仙台社会人一人旅
Survive in Sendai.

2001年11月

2001年10月

2001年11月1日 木曜日

いつもの月末と同じく、事務所に篭って月初書類作成。

だが、月初書類作成に行く前の棚卸し結果に大きな差異が出て、それの調整にかなり時間を取られた。

棚卸しカウント用紙やパソコンの画面を睨みつつミスを探す。

ところが、なかなかミスが見つからない。

どうしても間違いと思われる要素がない。

数字は大きく狂っているのに、間違いと思われる部分が見つからない。

閉店しても何が間違っているのかが判らない。

一旦飯を食うために車で外出してから店へ戻って再び棚卸し結果の洗いなおし。

1人で大きくミスが出ている部分の棚卸しをやった。

たった1人で閉店後に棚卸しである。

1人で棚卸しをしなおしても間違いが見つからなかった。

絶望的な気分になった、何もかも投げ出して逃げ出したくなった。

原因不明のまま4時30分すぎに力尽きて帰宅、飲む気力すら起きずそのまま眠りについた。

 

2001年11月2日 金曜日

奇跡的に寝坊せずに店へ。

本来は事務所に篭って昨夜の続きをしなければならないのだが、朝一で外へ出る仕事があった。

今回の訪問先がカプセルホテル。

なんと入社前の3月、仙台へ配属先の下見に来た時に泊まったカプセルホテルだった。

そのカプセルホテルが閉店するという。

仕事であのカプセルホテルに来ることになるとは、しかも閉店時に…なんだか不思議な縁を感じた。

店へ戻ると昨夜の続きで書類作成作業。

棚卸しのミスは結局判らず、それでエリアマネージャーに許可を貰って締めてしまった。

締めが許可されれば、あとは書類を作成するだけ。

基本的に数字を入力していくだけだが、何度か途中で居眠りしてしまった。

相変わらず深夜までの作業で、どうにか一通りの書類作成作業が終わった。

どうも喉がイガイガして痛く、風邪の初期症状が表れてきた。

週明けには久々に仙台駅前店のヘルプ予定がある。

そこで風邪を引いていると厄介だな。

 

2001年11月3日 土曜日

朝、かなり辛かった。眠気ではなく、体調である。

昨夜からの喉の痛み、咳と鼻水、鼻づまり、そして頭痛。

来たなーという感じだ、風邪。

午前中は昨日の書類の続き…と言い訳して事務所で休んでいた。

しかし祝日なので売場も忙しく、売場に出ないわけにはいかず、通常作業もこなした。

閉店後は車にも乗らず、早々に帰った。

体の節々まで痛くなってきやがった…。

 

2001年11月4日 日曜日

体調はますます酷くなる。

午後からスタッフの人数が厚くなるので、それを境に帰るつもりだった。

翌日は仙台駅前店のヘルプに行かなければならないので、体調を整えておく必要があった。

ヘルプに行ったのに体調悪くて使い物にならないなんてわけにはいかないので。

スタッフにもそう言っておいたのだが、午後から急激に忙しくなってきた。

13時には帰るつもりだったのが、結局帰れたのは17時30分になっていた。

体温計を持っていないので熱が何度かすらもわからない。

とにかくダルくて19時には眠った、異例の早さだ。

 

2001年11月5日 月曜日

合計して12時間以上も眠っていたのが幸いしてか、具合は一気に良くなった。

朝から仙台駅前店へ。

駅前店で働くのは8月のオープンヘルプの時以来だったので楽しみだった。

久々に行った駅前店はだいぶスタッフが入れ替わっていた。

私が知っているオープニングからいたスタッフが結構いなくなっていた。

そしてスタッフ間の空気が沈んでいた。

オープン時に感じたスタッフのすごく前向きな感じややる気が感じられなかった。

普通に通常作業をこなしたのだが、何か以前の駅前店とは違うものを感じた。

帰りは駅前店配属の同期に車で送ってもらった。

そのときに話を聞いた、スタッフ間で空気が沈んでいる原因。

スタッフによる明らかな不正で大きな現金不足が出ているらしい。

つまりスタッフの誰かがレジから金を抜き取っているということ。

そして社員も誰がそれをやっているのか明確には判っていないという。

怪しげなのに目星は付いているらしいが、完全に尻尾を出さなかったという。

その怪しげなスタッフは既に辞めたらしいが、それを機にスタッフ間でも疑心暗鬼になっている部分が多々あるという。

そんなことになっているとは全く知らなかった。

こっちはただエリアマネージャーから駅前店で人が足りないからヘルプに行ってくれとしか聞かされていなかった。

その不正を行なっていたとされるスタッフの名前は聞けなかったが、オープニングスタッフだという。

つまり私も知っているスタッフだ。

あのスタッフの中にとてもそんな大それたことをやるようなコがいたとは思えない。

みんな素直なコらだったと思っていたのに、少なからずショックだった。

そういうこともあるんだな。

同じ仙台で店は違えど入社から一緒だった同期が異動になった。

関東の店で1人で店長を任せられることになったらしい。

関東へ行くのでエリアも変わる、そうなると実質的な付き合いは殆どなくなる。

同期が仙台で働く最後の日がこの日だったので駅前店の同期と一緒に挨拶に行った。

店こそ違えどずっと一緒にやって来たので挨拶くらいはしなければ。

同期は店のスタッフと話しが盛りあがっていたので、挨拶はそこそこに店を出た。

 

