Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


「紅い薔薇の花びら」 第ニ話 『山百合会』


 「ごきげんよう、祥子さん。またお逢いしたわね」

 放課後の古い温室で、蓉子は祥子さんの傍らに立った。
 彼女は昨日と同じく、入り口からちょうど反対側のプランターの前にしゃがみこみ、植えられた植
 物の緑の葉を眺めていた。

 「つぼみと言うのはお暇なようですのね」
 「今は、ね」

 蓉子の顔を見てから祥子さんはすっと立ち上がった。
 体ごと顔を蓉子に向ける。
 どうやら彼女は少なくとも蓉子のことを「邪魔者」とは思っていないようだった。

 「この花がお好きなのね」
 「ええ」

 いまだ蕾すら見受けられず、なんの花かまでは初々しい緑の葉からだけでは判別がつかない。辛う
 じて葉の形からバラ科の花であろう事が類推できるに過ぎない。

 「なんと言う花なのかしら」
 「ネームプレートもありませんから……」

 そう答える祥子さんは昨日と違って、優しい視線でその花を見つめた。
 何故こんなにも自分はこの少女の一挙手一投足を気にとめるのだろう。昨日の放課後、ここで言葉
 を交わしたのは僅かに数分。小笠原という巨大グループの令嬢だから?いえ、そんな事は昨日祥子
 さんに向けて言ったように問題ではないし、興味も沸かない。

 「紅薔薇のつぼみはどうしてこちらに?」
 「そうね、ここも気に入ったのだけど、貴女に逢えるかしらと思ったからかしら」
 「わたくしに?」
 「ええ」

 答えて、祥子さんの瞳を意識して見つめる。
 そうだ。この瞳だ。
 毅然と相手を見つめているように見えて、どこか救いを求める迷い人のような危うい雰囲気を感じ
 させる瞳。この瞳の色の奥に隠されている、彼女の弱さに惹かれたのだ。

 「それは光栄なことですわね」
 「嫌味かしら?」
 「ご想像のままに」

 傍目にはとても大人びて見えて、とても自分よりは年下に見えないその顔に、子供のような悪戯な
 笑顔を浮かべて祥子さんは小さく笑った。

 「それでは、そろそろ失礼致しますわ」
 「あら、もう?」
 「ええ、毎日二つ三つと習い事がありますので」

 先程までの笑顔に心なしか陰りを浮かべてうんざりしたように言う。
 一体彼女はいくつ習い事をしているのだろう。一日に二つとしても、月曜から金曜まででも10。
 三つだったら15にもなる。言った祥子さん本人より、聞いた蓉子の方がうんざりするような数だっ
 た。

 「では、ごきげんよう。紅薔薇のつぼみ」
 「ごきげんよう」

 急によそよそしい声で別れの挨拶をすると彼女はぴっと背筋を伸ばして歩いていった。
 その背中は何かに立ち向かっていくような、とても大きな背中に見えた。
 小笠原祥子。
 出逢ってからたったの二日だというのに、蓉子は自分がどんどんと彼女に惹かれている自分に驚き
 を覚えつつも、もっと祥子さんの事を知りたいと思い始めていた。

 「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみ」
 「ごきげんよう、黄薔薇のつぼみ」

 温室で祥子さんと別れた蓉子は、普段よりもやや遅れて薔薇の館にやってきた。
 薔薇の館のサロンには、親友で黄薔薇のつぼみである鳥居江利子と、先ごろ彼女の妹になった1年
 生の支倉令の二人しか居なかった。

 「蓉子さま、紅茶で宜しいですか?」
 「有難う、令」

 自分より背の高い、まるで少年のような江利子の妹の名前を呼び捨てにする事には未だに戸惑いと
 抵抗を感じてしまう。
 彼女が薔薇の館にデビューしてから1週間。その間に令の外見と内面のギャップが大きい事に蓉子
 も驚いていた。この男の子のような背の高い少女が実はとても可愛い趣味をしていたり、お菓子作
 りや、お茶を入れるのがとても上手だったり、愛読書が少女小説だったりとそのギャップには枚挙
 に暇が無い。

 「江利子らしいわ……」
 「わたしが何ですって?」

 蓉子の独り言を聞き逃さなかった江利子が、咎めるように言いながら蓉子に顔を向ける。

 「令を妹に選んだ事よ」
 「拾い物よ、令は」
 「そうね」

 今までは、紅茶を入れるのが一番上手だったのは蓉子だったけれど、それはあっさりと令に奪われ
 てしまった。けれど、更に美味しい紅茶が頂ける上に、自然とお茶汲み担当から外れたので、それ
 はある意味喜ぶべきことだった。

 「聖はまだなの?」
 「ええ、来るかどうかも怪しいわね」
 「そう……」

 佐藤聖。蓉子と同じ2年生で白薔薇さまのつぼみたる彼女はマリア祭以降、滅多に薔薇の館に姿を
 見せなくなっていた。もとよりあまり積極的に人と係わるような事は稀であったのだが、仕事が一
 段落してからは更に酷くなっているように思えた。

 「蓉子さま、どうぞ」
 「ありがとう」

 聖の事に想いを巡らせていると、令が蓉子の前に紅茶を置いてくれた。
 薄い湯気と共に、香りが鼻腔をくすぐる。

 「学園祭の準備が始まる頃には戻って来てくれるかしら」
 「大丈夫でしょう。仕事を放り出すようないい加減な人間じゃないわ」
 「蓉子が妹を作ってくれれば、安心できるのに」

 江利子の言葉を聞いて、蓉子の眉が微かに釣り上がる。目を細めて彼女の顔を見ると、江利子は蓉
 子を見る事無く、細い指でカップを弄んでいた。

 「自分に妹が出来たからといって他人にまで押し付けるのは止して頂戴」
 「はいはい」

 そんな江利子との会話をしている内に、お姉さまや白薔薇さま、黄薔薇さまがやって来てサロンは
 俄かに慌しい雰囲気に切り替わって行った。

 −To Be Next−


今回のあとがきは、最終話に纏めて書きます。


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