薫風 チョット 見聞録 !   C

Buddhist Shrines in INDIA

2007年1月20日〜28日

  インド仏跡巡拝の旅。幕開けは、まず関空へ到着するまでの大波乱で始まった。
集合関空AM10時、余裕を持って天王寺へ。乗るはずの電車運転取りやめ!ウソッ!
次の特急「はるか」に乗れば30分前には着く、特急料金いるけど仕方ないか。乗って
ほっとしたのもつかの間、停止、ノロノロのくりかえし。日本の慣習でいけば一分の遅
れが命取りでしょ?・・聞くところによるとインドでは、時間に対する感覚が全く違うらしい。
列車、飛行機でさえ、遅れ1時間なぞOn Timeの内らしい・・いいのか悪いのか、私は几
帳面に育てられた日本人。このストレスははなはだ辛い・・果たして着くのだろうか?
初っぱなから非日常の洗礼に、この先何が起こるやらと背中に冷たい物が流れる・・・
閉じこめられて1時間半やっとホームに着く、電車より速く、バゲッジ宙に飛ばして猛
ダッシュ・・我が姿、漫画っぽい・・取り残されずにホッ!長い半日やっと機上の人となる。

 10時間余りの飛行で降り立ったデリーは斜幕が懸かったような夜。バスから見るメイン
通り、何かを覆い隠し、身じろぎもしない大樹の闇が点在している。浮かび上がるのはアン
バーの外灯。その光が繋がらぬ点となって沈み込み、粉っぽい闇色と哀愁をおびた深い
アンバーに、人々がすべてが染まっている。色々な顔を持つインドの一面、デリーの夜。

 眠った実感もなく朝を迎え、窓の外はまだオブラートの溶けない空。ひんやりとした空気。
グレーのマフラーをしているような小型のカラス。カラスもカワッテルワー !

 デリー、パトナ、ナーランダー、ラージギル、・・次々と旅程が進んで行く。 目、耳から入っ
てくる情報量に全神経がフル活動。異形の顔、佇まい、人の波、喧噪の道。バスからかい
ま見る世界、私は単なる旅人。パノラマの世界・・霊鷲山の山頂まで登る。かの仏陀が見
たであろう山々。気持ち良い拡がり。一観光客の好奇心は充ち満ちている。
次なる地ブッダガヤでは、そんな状況が一変し、この地の奥深さを痛感する事になる。

 それは仏陀成道の地、大菩提寺(マハーボディ寺院)金剛宝座宝前。大勢の人々が行き
交い混雑する中、宝前の一角に特別に設えられた赤い絨毯、導かれるまま座し臨んだ法
要。僧侶の読経の声に周りの喧噪は遠ざかり、すっぽりとエネルギーのカプセルに包み込
まれたように感じる。そしてカプセルごと地面から浮いている様に・・・細胞が共鳴しあい、
止めどもなく涙があふれ出す。言葉にならない感慨が全身を覆う。参集する人々のエネル
ギーのせいなのか、この地のエネルギーなのか?導師のお力?それとも仏陀のお計らい?
とまどいの中にも感性の扉が微かに開き始める。けどまだ開ききらない心のしこり・・そして
それがもっと溶け始めたのが、ベナレス、ガンガーマー、母なる川。夜明け前にガートへ。
薄明かりの中、船に乗り込み祈りを捧ぐ。しばし日の出を待つ。水の色を表す言葉が見つ
からない、今までになくとろけるような風が頬を撫でる。かじかんだ手をほぐすように、かた
くなな心を解きほぐすように・・・身体がだんだん透き通っていくよう。ここに在ることの不思
議さと嬉しさが溢れ、たおやかに船の揺れにこの身をゆだねる。今どんな顔をしているの
だろう私?唯一自分の目で直接見られないのが自分の顔と後ろ姿・・

 25日 仏陀生誕の地、ルンビニ(ネパール)へ。難関、悪路10時間のバス移動。お陰で
インドの自然と人々の暮らし、文化の匂いを見つめる事ができた。 過酷な自然の中で人
間の存在の危うさと、それを包み込むような大地の暖かさ、相反するものが混然と現存し
ている。道幅二間もない道路。路肩は甚だ撫で肩で、そこにはガードレールもなく、セン
ターラインも信号もない。自己主張と譲り合い、罵声のようなクラクション。平気でダンプの
横をすり抜けていくバイク。日本だったら捕まるよ、二人乗りでメットなしだし! 目前に突然
自転車、牛の群れ、アッ人も歩いてる!横切る子犬?一応ここハイウエーだって、既成
感覚覆される状況。すべてが融合し成り立っている。大きな事故など一件も遭遇せず。
信頼意識がなければ成り立たないと思う、根底に吹く風がきっと暖かいのだろう。
車窓から手を振る、子供も大人も大きな目で微笑み手を振り返す。なんて憂いをたたえた
魅力的な目なんだろう!自己中の輩はびこる世界では不可能だね。贅沢品が溢れ、
文明がいかに発達しても、無くしたものが大きいかも、今の日本は!

