仙台社会人一人旅
Survive in Sendai.

2001年12月

2001年11月

2001年12月1日 土曜日

月初書類、棚卸しのミスと戦う毎月1日。

それだけでも大変なのに、もっと大変なことが…。

最近体調が悪くて休みがちだった主力スタッフの女性から話を聞かされた。

病院に行ったら自律神経失調症と診断されたという。

それで暫く休養をした方が良いと言われ、辞めさせて欲しいという。

朝どうしても起きられなかったり、だるくて体調不良になったりが多かったという。

そう言われてはこちらが引き止めることは出来ない。

しかも自律神経失調症なんて、もしかしたらウチの仕事も関係あるのでは?と思ってしまった。

すると本人から仕事の面で不満はないと言われた。

彼女は私と同じ歳にして1児の母にしてシングルマザー。

幼稚園に通う男の子を育てている。

「家計も苦しいし、その辺りの心労が重なったんだと思います。」

確かにウチで働いた月10数万の給料で子供も養っていくのは厳しいだろう。

本人は明るく言っていたが、辞めて休養してどうするつもりなのだろう、収入のアテは…。

気にはなったが、あまり深く突っ込むのもどうかと思ったので聞くのはやめておいた。

彼女も大変だが、店も大変なことになった。

ただでさえ12月には主力2人が抜けることになっていた。

それに加えてもう1人、しかも皆リーダー格と呼べるくらいの主力、痛すぎる。

そんななか、月初書類作成作業をしていると仙台他店の店長が店に来た。

何をしに来たのかと思えば、小言を言いに来た。

売上落ちてるじゃないか、どーすんだ、どーすんだ…。

どーしたらいーんだ、どーしたらいーんだ…。

 

2001年12月2日 日曜日

朝がだいぶ冷えるようになってきた。

それも理由の1つだが、どうも仕事に行きたくない。

店にいると他店店長やエリアマネージャーらから電話がかかってくる。

店をどうするんだ、お前の想いは何だ、スタッフは幸せなのか、成長しているのか…

お決まりの文句だ、お前の想いやらスタッフの幸せやら、意味が判らん。

イヤ、判らないと言ってはいるが、実はなんとなくは判っている。

だけどそれを理解したくない、そこまでやりたくないというのが本音だ。

判るんだけどさー、そこまで全身全霊を込めてこの仕事に打ち込めない、打ち込みたくない。

これは会社の方針に反している、イコール辞めたいに繋がっているのだが、それを言い出す勇気がない。

辞めたいということが恐くて言い出せない状況。

責任も勿論ある、自分の店は現在楽な状況ではない。

それに店長と言う立場の者が軽々しく辞めたいなんて言ったらいけないとも思っていた。

そんなことを思いながら近頃は過ごしていた。

翌日は本部での会議。

先月同様に経費削減のため、仙台の社員が車に乗り合わせて早朝に本部へ。

この車中や会議での休憩時間などが苦痛だ。

全身全霊を込めて仕事に打ち込んでいるような先輩社員や同期がいっぱいいるから。

その中にいると実に窮屈に感じる。

1台の車に4,5人で乗るから物理的にも窮屈なんだけど。

 

2001年12月3日 月曜日

前夜の帰宅は0時過ぎではあったが、早朝5時には車に乗って神奈川の本部を目指す。

車中は運転も任されなかったのでサッサと寝ようと思っていたがそうもいかなかった。

どうやら話の矛先が私になったらしい。

店はどうなんだ、何をしているのか、スタッフはどうなんだ、あーだこーだ、こーだあーだ。

お前のために言ってるんだ、ハイハイ分かった分かった、ひたすら耐える時間だった。

いつもの全体会議の後にエリア社員数人で集まっての小エリア会議。

今月から導入される新しい販売方式についての確認。

それについても認識が甘いだの何だかんだの散々言われた。

怒られに行ったような会議だ、こんなんで得るものがあんのかどうか。

「怒ってくれる人がいるのは良いことだ」先輩社員らは口を揃えてそう言う。

まぁ確かにそうかもしれないけどさ、怒られてばかりだと気が萎えますぜ。

帰りは私も高速を運転、眠気との戦いだった。

 

2001年12月4日 火曜日

朝は寒いし、仕事は行きたくないし…

1日1回はどうしたら巧いこと辞められるかなーなんて考えている。

しかしその一方で売場はあぁした方が良い、こぅした方が良いということを考えてもいる。

本当の気持ちはどっちなんだ。

翌日に休みを取ろうと思っていたのだが、他店店長から電話があった。

「明日駅前店に行こう。」と。

うわー、絶対行きたくねー。

エリアマネージャーや先輩社員がいるような所へ行きたいとは思えん。

その場でアレコレ色々な言い訳を考えた。

新販売方式導入に向けての売場作りを進めたい、ということにして自店舗に入ることにした。

というわけでそう言ってしまった体面上自店舗にいないわけにはいかない。

駅前店に行くよりは自店舗でじっとしていた方が安全(?)だ。

休みは明後日にずらしたけれど、それも無事に取れるのかどうか。

 

