薫風 チョット 見聞録 ! 

       in 西安 敦煌

                                      2011 10/22〜28

中国の昔 < 紀元前11世紀 > 周 秦 漢 唐という時代、2000年間長安と呼ばれる都があった。
シルクロードの出発点でもあり歴史と文化の発祥地でもある。
唐の滅亡と共に破壊され、明代に再建、今は西安と呼ばれている。

 夢枕獏氏の著書「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」発行を待ち望んで巻ノ四刊、完読。
僧空海が遣唐使船で都に渡り活躍した物語。そんな長安の街に憧れを抱き、いつしか幻想の世界に浸る。
空海の存在は、エネルギッシュな行動力と発想力に、魅力ある人物として興味を抱いていた。その空海が
闊歩した地、長安の都。今世紀は西安。何時かは訪れたいと願った地に降り立った。

10月22日 上海経由国内便に乗り換え、西安咸陽空港上空 重い厚い雲 思いのほか激しい揺れの後、
現地時間16時20分到着。
降り立った西安は雨 シルクロード起点群像も夕暮れの底に沈む。
花博の名残の花々が微かに彩を灯していた。
かつての都 長安の香りを探す旅の始まり・・・

2日目の朝も雨
 兵馬俑抗博物館へ
かの夢枕氏の著書の中では、地中より土の兵が動き出し、おどろおどろしき躍動感の世界。はたして・・・
一号館そこは大工場のような空間。その広がりの中、整然と並べられた無数の兵馬俑。空虚さと無言の連なり。
無表情だけど一つとして同じ顔、同じ姿のないの灰色の存在感。反対に神経をざわめかす多くの観光客の蠢き、
通過するだけの観光客の存在の希薄さ。三号館 二号館と回るうち自分の存在をも薄れていく様・・・何故か頭の
片隅に残る、ほっそりと造られた馬車を操る人。体重制限だって、意識もきめ細かい。

次に訪れた半坡博物館
 新石器時代の遺跡で、6000年前の竪穴式住居後から土器や人骨など発見された。中国で初めて建てられた
博物館らしいが、今は人気もなくなり、灰色の世界は荒涼として寒々しい。その灰色の台地の凹凸や窪みのあち
こちに割れた壺が数点かためて置いてある。すべて子供の骨壺だとか・・大人は離れた墓所に葬るが、子供の
骨は生活圏身近に置かれている。母系民族共同体であったとされる当時の、その悲しみが伝わってくるように思う。

市内に移動し西安博物院で特別見学。
 細い通路をたどり小さな部屋へ。白い手袋を付けさせられ、3000年以上前の骨董品を手に取る。青銅器、鏡、
金、仏像・・長い年月を経た品々、持つ手に自ずと力が入る。何時誰が手にしたものか・・・これも出会いの不思議、
小さな仏像の感触が今も残る。
院を出て、ほっと息を・・・いつしか雨も止み、歩いて薦福寺<小雁塔>へ。煉瓦造りの塔の上部は地震の為崩れた
とか、時代の重みをひしと感じながらしばし散策。

 夕暮れ少し前、西の城門近くに移動。絶え間ない車の往来。かつてそこに奈良の平城京が模したという長安の都
があったという。朱雀大通りは何処に? シルクロードの起点である国際都市のイメージは?なかなか見つからない。
もう、夢、幻の世界なのだろうか?

3日目も西安滞在
 雨も上がり曇り空の中 華厳寺へ
華厳寺前の道路でバスを下され、山の中腹にある寺まで歩く。昨日までの雨でぬかるみ、泥んこ修行。やっとたどり
着くも、がけ崩れで建物が埋まっていたり、今にも崩れてきそうな山肌にヒヤリとしたり、靴底にへばりつく赤土、
かつてない経験にとなえた般若心経にもやたらと力が入る。帰りは近道と、途中梯子を下りたり、お転婆をがぜん
発揮。やっと戻ってきたところで、出会った現地の人いわく、「華厳寺には行かない方がいいよ。危ないよ。」って・・・
すでにもう遅し。
その後 香積寺 興教寺と訪れ読経。昼食後も慈恩寺<大雁塔>へ。そしていよいよ空海が密教を学んだ青龍寺へ
青龍寺のご住職(寛涛氏)がツアーに同行して下さり、見学、読経の後、懇談会。西国八十八か所第0番札所として
日本のツアーが大勢訪れるとの事。日本人向けに施設も整われ、日本人の寄付で支えられている様子。どんな
修行をとの問いに、修行の方法は空海が持って帰ったから何もしていないとの事。通訳が入るのでどこまで聞けた
のかよくわからないが、土産物売り場にも、日本の流儀がかいま見られた。イメージの更新ははかなく崩れる。
夕食の餃子と唐歌舞ショー、これが中国の現実。

4日目早朝出発 敦煌へ 
 5:45ホテル出発 8:25敦煌航空 2時間半程で1800km離れた敦煌へ
そこではやっと青い空が迎えてくれた。バスで市内へ。こじんまりとした街中、交通量も少なく、時も緩やかに流れて
いるように感じる。
しばし休憩後、近くのスーパーマーケットを散策。赤いぽち袋を購入。そこには金色で「如意」と・・・

