Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


「紅い薔薇の花びら」 第四話 『ロサ・キネンシス』


 割り当てられた教室の掃除を終えてから、蓉子は日課となっている温室での祥子さんとの短い出逢
 いを求めて、あの静かな小道を歩いていた。
 小笠原祥子と言う少女に出会って約二週間。
 蓉子はこのひと時が待ち遠しくてしょうがなかった。中等部からの親友である、江利子や聖。クラ
 スメイトやお姉さまたちとも全く違う、ある種別世界の住人のような祥子さんの魅力に引寄せられ
 てしまっていたから。

 「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみ」
 「ごきげんよう祥子さん」

 何時もと同じように、彼女は入り口と反対側の名も知らぬ花の傍らで待っていてくれた。
 祥子さんは毎日居る訳ではなかったけれど、ニ、三日に一度はこうして挨拶を交わしてから短い会
 話をする事が出来た。
 初めの頃のように幾分棘のあるような話口も随分薄れ、何気ない話題にも笑みを浮かべる事が多く
 なってきていた。
 今日もまた、取り留めのない会話をして、時間が過ぎていっている。

 「そうだったの、おメダイは白薔薇さまに頂いたの」
 「はい」
 「間に黄薔薇さまの列があったから、あなたの顔が記憶に無かったのね」

 至極残念そうに蓉子が答えると、祥子さんは「新入生全てを覚えていたら大変ですわよ」と笑みを
 交えながら切り返してくれる。
 彼女が帰宅の途につくまでの十数分。
 そんな短い時間だったけれど、蓉子は祥子さんの事を少しでも知りたい、解りたいとどんな些細な
 話題も聞き漏らす事の無いように努めていた。

 「いけない、そろそろ行かなくては……」
 「まだ早いようだけど?」
 「今日はピアノの先生に成果をお聞きいただく約束がありますので」

 祥子さんが残念そうに理由を教えてくれる。
 そういう表情を見せてくれるようになった祥子さんに、蓉子は喜びすら覚えた。ほんの数分の会話
 しか出来なかったことは蓉子にとっても残念な事ではあったけれど、彼女とこうした関係を築いて
 来れた事はそれを補って余りある喜びでもある。

 「そう、それでは仕方が無いわね。頑張ってね」
 「有難うございます」
 「では、ごきげんよう」
 「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみ」

 くるりと蓉子に背を向け、いつものように背筋を伸ばして祥子さんが歩き始める。数歩、歩みを進
 めた所で「あっ」と声を上げて彼女が立ち止まる。

 「どうかして?」
 「その花ですけど、名前をお伝えするのを忘れていましたわ」
 「この花?」
 「ええ」

 彼女との待ち合わせ場所になっているバラ科と思われる花。
 いつのまにか小さな蕾らしき膨らみが現れている。であったときはその膨らみすら無かったのだけど。

 「ロサ・キネンシス……」
 「紅薔薇さま?」
 「いえ、ロサ・キネンシスがその薔薇の名前です。葉の形と特徴を辞典で見比べました」
 「これが、ロサ・キネンシス」

 いずれは自身がそう呼ばれる事になるであろう名前。

 「ええ、それではまた。ごきげんよう」

 そう言って、少し早めの足取りで祥子さんは出入口へと姿を消した。
 彼女の背が見えなくなるまで見送って、蓉子はロサ・キネンシスの袂に腰を降ろした。

 「この小さな小さな蕾が私なのね……」

 感慨深げに小さな薔薇の蕾を見つめる。
 ロサ・キネンシス・アン・ブゥトゥン……。
 それは取りも直さず、今の蓉子自身を表す言葉。そして、お姉さまが卒業なさった来年は「蕾」か
 らその可憐であろう花へと姿を変える。

 「私も、お姉さまのようになるのかしら」

 思わず苦笑してしまう。
 現在の「紅薔薇さま」ロサ・キネンシスの本当の姿と、他の生徒達が持っているだろうイメージを
 自分に重ねて、蓉子は一人で小さく笑い続けた。

 −To Be Next−


今回のあとがきは、最終話に纏めて書きます。


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