2001年12月5日 水曜日

入らざるを得ないという感じで入った自店舗。

何事も無く1日過ぎるかと思いきや、他店店長からまたもや電話。

「これから駅前店で新販売方式導入のミーティングをするから来るように。」

逃げ切れなかった、呼ばれたら仕方ない、行かなければ。

駅前店店長には会うたびに何かしら突っ込まれたり怒られたりするので、駅前店へは極力行きたくないのだ。

この日は純粋なミーティングで何ということもなかった。

だけれど話は必ず長くなる。

閉店しても容赦無く話は続くし、誰もそれを苦とは思っていないらしい。

結局2時過ぎまでミーティング。

これも駅前店に行きたくない理由の1つだ。

翌日は休みの予定だったのだが、この日のミーティングでそうもいかなくなった。

アレコレと仕事が増えたのだ。

2時30分頃に自店舗に行って、翌朝来たスタッフへの仕事の指示を書いておく。

それ以外にも事務所に行くとやっておかなければならない仕事が色々と目に付く。

翌朝は寝坊が出来るので、それらの仕事などもこなしてしまう。

結局帰宅は5時過ぎ、翌日(…というか今日だな)も夕方からは店に行かざるを得なさそうだ。

 

2001年12月6日 木曜日

実に15時過ぎまで寝ていた。

携帯にかかってくる電話も自店舗からの以外は抗議の意味も含めて全て無視してやった。
(自店舗からの電話は何があるか判らないから必ず出る。)

16時過ぎに店へ。

急を要してやらなければいけないことは実は前夜のうちにこなしてしまった。

だから本当は夕方からでも店に来る必要はあまりない。

しかし、休んではいられないと言う感じなのだ。

他店から電話があった時に、休みで店にいないというのが気まずいのだ。

先日の会議で壇上で発表した偉い人が「寝食を忘れて利益の為に働こう。」みたいな発言があった。

そんなことがあったので雰囲気的に実に休み辛いのだ。

休むのは悪、みたいな雰囲気が社員の間に蔓延しているのだ。

ただでさえウチの会社にはそういう雰囲気があったのが、その発言でさらに増長してしまった。

まったくもって迷惑な話である。

会議から1週間も経っていないのに休むとは何事だ、みたいに思われると思い店に出ることになったのだ。

休んでいるわけではないですよ、夕方からは店に出てますよという意味で。

何してんだろうな…。

 

2001年12月7日 金曜日

4月の頃のように日に何度も辞めようと思うことがある。

ただその事を誰にも言えずにいる。

辞めようにも、自店舗のスタッフ、周りの社員、友人や家族への体面…

色々あってそれを口に出来ない。

それを言い出す勇気がないというのと、巧い言い訳が見つからないというのの両方だ。

 

2001年12月8日 土曜日

良い感じで売場が流れていくのを感じた。

忙しくはあるのだが、巧く連携が取れて良い流れで時間が進むのだ。

そういう良い流れの日が月に何回かはあるのだ。

辞めたいとは思っているものの、自店舗やスタッフは好きだ。

自店舗にいて通常作業に没頭している時はそれほど鬱ではない。

他店と一切絡まずに仕事が出来れば良いのだが…。

閉店後に車で近くの定食屋へ飯を食いに行こうとした。

すると寒さのせいだろう、車の前窓が凍りついていた。

最初は大丈夫だろうと思っていたのだが、実際に走ってみると殆ど前が見えない。

ヤバイ、このまま走ったら事故る…

慌てて車の窓を開けて、窓から顔を出して前方を見ながらの運転。

恐いし危ないし寒いし…

信号待ちで急いで前窓を拭いてどうにか難を逃れた。

初めて事故るのを意識した、東北の冬の運転は恐いな。

 

