◆14.(鷲津→)二川 → 名鉄伊奈 | 2001年11月10日(土) | 曇り |
10:07 → 15:20 (5時間3分) | 区間歩数:33,137 | ![]() |
[参考]大森町駅発05:14、鷲津駅着10:05 | ||
名鉄伊奈駅発15:43、大森町駅着19:16 (帰路:豊橋・新横浜新幹線利用) |
当日総歩数:37,300 |
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10:07 鷲津駅 宿場的には二川に入るのだが、前回鷲津で終わったので二川まで歩いてみよう。ところで天気予報は雨。防水のないくつで足がびしょびしょになったことがあるので、水の入りにくい靴を準備。 湖西市「うんどうこうえん」、新所原駅(天竜浜名湖鉄道ターミナルでもある)、ロッククライミングの立岩などを通り二川へ。 |
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12:07 二川本陣 53次ルートとしては白須賀から、ここ二川につながる。 この建物は二川宿本陣資料館。この辺も旧東海道の再整備が進んでいると見た。ちょうど訪れた次の日に 「大名行列」の イベントがあるというので、ポスターがそこかしこに貼ってある。 |
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12:21 二川駅 そして二川駅に到着。ところで、雨対策をしてきたら、一切、雨にあわない。人生、そんなものかもしれない。 |
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12:41 二川駅近くの量販店 冒頭に書いたようにきょうは雨対策靴でウォーキング中。いつものDUNLOPのスニーカーに比べるとクッションが少し固いので、中敷きを求めて郊外型量販店に立ち寄る。 店員さんと相談して、そこそこのものを購入。店員さんのことばに愛知が入っているのだ。 親戚に名古屋の人がいるのだけれど、思い出してしまった。 たとえば「〜で、いかんわー」とかね。 なんて、思っていると、ケータイが鳴る。いやな予感。9月27日の「父親具合が悪い」の連絡のときも、こんな時刻だった。急いでケータイに出ると、今度は高一の娘がバスケットボールの練習中に足を捻挫、カミさんが今から学校に向かうとのこと。歩行中止も考えたが、死ぬの生きるのという話ではないので、とりあえず病院に行くよう指示して、歩行続行。 |
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13:59 豊橋市中心部 豊橋市内に入る。ここにはまだ路面電車が走っている。シャッターチャンスが悪く、クルマが主役のような写真になってしまった。 |
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14:03 吉田宿本陣跡 豊橋は旧東海道でいえば吉田宿。町として発展しているせいか宿場の面影を残すものは見当たらない。本陣跡にもほとんど何もなく、こんな標柱があるのみ。 |
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14:17 とよはし 豊橋市の地名の由来と言われる豊川にかかる「豊橋」を渡る。この道も京へ続くのだ。 |
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14:21 豊川 豊橋を渡ったところで、豊川をバックに1枚。後方の鉄塔は何だろう?放送アンテナか?「豊川をきれいにしましょう」などと電光掲示板がメッセージを伝えている。 |
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14:29 東海道看板 愛知県(あるいは豊橋市)に入ったら、この看板がツボを押さえた位置にあり、短い距離で曲がるようなところでも間違えずに済む。このあと、古そうな家並みの続く一本道を行き、 意外なところの魚市場などを過ぎていく。 そして、新天竜川橋に比べれば圧倒的に短いのだが、豊川放水路にかかる「高橋」を渡るのに悩んでしまった。 まさしく人が歩くスペースがないのだ。狭い割にはトラックも通る。新天竜川橋には一応白いラインがあったので、人の場所を主張できた。ここには何もない。 上り下りのクルマの行き交う状況を見計らって、走って渡った。多分1分くらいだろうが。ということでその付近の写真は取り損なった。 |
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15:11 小坂井町 そして小坂井町に入る。東海道歩きにはまったく関係ないのだけれど、私にはある種の「思い」がある。 ベンチャーズの夏のツアーを必ず呼ぶ、ベンチャーズフリークの藤田享町長(2001年12月現在)さんがいる町なのだ。 豊橋市でも、蒲郡市でも無いのだ。こんな小さな(失礼)小坂井町に毎年ベンチャーズが来るのだ。ベンチャーズも私と同じ風景を見ただろうか。 |
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15:25 名鉄伊奈駅 新たな世界に突入。というのは豊橋から先、旧東海道はほぼ名鉄線名古屋本線沿いに行くのだ。本日は東京戻りということもあり、小坂井町にある「伊奈」駅で終了。 東京からのアクセスを考えると、今後は少し計画的に行程を考えなくてはいけないなあ。 ところで、結局、雨には一切あわずじまい。ラッキーと言うべきか(そうに決まっているではないか) |
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16:35 おまけ 帰りの新幹線浜松付近で見えた虹。大アーチだった。にわか雨でもあったのだろうか。 |