愚行連鎖

■福井晴敏(長編)完全制覇

映画“ローレライ”は概ね思った程度の出来で、貶しはしないけれど、やはりとてもじゃないけど文章の力には敵わなかった。

気まぐれで読み始めた“終戦のローレライ”だが、この筆の力に一寸夢中。
取りあえず、書店に在庫があった、

亡国のイージス 上 亡国のイージス 上 講談社文庫 ふ 59-2
福井 晴敏
文庫: 552 p ; サイズ(cm): 15 x 11
ISBN: 4062734931 ; 上 巻 (2002/07)

亡国のイージス 下 亡国のイージス 下 講談社文庫 ふ 59-3
福井 晴敏
文庫: 364 p ; サイズ(cm): 15 x 11
ISBN: 406273494X ; 下 巻 (2002/07)

川の深さは 川の深さは 講談社文庫
福井 晴敏 (著)
文庫: 398 p ; サイズ(cm): 15 x 11
ISBN: 4062738279 ; (2003/08)

を読んでみた。
“川の深さは”は実質的デビュー作で、かなり荒っぽいという印象は否めないが、“終戦のローレライ”に繋がるスタイルは既に確立しつつある。
“亡国のイージス”は、これはもう、途中で止められず、一気に読んでしまった。
意地悪な言い方をすればワンパターンといえなくもないのだが…
一貫したテーマと人を描くと言うスタイルは処女作から連なっている。
熱狂的ファンがいるらしいが、気持ち分かるなぁ。

福井 晴敏
1968年東京都生まれ。千葉商科大学中退。1998年、『Twelve Y.O.』で第44回江戸川乱歩賞を受賞し小説家デビュー。1999年刊行の『亡国のイージス』で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞、大薮春彦をトリプル受賞、2002年刊行の『終戦のローレライ』(上・下)で吉川英治文学新人賞、日本冒険小説協会大賞をダブル受賞した。

“ローレライ”もそうだったが、この人の小説は「戦争物」のくくりになるのだろう。
けれど、本質はイデオロギーと人間…

最初の作品“川の深さは”で既にそれは確立しているようだ。

「彼女を守る。それがおれの任務だ」

“川の深さは”のキャッチで主人公のセリフでもあるのだが…
今まで読んだ“終戦のローレライ”もこの“亡国のイージス”もテーマは男が、「何を守るか」なのだと思う。

しかし、“ローレライ”も“イージス”もエンディングの女の人が素晴らしく格好良い。
途中まで男ドラマなのに、結末で全部持ってかれてしまう…

イデオロギーというと、なんだか政治論みたいだが…
確かにこの人の文章はそう言う臭いがプンプンする。
でも、結果的には主人公達の本当に大切な物は政治や体制ではなく…
 …なのだ。

「彼女を守る。それがおれの任務だ」

うっしぇー!かっけーなー!

更に福井晴敏完全制覇目指して…

Twelve Y.O.
月に繭 地には果実(上・中・下):∀ガンダム (ターンAガンダム)改題

手に入れてきた。
現在出版されている長編はこれで全ての筈である。
この他に短編集があるらしいが、短編集はまだ文庫化されていない。

Twelve Y.O. “Twelve Y.O.”講談社文庫
福井 晴敏 (著)
文庫: 402 p ; サイズ(cm): 15 x 11
出版社: 講談社 ; ISBN: 4062731665 ; (2001/06)

1998年、第44回江戸川乱歩賞受賞作品。

なんだろう?このタイトル?
これは終戦直後マッカーサ元帥が我が国を指して「まだ十二歳の少年だが成長できる」と言ったとされる言葉だったのである。
それまでは「漫画の原作者」「ガンヲタ(ガンダムおたく)物書き」程度の認識しかなかったのだが、うっかり読み始めてしまった“終戦のローレライ”以降、完全にハマっている。
現在偉く売れっ子になっているようですが、この作者、好みがかなり真っ二つに別れる様だ。

どの作品も、物語にリアリティを追求する余りなのか、全体的に説明が多すぎる傾向がある。
この辺が鬱陶しい、ヲタク臭いと思う方はきっともうその時点で駄目なのだろう。
小林よしのりの主張に嫌悪感を持つ人も恐らく駄目だだろう。
(あれは、うん、うん、そーだね、はいはい、と笑って聞いてあげるモノなのだが…)