2001年12月9日 日曜日

女の子のスタッフの1人で、近頃どうにもやる気が見られないコがいた。

仕事はまぁソツなくこなしているのだが、売場での覇気がない。

休憩所では元気なのに、売場では元気がない。

以前から朝夕礼で、やる気が見られない人はシフトを削っていくこともあるということは言っていた。

彼女の態度はそれに値すると判断して、週5日希望していたシフトを週4日にした。

すると閉店後にその彼女がチョットお話があるんですが…と来た。

シフトのことだろうなというのはすぐに判った。

…と思ったらなんと辞めたいと言い出した。

はぁ?!シフト1日削っただけで??これには当惑した。

しかし話を聞くと、元々近いうちに辞めようとは思っていたらしい。

彼女はこのバイトを初めて半年くらいになるのだが、近頃は急にやる気が無くなったと言う。

それは自覚もしていたらしく、シフトを削られても仕方ないなと納得もしていたと言う。

そして今回シフトを削られたのがキッカケで私に辞めたいという話をすることにしたのだと言う。

自分でやる気がない事が判っていたのなら、せめて表面上でもやる気を見せてほしかったものだ。

現に私自身が辞めたい気持ちで一杯なのに、それを表面には見せずにやってるっちゅうに…。

しかしスタッフにそこまで望むのは酷というものか、あからさまにやる気無いままダラダラやられても仕方ないし。

話は判った、そういうコトなら仕方ない、気持ちに変わりは無いわけだ、と。

彼女のシフトは翌週も入っていたのだが、ハッキリやる気がないと明言されて続けられるのも困る。

この日限りで辞めてもらうことにした。

彼女もそれに対して異論は無かったし、「店長ならそう言うんじゃないかなーと思ってました。」と苦笑いされた。

今後どうするの?という話や、他のスタッフにどう説明するかなども軽く話し合った。

10分程度の話だったが、お互いに怒ったり感情的になったりとかは全く無かった。

そういうことなら仕方ないな、という感じで険悪な空気も無かったし。

しかし、しかしである、急遽退職が決まった彼女も含めると今月で一気に4人の退職者が出ることになる。

これは人の面ではかなり厳しいことになってきた。

新たに4人を採用すれば良いと言うだけでは無い、4人を育てなければならないのだ。

今月辞める4人はいずれも通常業務はほぼ完璧だっただけに苦しい。

スタッフらが帰った後で、そういうことがあったということをエリアマネージャーに報告。

そしたらボロクソ怒られた。

シフトを削る前に本人呼んで話するとかしなかったのか、他の社員に相談するとか出来なかったのか、勝手な判断でスタッフを切って店をボロボロにする気か…

凄く強い口調でガーッと怒られた。

もう何が何だか判らなかった。

やる気が無ければシフト削るよってことはスタッフにも言ってあったし、他の社員だってシフトを削ってスタッフ本人に気付かせることも必要だと言っていたし、それに自分は店長だ、それを勝手な判断って…

色々思う所はあったが、相手の電話口での凄い剣幕に押されて何も言えなかった。

なんか放心状態、という感じだった。

何でそこまで怒られなきゃいけないんだよ…。

こっちだって急にそんなことになって戸惑ってるっていうのに。

そんな状態だったが、なんとか気をとり直して仕事にかかった。

翌日にオフを取っているということもあって、遅くまで仕事が出来る。

10日までにスタッフのボーナス査定をしなければならない。

ウチの会社では6ヶ月以上勤めたスタッフには6,12月にボーナスが出るのだ。

誰にいくら支給するかと言うのは店長の判断に一任される。

最低0円、最高で50,000円だったかな。

いくつかの評価項目があって、それに沿って点数を付けていき、金額が決定される。

しかし全員に良い点をつければ良いわけではなく、平均で15,000〜20,000円くらいになるようにと指示されている。

最後にそれをエリアマネージャーに提出してチェックをしてもらう。

そのボーナス査定表の提出が翌日まで。

私は翌日に休みを取っていたので、今夜中にそれを仕上げておかねばならなかった。

この子とあの子が同じ金額なのはおかしいな…

あの子は人がいない時に率先してシフトに入ってくれたりしているからチョット足してやろう…

この子は突然休むことがちょくちょくあるから少し引いておこう…

あの子は店長がいなくてもしっかりと店を回せる頼りになる存在だから少し足しておこう…

私のそうした判断でボーナスの金額が変わってくるわけだ。

幸いにしてそれほど迷うこともなく、ボーナス査定をする事が出来た。

そうした仕事と、他店への出荷作業などをしていて結局3時ごろまで仕事していた。

翌日は休みなので、帰っていつもより多く飲んで就寝。

 

