GBのアームチェアCinema見ist:アップルシード

アップルシード

アップルシード:APPLESEED

監  督 荒牧伸志
音  楽 Boom Boom Satellites/坂本龍一他
主  演 小林愛
助  演 小杉十郎太/松岡由貴
製 作 年 2004
シナリオ 半田はるか/上代努
原  作 士郎正宗


初日初回上映を見てきた。(2004.4.17.)
場所はいつものシネマコンプレックス。
ロビーに入ると…なんだこりゃ!
人、人、人の山。
まさか!と思いき、チケット窓口は分割され、2/3が長蛇の列。1/3は閑散としている。
列を作るのは小学生を伴う親子連れ。「クレヨンしんちゃん/名探偵コナンはこちら」「それ以外はこちらにお並び下さい」。

発券されたチケットを見ると…12あるスクリーンのウチ最小の94席、センター中央。良好なポジション。
席に着くと、初日にも、小さなハコにも関わらず1/4にも満たない入り。これは朝一だからか、都内中央の館ではないからか、はたまた…

アニメーション映画は前述のお子さまご家族向け、もしくはオタクのモノというイメージが強い。
廻りを見渡すと…
観客はまぁ、本当に絵に描いたような(メディアで戯画化されて揶揄されるような)“オタク”青年(もちろん単身)、どう見ても一般サラリーマンとは思えない、少々ぶっ飛んだ風体のオヤジ(ジジイに近いカテゴリー…あ゛、ハタから見たら私もそうか?)。
少なくとも女性の姿は、無い。

私の場合、映画を実写とそれ以外という分類では余り考えたことがないのだが、一般的には「人が演じない映画」は、かくある状況なのだろう。
現実的には一段低い物として捉えられているような気がする。
しかしながら、「人が演じる」か否かだけでアーティスティックであるかどうかを結論してしまうのは些か偏狭な思考であるような気がしないでもない。
それ以前にそもそも、それなりの金額を出費して、少なくとも2時間近い時間を消費する娯楽である映画、そこには非日常が無くてはならないと思う。
(それが小津安二郎のような“平凡な日常を描いた”作品であっても)
一番分りやすい非日常体験がSFとアニメーションなのである。
そして、アニメーションは我が国が誇る(?)数少ない国際的文化創造物なのだ。

自己弁護をするまでもない。

私はアニメーションが好き、なのだ!
(国産初の長編カラー「白蛇伝」から、リアルタイムで知ってるしね)

さて、本題。

アップルシード原作:青心社版 今回の作品はあの“士郎正宗”原作。
難解である上に未完の原作をどう料理したのか、非常に興味深かった。坂本“教授”龍一氏が音楽に参加しているのも気になっていた。
本作の売り、と言うか制作方法は「3Dライブアニメ」と言う手法だそうな。
従来の平面に描かれた絵を動かすアニメーションではなく、コンピュータ上で三次元立体を構成し、それを処理によって疑似二次元表現に変換したモノ…とでも考えるのだろうか?

夕方、小学生の息子が見ているTVアニメにも疑似二次元表現をコンピュータグラフィックスで行なっている(恐らく手書きの絵は使っていない)番組があり、異様にヌルヌルした動きに違和感、と言うよりも若干の嫌悪感を感じていたので、本作の映像表現も非常に気になっていた。
また、新技術のみに目が行ってしまい映像はともかく作品としては惨憺たるモノだったコンピュータグラフィックス映画もあった。

結論的感想を述べるなら…

本作はお奨めである。

優雅、と言うか滑らか(過ぎる?)動きを持った疑似平面の人物と三次元立体背景の見慣れない映像表現は、最初若干の違和感が否めないモノの、導入の巧さによりプロローグを過ぎた辺りで気にならなくなる。
画面は美しい。とは言え、本作を映像表現のテクニカル面だけで見てしまうのは、近視眼という物である。登場人物の(実写の演技データを取り込んだという)お芝居部分の演技は今ひとつであるが、速度感は上々。お話は手放しで評価は出来ないモノの、エピローグまで一気に見せてくれる。
シナリオそのものは、士郎正宗原作とは一線を画したオリジナルで、かなりシンプルに整理されている。
逆に、難解な作品を「美女と野獣のラブストーリー(プログラムより)」として展開するためにはこの筋書きのシンプルさが非常に有効になっているのかも知れない。
と、言うよりも、そもそも異常なほどの情報量と複雑な背景・シナリオを持ち、単行本4巻に及び、未だ完結していない原作の全てを高々100分少々の時間内に定着させるのは無謀なのである。
「お話は手放しでは評価できない」と、書いたものの、娯楽作品としては上出来だろう。
異なる情報濃度・時間軸を有するメディアに於いて、新たなシナリオを起こし、原作とは異なる設定で作品をまとめ上げるのは当然とも言える。
(アップルシードって“人類補完計画”というか“人類置換計画”だったのか…)
少なくともコンピュータグラフィックスを使うことに有頂天になってしまって、シナリオは疎か登場人物さえないがしろにしてしまった悲惨な映画とは比較にならない。 それ以前に、比較すること自体、優れた原作と、それを殺さないように気を遣って作劇をしている制作者に失礼であろう。
本作は演者が実在の人間であるか、デジタルデータによる虚像であるかと言う事とは別次元で評価を下したい作品である。

