2006年12月

「現代の舞い」 愚 者 の 祭 り 

[愚者の祭りパンフ表]


 西欧の中世において、その秩序を支えている基督教の教義をまったく逆転せしめる祭り、「愚者の祭り」というものがあった。厳然とした教義に縛られた民衆にとって、影の浄化の祭典。「礼拝の最中にグロテスクな顔をしたり、色々に変装した仮装者たちが踊り、聖歌隊は卑猥な歌を歌い、脂っこい物をミサの祭壇の隅で食し、博打をはじめ、古皮で作ったいやな匂いの香をたき、教会中を走ったり飛び跳ねたり・・」と凄まじいもの。非日常的な空間の中に宇宙的な全体性を回復しようとする死と再生の秘儀。それによって影の鬱積による民衆の暴発を防いだという。日本でも盆踊りや、色々な「無礼講」がその意味を果たしていた。単なるカタルシスという消極的な意味を超えた存在意義を持っていたと思われる。         
                                      (参・「影の現象学」河合隼雄著)
 
 生きている以上、誰にも付き従ってくる影、影を飲み込んだ現代のストレス社会。
闇は途方も無く広がり続けている。 
今、各々の心の影の自覚を誘い、より上質な浄化の祭典を探さなければならない。

西欧においての、このような祭典が消え失せたとき、「愚者」は演劇界における道化として再生し活躍を続ける。まさに、道化は不死身である。・・・とさ

                                                      薫





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