2001年12月10日 月曜日

起きたのは夕方17時頃、12時間近くも眠っていた。

寝ている間にエリアマネージャーから電話があってまた怒られた。

前夜に作ったスタッフのボーナス査定をエリアマネージャー宛にFAXで流したのだが、それの連絡をしていなかったからだ。

それだけで怒っているというわけではなく、そうした連絡が日頃から少ないということでも怒られた。

私が悪いんだけど、そんなにガミガミ怒らんでも…。

もっとも寝ていた状態でかかってきた電話で、電話の後もすぐに寝たのでそれほどダメージはなかったが。

18時からアルバイトの面接があるというので店に行った。

休みの日にわざわざ店に行った甲斐があった、良さそうな子だった。

ただ問題なのは女の子だという点。

女の子が多いに越したことは無いのだが、男子が少ないのは難点なのだ。

何故ならば、私が駅前店に行ったりだ何だで店を空けることが多々ある。

そうした時に店にいるスタッフが女の子だけだと不安なのだ、何があるか判らない。

現在店にいる男子は朝2人、夜1人の計3人だけ。

特に夜が恐い、レジ締め作業もあるし、22時に閉店だから怪しげな客も来るかもしれないし。

帰宅は22時30分を過ぎるし、チャリで来ている女の子もいるからあまり遅くなると帰り道の不安もある。

女の子だけというのはそういう点で不安なのだ。

幸いにしてこれまでにそうしたトラブルはないが、今後も無いとは限らない。

だからもう少し、威嚇効果(?)も含めて男子を採用したいと思う。

だけど、なかなか良い男子がいないのも事実。

面接に来る時点で男子の方が少ないし、困ったもんだ。

そして何よりも男子がいないと私が休みを取り辛い。

女の子ばっかりを店に置いて自分は休む、というわけにはいかない。

我が身の為にも、男子を…

 

2001年12月11日 火曜日

仙台他店の店長が突然店に来て一緒に働くことになった。

曰く「お前が普段店でどういうことをしているのかを見てみたい。」と。

それほど忙しくは無い1日、他店店長には色々と指摘された。

売り場のことから人の流れとか、マニュアルのこと等とにかく色々と。

ところが夜のスタッフで2人も病欠者が出て、元々少なかった夜のスタッフが1人だけになってしまった。

それほど忙しくないはずが、人がいないので急激に忙しくなった。

それに加えて、仙台他店の店長も具合が悪くなって事務所で休むという始末。

仙台他店店長は元々体が強い人ではなく、よく体調が悪くなると言う。

まったく、何しに来たんだか…。

その他店店長、閉店しても治りそうに無いので、車で10分ほどの所にある夜間病院に連れて行った。

23時頃だったのに夜間病院は結構混んでいた。

他店店長は点滴などもしたので、だいぶ時間がかかっていた。

風邪っぽい子供やサラリーマン、飲み過ぎで吐いて倒れたという若者も連れて来られていた。

結構興味深い空間だった、夜間病院の待合室。

結局2時すぎまで病院にいた。

 

2001年12月12日 水曜日

1日自店舗で仕事、他店からの電話も無く平和な1日。

ところが翌日は駅前店で、新販売方式導入の研修があり、仙台全店の店長が集まる。

正直言って憂鬱だ、エリアマネージャーや先輩社員に会うとまたウダウダ言われそうな気がする。

精神状態があまり良く無い今日この頃。

駅前店行ってまたガーっと怒られたりしたらこっちも切れて「辞めます」という言葉が出るような気もした。

正念場だな。

 

2001年12月13日 木曜日

朝から駅前店に行くこともあっていつも以上に行くのがイヤだった。

だが実際に行ってみると、この日の名目である新販売方式導入の研修が主だった。

マニュアル読み合わせで座学などもあって、勉強会みたいな感じだった。

個人的に店のことやらについてウルサク言われたり怒られたりすることは無かった。

閉店後もそれほどダラダラ話したりせずに自然な流れで解散となった。

少し拍子抜け、まぁ良かったけど。

 

2001年12月14日 金曜日

実に暇な1日で気がつくと外は雪だった。

その雪の影響もあってか売上は私が店長になってからの最低記録だった。

店が暇だったおかげで10日に面接して早速採用した女の子にじっくり作業を教えることが出来た。

雪が降る寒さと、雪が積もって出来るほのかな雪明りが1人の孤独感を演出する…。

 

2001年12月15日 土曜日

朝から雪、とっても寒い。

朝礼の後は雪かきから仕事が始まった。

店の前の歩道や駐車場入り口など。

いよいよ本格的な東北の冬到来なのか。

この日で主力女子2人が退職。

私が新入社員の時からいる1人と、私とほぼ同じ時期に入ってきた1人。

2人共にかなりお世話になったし、戦力としても多いに痛い。

お疲れ様です、ということでちゃんとしたケーキ屋で、餞別のケーキを買った。

そのついでにスタッフ人数分のケーキも購入。

前店長が似たようなことをやっていたのでそれに倣ったのだ。

普段からコンビニで昼飯を買うついでにオカシを買ってスタッフに振舞うことはあるが、ケーキは初めて。

ちゃんとしたケーキ屋でちゃんとしたケーキを買うとちゃんとした値段を取られる。

結構痛かった、フトコロが…。

2人は無事に(?)円満退職、休みのスタッフも挨拶に来ていた。

相変わらず降っている雪のせいで売上は土曜日なのに平日の平均以下。

それにしても雪が降っていると、車で出かけられない。

私の車はスタッドレスを履いていないから恐いのだ。

仙台程度の雪ならスタッドレスでなくてもFF車だから大丈夫ですよ、と車屋の店員は言っていた。

しかしそれでも警戒してしまう。

昼間に店の車を運転した時はスタッドレスに履き替えているにも関わらず恐かったし。

そんなわけで、閉店後も車で出かけられずに家に買い置きのカップ麺での晩飯。

 

