GBのアームチェアCinema見ist:永遠のジャンゴ

永遠のジャンゴ

永遠のジャンゴ(原題:Django)

監督 エチエンヌ・コマール
脚本 エチエンヌ・コマール/アレクシ・サラトコ
出演 レダ・カティブ/セシル・ドゥ・フランス/ベアタ・パーリャ/ビンバム・メルシュタイン
音楽 ジャンゴ・ラインハルト/ウォーレン・エリス
原作 アレクシ・サラトコ
製作年 2017/仏


ギタリストとして一番大切な左手の指が…
親指含めて3本しかマトモに動かなかったらしい、三つ指の稲妻と称されたジプシー(ロマ)の演奏家。彼のこの障碍は“ロマ(ジプシー)の旅芸人の一座”として、移動中のキャラバンの火事を消そうとして負った火傷が元である。
芸人の命、楽器を守ろうとしたのか、愛する女を救おうとしたのか、諸説ある。
左手が不自由だったことは有名だが、この事故で足も痛めており、片足が不自由だったらしい。

それはともかく、彼の音楽は孤高の物だ。

大戦中はユダヤ人などと同様ロマ(ジプシー)もナチスによる差別弾圧の対象だった訳で、そんな時代、彼はどう生きたのか…
大好きな彼の音楽は知っていても彼の人生を私は余り知らない。

そんな巨人・ジャンゴ・ラインハルトの映画が来る。

主演のレダ・カティブ (Reda Kateb)は写真や予告編を観る限りでは、かなり良い感じである。
何より音楽はあのローゼンバーグ・トリオ。

これは是非とも見に行かねば…

ジャンゴとその周辺については14年ほど前に書いた物がある。
宜しければご参照頂きたい。

と、言う訳で観てきた。

最初に断っておく。
“これは音楽映画ではない”

『現代のジプシー・ジャズの最高峰ギタリスト、ストーケロ・ローゼンバーグ率いるローゼンバーグ・トリオが、劇中の楽曲すべてのレコーディングを担当した本作は、音楽映画としても傑出した魅力を放っている。』

等という宣伝文句に過剰な期待を抱いてはいけない。

この映画では、確かに主演のレダ・カティブ(決してジャンゴに似てはいないが…)の指使いは見事で、とてもアテブリとは思えない物ではあったが、あくまでも音楽は劇伴であり、背景でしかない。
サントラとして次の曲が上がっている。

黒い瞳(Les Yeux Noirs)
13日の金曜日(Vendredi 13)
雲(Nuages)
ブルース・クレール(Blues Clair)
スウィング41(Swing 41)
たそがれのメロディ(Melodie au Crepuscule)
涙(Tears)
夢の城(Manoir de mes reves)
ナギーヌ(Naguine)
未来のリズム(Rythme futur)
マイナー・ブルース(Blues en Mineur)
ベルヴィル(Belleville)
マイナー・スウィング(Minor Swing)

しかしながら全曲流れない物が殆どだし、場面転換と同時に出たり引っ込んだり。
監督には“ジャンゴの音楽を伝えよう”と言う気持ちは全くなかった様だ。

私は鑑賞前に詳細情報を仕入れないことにしているので、戦中のナチスの迫害を中心にてっきり、ジャンゴの半生を描いた作品だと思っていた。
実は本作は第二次世界大戦中の二年間、ジャンゴのナチスからの逃避行を追った物語で、稀代のギタリストを通じてナチスのロマへの迫害と、鎮魂を描いた作品である。

そうした意味合いから見ると、これは優れた作品なのかも知れない。
しかしねぇ…

音楽ファン、ジャンゴ・マニアからすると、これは肩すかしかなぁ。

エチエンヌ・コマールは「チャップリンからの贈り物」や「大統領の料理人」などの脚本を手がけている脚本家。
ううむ…

エンディングで使われる「迫害されたジプシーのための『レクイエム』」は、戦後一回だけ演奏された後、楽譜が消失。今回、音楽家ウォーレン・エリスが残された譜面からインスピレーションで補作、サウンドトラックとして復活したものだそうな。

ギタリストとしてのジャンゴは大好きだが、これは知らなかった。
このエンディングを見ても解る様に、これはジャンゴ・ラインハルトの伝記映画ではないのだ。

決して駄作ではない、駄作ではないのだが…
期待が大きかっただけに、音楽映画ファンとしては欲求不満が残る。

全く別の話。
武蔵野館、綺麗になったねぇ。
映画好きの心をくすぐる素敵な館だ。

喫煙所も綺麗だし。

まぁ、その割に今日の客層は酷かった。
流石に白髪頭ばかりだったが、上映中にガタガタ歩き回るヲッサン一人や二人ではなかった。
サイテーだな。



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