壮大なるワンパターン。これも嫌われる原因であろう。
登場人物に、必ずハードボイルド通り越して人間離れしていキャラクターがいる。
それも拒絶反応の一因かも知れない。
しかしそれらの人間も単なる超人や戦闘マシーンではなくちゃんと人間として描かれている所を見いだせた人はきっと気に入ることだろう。
(でも、凄く良い脇役キャラクターを簡単に殺さないで欲しいな)

どの物語自体も、ありぇねぇ〜っ!の荒唐無稽と言うに、まさにふさわしいのだが、それをさらっと読ませてしまう文章力があるのも魅力。
(荒唐無稽でも黒豹がどーたら言うの等のような、破り捨てたくなる単なる滅茶苦茶とは違うし…)
とにかく文章は上手い。

出てくるオッサンがスタイルは良くないのに熱くて格好良いのもヲヤジとして嬉しいところ。
映画製作中だという“亡国のイージス”では、格好悪いけど格好良いヲッサンであるところの主人公が真田広之だってーのが、ちょっと困ったなぁ、と思ってしまう。
あの主人公は筋肉デブで不細工だけど人情家でないとなぁ。

チェ・ミンソ 重要な役どころを演じるチェ・ミンソがかなりかわいーので、これまた困ってしまうのだが…

朝鮮日報記事
チェ・ミンソの『亡国のイージス』出演に批判集中
日本映画『亡国のイージス』ヒロインのチェ・ミンソ、撮影秘話明かす
(可哀想に、ご本人大変なことになってしまっているが…)


朝鮮日報によると



チェ・ミンソの『亡国のイージス』出演に批判集中

チェ・ミンソが日本の極右映画出演のために光州(クァンジュ)国際映画祭への参加を拒否された。

光州国際映画祭側は9日午後、第4回光州国際映画祭の閉幕式の司会を務める予定だったチェ・ミンソを交代させる緊急決定を下した。

映画祭側は最近、チェ・ミンソが日本の自衛隊の再武装を促す映画『亡国のイージス』への出演が決まったという報道を受け、今回の決定を下した。



と、言うことなのだが…
彼らの反応は理解できない範囲ではない…ヒステリックな対応はいつものことだし。

しかし「日本の極右映画」「日本の自衛隊の再武装を促す映画」って…
意図的歪曲なのだろうが、この小説は(恐らく映画はもっと)そんな大層な物ではない。
もし、本気でそう思っているなら理解力・読解力はオカマの映画評論家と同程度だな。

ん?
ちょっと待って…
「自衛隊の再武装を促す」って…
武装してないのバレちゃってるじゃないか。
(鉄砲持ってても弾、入ってないし…)

それはさておき、この人の作品、どれもやたら情報量が多い上に凄くイデオロギー臭いのだ。
でも、それは本気の思想ではなくて、お話しを面白くするための道具立てに過ぎない。
(様な気がする)
なにせ完全なフィクションの世界だし。
これ、最初から漫画やアニメでやったらだれも本気にしないだろうに、文章だと問題にしちゃうのは何故かな…

とにかく、「自衛隊の再武装を促す」とやらの記述だって、単に主人公に大立ち回りさせるための設定に過ぎないと思う。
(映画“ローレライ”を史実だと思いこんだ若者がいるように、本気にしちゃう子がいるんだろうなぁ…)

この人の小説は「風采の上がらないヲヤジが熱く燃えて大活躍」または「超人的な美少年・美少女のスーパーアクション」を単純に楽しんだ方が無難だと思う。

辞書を引くと…

イデオロギー
  1. 歴史的・社会的立場に制約され、多かれ少なかれゆがみをもった考え方。観念形態。意識形態。
  2. 一般に、(政治的な)ものの考え方。思想傾向。信念。
やっぱり、(政治的な)ってついちゃうんだな。
でもね、

