから、お茶でも飲んで行きなさい」
「いえ、どうぞお構いなく」
「目上の者の好意は受けるものだよ、佳乃ちゃん」
藤森さんが先ほどと変わらぬ微笑のまま、佳乃さまを諭す。
「わかりました。いただきます」
「ははは、そんな怖い顔をしないでおくれ。あがって待っていなさい」
「怖い顔なんてしてません」
佳乃さまの反論を背に、藤森さんは本堂と母屋をつなぐ廊下の方に姿を消した。
「ごめんね、美弥ちゃん。すこし長くなりそうかも」
「いえ、どうせ予定なんてないですから。気にしないで下さい」
靴を脱いで、本堂正面の階段に上がる。
佳乃さまは階段を昇った廊下に腰を下ろした。美弥も佳乃さまの横に腰を下ろす。
「ここのご住職とはお母さんがなくなってからずっとお世話になっているから、なんか断りづらくって。いろいろ相談にのってもらったりもしているし」
「そうなんですか」
「お待たせしたね」
藤森さんがお盆にお茶と、お茶請けのお菓子まで用意して、二人の側にやってきた。
「有難うございます。ご住職」
「ゆっくりしてゆきなさい。わたしは出掛けるのでこれで失礼させてもらうね。茶碗はそのまま置いておいてくれればいいから」
「わかりました。気をつけて行ってらっしゃい」
「有難う、それでは失礼させてもらうよ」
藤森さんが母屋に戻って行って、再び美弥と佳乃さまの二人だけの世界になった。
佳乃さまがお茶碗をゆっくりと口に運ぶ。
「ああ、美味しい。ご住職の奥さん、本当にいつもお茶を煎れるのが上手」
美弥もお茶を口にする。
そのお茶は本当に美味しくて、佳乃さまのリアクションがオーバーなものではない事がすぐに実感できた。
お茶請けの和菓子も頂いてみる。
その和菓子もとても美味しかった。甘すぎず、しつこすぎず、とてもお茶に合っていた。
「ねえ、美弥ちゃん」
「はい」
佳乃さまがお菓子を一口ほおばって、美弥に顔を向ける。
「ここに来る途中、話した事覚えているかしら」
「ええ……」
佳乃さまの顔がまた曇る。
ここに来る途中の話。それは一つしかなかった。
……お父さんを殺したい。
その話ししか……。
−To Be Next−
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