就活コラム
就職活動、我思ふ…

 

第4回テーマ なんとなく、憂鬱 (00/10/14)

就職活動終了宣言から約4ヶ月。一連の就職活動には終わりを告げているのだが「就職するまでが就職活動」ってことで久々の更新。

今回はタイトル通りのテーマ、最近の私の感情である。多くの企業が10月1日に正式に内定通知を出し、内定式を行なう(今年は10月1日が日曜日だったので2日になったが)。私の就職先は少し違って10月の半ばに行なうことになっていた。まわりの友人は就職予定の会社で内定者親睦会があったり、旅行したり、その企業でアルバイトをしている者もいる。私にもアルバイトやインターンなどの誘いはあったのだがいずれも返事をせずにここまで来ている。何故なのだか自分でもよく分からない。就職が決まっている所以外に別に行きたい所があるわけではないし、他にやりたいことも別にない。そこへ行くしかないということもよく分かっている。しかし行動に移れない。その一方で行動に移っている他の友人を羨ましく思ったりもする。

私が行動に移れない理由。私はまだ学生でいたいという気持ちが強い。就職予定の所でアルバイトなりインターンをしてしまえば、社会へと足を踏み出してしまう。今までやっていたアルバイトも社会の一部と言えるが、それはあくまでも「学生アルバイト」なのだ。心のどこかで自分に対して「私は学生アルバイトだ」という甘えがある。そういうものを全てなくさなければならない。就職することを前提としたアルバイトなのだから、学生バイト気分でやれるものではない。恐らく自分の中でそう言う気持ちが渦巻いて、行動に移すことが出来ないのだ。

しかしそれももうすぐ終わってしまう。否応無しに時は流れる。私の就職予定企業の内定式が迫っている。内定式に出ると言うことは本当にそこへ行く意志を固めたということ。私の中でもケジメをつけねばならない。不安というのではない、嫌だというわけでもない。言うなれば「なんとなく、憂鬱」なのだ。

 

第3回テーマ 就職活動終了宣言 (00/06/07)

ご存知の通り幸運なことに私は既に内定を頂いている。1つ内定を貰ったら途端に他の所への意欲が薄れる。その内定を貰った企業が受けていた企業の中では最も興味があったから尚更である。それでもケジメとして内定を貰う前までに選考を受けていた企業の選考には参加した。しかし新規開拓をしてまた1から就職活動をする、内定を基盤(保険)にして他の企業を受けるという気にはならなかった。そこまでするほど就職に対しての強い意思がなかったし、そこまでして入りたいと思えるような企業もないだろうと思った。実際の企業名を出すと例えばSONYなどは入れたら良いと思う(その"良い"というのには世間体なども含まれる)けど、別に私はSONYでやりたいことがあるわけではない。他のどんな企業を受けても恐らく私はその程度にしか思わなかっただろう。そういう考えでは私にとってこれ以上就職活動を続けるメリットはない。

就職活動で一般常識の筆記試験や面接を受けるのは面白い部分もあった。グループ面接では他の学生の話しも興味深かった。結局私は1度もやらなかったがグループディスカッションなんかもやってみたいと思った。ダメ元で大企業を受けてみるのも面白いかもしれない。しかしそれをやるほどの意欲はなかった。まずエントリー、履歴書を記載、スーツを着て、説明会会場へ行く。その一連の工程が面倒臭く感じる。その面倒臭さに負けるほどの興味しか就職活動に対して持てなくなっている。それならばこれ以上活動を続ける意義も意味も意欲もない。

実質の活動期間は約2ヶ月、短い期間だったがここに私の就職活動の終了を宣言する。

  

第2回テーマ 就職活動をする際の基準 (00/05/10)

就職活動初期の頃、ある企業のセミナーに行ったときである。そのセミナーは2部構成になっていた。第1部で外部の講師を招いて就職活動講座みたいなものが開かれて2部でその企業の説明会が開かれるというものだった。その就職活動講座で聴いてなるほどと思えた1節を紹介する。

就職活動をする際、または実際に就職をする際に何を基準にするかということ。大多数の人はその基準を「世間」に置いてしまっているのではないか、というようなことを講師の人が言った。なるほどそうかもしれない。「公務員は安定しているから良い」「自動車の営業はキツイ」。それは考えてみると世間から見たその仕事に対するイメージだろう。世間を基準にして就職活動をする。別に悪いことだとは思わない。しかし就職をするのは自分である。世間ではなく自分を基準にして就職活動をするべきではないか。

世間を基準にして就職活動をしたら就職活動を「する」というよりも「させられている」と感じるような気がする。やはり自分を基準にして就職活動を「する」方が良い。そもそも世間に振りまわされていたら就職できたとしてもその先が思いやられる。この時期にしっかり自分という基準を確立させるべきだろう。

しかし全て自分を基準にしたら就職することに対して余程強い意思を持っている人でないと恐らく行きつく先はフリーターになってしまうだろう。世間体を気にしなければ就職しなくてもフリーターで充分食べていけてしまう世の中だ。だから最低限の世間の基準は必要だろう。もちろんフリーターで良いっていう人がいても良いけど…ってそんな人は就職活動なんてそもそもしてないか。

さて、貴方は基準をどこにおきますか?

 

第1回テーマ やりたいことって? (00/04/22)

一般的に現在は就職難だと言われている。大学生の就職率も軒並み低下の一途を辿っている。そんな状況での就職活動だった。

私の場合は漠然と厳しいのかなという風に感じてはいたが実際に活動を始めてみてあまりそういった感じは受けなかった。マスコミ等が煽っているほどは感じなかった。多分仕事を選ばなければどこかしら行く所はあるだろうなと楽観的に考えていた。そして実際に私は回りよりは早く1つ目の内定が出て、行く所だけは確保できた。

さて、ここで考えてみる。私の就職活動の根底にある考えは「どこでも、なんでも良い」だった。それほど就職にこだわりがあるわけでもない。この仕事がしたいと思えるようなコトも特にない。だから私の就職活動はリクルートナビや合同セミナー、ダイレクトメール等で興味を持った所へ「とりあえず」行ってみる、というものだった。しかし企業の面接等に行くと「業界は絞っていますか?」「どの辺りの業界を中心に回っていますか?」という質問を必ずと言って良いほど聞かれる。そして少なくとも私が受けたグループ面接では全体の半分以上の人が業界を絞り、その業界を中心に回っていると言っていた。

本当だろうか?みんな「とりあえず」や「なんとなく」その業界を志望しているとしか思えない。そんなに簡単に数ヶ月かの業界研究だけで絞りきれるものだろうか。業界を絞らざるを得ないから仕方なく絞っているといった感じを受ける。そもそも就職活動をしている人々の何割くらいが心から就職したいと思っているのだろうか?「その時が来てしまった」から就職活動をしているだけだろう。そして仕方なく適当な業界に絞りそこを中心に回っている。そしてその業界の中で適当な「とりあえずのやりたいこと」を見つけて就職活動をしている。どうしてもそのように感じてしまう。それが悪いとは思わない、それは仕方のないことだと思う。本当にやりたいことなんてそう簡単には見つからないだろうし。しかしやりたいことが見つからないことを隠して適当に見つけた「とりあえずやりたいこと」でお茶を濁している人が多くないだろうか。

貴方は本当にその仕事がしたいのですか?それが貴方のやりたいことですか?
自信を持ってハイと答えられる人がどの位いるだろうか…

 

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