2001年11月6日 火曜日

この日は自店舗で通常業務。

体調はだいぶ良くなった、悪化しなくて良かった。

翌日はウチの店のスタッフを連れて駅前店へ行く。

自分の店のスタッフを他店に連れて行くというのは少し緊張する。

こっちはいわゆる保護者みたいなものだから、しっかりやってくれるだろうか、と。

「駅前店の人が少なくてヘルプに入るという形だけど、駅前店で勉強させてもらうというつもりで行こう。」

というようなことをウチのスタッフには言った。

自分の店と違う店へ行く事により、逆に自分の店の良い点や悪い点に気が付くことが出来る。

スタッフの動きなどから何か自分の店でも役に立ちそうなことがあるかもしれない。

そうした部分を勉強する、といったところか。

まぁ店長である私もよく判っていないのだが…。

 

2001年11月7日 水曜日

ウチのスタッフと自店舗で待ち合わせをして私の車で仙台駅前へ。

駅前店に行くと朝・夕・終礼の計3回、コメントを求められる。

「ヘルプの方から一言お願いします。」と言われるのだ。

その時にいつも何を言おうか迷う。

自店舗でも毎日の朝夕礼でコメントは言っている。

だが、他店で言うとなると下手なことは言えない。

朝夕礼のコメントではスタッフに火をつけなければならない。

つまりスタッフによし仕事をするぞと思わせる、やる気にさせるコメントを言わねばならない。

…とはエリアマネージャーや先輩社員がよく言っている。

正直よく判らない、スタッフに火をつけるコメント?

自分の店ではお茶を濁して言うことも出来るが、ヘルプに行った他店だとそうはいかない。

他店の店長もその場にいるのだ。

そしてその他店店長はどういうことを言っているかというと、皆の前でスタッフを誉めたり、自分はこういう気持ちで毎日売場に立っているといった体験談を話したりしている。

巧いこと言うなーと感心する。

それは私が自分の店にいても真似できそうにない。

朝夕礼でスタッフを誉めるのは照れ臭いし、何だか嘘っぽく聞こえそうな気がする。

自分はこういう気持ちで売場に立っている…というのも"仕事だから"なんて言えるわけがない。

難しいものだ。

たとえば1日2日のヘルプなら、ある程度教科書的なことを言ってお茶を濁せば済む。

だが、今回の駅前店ヘルプは単発ではなく、継続的なものらしい。

駅前店で新規スタッフを採用してそれらが落ち着くまで暫く仙台の他店舗でヘルプの体制を作っていくという。

東北の核となる仙台駅前店だけに転ぶわけにはいかない、仙台全店舗で全面的にバックアップしていかなければならないというのだ。

スタッフの面でも商品供給の面でも。

だから来週もヘルプの予定があるし再来週もあるだろう。

その都度その都度の朝夕礼でコメントを求められる。

毎回同じようなことを言うわけにもいかない。

朝夕礼のコメント、実はこれが1番辛かったりする、精神的に。

駅前店での仕事中に携帯電話に頻繁に電話がかかってくる。

仙台の他店店長からだ。

金曜日に社長が仙台に来ることになったという。

駅前店や経営委託の加盟店を見に来るのがメインらしいが、もしかしたら全店舗を見て回るかもしれないという。

そうなったら店をしっかり整えておく必要があるという。

さらに翌週の駅前店ヘルプの日程や11月の売上計画や損益計画などを色々と質問された。

こっちは駅前店に来ていて働いているというのに、矢継ぎ早に色々言われてかなり混乱。

自分の店にいれば手元に資料などがあって判るのだが、他店にいるとすぐには判らない。

それらは全て自分の頭の中で把握しておかなければいけないと言われたももっともなんだけど。

仕事を終え駅前店を出て車で戻る、朝一で止めた駐車場代金は5,000円近くにもなっていた。

これって経費で落として良いんだよな…

翌日は休みを取っていたので、帰ってゆっくり飲んで寝た。

 

