私の「コンピュータ」履歴書 No.4

マイコンとの出会い


他に高校時代のコンピュータとの関わりでは、友人が持っていた「マイコン」を触ったことでしょうか。私自身は貧乏だったもので、とても買うことは出来ずによだれを流しながら眺めているだけでした。

友人に、かの往年の名機NEC TK-80を買った男がいました。NECが日本で最大のパソコンメーカーになったのも、もとを辿ればこのTK-80のおかげといっても過言ではありません。これはいわゆる「パソコン」ではありません。「ワンボードマイコン」とも呼ばれた、むき出しの基板に16進キーボードと7セグメントLEDが付いた姿のものです。OSはおろか言語処理系も付いていませんでしたから、プログラミングは機械語で行う必要が有りました。Intel 8080互換のNECのCPUに、メモリーは1kBくらいで、増設も出来た、と記憶しています。
これを学校に持ってこさせ、みんなで集まって遊んだものです。プログラム集のような本も何冊か発売されていまして、我々は一生懸命16進ダンプリストを打ち込みました。もぐらたたきゲームとか、そういう他愛の無いゲームとかでしたが、結構はまりました。

上にも書いたように、このマイコンは言語処理系、つまりインタープリタやコンパイラやアセンブラさえ付いていませんでしたから、プログラミングは結構大変でした。といっても、今のように複雑なプログラムが動くわけではありませんけど。プログラムは、まず紙に8080のアセンブリ言語(と言うのかな?)で書きます。それを、命令コード表を見ながら、自分で機械語(16進ダンプ)に変換してゆくわけです。「ハンドアセンブル」などと言っていましたが、ようするに「人間アセンブラ」ですね。
だいたいこうやってプログラミングしてゆくのですが、世の中にはいきなり16進ダンプを打ちこんでゆく猛者もいました。機械語の同時通訳ができるというか(^^;)これってかなり難しいのです。ジャンプ命令の飛び先のアドレスを絶対番地で書かなければいけませんから、飛び先が前方の場合、そのアドレスを前もって予測しておく必要があります。
私自身は、TK-80でプログラミングはほとんどしませんでした(そのあおりで、私はいまだにIntel 86系のアセンブリ言語はほとんど知らないのですが・・・いまさら覚える気も無いし)。もっぱらゲームで遊んでいました。

あと、金持ちの友人がApple IIを買ったのをちょっとだけ触ったことがあります。この男はケチで、あんまり触らせてもらえなかったのが残念です。その恨みで、それから10ン年後、私は大枚をはたいてMacintoshを買ったのですが。
Apple IIは、一言「美しい」コンピュータでした。最近のMacintoshのナサケないデザインからすると、Apple IIからある時期のMacintoshまでは本当に美しいデザインでしたね。これいらい、私は「見た目の美しい機械は性能もいい」という確信を持つに至ったわけです。ここで、デザインと言うと、外観だけを指しているように誤解されてしまうかも知れませんが、私は内部のデザインも含めて言っています。Apple IIは中を開けても美しかったのです。

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