私の「コンピュータ」履歴書 No.6

コンピュータに縁の無い日々


というわけで、なんとか地元の大学の物理学科にもぐりこんだ私なのですが、まず最初の2年間は教養部なるところで過ごすわけですね(中には、教養部が大好きなのでしょう、3年も4年も過ごす人もいるようですが(^^;))。
当時は、今とは比較にならないほど、コンピュータというものが一般的ではありませんでした。今なら、コンピュータ関連の科目は必修なのかも知れませんが、私が行っていた頃は選択科目でした。しかも、1年のときの時間割を見ると、情報処理の講義は、物理学科の必修科目とぶつかっている(^^;) 「こ、これは、物理学科にはコンピュータなんていらん、ということなの??」などと思いながらも、なくなく諦めました。

この情報処理の講義、受けた人間の話を聞くと結構すごかったようです。
まず、プログラミング言語がFORTRANなのは、当時としては普通で、どうということはないのですが、いきなりテキストを買わされて、あとはろくに説明もせずに、やたら難解な数値計算のプログラムを課題として出されたそうです。もう、20年近くも前の話ですから、誰一人として、それまでプログラムを作ったことが無いところで、そんなん作れるはずが無いわけです。
じゃあ、実際のプログラミング環境(なんて言うほど大層なものか?)は、このコラムで前に書いた、いわゆるパンチカードを使います。が、実際は「パンチ」カードでは無かったのです。どういうことかと言いますと、カード自体はパンチカードそのものなのですが、カードパンチャという、カードに穿孔する機械が無いため、カード自体の孔を開ける部分を鉛筆で黒く塗るんですね。
どこどこの孔が開いていれば何という文字か、なんてことは当然覚えていませんから、一覧表を見ながら、一所懸命塗りつぶしたそうです(私なんかよりもっと前の世代のプログラマは、この孔の位置からカードにパンチされている文字を読み取ることが出来たそうです。メールで情報をいただきました、ありがとうございます)。
このカードは当然のことながら自腹、学生生協の売店で売っていました。
じゃあ、実際にプログラムを動かすのにはどうするのか、ということになります。出来たカードをマシンルームに持っていってカードリーダに読ませて、結果を貰う、というようなリアルタイム処理(←などとは言わない)は出来なくて、毎週決められた曜日に専用のポストに入れておくと、数日後にプリントアウトされた結果がやはりポストに入っている、というシステムでした。これ、要するに、1個でもバグがあると、それを修正して結果を得られるのは早くて一週間後ということになるわけですね。今では考えられないような悠長なことをやっていたわけです。
当時は、コンピュータにプログラミングやデバッグを助けてもらおう、という考えは一般的ではなくて、コンピュータの少ない資源をいかにして有効に活用するか、ということに重点がおかれていました。プログラム開発のツールとしてコンピュータを利用する、などということは言語道断、という考え方が一般的にありました。その当時バリバリのプログラマだった(今では偉くなってしまっている)人たちの中には、例えばデバッガを使うことすらいい顔をしない人もいます。

ちょっと、横道に逸れてしまいました。軌道修正します。とにかく、そのころの私はコンピュータなどとは縁の無い、健全な(^^;)生活を送っていました。クラシック音楽のレコード(当時はもちろんLP)を買いまくったり、旅に出かけたり。そう言えば、1年の夏休みに、山岡荘八の「徳川家康」全26巻を読破したり(^^;)とかアホなことやってたり・・・
そうこうしているうち、2年の夏休みの間に、大学にもやっと情報処理教育のための施設が出来あがりました。ここでは、大型コンピュータの端末を自由に使うことが出来、私も久しぶりに、FORTRANと再開しました。しかも、今度はパンチカードを使うのではなく、コンピュータの端末でTSSを利用して、プログラミングができるようになっていて、私なんかも暇なときにときどき行って勉強した(=遊んだ)ものです。
コンピュータは、三菱の大型機(MELCOMなんとか、とかいうやつ。今は三菱ってもうこういうのは作ってないんでしたっけ?)でした。そこで、私は初めてTSS(Time Sharing System、今でもありますけど最近はあまりこの単語は聞かれなくなってきているようです)に触れることになりました。
当時はエディタも、スクリーンエディタなんていう高級なものは無くて(もちろん世間にはあったでしょうけど、少なくてもそこには無かった)、もっと原始的なラインエディタしかありませんでした。それでも、パンチカードと格闘する必要も無く、プログラムもその場ですぐ実行できて、結果もすぐその場で見ることが出来るので、効率は格段によくなったのは記憶しています。

まぁ、そんなこんなで、大学の教養部時代は、コンピュータというものに触れて以来、一番コンピュータとの関わりが少なかった時期ではありました。

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