薫風 チョット 見聞録 ! E

       Kingdom of BHUTAN ブータン

2010 8/24〜8/31

この旅の発端は、雑誌に掲載された一枚の写真との出会いから始まる。
断崖にへばりつくように建つ僧院。チベットの高僧グル・パドマサンバヴァが虎の背に乗って飛来し仏教を伝え、瞑想した洞窟が残るタクツァン僧院。
この聖地に立ちたいと夢見る事かれこれ2年・・・行動に移すきっかけは、衝動に近いものがあり、ネットを開くと後は直感に頼るのみ <行って 見て 感じるブータン>そのものずばりで西遊ツァーに決定!

何故?人は旅に誘われるのか?  

ブータンは伝統文化を保ち、国民総生産量より国民総幸福量を重んじる立憲君主制の王国。ゾンカ語で「ドゥック・ユル」龍の国と呼ぶ。
インド、ネパール、チベットに囲まれた、九州の1.1倍の大きさ。チベット仏教が生活の中に深く根づく信仰心篤い国。

前日バンコク泊、早朝2時にモーニングコール、空路 インドのバグドグラ経由でブータンの空の玄関口 パロへ
翼が今にも山肌に届きそうに迫る滑走路、谷間に滑り込む国営ドゥック航空。
着陸した空港はまるで箱庭のよう!
釘を使わない木造建築は、白壁に彫刻された窓枠や柱はカラフルに彩色され、その落ち着いた色合いは、風景との調和が甚だ美しい!空港というよりも昔栄えた駅舎の様・・・
この色調は街並みや色々な建物に共通しブータンの個性のひとつとなっている。何故か心落ち着く風情。

さて、いざ上陸!空港でブータンの貨幣「ヌルタム」にExchange!気負って出口へ・・・そこに待っていたのは小型バス。添乗員を入れても16名のツァー、充分なのだが、何か頼りない感じ、ここでの全ての旅程をこのバスでこなす。もちろん電車も地下鉄もなし、山国で谷間ごとに町があるという構図。山を越えるのに近道のトンネルはない、山肌に沿うように道はうねり上下する。国道山道、甚だ狭い。対向車は来る。雨期のため流れた崖の工事もしている。そして谷側のガードレールはもちろんない。でもなぜか不安感が起きないのは根っからの楽天家なのか、好奇心が勝っているのか?

いよいよパロの町中へ、国立博物館&パロ・ゾンを観光。ゾンとは昔は要塞、城。今は宗教と政治を司る建物。政治や教育の中に宗教が大きく関わっている。
パロ銀座など散策、少しブータンの雰囲気になじみつつ今夜のホテルへ。
石焼き風呂ドツォ体験。日本では焼いた石を鍋に入れて煮込む料理がある。あれのお風呂バージョン。「ストーン!」と叫ぶと外から熱々に焼いた石がものすごい音をたてて投入される。なかなか気持ち良い面持ち・・・スッキリしたところで民族衣装 キラ(女性)を着せてもらう。ちなみに男性は ゴという。ブータンの人は現代でも日常着である。

翌日は一路首都ティンプーへ
山道にも慣れつつ、途中、五色のタルチョがたなびく橋が架かる、タチョガン・ラカンに立ち寄る。雨期のせいか川の水量も多く流れも速い。自然の息吹がより身近に感じられる。
川の合流地点チュゾムからティンプーまではマツタケ街道。露天で買い占め、両手で持ちあげたくらいで500円。ウソォー安!
いよいよティンプー。郵便局(切手が有名)。織物博物館(手織り物の色彩が何とも美しい)。昼から民族博物館。ティンプーの町全体を見下ろす場所で撮影タイム、観光オンパレード。そしてマスクダンスの見学。有る意味パターン化された観光・・・お祭りで演じられるチャム(仮面舞踏)は本番で見たいもの。
日が少し傾き掛けた頃、タシチョゾンへ、国会議事堂や王宮が建ち並ぶ政治と宗教の中心。
本堂でガイドさんに習い五体投地!夕暮れ、仏教の雰囲に染まる。

日本を発って4日目の朝、7:30出発ドチュ・ラ(峠)を越えプナカへ。ドチュ・ラは霧に包まれ、108のチョルテンも、大量の祈りの旗、白いタルシンもうっすらと浮かび上がり、不思議な空気が漂う・・・期待していたブータン・ヒマラヤも雲の中。
峠を下りプナカの町。ポチュ(父川)モチュ(母川)の中州に建つプナカ・ゾンへ。
美しい!白壁と色彩彫刻された柱や窓枠、金色の屋根。伝統建築の橋や建物に国の誇りや愛国心がにじみ出ているように感じる。春には川沿いに立ち並ぶ木、ジャカランタの花盛りになるという、見てみたいもの・・・
昼食後、軽いハイキング、田んぼのあぜ道を歩くこと30分、チミ・ラカンまで・・・
田も緑、山も緑、水車のマニ車(ドラム缶を少し大きくした感じ)が一回転に一度鐘を鳴らし、谷間に吹く風が、たくさんの祈りの旗、白いタルシンと五色のタルチョをたなびかせる。平たいサボテンに黄色い花が咲き赤い実がなっている。のどかで明るい。風が随分心地よい、風の谷のナウシカになった気分!