2001年12月16日 日曜日

晴れて雪も溶け、店はそこそこの忙しさを取り戻した。

それでも売上は土曜日並、伸び悩む原因が判らない。

客数の低下が売上の伸び悩みに繋がっているというところまではわかる。

だが何が客数の伸び悩みに繋がっているのかがいまいち判らない。

店の細かい部分で出来ていないと思われる部分は多々ある。

先輩社員らに相談するとそうしたことを1つ1つやっていくしかない、とのこと。

まぁそりゃそうだわな。

翌日は仙台他店のレイアウト変更を行なうので、それにヘルプ要員として駆り出される事になった。

車で1時間ほどの所にあるので、早起きしないといけない。

 

2001年12月17日 月曜日

眠寒いなか、8時過ぎに車に乗り、同行してくれる自店舗スタッフと一緒に仙台他店へ。

朝の時間帯ということもあり、所々で渋滞もあって1時間強の時間がかかった。

仙台全店の店長やスタッフとエリアマネージャも来ての一大作業。

やはりエリアマネージャーがいると緊張する、ピリッとする。

ヘルプ要員で他店を手伝いに行って1人で作業をしていると怒られる。

何しに来てるんだ、もっとスタッフを巻き込んでスタッフと一緒になって作業をしろ、と。

だから常に周りを気にかけながら作業をしなければならない。

周りのスタッフに気を使い、先輩社員に気を使い…

だからヘルプは疲れるんだな、自店舗だとある程度その辺は抜けるし。

自店舗で人が少ないんで…というのを理由に夕方でヘルプから撤退、自店舗に戻った。

 

2001年12月18日 火曜日

この日は自店舗でトラブル発生。

私が銀行へ前日分の売上等を入金しに行っている時に店のスタッフから電話があった。

「突然電気が消えちゃったんです。」

何??とりあえず銀行は後回しにして急いで店に戻った。

すると店内は真っ暗、平日の午前中と言うこともありお客は少なかったがそれでも数人はいる。

まずは何をすべきだ…、慌てちゃダメだ…。

スタッフに電気が消えた時の状況を説明してもらう、恐らくはブレーカーだ。

休憩所にあるブレーカーを見てみると落ちている、コレだ。

しかしブレーカーを上げても電気はつかずにまた落ちる、ダメだこりゃ。

タウンページで調べ東北電力に電話をして、近場の電気屋に来てもらう手筈を整えた。

どうやら落ちた電源と、レジの電源は違うところから取っているらしく、レジは動く。

レジが動けば最悪の事態は回避された、営業は出来る。

スタッフに指示をして大きな紙に"停電中だが、営業はしている"という旨を書いて入口に貼らせた。

勿論レジでお客さんに「ご迷惑をおかけしております。」と言うことも忘れずに指示した。

それから暗いので高額商品は万引きが恐い、1人を店内巡回に回した。

これで打つべき手は全て打ったはずだ、あとは電気屋が来るのを待つだけだ。

エリアマネージャーに報告の電話をすることも忘れなかった。

電話して何が解決するわけではないのだが、これをしないと後々厄介になりかねない。

それにしても午前中で良かった、お客も少ないし、晴れていたので外の光が店内に入ってくる。

もしも夜にこんなことが起こったら本当に真っ暗になってしまう。

1時間後くらいに電気屋が来た、実に長い時間に感じた。

どうやらヒューズが切れたのが原因だったらしく、交換してもらい無事に電気がついた。

それにしても実に2時間くらいは暗い中での営業だった。

アクシデントの1日、妙な1日だった。

 

2001年12月19日 水曜日

前日の不可抗力アクシデントに続いて、この日は人的トラブル発生。

早番のスタッフ同士がシフトの件で喧嘩を始めたのだ。

シフトの最終決定権は勿論私にあるが、早番・遅番共にリーダー格のスタッフにシフトの仮案を作らせている。

そしてシフトを作っている早番のリーダー格(20歳♀)に対して、早番の1人(18歳♂)が注文をつけた。

毎週何曜日と何曜日を固定して休みを貰いたいという早番の1人(18歳♂)、

リーダー格(20歳♀)は他の人との調整が難しくシフトが組みにくくなるから、少し遠慮して欲しいと言う。

それだけならば、それ程の大事ではない。

しかしその2人がそもそもあまりウマが合っていなかった2人だからタチが悪い。

どちらも感情的になっていて手がつけられない。

端で話を聞いていてどちらも幼い、ということを痛切に感じた。

そんなことでガタガタ揉めてんじゃねーよ!!と怒りたくなったが私がそれをやると益々手がつけられなくなる。

リーダー格(20歳♀)はヒステリックになって「こんなんじゃもうシフトなんて作れません。」と喚く。

まぁまぁ…とお互いをなだめて、その場はなんとか引き離した。

1番アルバイト歴が長く、早番遅番どちらにも顔が利く主力スタッフとその件について相談。

曰く、スタッフ同士でシフトを作っているから面倒なことになるのでは…

いっそのこと店長の強権発動でシフトを作ってしまえば、彼(18歳♂)も聞かざるを得ないのでは?と言う。

毎週固定の休みは難しいけれど、出来るだけ各々の希望を聞いて店長がシフトを作る。

そういうことにしてお互いに納得してもらうことにした。

2人共憮然とした表情はしていたがとりあえずは納得した…のかな?