「彼女を守る。それがおれの任務だ」

「人に頼るのではなく、自分で情報を取り、自分で考え、自分で決める。」

「過去に迷惑をかけた相手には率直に詫び、卑屈になることなく、対等の人格として他者とつきあう。」

なんてのこそ、立派なイデオロギーだと思うんだがなぁ。
あ、あと、戦争の真っ最中に…

「死ぬな!生きろ!」

なんてーのもね。
それが気持ちよくて読んじゃうんだなぁ。

ま、エーガにはホント、余り期待していないんだけどね。実際。

ただ、この人の作品全てに見え隠れするゲーム感覚。もしくはアニメ感覚(年齢的に仕方ないのかな?若いし)…とでも言おうか、その辺に一抹の違和感を感じてしまうことは、間違いなく確かなのではある…
血が飛び散って肉が吹き飛んでも、その痛みが読者に伝わって来づらいのは一寸なぁ…
文中には血みどろの白兵戦もあるが、印象としてはどうしてもディスプレイの上の戦争に見えてしまう。ロックオンしたら直後、見えない相手は霧散しているという感じの…



福井晴敏攻略法

私は手当たり次第で
“終戦のローレライ”→“川の深さは”→“亡国のイージス”→“Twelve Y.O.” の順番で読んでしまったが…

“川の深さは”→“Twelve Y.O.”→“亡国のイージス”→“終戦のローレライ” と言う執筆順で読むのが解りやすいかも知れない。
この“Twelve Y.O.”が作家としてのデビュー作と言うことになっているが、書かれたのは“川の深さは”が先。
物語も各々が伏線となって“亡国のイージス”のラストシーンにつながって行く。
このラストシーンが…好きだ。

“終戦のローレライ”、“川の深さは”、“Twelve Y.O.”、“亡国のイージス”は、一連のアナザー・ストーリーなのだ。実は。

もちろん、登場人物は共通しないし、お話の中でもそれぞれがつながっているなどとは一言も書いていないのだが…
“終戦のローレライ”は時制も含めてちょっと異なるが、“川の深さは”と“Twelve Y.O.”は完全に話がつながっているし、“亡国のイージス”も前の二つの絡みから読むとより解りやすくなる。

共通しているのは、どのお話も「あるべき姿」を最終目的にすると言うこと。

“Twelve Y.O.”に出てくる台詞
「…ただ自立した一個の大人として、最低限の体裁を整えればそれで良い。人に頼るのではなく、自分で情報を取り、自分で考え、自分で決める。過去に迷惑をかけた相手には率直に詫び、卑屈になることなく、対等の人格として他者とつきあう。それだけのことだ。…」
この作者の基本姿勢が見えてくる。
理想論と言えばそれまで。でも、こうありたいと思うのである。

月に繭 地には果実

月に繭 地には果実 月に繭 地には果実〈上・中・下〉

最初、“∀ガンダム(ターンAガンダム)”と題されて出版された物が改題された作品。


映画の項でも書いているが、正直言って、個人的には「ガン●ム」の類のロボット同士が戦うお話は大嫌いなのである。
何故なら、宇宙空間での巨大ロボットの組織的白兵戦というのはどう考えても納得できないシチュエーション。戦略的に考えても戦術的に考えても全く意味が見いだせないから。
全ての有人巨大ロボット格闘物の祖にして、全てのロボット・バトル物の原典と言われ、ポール・バーホーベンの撮った映画“スターシップ・トゥルーパーズ”の原作である、“宇宙の戦士”でロバート・A・ハインラインが描いた“モビル・スーツ”(原作ではパワードスーツ:強化防護服)はもっとリアルな存在だったはずだから。

でもこの「ガンダム」は、福井作品征服のためには避けて通れない。

この作品は1999年〜2000年にかけてテレビアニメとして放送された“ターンAガンダム”のノベライズだそうだ。
“ターンAガンダム”はガンダム誕生20周年を記念して作られた作品で、生みの親である富野由悠季監督が久々にガンダムのメガホンを取り、ガンダムをあのシド・ミードがデザインしたことで話題になったらしい。
私の守備範囲でないので詳しいことは知らないが…

普通、映画やアニメーションのノベライズは、売れない若手作家の日銭稼ぎと言う印象が強く、たいていの場合本気で読むに値しないことが多いものである。しかし、本作執筆時、福井晴敏は既に“亡国のイージス”を発表していたわけだから…

何度も書くが、巨大ロボット物が嫌いなので、いつもより読書進行速度が明らかに遅かった。
と、言いながらも、全く巨大ロボットの類がなかなか出てこないので、逆に戸惑った。 中盤を越えた辺りでそれらしき物がやっと登場する。
そして、「巨大有人ロボット同士の白兵戦」についても、納得しうる設定がここには書かれている。
やはり、荒唐無稽でもとりあえず、安心して読み進める作家かも知れない。