気分良く目覚めた翌日は、ティンプーからハを経由しパロへ戻る旅程。
ハという町は長らく外国人に開放されていなかった町。昼食に立ち寄ったレストランではブータンの国会議員と出会ったり、ローヤルファミリーの車にすれ違ったり、日本では考えられない程、親しみ深く庶民的。 ハの メイン通りの散策は10分もかからず、その際アーチェリーの試合に遭遇。ブータンの人はアーチェリーが大好き。

その後、国道最高地点 チリ・ラへ。標高3988メートル。又霧に包まれ異空間の体。

パロへ戻る前に西岡チョルテンへ立ち寄る。ブータンで農業開発や教育に貢献した方で功績が讃えられダショーという爵位が与えられたとか。もとは八尾高校の先生だったと聞く。

パロに戻る、何故かほっとする。
民家におじゃま、お米で創ったお菓子、バター茶など頂く。賑やかでりっぱな仏壇。
さて明日はいよいよタクツァン僧院へ

その日の朝は夜明け前から目覚める、荷物も減らし靴も換え登山に備える。
駐車場からまず第一展望台を目指す、雨が降ってきたり日が差したり、GoreTexの上着を着たり脱いだり、景色も見なくちゃ、写真もと、忙しい事。
急な坂道、濡れたスロープゆっくりと第二展望台へ、少しづつ目前に迫り来るその姿に、歩くしんどさも忘れ、最後の難関階段の上がり下りも乗り越え無事たどり着く。
思ったより狭いその場所は、濃厚な空気に囲まれ我が身が小さくなったように感じられ、首に掛けた念珠の重さが増したのは何故。読経する僧の膝もとに頭を垂れたとき、やさしく撫でられたように感じたのは気のせいか。
次々と来る人の多さにせき立てられるように、その場を離れ、次の間に・・金色の仏陀。息を凝らし全身がピリリと振るえる。背中を押されるように院をでる。大きく息がつけたのは岩壁にそそり立つ僧院をかえりみた時。ひとときでも瞑想できたなら・・どんな面持ちに・・・夢のよう・・・

ホテルに戻ってブータンそば・プタの手作り体験、弓道体験などの企画も身が入らずじまい。一回だけトライした弓が的に命中。ねらったわけでもなかったのに・・・

最後の日、朝から雨。
ドゥゲ・ゾン。そしてキチュ・ラカンへ。
ブータン最古のお寺というキチュ、床の五体投地する場所に足跡の窪みがあり、その滑らかさにそっと我が足を重ねる。そして見上げると屈したくなるような美しい観音達、その優しい眼差しに囲まれた時、ブータンに呼んでくれたのはこの観音・・と心に灯る・・・

ブータンには、死者を葬る墓場はない。死者は火葬し灰の一部で3センチ程の小さな白いチョルテン(塔)を作り、道沿いの岩場の隙間に置く。聖なるエネルギーの場所らしいが、単なる道端に無数に置かれている。バスの中から見かけられ不思議な空間。経文が書かれたタルシン、タルチョもあちこちではためき。水車のマニ車(一回転で経文一回となえる事と同じという)も数カ所で見かけた。川も山も国土すべてが聖地、祈りの場所。

帰国後、ある仏教フォーラムに参加する機会があり、「聖地」とは? 吉野の地が聖地と呼ばれる由縁は?という問いかけがあり、コーディネーターの発言で川の合流地点で三角の山がある場所、陰陽の交わる地が昔から聖地として人が集まる。と解く。
まさしくブータンには、川の中州に寺があり、家々の軒には厄除けお守りとして、リンガ(男根)が吊され、エネルギーの元として玄関脇の壁にも大きくその絵が書かれている。
国土そのものが聖地。生命の源として祈り、それを守っている。

パワーポイントとやらに行列を作る国とは、かなり意識の違いを感じる。

旅は、知らない国を歩き、五感で色々なものを感じる。その時、自分の内面への旅の始まりでもある。日常で摩耗していく感性を研ぎ澄まし、開放し、自分を取り戻し、新たな発見をする術なのかもしれない。

仏道は思想ではなく、みずからの修行により発見され、あるいは日々更新されて、表現し獲得してゆくべきものだという。
だが、私なぞ一主婦、修行として座禅三昧もできず、日々の雑用に追われる生活。その中で可能な限り意識して生きていきたいと願う。

人智の及ばない自然の驚異、生き死にの不条理、どうしょうもない時人は祈る。愛する人のため人は祈る。人力を尽くしそして託す、大いなる意志に最大の信頼をこめて・・祈れることは救い。

国土全てが祈りの聖地のブータン、人は皆、柔和でやさしい佇まい。その景色をけっして失って欲しくないと心から願う!

左脇腹に断りもなく何かが存在した形跡。未だに残る赤いテンテン。いつかはあとかたなく消え去るだろう、記憶も薄らぐだろう。しかし肌で感じたブータンは、奥深く刻み込まれた実感は、多面体の感性として新たなる創造性に繋がると確信している。                        
                             2010.9.19 記

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