しかし、これまではスタッフ間で作ったシフトをチェックして調整していただけで良かったが、これで私が1からシフトを作らなければならない。

結果、仕事が増えたということだ。

しかもそうしたトラブルが原因だからますますシフトを作るのに気を使う。

リーダー格(20歳♀)はアイツ(18歳♂)の言う通りに固定の休みにするのはアイツに屈するみたいなので、止めて下さい、なんて言ってくる。

かと言って特に理由もなく彼(18歳♂)の思い通りに休みを取らせないことになると彼の機嫌を損ねる。

かと言って彼(18歳♂)の思い通りに休みを取らせるとリーダー格(20歳♀)の機嫌を損ねる。

別にどっちの機嫌を取る必要もないのだが、トラブルの種を蒔くのは極力避けたい。

全く勘弁してくれよ…

 

2001年12月20日 木曜日

この日は自店舗のスタッフと一緒に駅前店のヘルプ。

朝、自店舗の前で待ち合せをしてスタッフを乗せて車で駅前店へ。

この日は秋田や青森からもヘルプ要員が来ていて久々に見る顔もあった。

それだけ多くのヘルプ要員が来ていたので一段と引き締まった。

大量のヘルプ要員を投入して年末・正月に耐えられる店作り、店の不備を大人数で徹底的に修正するのだ。

仕事中に、社員が全員エリアマネージャーに呼ばれた。

何事かと思うと大事な話があるという。

「恐らくは今日、皆の口座に賞与が振り込まれている。
今期は知っての通り会社全体で初の赤字が出た。
本来ならばボーナスなど出せるような状況ではない。
しかし社長の御厚意で全員にボーナスが出ることになった。
その意味をしっかりと捉え、ちゃんと社長にお礼の電話を各人しておくように。」

とのことだった。

ハハァー、仰せの通りに…という感じだ、社長崇拝にももう慣れた。

自店舗の人員が少なかったので、といういつもの言い訳を使い夕方からは自店舗に戻った。

事実夜は自店舗の人員が少ない。

閉店後、勿論しっかりと教科書通りのお礼の電話を社長の携帯留守電宛に入れておいた。

聞いているのかは判らんが、イチイチ誰が何て言ったかなんて覚えてねーだろうな。

 

2001年12月21日 金曜日

自店舗で1日仕事。

翌日は今年最後と思われる駅前店ヘルプ。

それだけ乗り切れば今年はとりあえず安泰だ。

 

2001年12月22日 土曜日

朝から駅前店、行きたくない度はMAX、何度仮病使って休もうと思ったことか。

それでも今年最後だからと、己を説得して駅前店へ。

行って普通の業務をするだけなのだが、駅前店店長や他店店長もいることが多い。

彼らと話すのがイヤなのだ、常に何かしらは怒られるし。

勿論この日もアーダコーダ、どーなんだ、どーすんだ、何がしたいんだ…散々言われた。

そうした話をガーっとされている時にチョットでも隙があれば「辞めたいと思ってます。」って言おうと思っている。

ところがその一言を発する隙がなかなかない。

ビビッテ言えないというのも多いにあるが、相手もそれを察しているのか最後の一線を踏み越えて怒っていることがないような気がする。

こっちも色々言われ、辞めたいと思ってはいるが、この瞬間を乗りきれば解放される…と思っていることも事実。

自分でもそこら辺の気持ちはどうなのかいまいち判らない。

閉店後の自店舗に行ってみると先日エリアマネージャーの話にあったボーナスの明細が届いていた。

開けてビックリ、通常の月収の2倍程もあったのだ。

一般のボーナス額というものは知らないが、私の場合月収の2倍というだけで相当な驚きだった。

それに加えて通常の月収も入るわけだし。

あ、一般のボーナス額は言わなくて良いよ、それを聞いたら私は失望するような気がするから。

労働日数と労働時間を考慮したら、私の収入は物凄く寂しいことになるから。

予想以上のボーナスが出てもそれを糧によしやるぞとは思えなかった。

それよりも鬱々気分が勝った。

 