2001年11月8日 木曜日

休みなのでゆっくりと昼まで眠っていたのだが、携帯が鳴って起こされた。

何かと思うと仙台他店の店長からだった。

翌日に社長が仙台に来るのだが、その時に仙台全店を見て回ることになったという。

至急店に行って、店内を整えろということだった。

社長に見られても恥ずかしくないような店作りをしろというのだ。

大学時代のアルバイト先のディスカウントストアーでも似たようなことがあったのを覚えている。

本社から「誰々部長が来る」という情報が入ると、店内を一斉に整理するのだ。

床においている商品を片付けろ、通路においてある商品もどけろ、カウンター前のそれもやばい…

部長(本社?)がダメとしているような商品陳列などは全て撤去されるのだ。

そうして普段の店内とは違う"対部長用店内"が作成される。

そして部長が視察(?)から帰ったら、元の売場に戻すのだ。

そういうことが起きる度に"何か違うよな"と思っていた。

普段の店を見せればイイじゃん…。

多少その部長(本社?)の意向に反しても、我々はこうして売っていますと胸を張ればイイじゃないか、と。

そう思いながらアルバイト時代を過ごしていた。

そして自分が社員・店長と言う立場になった現在、私は元バイト先の社員と同じことをしていると気が付いた。

この日は休みだったが店へ行き、翌日に社長が来るので、他店店長から話を聞いて社長が良しとしていない商品陳列を全て撤去していたのだ。

なんだかそれをしている自分が滑稽だった。

"何だよ、結局俺も同じコトやってんじゃん"

心の中ではいつも通りの店で良いのにと思いながらも結局やっている。

自分の意とは反することをやっている、何か違うと思いながらも…。

これが社会人なのかな。

そもそもこの日は休みだったので、ある程度はスタッフに指示してやってもらった。

店にいるといつどこから店に電話がかかってくるとも限らない。

その度に仕事が増える恐れがあるので早々に退散した。

店にかかってくるお客さんからの問合せ以外の電話はほぼ100%社員=店長=私宛てなので。

車に乗ってスーパー等へ買物がてらドライブ。

ドライブ中にも先ほどの仙台他店の店長から電話がかかってきた。

あれは直したか、こんな売場にはなっていないか…社長が来るにあたっての注意事項の反復だ。

別にいいじゃねーかと思いつつハイハイ返事していた。

休みなのでスーパーで18時過ぎになると安くなる惣菜類を購入して帰る。

晩飯食いながら飲んでTVなどを見てゆっくりしているとまたまた携帯電話が鳴る。

着信を見るとまたもや仙台他店の店長から、うんざりしながら出ると

「実は今お前の店まで来てるんだけど、チョット出てこれるか。」

「マジっすかー」…嫌だとも言えずに店へ行く。

社長が来るというので居ても立っても居られずに店まで見に来たというのだ。

他店店長、店内を見て周り、細かい部分を注意される。

ちょっと話そう、と言われてその店長の車に乗って深夜のドライブ。

私は今日休みなんだぞ、早く帰らせてくれー。

店のことや仙台駅前店支援のことや社長が来ることなどなど色々話した…というより話を聞かされた。

その中で私が疑問に思っていたことを素直に聞いてみた。

「何で社長が来るっていうんで、慌てて売場を買えなきゃいけないんですか?普段通りを見せれば良いと思うんですけど…」

すると、その他店店長はこんな感じで答えた。

忙しい社長が折角店まで来てくれるのだから、イイ気分で帰らせてあげたい。
全部の店は社長の物、だから社長の思うような店にして、それを社長に見せたい。

うーむ、全部の店は社長の物っていうところが1番引っ掛かった。

理屈では確かにそうだろうけどそんなこと言ったら我々各店店長って…我々の意志はナシ?

折角社長が来るからイイ気分で帰らせてあげたい…?

店の真実の姿を見ずに?

さぁ社長、どうです?社長の望むようなお店ですよね、普段からこんな風にやっております…

裸の王様じゃないか、裸の社長。

そんなので良いのだろうか…納得できないままだったが、それ以上の質問は控えた。

「今日は色々とありがとうございました。」

嘘をついて別れた。

休みのはずなのに帰宅時間や就寝時間は仕事をしている時と変わらず…損した気分だ。

 

2001年11月9日 金曜日

社長が来る…朝から落ち着かなかった。

仕事をしてもどこか浮き足立っていた。

逐一仙台他店店長から電話が入る。

「どうやら仙台駅に昼過ぎに到着らしい。」
「こういうルートで仙台を回るらしい。」
「お前の店に行くのは夕方くらいだろう。」
「今ウチの店を出た、あと20分くらいでそっちに行くだろう。」

