新・闘わないプログラマ No.95

どれにしようかな 2


きわめて安直なタイトルです。前回の「No.94 どれにしようかな」は、あれでお話は完結しているつもりだったのですが、その後、いろいろと進展もあったし、あとメールもいただいたので、続編を書くことにしました。要するに手抜きです。

Red Hatと五橋研究所(LASER5)との喧嘩はすごいですねえ。もうほとんど「おまえのかーちゃん、でーべーそ」の域にまで達しているような気も…。双方の首脳のインタビューがあちこちのニュースサイトに載っていますので、ご覧になったかたも多いかと思いますが、ううむ、何と言ったらいいか。
まあ、喧嘩なんて、やじうまをやっているのが一番楽しかったりしますから、まあ、ゆっくり楽しませていただきます :-)
しかし、Red Hatの日本法人は、インタビューによれば一応設立されたそうですが、全然体制が固まっていない雰囲気ですねえ。まあ、あたりまえと言えばあたりまえでしょうが。大体、日本語版の開発をどこでやるのか……バージョン6.0日本語版の発売日を明言しなかった(というか「出来なかった」というのが正しいのでしょうけど)ことからしても、少なくとも、今現段階では、信用に足るような会社じゃないのは確かなようです。
とりあえず、ゴタゴタに巻き込まれて苦労するのは嫌なので、先週お話しました、会社で使うLinuxは、当面「redhat Linux 5.2日本語版」で行くことにしました。家でもこれをメインで使っている関係上、一番分かっているので。

話は変って、Linuxのディストリビューションの種類について、先週いろいろ書きましたけど、他にもこんなディストリビューションがあるじゃん、とか、このディストリビューションを取り上げないのはおかしい、とか、メールをいただきました。
はい、ごめんなさい。私がモノを知らないだけです。無知な人間なんです。いや、紹介していただいたディストリビューションの中には聞いたことがあるやつもありましたけど、何せインストールもしたこと無いし、それはちょっと言及できないなあ、とか思って省いたりしました。
あと「Vineってそんなにいいかねえ??」というご意見もありました。ううむ、私も深いところまではそんなに分かってません。ちゃちゃ、っとインストールして、さくさく、っと使ってみた印象では、日本語まわりが一番破綻してなかったような印象を受けたもので、ああ書きました。
あー、なんか言い訳ばかっかりしているなあ。こういう話題って、みんなそれぞれ思い入れもあるんだろうし、下手なことを言うと、地雷を踏んでしまいそうです。私、「マインスイーパ」は不得意なのよねー、などと言ったりして。

いま、家にあるデスクトップパソコンには、Linuxのルートパーティション用として、5つばかりパーティションを用意して、System Commanderでどれをブートするか選択できるようにしています。他にもDOSやらWindows95やらWindowsNTやら、いろいろ入れていたりしますけど。本当は、実験用に別のPCがあった方が、インストール中にディスクのパーティションテーブルをぶっ飛ばして、他のOSのところまで駄目にしちゃったり、なんてことが無くていいのですが、そこまでやる、金銭的、空間的余裕がなかったりします。
まあとにかく、いろいろインストールして遊んでみよう、ということで作ったのですが、もう既にいっぱいになってしまいました。
とりあえず、先週末までの状態では、

ということで、4つばかり入っていたのですが、先週買った「Linux magazine」(アスキー)という雑誌に「Caldera OpenLinux 2.2」が付いていたので、週末にこれもインストールしてみました。
びっくりしましたですねー、なんたって、インストール中にテトリスが出来る。これはすごいぞー、なんてったって、テトリスで1000点以上のスコアを取らないと、インストールが完了しないんだから(嘘)
まあ、冗談はともかく、このOpenLinux、インストーラがド派手ですねー。まるでWindowsのインストーラみたい(←さて、これは誉めているのでしょうか、それとも、貶しているのでしょうか :-p)。こういう見栄えのよさ、ってのも案外重要だったりするかも知れませんね、特にこれからの時代。あと、インストール時の選択項目がかなり整理されていてわかりやすい印象を受けました。ハマることの多いX関連の設定も、何の苦もなく終わっちゃいましたし。まあ、逆にインストール時に細かい設定が出来なそうなので、それはそれで困っちゃうこともあるかも知れませんが。
あと、面白かったのが、パッケージのインストール中に、各種設定(ネットワークやらXやら……)の画面が出てくることです。これぞ「マルチタスク」って感じで、インストール時間の短縮、という意味ではいいアイディアですね。でもって、各種設定が終わったのに、パッケージのインストールがまだ終わっていないと、勝手にテトリスが立ち上がって、インストールが終わるまでの暇な間、ゲームをすることも出来る。
インストールの話ばかりしちゃいましたけど、インストールが終わって、実際に使う段階でも、派手さは健在です。今まで、どのLinuxを使おうと、ブート時のメッセージが流れて行く画面は同じだったのですが、OpenLinuxはそこからして違います。派手です。そして、立ち上がった後も派手です。
「それはいいけど、実際に使ってみた印象はどうなんだ?」と思われた方も多いかと思いますけど、まだ全然使ってませんから分かりません。だーって、そんな暇、無かったんだもん。私の頭の中には、とりあえず「Caldera OpenLinux」=「ド派手」という等式しかありません、ごめんなさい。

そういえば、全然関係ないですけど、その「Linux magazine」をつらつら眺めていたら、山形浩生さんが、こんなこと書いていました(「Linux magazine」1999年10月号、アスキー、153ページ)。

りぬっくすぅぅぅ? なんだあ? あの古くさい、手垢にまみれた、既存の標準を実装しただけの新規性まったくなしの、モノリシックの、すでにミーちゃんハーちゃんにIBMだのオラクルだのまで手を出している、とりあえず動くだけが取り柄の、これ以上発展も成長もない、あのどんくさいUNIXもどきぃ?

ううむ、すごい。私も以前、似たようなことを書いたことがありますけど、怖くてここまで書けませんでした……私はまだまだ修行が足りないようです。いやまあ、ここまで言いきっちゃうと、「それは必ずしも正しくないんじゃないの」と突っ込みたくなる部分も無いわけじゃないですけど、文章芸としては、私は好きです。大筋では間違っていないと思いますし。でも、私は怖くて言えない。
もちろん、山形さんはLinuxを批判したくて言っているわけじゃなくて、そのあとで「Linuxの売りが先鋭性ではないことも、知っている人はちゃんと知っている」とちゃあんと書いてあったりするわけです。

話が逸れてしまいましたけど、よくよく考えてみると(って、考えてみるまでのことじゃ無いですけど)、私が家のPCにインストールしたLinuxって、全部redhat系のディストリビューションだったりして。うー、いかん、身も心もredhatに毒されてしまっているような気がしてきた。ここはやはり、清楚なSlackware系(←意味不明)のインストールでもやって、心を清めないといけないのではないか、などと思う今日このごろだったりします。

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