GBのアームチェアCinema見ist:紅の豚

紅の豚

紅の豚:P'orco R'osso

監  督 宮崎駿
音  楽 久石譲 加藤登紀子
主  演 森山周一郎 加藤登紀子
助  演 岡村明美 桂三枝 上條恒彦 大塚明夫
製 作 年 1992
シナリオ 宮崎駿
原  作 宮崎駿


製作はスタジオジブリ/配給:東宝
原作はModel Graphicsに連載されている「雑想ノート」に3回に渡って書かれた「飛行艇時代」。
主題歌は 古いシャンソン「さくらんぼの実る頃:LE TEMPS DES CERISES」J.B.Cle'ment-A.Renard
エンディングテーマ「時には昔の話を」詞/曲/唄 加藤登紀子

920718 SAT.
紅の豚封切り。初回上映を見に行く。
全巻入れ替え制を実施している。一瞬「なんだ」と思ったが、結果的にはこれは大変映画のためには大変有意義な方法である。
今回の映画も主題歌と監督のラフスケッチの流れるキャスト、スタッフのクレジットが終了してから本当のラストシーンが用意されている。
このラストシーンが有ると無いとでは映画そのものの解釈が異なって来る筈である。
こう言った作りが成されている作品は結構多いものだ。
どういう訳か昨今の観客はせっかちと言うか礼儀知らずと言うか画面にクレジットが出現すると一斉にそそくさと席を立ち始める。一般的にはこのクレジットは映画が完結したところで出ることが多いのでそんな者は見なくても、と言うことであろうか。
はっきり言ってどんなつまらない映画であっても映写が止まって場内の照明が点灯されるまでは座席に落ち着いていたいものである。
製作者に対して失礼、と言う前に「最後まで」しっかり映画を見たい観客も少なくないと思うのである。これはマナーでもあって、自分の都合で他人に不愉快な思いをさせて良いと言うことはないのである。
2時間程度の暇のそこそこ残り数分の時間、そんなに忙しいので有れば映画なぞ見ていないで仕事でもしていれば良いのである。

さて、肝心の本編。
実写も含めた日本映画界でコンスタントに観客動員できる数少ない作家、宮崎駿。
ファンも新作の発表を心から待ちこがれている。
作られる作品が“アニメーションである”と言う一種の特異性を持つに関わらずそんな事を意識させずに期待してしまう。
そして、そんな熱い思いを常に裏切らない不思議なテンションを保ち続けている、これはもう「天才」と呼ぶしかないのではないだろうか。
最初に世にその名前を認められた作品が「ナウシカ」であったことが幸か不幸か常にその作品に何等かのメッセージを読み取られてしまう。
(実際には最初に監督した作品は通称「カリ城」と呼ばれるルパン三世・カリオストロの城と言うドタバタ痛快活劇だが)
しかし、この人の作る映像は何かの主義、主張を押し付けるための物ではない、と私は思う。どれもこれも単純明快、「娯楽映画」なのだ。
確かに、情報を受けた場合、その受け手がなにがしかのメッセージを受け取るのは当然の理ではあるが、それは個々人の問題であって、作品に関しては別問題だと思う。
今回のこの映画も至って楽しい、待ちこがれたファンを充分に納得させるだけの物をもった傑作である。


豚とその時代

世界大恐慌時代、イタリア・アドリア海を舞台に、飛行艇を乗り回す海賊ならぬ「空賊(空中海賊)」と、それを相手に賞金稼ぎで生きる「豚」、二組の自由気ままな飛行艇乗り達。
第一次世界大戦後の動乱の時代、夢を追い求める男達がいた。

第一次世界大戦では(驚くべき事に)戦勝国だったイタリアだが、実情は(やはり)敗戦国と大差無く、国民から「栄光無き勝利」と呼ばれるまでに経済が不安定になっていた。
大恐慌のヨーロッパへの本格的な波及は1931年以降なので、多分時代は1930年代の初頭、世界は不況と混沌に困憊し、世情は乱れ、喘いでいた。
イタリア国内は当時政権を掌握していたムッソリーニのファシスト党の独裁下で、当時の時代・世相が比較的忠実に再現されている。
劇中歌「さくらんぼの実る頃」は、パリ・コミューンに生まれた歌である。
労働者革命によって建てられた政府パリ・コミューンは、名の通りコミュニストで、“紅の豚”の“紅”には、共産主義を象徴する“赤”のニュアンスがあることは想像に難くない。
アナーキーな豚の台詞「そういう事は人間同士でやんな」「ファシストになるより豚の方がましだ」等からも“象徴としての豚”を読み取ることが出来る。

もともとは日本航空での機内上映用として製作が開始されたが、長編化したため劇場作品へと変更された。このため劇場公開より先に日本航空国際便で先行上映され、公開後も機内で上映された。

“豚”の愛機は真紅の試作戦闘飛行艇サボイアS-21であるが、これは架空の機体。
たった一機だけが製作された試作機で「過激なセッティング」の為、離着水性に難があり、軍用機としてイタリア空軍に制式採用される事無く「倉庫で埃をかぶっていた」ところをポルコがローンで購入した、と言う設定になっている。

ピッコロ社の親父のデスクの上には“Non si fo Credito”と言う標語が張ってあるが…
「いつもにこにこ現金払い」が信条のピッコロ親父も付き合いの長いマルコ・パゴットにはローンを組んだのだろうか?

空賊はフィクションだが、この当時「飛行艇時代」は実在した。

映画の台詞にも出てくるシュナイダー杯、これで飛行機の限界性能がかなり上がったのは確かである。

サボイアS.21と言う型式名を持つ機体は実在したが実物は複葉飛行艇である。
映画のサボイアS.21のモデルとなったのは「マッキ M.33」と言う機体である。
敵役のカーチスR3C-0非公然水上戦闘機のモデルであるR3C-2は実在した。
主人公の元同僚、フェラーリンがポルコを先導したときの機体は多分、マッキM.39辺り。
1926年度のシュナイダーカップ優勝機であり、アメリカの3連覇を阻止した機体でもある。

撃墜されてオシャカになったS-21にピッコロ親父がくすねてきて換装し、豚がフィアット・フォルゴーレ(作中でのシリンダヘッド刻印はGHIBLIだった)と呼ぶエンジンは、宮崎駿の原作漫画「飛行艇時代」ではロールス・ロイス・ケストレルになっている。

>紅の豚(豚と機関銃)


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