月に繭 地には果実〈上〉 月に繭 地には果実〈上〉幻冬舎文庫
福井 晴敏 (著)
文庫: 366 p ; サイズ(cm): 16
出版社: 幻冬舎 ; ISBN: 4344401522 ; 上 巻 (2001/08)

月に繭 地には果実〈中〉 月に繭 地には果実〈中〉幻冬舎文庫
福井 晴敏 (著)
文庫: 359 p ; サイズ(cm): 16
出版社: 幻冬舎 ; ISBN: 4344401530 ; 中 巻 (2001/08)

月に繭 地には果実〈下〉 月に繭 地には果実〈下〉幻冬舎文庫
福井 晴敏 (著)
文庫: 414 p ; サイズ(cm): 16
出版社: 幻冬舎 ; ISBN: 4344401549 ; 下 巻 (2001/08)

飛行機の登場によって、巨大戦艦が存在意味を無くしたように、そもそも巨大なロボットが集団で接近戦を演じる…と言うのはどう考えてもありえないと思う。
恐ろしいことに近代戦争は相手の姿が見えないところで生死が決まってしまう物なのだから。

例に出したSFの名作(これはかなり好みが分かれますが…)ハインラインの“宇宙の戦士”に出てくるのは「強化歩兵」、つまり鎧の延長である。
士郎正宗の“アップルシード”や“攻殻機動隊”にも人が乗るロボット(戦闘用スーツ:ランドメイト)や一人乗り思考戦車(フチコマ・ハチコマ)が登場するが、これらは作業員搭乗型工業機械や土木機械の発展型に近い発想の物であり、ハインラインが描いた戦闘用スーツの直系とも言え、充分にリアリズムがあることも好感が持てる。
エイリアン3だったか、ヒロイン、リプリーが宇宙船内でエイリアンと戦うときに荷役作業用の作業員搭乗型ロボットを使うが、実に実在感のある道具で、これも納得できる物。
人型で二足歩行、腕・指型マニュピレータを備えた作業機械は、狭く起伏のある宇宙船内倉庫などでは車輪や無限軌条式のフォークリフト等よりも数十倍使い勝手が良さそうである。

まさにロボット格闘物の大前提は
人間の運動能力の、突出した物はないが、とりあえずなんでも有る程度出来る多彩さ、を機械的に増幅するという発想だと思う。

しかし、全長10m(Scale:×5)のロボットに人が乗って、更に5倍スケールの銃器、刃物をそのロボットが持って、組織的白兵戦を行う…なんて、どう考えても理解の範疇外である。
(ロボット戦争格闘物にはもっと大きな数十m級の有人ロボットが出てくることがある)
そもそもそんな非能率的、非合理な兵器を大量に作ろうなど…私なら考えない。

人間の能力を高めるための容器・乗り物だとしたらそんなにばかでかい必要はないだろう。
せいぜい人体より一回り大きな鎧。
歩兵として白兵戦に使うなら、少なくとも複数人が搭乗する自動車やヘリコプターより小さくなくては機動性という点で無意味である。
武装も同格の相手を無力化できる程度の物--生身の人間では持ち運べない対戦車砲程度--をアリモノで使うと言うのが合理的だと思う。

ずっとそう思っていたのだが…
この“月に繭 地には果実”では、なんと至って簡単な説明でその非合理を取りあえず納得させる設定がなされている。
凄いね、この人。

ガンダムと言えば誰もが知る、例のアニメーション。
あの巨大ロボットの造形イメージばかり先行し、逆に文章から情景を想像するのが非常に困難で、特に、終末戦争後過去を失って復興を遂げた人類の舞台が恐らくは西暦1920年代辺りに相当する、という状況設定とのギャップ、また、宇宙空間SF的な描写も、固定観念にあるアニメーション表現の印象が邪魔をし…を脳内で調整するのにとてつもなく時間がかかってしまい、やっとの事で読了した。
ま、面白いと言えば面白かったし、福井晴敏の筆力はここでも余すところ無く発揮されているのだが…
やはり、巨大ロボットに抵抗があるせいか、どうにも集中できなかった。
評価はするけど、なんか、一寸食い足りないんだよなぁ。

☆某所に書き留めた日記より編集加筆

川の深さは/2005.3.1.読了
亡国のイージス/2005.3.6.読了
Twelve Y.O./2005.3.8.読了
月に繭 地には果実/2005.3.28.読了



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