 鬼灯(ホオズキ)のような夕日が溶けてしまい、夕闇がせまる。 ネパールとの国境越え、
島国では味わえない緊張が走る。バス全行程シートの最前列に陣取り、一睡もせず見届
ける。終盤の洗礼は、外灯一本もない暗闇に、道の横から覆い被さるように湧きあがる霧。
1メートル先も見えなくなる。そんな中、息もつかずに小一時間、名ドライバーのお陰でやっ
とホテルに到着する。緊張冷めやらず、又眠れぬ夜・・・

 翌朝のルンビニは、まだ霧の中。何やら起こりそうな不思議な世界!

 光の束が眩しくなった頃、ルンビニ園に到着。僧ビマラナンダ師の追善供養とな!
ご恩のあるお方と聞きおよぶが、凡夫の私には実感が伴わず、何やらわからぬまま参列。
静まりかえった空間に読経の声。理趣経の響に全身感応し始める。あわせた手のひらが、
意図しないままに蓮の花がゆっくり開くように自然に膨らんでいく。まぁるくかざすようにひ
ろがる手のひら。手椀に溢れる光、よりあたたかく、豊かに・・読経が終わる。その手をしっ
かり胸に抱き留める。永遠にこの時が続いてくれればいいのに・・そうしている内にインド
の僧が一本の糸を全員に回し渡し、その先を持ったまま、引き締めた弦を静かにつま弾く
ように語り始める。言葉の意味はわからない、初めて聞く音色。額に当てたその糸から全
身にしびれのようにエネルギーが伝ってくる。なんと不思議な初めての快感。信仰あつき
人は「ありがたいっ!」と思う感覚なのかもしれない。初めての経験ばかり。ろうそくとお線
香を手渡され、祭壇へ・・・一巡し戻った席からふと見上げるとお写真が・・・このお方が
ビマラナンダ師だとの事!25年前、この地に故上司永慶師が無憂樹の木を植樹され、
ずっとそのお世話をして下さり、昨年5月満月の夜に逝去されたとの事。そんな情報が頭
をかすめたものの、そのご遺影の前で座ったまま動けなくなってしまった。うるんだような
やさしい慈愛のまなざしは、肩の力を解きほぐし、そして直接心にメッセージが届く。共感と
癒しの言葉。涙があふれ出す。口には出せなかったすべての思いを、悲しみを、辛かった
思いを洗い流すように・・・寸時の心の対話。そして気付く、私にとって誘われたこの旅の
意味を・・・必死で走り続けて来た今までの人生を労い、人生の次のステージへの示唆。
大きな節目の時、おおらかに受け止めよう・・ 涙の後、清々しく又違った世界が拡がって
見え始める。

 インドでは随所に枝を大きく張った大樹がある。あれがマンゴーの樹!?その木陰に
仏陀が瞑想している姿が彷彿とイメージされる。私もあの樹の木陰でゆったりと思うまま
時を過ごしてみたい・・許されるものなら・・・

 不思議な国インドの旅。人生の旅。

 仕組まれた偶然の出会いが人を育み、感性の器でそのひととなりを創る。 上質な祈り
とは、人力の及ばない事に対して願いを込める行為だと言う。人事をし尽くした後、祈り、
大いなる他力に託す。そして現実がどのような結果であれ、それはその人にとって充分
必要事項なのだと・・最終的には、我が子であれ、肉親であれ、愛する人の為に祈る事
しか、念じる事しかできない。無事を祈り、心豊かに生きて欲しいと・・・

 帰国の途、最後の波乱は我が身体の内に起こる。心拍の不整和音。未来への予兆、
胸騒ぎなのか?これから起こる現実、日常にどんな出来事が待っているのだろう?
でも今ここには、不安も心配も消え去った私がいる。ただ私なりに心を込めて生きれば
良いんだと確信できた私がいる。愛されているからこの世に生まれ、美しきものを美しい
と感じる豊かさと共に今在る。そう心から思える私がいた!

 マーヤー夫人が釈尊をお生みになる時、この木の枝を掴んだという無憂樹の木。真っ赤
な花が咲くという、是非この目で見てみたいもの・・・願いを持って歩き続ける!

                                2007/2/12 記   薫

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