2001年12月23日 日曜日

スタッフの1人で私が新入社員で配属された時と同じ時期に入った男子がいる。

歳は同じの大学4年(私は早生まれなので…)。

その彼と一緒に仕事で車で出かける機会があった。

彼は大学4年だが、家業(床屋)を継ぐ為に就職活動はしていないと言う。

だけど今になって家業を継ぐことに迷いを感じていると言う。

それで良いのかなーということを話していた。

そうした話の流れで私もこの仕事をそう長く続ける気はない、ということを話した。

休みはないし、勤務時間は異常だし、他の社員の言っているコトは理解したくないし…

自店舗のスタッフに"そう長く続ける気はない"なんて言ったらまずいのだけど、彼も翌4月には辞めるし本音で話しても良いと思える仲だった。

もっとも"そう長く続ける気はない"と言っただけで"常々辞めたいと思っている"と言ったわけではないから大丈夫か、本心は後者なんだけど。

店に戻ると埼玉でスーパーに就職した友人からアイスが届いていた。

その友人は社員なのでクリスマス用のケーキかアイスをノルマで幾つか売らなければならないそうだ。

ノルマに達しなかった分は自腹で…ということらしく、その自腹で買ったアイスを私に送ってくれたのだ。

私がお金払ってノルマに貢献しても良かったのだが、どっちにしろノルマに到達しなくて自腹払うことになるから奢ってやるよとのことだったのでありがたく頂戴した。

冬にアイスなど…とも思うが、埼玉から仙台までクリスマスケーキを運ぶわけにもいかない。

クール便でアイスが1番無難だということになった。

ウチのスタッフ15人分ものアイス、しかも高級アイス・ハーゲ○ダッツだ、買ったら高いだろう。

ご馳走様です、ウチのスタッフ共々美味しく頂きます。

 

2001年12月24日 月曜日

えっ?世間はクリスマスイブ?

昨年まではクリスマスが近くなると街がそれっぽくなるので実感することが出来た。

ところが今年はその実感が殆ど無かった。

街中ではなく、街道沿いにある店舗だし、店内にもクリスマスっぽさは殆ど演出していない。

クリスマスソングを流し、小さなツリーがあったのでそれをレジ横に飾っただけだ。

通勤時間も30秒だし、店内にいたら冬の寒さも感じないし、季節の流れを殆ど感じないのだ。

大学時代のアルバイトは外に面した店だったので、嫌でも季節を実感させられたものだが…。

この日は求人を見て来たと言う53歳の男性の面接をした。

これまで工場などで工員として働いてきて現在は職が無く、妻も子もなく親元にいるという。

話を聞いていてかなり切なかったけれど、とてもではないが採用は出来ないような人だった。

話が噛み合わないし、不精ヒゲ生えてるし(面接なんだから剃って来い)、笑顔全然ないし…

それでも一応「面接結果は後日…採用の場合は電話を、不採用の場合は履歴書を郵送でお返しします。」と。

その場で不採用は決まっていたんだけど…。

翌日は恐らく今年最後となる休みを取った。

別にクリスマスに取ったというわけではなく、取れると思った日がクリスマスだったというだけのことだ。

実家から店にクリスマスだからと私宛の荷物が届いた。

酒と肴や厚手の靴下や下着など。

…帰りたくなった。

 

2001年12月25日 火曜日

少しでもクリスマス気分を味わっとくかってことで今年最後のオフに仙台の街へ出た。

クリスマスの雰囲気は年の瀬と合わせて寒さといいどことなく寂しさを感じられる。

その寂しさがなんだか妙に心地良く感じるのだ。

特に今年は友人も家族もいない仙台の地で1人きり。

クリスマス&年の瀬特有の寂しさに、1人という孤独感も加わりなんともいえない自虐的な心地良さを感じる。

それを増長させる為に敢えてクリスマスの仙台市街へ行ったというのもある。

何するわけでもなく街をブラブラ。

世間はクリスマスだーって浮かれているのに、自分は1人・孤独、うーんなんかイイなー。

夕方には家に戻り、今度は車で出かける。

年末・年始に出勤してくれるスタッフに振舞うために大量のお菓子やジュースを購入。

別にそれは誰にアドバイスされたわけではないが、大学時代のアルバイトで大晦日の閉店後には寿司と酒が出ていたのを思い出したのだ。

さすがに酒と寿司を振舞うコトは出来ないが(経済的にも倫理的も)、お菓子とジュースなら振舞える。

年末年始も働いてくれるスタッフを労うことも必要だろうなという配慮から自主的にやることにした。

晩飯はスーパーで半額になった鶏、やっぱクリスマスなので。

夜に実家に電話をして「長くないかもしれん」ということを話した、少し弱気な自分がいた。

休みなので例によって飲んで呑んで寝た。

 