16:00 鳴沙山へ 
 なぜ夕方に出発なのか?
 そこは砂漠の入り口、その先はタクラマカン砂漠。
砂砂砂・・。多数の砂山の連なり。入り口でオレンジ
色の靴カバーを膝まで履き、電気カートで月牙泉へ。
唯一砂の山々の間にある半月型の泉。絶え間なく湧
き続ける水、半月の形は風で砂が舞っても変わらない
という。
自由行動30分。あまり高そうにない砂山なので、山頂
までトレッキングを試みる。砂の山がこんなにも登りに
くいとは・・・一歩踏み込んでも半歩は滑り落ちる。
汗だくでやっとたどり着いたてっぺん。
 
なんと気持ちの良い風。日中は暑くて、夕方から訪れるのがベストらしい。なるほどと納得するも、大地の
スケールの大きさに感激。見渡す限り大陸の大砂漠。砂山の稜線がなだらかな美しいラインを描く。
偉大な自然の造景は言いようのない感慨を深く心に刻み込む。砂と戯れながらの下山。子供の様にはしゃぎ
ながら・・・集合時間ぎりぎり。
     

帰路はラクダに乗って出口まで。揺れに任せた体の動きは、自然にリズムを奏で初めてなのになぜか懐かしい
面持。心躍り前世の記憶かななどと幻想の世界。
包み込まれそうな砂の大地、夕暮れ、赤く染まりつつある自然の演出。振り向き振り向き、見飽きず、又振り向き
ながら・・・マロニエの木々が秋の佇まい。

5日目 敦煌滞在
 <世界遺産> 莫高窟 朝、川にはうっすらと氷、頬に冷たい風。それを忘れさせる程、青空が憧れの地に誘う。
初唐、盛唐、隋、西魏、北魏など陳列館を含め11窟ほど。通常の1.5倍の長さの見学。小さな窟、他の旅行者との
交錯などでゆっくり見る事もできない場面もあったが、その彩や造形は圧倒、異次元の世界。当時の空気感や息
遣いも感じられ、もっとその物語を知りたいと願った。
遺跡保護の為もう実物を見れなくなるやもしれないとの事。今この地を訪れ本物に出会えた喜びを心から嬉しく
思い、感謝の念。
昼食後  玄奘三蔵法師が訪れたという、陽関。
電気カートで烽火台へ。
漢の時代に設けられた関。多くの人が長い年月に
行きかい、歴史を作った場所。
今は関も砂に埋まり、人も途絶え、果てしなく砂漠が続く。
遠くまで見渡すべく、高台へ・・その時ヒューヒューと耳元で風
の音。その実感は忘れていた何かを思い起こさせるように、
体の中を吹き抜けていった。
今日の最後は、敦煌最大寺院の雷音寺。最大級のお線香
2メートル近い長さはあるが、良い香りはしなかった。
寺院を出て振り向くと、金色に輝く木々を貫く道路の彼方、
砂山の連なりが夕日に染まり輝いていた。
記憶の財産の一ページ。

6日目  敦煌最後の日 
 西千仏洞へ 今にも崩れそうな岩壁にへばりつくように小
さな窟があり、誰かが息づいたであろう形跡も年月の重み
に埋まり、色彩も冴えなく見える。なぜか息苦しく外へ・・・
次に訪れたのは、映画「敦煌」のロケ地 敦煌古城 撮影用
の作り物は全て砂埃に覆われ、乾ききっているが、青空は
より深く澄んでいた。
食事を挟んで、最後は白馬塔へ 願いを胸に三回塔を回ると
叶うという。
なぜかお水取りと逆回り。
 
 夕方の便で西安へ


7日目 西安 4:00 モーニングコール
 荷物はスルーで関空へ 上海浦東空港10時 到着後バスで上海ヒルズへ 100階の展望はこれでもかと乱立する
ビル群を足下に・・果てしなく曇り。
北京ダックの昼食の後、リニアモーターカーで空港へ。時速430km越え 8分間の乗車
なぜそんなに急ぐ? より高い事と速い事が進歩の証なのか? なぜか空虚に感じるのは私だけなのだろうか?

18:00 帰国の途に着く。


 旅立つ前に文献などで想像していた世界と、現地の現実の違いに愕然とすることは多々あるが、その想像を
超える大きな感慨を得ることもある。
今回の旅も憧れと空想から始まり、私のちっぽけなイメージと絵空事の幻想は大きな自然に打ち砕かれ、人の
培ってきた歴史の重みにかき消された。そしてそこから実感を伴った新たな世界が又息づき始める。それが面
白くて又旅に焦がれる。
今まで経験した事のない大陸の風と大きさ、それに対峙して生きていた人の強さ。私も大きくおおらかな視野を
持ちたいと思う。今を生きる、現実の日常をこなしていく上で、憧れや幻想が今を支えていることもある。
これからも大いに空想し妄想し迷走し・・そしてしっかり瞑想し、生きる事にしよう。そもそも人生ってすべて錯覚
ではないだろうか。と思う今日この頃。




                    2011.12  kun  記

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