Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


「紅い薔薇の花びら」 第六話 『失望』


 件の記事を原因とする、蓉子と祥子さんの姉妹騒ぎは翌日にはさっぱり納まっていた。
 蓉子が新聞部に乗り込んだ後、次の日には臨時版としてリリアン瓦版の記事に誤りがあったこと、
 それに伴う憶測記事の行き過ぎに付いて釈明がなされたからだった。

 「事実誤認があった事は認めます」
 「そう。なら、ちゃんと記事の内容を訂正していただけるかしら?」

 記事の内容について、誤りを質すと築山三奈子さんはあっさりとそれを認めた。

 「しかし、私たち新聞部は読者である生徒に、皆が興味ある記事を提供する事も大切な使命と心
  得ます。ですから、誤りを質す事は勿論ですが、この件に関してはっきりさせる為につぼみに
  インタビューをお受けして頂きたく思いますが」
 「インタビューと言われても、私が彼女を妹にするかどうかなんて自分にも解らない事をどうやっ
  て答えれば良いのかしら」
 「紅薔薇のつぼみが妹にするつもりも無い一年生と必要以上に仲良くされていれば、かような憶
  測が噂として飛び交っても仕方がないと思いますが?」
 「み、三奈子……」
 「お姉さまは黙っていてください」

 副部長がやや青ざめた表情で美奈子さんを窺うと、彼女はそれを躊躇う事も無く一蹴する。

 「いかがですか?」
 「私の個人的な交友まで、全校生徒に知らしめる必要が有ると言うのかしら?」
 「学外の事までとは言いませんが、学内の事に関しては紅薔薇のつぼみという、ある種公人とし
  てある程度は必要かと思いますが」

 蓉子に負けじと絡んでくるこの一年生は、時折顔を引きつらせつつも蓉子と祥子さんの関係に全
 く引こうとする気配を見せなかった。
 祥子さんや令といい、この三奈子さんといい、今年の一年生は随分と個性の強い生徒が多いようだ。
 蓉子は、自身や親友達の事を置いておいてそう思った。
 去年の自分達も、上級生たちからそのような印象を持たれていたのだけれど……。

 結局、三奈子さんの押しに負けてインタビューには答えさせられることになってしまった。
 ただし、今後結果がどうあろうと祥子さんに迷惑が及ぶ事の無いように配慮する事を絶対の条件と
 してインタビューを承諾した。

 「ごきげんよう」
 「ごきげんよう、江利子」
 「大変だったわね」
 「そうね……」

 薔薇の館へ向う途中で、江利子と出合った。
 彼女は昨日からのばたばたを感じ取っていたようで、真っ先に交わされたのはその話題だった。
 どうやら江利子は蓉子の周りで起きている今の騒ぎに興味を持っているようだった。このなんでも
 できる天才は、何でもできるが故に日常に対して変に達観してしまっている所があり、普段はとて
 もつまらなさそうな顔をしているが、一旦興味をもった事にはとことん喰らい付いてくる。そこで
 付いた二つ名が「すっぽんの江利子」。

 ─誰が言い出したのだったかしら?

 「聞いてるの?蓉子」
 「え、何?」

 そんな事を考えている間に、江利子が何度も蓉子に呼び掛けていたようで、彼女は呆れた様な目で
 蓉子を見ていた。

 「ごめんなさい、何かしら」
 「あそこに居るの、小笠原祥子さんではなくて?」

 江利子が小さく指差したのは中庭のベンチの前だった。薔薇の館からさほども離れていないその場
 所に、間違いなく祥子さんが居た。
 一人では無い。その祥子さんの前に向き合う形で二年生が一人立っている。周りには遠巻きにして
 何人かの二年生や三年生が居た。一人二人は一年生も居るようだった。

 「何かしら?」
 「行って見ましょう」

 江利子がやや急ぎ足で現場に向う。

 「江利子!」

 蓉子は慌てて江利子の後を追った。

 「もう。こんな覗き見みたいな事は止めなさいよ」
 「蓉子だって気になるでしょう。もしかしたら姉妹の申し出かも知れないじゃない」

 江利子は嬉々として二人を見やった。
 遠巻きに二人を見守っているギャラリーから見えにくい位置に蓉子と江利子は陣取っている。
 さすがに彼女もつぼみがこんな風に野次馬をする事には多少の遠慮があったようだ。この位置からで
 は祥子さんの向かいに居るのが誰なのか、木が邪魔をして顔までは窺えないが、祥子さんの横顔は
 はっきりと見て取れた。

 「いかがかしら、祥子さん」
 「一体、なぜ私を妹にしようと思われたのでしょう?」
 「貴女に興味があったから。と言うのでは理由にならないのかしら」

 まさしく、江利子の言うとおり。それは姉妹の申し出だった。通りの良い祥子さんの声だけでなく、
 相手の声も比較的良く聞こえてくる。
 祥子さんの話し方は全く丁寧だったが、その横顔にはありありと嫌悪が浮かんでいる。

 「失礼ですが、わたくしは貴女の事を全く存じません。こういう形での姉妹の契りを否定するわけで
  はありませんが、私は全く存じ上げない方の妹になる気は有りません。どうかお引取り下さい」
 「な……」
 「何度も言わせないで下さいませんか」

 見事。としか言いようの無い拒絶だった。
 相手は無言のまま、祥子さんの前から立ち去った。
 やれやれ、といった雰囲気で祥子さんも踵を返す。そのまま歩いてくれば、蓉子たちの脇を通る事
 になる。
 果たして彼女は蓉子の傍らを通り、そこで足を止めた。

 「覗き見なんて、失礼ではありませんこと?どうやら私の買い被りだったようですわね、紅薔薇の
  つぼみ……」

 蓉子と江利子の姿を認めると、祥子さんはちらりと二人を一瞥して抑揚の無い声で語りかけてきた。
 その言葉に蓉子は何か不安のような物を感じて、慌てて口を開いたのだけれど。

 「祥子さん、あの……」
 「言い訳なんて結構ですわ。さようなら」

 蓉子の声を遮るようにして言い放ち、彼女は振り返る事無くその場を後にして去っていった。

 「きつい子ね……」
 「……」

 江利子の台詞は、彼女を知らない人間としては当然の印象だっただろう。けれども、彼女が最後に
 語った別れの言葉は蓉子の心に深く深く、楔のように打ち付けられた。

 『さようなら』

 リリアンに通い続けていた彼女が残していった別れの言葉は、リリアンの乙女が使う挨拶の「ごき
 げんよう」ではなく「さようなら」。
 その意味を、蓉子は理解していた。
 彼女の中にある厳格なルールに、蓉子は反してしまったのだろうか。
 祥子さんは、いままで蓉子が彼女との間に築いて来た関係に訣別を言い渡したのだった。

 −To Be Next−


今回のあとがきは、最終話に纏めて書きます。


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