しかしながら、これだけ金と手間暇をかけた佳作もたかがTVの焼き直しのクレヨンしんちゃんや名探偵コナンに動員数で完敗状態というのは、知名度・客層ボリュームの点からは当然とは言え、やはり少々哀しい物がある。
恐らく、本作も国内では大した評価は受けないのだろう。時間が経ってから海外での好評が伝わり、再評価されるといういつものパターンが容易に想像できる。

「宇宙の戦士」旧文庫版表紙 話は変わって、個人的には「ガン●ム」の類のロボット同士が戦うお話は嫌いである。
宇宙空間での巨大ロボットの組織的白兵戦というのはどう考えても納得できないシチュエーションである。戦略的に考えても戦術的に考えても意味が見いだせない。
ポール・バーホーベンの撮った「スターシップ・トゥルーパーズ」の原作であり、全ての有人ロボット・バトル物の原典となったと言われる「宇宙の戦士」でロバート・A・ハインラインが描いた“モビル・スーツ”(原作ではパワードスーツ:強化防護服)はもっとリアルな存在だったはずである。

「宇宙の戦士」パワードスーツ:文庫版挿絵より
パワードスーツ「宇宙の戦士」文庫版挿絵より

スターシップ・トゥルーパーズ

スターシップ・トゥルーパーズ:Starship Troopers

監  督 ポール・バーホーベン
音  楽 ベイジル・ポールドゥリス
主  演 キャスパー・ヴァン・ディーン
助  演 ディナ・メイヤー/マイケル・アイアンサイド/デニース・リチャーズ
製 作 年 1997
シナリオ エド・ニューマイヤー
原  作 ロバート・A・ハインライン
「スターシップ・トゥルーパーズ」もハッチャメッチャ映画だったな。
「宇宙の戦士」を原作と言ってしまって良いのか?あれ。
映画作品中にパワードスーツは登場していないし。
原作を知る身として内容は、もう、悲劇的壊滅的…
原作の色が残っているのは栄光の合衆国国粋主義的なイメージだけ。ハリウッドだしな。
オキラク、ドンパチ映画としては結構楽しんだが…評価は…ま、良いんじゃないっすか?
見る人によっては、これは逆に国粋プロパガンダを装った喜劇的反戦映画だという。
極限までカリカチュアされパロディックな表現は、言われてみればそう見えなくもないが、第一印象としてはバーホーベンのグチャグチャ・ヌルヌル的変態性傾向を上げるしかない。この手がお好きな方にはお奨め。
(伊達や酔狂以外では間違えてもDVDやビデオ買ってはいけません。どうしてもご覧になりたい向きは、割引デーのビデオレンタルで他の作品と抱き合わせってのが吉かも)


「夏への扉」文庫版表紙 そもそもが「宇宙の戦士」は、ハインライン作品的には、傑作の誉れ高い「夏への扉」には遠く及ばないのだが…

「宇宙の戦士」は、思想指向的にも好みがはっきりと別れるストーリーなので、ハインラインをご存じない方は、できればこちら「夏への扉」を最初にお読みになることをお奨めする。
(SFファンに猫好きが多いのは「夏への扉」の影響もあるかも知れないなどとも思ったりする)

かなり脱線したが、本作、アップルシードにも人が乗るロボット(戦闘用スーツ:ランドメイト)が登場する。
しかし、本作の有人ロボットや攻殻機動隊原作に描かれる思考戦車(フチコマ・ハチコマ)は作業員搭乗型工業機械や土木機械の発展型に近い発想の物であり、ハインラインが描いた戦闘用スーツの直系とも言え、充分にリアリズムがあることも好感が持てる。
エイリアン3だったか、ヒロイン、リプリーが宇宙船内でエイリアンと戦うときに荷役作業用の作業員搭乗型ロボットを使っていたが、実に実在感のある道具であった。
そう言えば、以前にも巨大ロボット(の類)・バトルへの嫌悪感を若干和らげてくれた、それなりに説得力のあるアニメーションがあった。
あれも確か“人類補完計画”が命題だったな…


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