2001年12月26日 水曜日

朝起きると軽い二日酔い、ウィスキーの加減が未だによく分からない。

この日は棚卸し、先月の棚卸しの時も二日酔いだったな。

閉店後0時過ぎ、そろそろ帰ろうかと思っていたら電話があった。

ウチの店の前店長で、私の育成担当者だった人、現在は仙台の他店にいる。

「あぁ良かった、まだ帰ってなかったんだ。」と言う前店長はウチの店にある備品が必要とかで、今から持ってきてくれなどと言う。

今から?ふざけんなよ、そういうことはもっと早く言えよ…。

しかしウチの会社ではそういう頼みを断わっていはいけない。

しかも前店長は私の育成担当者、断わるわけにはいかないのだ。

深夜でも往復で40分くらいかかる所までわざわざ備品を届けに行った。

以前もこんなことがあったな、閉店後に前店長が備品を届けてくれ、ということが。

いい加減にしてほしい、思い出すだけで腹が立ってくる。

 

2001年12月27日 木曜日

この日はバイトの面接に来た人が多数。

印象的だったのが36歳の男性。

勤めていた所が潰れて、年齢的なこともあり再就職がなかなか出来ないと言う。

しかも35歳までと条件をつけている求人が多く、36歳というだけで門前払いなのだそうだ。

それでアルバイトでも良いから採用してくれる所を探しているのだと言う。

多少同情も含まれたが、やる気は感じられたし、採用しても良いかなと思えた。

ただ36歳という年齢上、他のスタッフと巧くやっていけるだろうかという危惧があった。

閉店後に来月の売上計画や行動計画などを話に仙台他店に行った。

その席で36歳の男性が面接に来て…という話をした。

すると他店店長は「採用してその人の人生に責任持てるの?」と聞かれた。

バイトすることによってその人の時間を預かることになる。

その人の成長を進めるも止めるも店(店長)次第ということ。

そのような事を言われた。

正直そこまで深く考えてアルバイトを採用したことなどない。

大袈裟な…とは思ったが、人を雇うというのはそれほどのことでもあるんだと再認識もした。

 

2001年12月28日 金曜日

一昨日も昨日も閉店後に他店店長に呼ばれて他店へ。

この日はそんなこともなく自店舗で過ごせた。

気がつくと今年ももう終わりが近い。

本当に全然実感がない、徒歩30秒の家と店を往復するだけの生活。

街にもTVにも殆ど触れる機会がない、年賀状も1枚も書いていない。

こんな年末を迎えるのは初めてだな。

 

2001年12月29日 土曜日

土曜日らしく慌しく忙しい1日。

閉店後にシフトを作っていて愕然とした。

分かってはいたが、人があまりにも少ない。

新人を採用しても人が少ないからトレーニングもままならなくなりそう。

人の成長スピードが遅くなるということはそれだけ店のロスにもなる。

こんな状況で繁盛月の1月を乗り切れるのだろうか…。

 

2001年12月30日 日曜日

この日はあちこちで眠気が襲ってきた。

午前中に商品を他店に届けに行った帰りに車の中で仮眠。

夕方に備品を他店に届けに行ったときにも車の中で仮眠。

眠気と疲労がだいぶ蓄積している。

しかし1月第1週に休むわけにはいかない。

1月でもっとも忙しいのが第1週、しかもスタッフも少ない。

うーん、身体持つかな。

 

2001年12月31日 月曜日

結局最後まで年末という実感もなく、大晦日を迎えた。

それなりに忙しいなという実感しかなかった。

この日で最もアルバイト歴が長いリーダー格のスタッフが退職。

店にとっては重大な損失なのだが、その実感もなかった。

何に対しても無感動になってしまっているのか…。

いつも通り普通に閉店、そして翌日もいつも通り普通に開店する。

駅前店では翌日からセールを行なう。

そのための商品が大量に必要ということで、ウチの店からも商品を出荷することになった。

閉店後に1人で出荷作業、大晦日だろうが何だろうが関係ない。

気がつくといつものように0時を回っていた。

1人、閉店後の自店舗で、仕事をしながらの年越し。

こんなに寂しい、実感のない年越しは初めてだ。

その数分後にウチの店のスタッフが店に来た。

「明けましておめでとうございます、店に携帯忘れちゃって…」とのことだった。

駅前店用に用意した出荷商品をこの夜のうちに届けることにした。

駅前店店長に電話したら「年越し蕎麦があるから良かったら来いよ。」とのことだったので。

別に行きたくはなかったのだが、誘われたので行くことに。

車で駅前店に向かう途中に神社へ続く小道がある。

いつも真っ暗で誰もいないのに、この夜はちょうちんが灯っていて長蛇の列。

初詣だ、昨夜までは誰もいなかっただろうに現金なもんだ。

商品を届けがてら駅前店に行き、店長らと雑談。

さすがにこの夜は何も怒られることはなかった。

年越し蕎麦はカップ麺だった、ウチにもあるっちゅうに…。

卒論、欧州旅行、バイト卒業、仙台移住、大学卒業、入社、苛酷労働、店長就任、超苛酷労働…

凄く色々なことがあった、アッという間の1年間だった。

翌日も勿論仕事、正月も全く実感しないまま終わりそうだ。

 

2001年12月 出勤日数28日 休日3日(含・短時間勤務)

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