音楽との最初の出会いは…良く覚えていない。
親父はとくに音楽好きと言うわけでもないが、お袋は無類の音楽好きであった。
夕刻ともなれば、まな板の音とともに毎日のように、茶箪笥の上ラジオが緑に輝くパイロットランプをきらめかせながらスタンダードや歌謡曲のインストルメンタルを流していた。
菜箸を持って指揮者のまねをするのも大好きな遊びだった。ハーモニカや縦笛、子供ピアノの類はきっと身の回りにあったのだろうが、自発的に意識して手に入れた楽器は小学校4年か5年の時のウクレレが最初だったと思う。
親父がクラシックギターを持っていて(親父がギターが弾けるという話は聞いたことがない。このギターは今でも実家にあるはずである)、そのギターが弾きたくてしょうがなかったのだが、いかんせん手の小さい小学生には通常のギターのネックは太すぎた。
ベニヤ板で出来たウクレレと教則本を買ってもらって、毎日のようにかき鳴らしていた覚えがある。
教則本の練習曲は「旅愁」とか「北上夜曲」とか…今考えると、とても小学生向きではなかったのだが、それでも初めて自分で作り出した和音、4本のナイロンの紡ぎ出す音色に感動を覚えたものだった。
単なる三和音でなく、7thを経過するコード進行に不思議な美しさを感じていた。小学校の高学年になるころ…ベンチャーズの出現である。
「青春デンデケデケデケ」の主人公も「落雷を受けて勃起するほどの」衝撃を受けたとあるが、私も同じであった。
凄い!音楽ってこんなに楽しいものだったのか、と今様にいうならばカルチャーショックとでもいうべきものであったのだ。
続くはヒーロー“若大将”加山雄三である。
モズライトのギターから飛び出す音は新しい感覚そのものであった。思えば「高度経済成長」とやらで、文化面でも新しいものがぞくぞく流れ込んで来た時代だった。
エレキギターを持っている少年は不良である。等と本気で言い始めた大人が出て来た頃、フォークブームである。
べつにエレキでなくてもいいもんね。
PPM(物質の濃度ではない)のギターワークと美しいハーモニーに酔いしれた。
英語の歌詞も新鮮だった。(どうしてソルジャーはみんなJhonnyなんだろう…)中学に入るとすぐに入ったクラブがブラスバンドだった。
出会った楽器はトロンボーン
顧問の方針が嫌で2年で辞めてしまったが、正月くらいしか休まなかった練習は楽しかった。
その頃出会った友人が無類の音楽好きだった。
二人でサイモンとガーファンクル等を演った。
3フィンガーなる奏法があることを知ったのもこの頃だった。彼とは高校が別になってしまったが、以後も親交は続き、バンド仲間の紹介や一緒にコンサートを開いたりが大学まで続く。この頃私は主にアップライトベースを使うベースマンになっていた。
大学を卒業し、社会人になってからもその頃の仲間とバンドを組み、コンサートやパーティーを開いたりしていた。
しかし、みんな所帯を持ち、子供が出来、そうそう週末に集まって練習などと言う時間も取りづらくなってくる。
そのころ出会ったのがコンピュータミュージックであった。…続く