さっさと来てさっさと帰ってくれ…仕事が手につかん。

そしてとうとう社長登場。

社長、社長付き秘書、直営事業部マネージャー、仙台駅前店店長兼東北ゼネラルスーパーバイザー

実に錚々たる顔ぶれ、圧倒される。

入口まで迎えに行き「わざわざ来て頂きありがとうございます。」と挨拶。

社長が私個人を知っているとは思えなかったが(就活の面接以来殆ど喋っていない)「おー、元気かい」、と。

2つ3つ言葉を交わして、店内をサーっと見て結局5分ほどしか居ずに出ていった。

嵐のように現れてあっという間に去って行った。

終わってみるとアッサリしたもんだ。

閉店後に他店店長から電話、「どうだった」と。

わざわざ社長が忙しい時間を割いて来てくれた意味、そしてそれらをスタッフにしっかり伝えること。

まぁ色々くどくど言われた。

そして最後に社長にお礼の電話をしろ、という指示。

ボーナスが出たときといい、社長に電話をさせるのが好きな会社だ。

「お忙しい中時間を割いて店を見に来て頂きありがとうございました。」

みたいなことを社長の携帯の留守電に入れておいた。

精神的に実に疲れた1日だった。

ふと思いついた川柳。

"社長来る その一言で 大慌て"

 

2001年11月10日 土曜日

この日は駅前店のヘルプ。

働いている途中、携帯に電話が入る。

秋田の先輩社員で新たにエリアマネージャーとして私の直属の上司となった人からだった。

「お前は何の為に駅前店に入っているのか?」と聞かれた。

人が少ないのでヘルプに入っている、そうなのだがそうではない、では何なのか。

「駅前店店長は東北のゼネラルスーパーバイザーでお店にいる機会が少ない。だから駅前店店長の思いや意志を店長に代わって駅前店のスタッフに伝える。また自分の店に足りないもの、自分が足りないもの、そういったものを駅前店に行くことによって気が付くこと。」そう言われた。

店長の思いやら意志っていうのはこの会社に入った当初からよく聞かされていたことだった。

店は店長の意志によって変わる。

店長がどういう店にしたいかという思いや意志をスタッフにぶつけていき、一緒に店を作り上げる。

そうしたことを大切にしている、そういう会社だ。

だがここまで働いてきてもそれがよく判らない。

駅前店店長がどういう思いや意志をスタッフに伝えたがっているのかなんて判らない。

ということを話したら

「お前は駅前店店長とそんなに距離があるのか?それを自分で縮めないでどうする。」

と怒られた。

距離を縮める?よく判らん。

自分の店に足りないもの?自分が足りないもの?それを駅前店へ行くことによって気付く??

判らんよ、何もかもが判らん。

何にでも意味を持たせようとする会社なのだ。

ヘルプに行ってただ漠然と業務をこなす作業マシーンであってはならないのだ。

そこでする仕事になにか意味を見出さなければいけない。

漠然と悩んだ、何すればイイんだよ…

思いを伝える?伝えるような思いなんてないよ。

考えれば考えるほど自分がここで何をすればよいのか判らなくなってきた。

悶々とした気持ちの中でいつものように通常作業を続けた。

なんなんだよ…こっちは普通に働いているじゃないか。

ヘルプに入る意味?人が少ないからだろ。

あんた(エリアマネージャー)が入れって言ったんじゃねーか。

こっちは別に入りたかねーよ、自分の店にいたいさ。

…言えるわけないけどさ。

 

2001年11月11日 日曜日

朝は自店舗に出て11月10日時点での売上・利益等の経過報告書を作成。

自店舗を出た後に昼からは駅前店のヘルプに行く。

夕方になると今度は加盟店へ行き、加盟店ヘルプ。

加盟店は0時閉店なので閉店時間までしっかりと働く。

朝・昼・夜とそれぞれ違う3店舗で働いたのだ。

そして翌日には月に1度の店舗会議。

その異動手段が究極の経費削減案。

本部から全店をあげて経費削減に取り組むようにとのお達しメールが届いたのだ。

どうやらウチの会社がこの上半期(4〜9月間)で創設以来初めての赤字を記録したらしい。

本業の業績は上がっているのだが、新規事業が軌道に乗らずに損失を出している。

本業の黒字で補えないほどの赤字で、会社創設以来初の赤字となったという。

その情報はいつぞやかの会議で発表されたのだが、それほど私の中にインパクトを与えなかった。

いつの会議で発表されたのか記憶にないほどだ。

全国紙新聞の経済欄にも「初の赤字」と書かれていたらしいが、それを目にすることもなかった(見落としていた)。

ハッキリ言って自分の店で精一杯、会社全体のことなんて全く考えていなかった。

そうしたことがあって全店をあげての経費削減が声高に叫ばれるようになったのだ。

月に1度、全国の店舗から全社員が集まる店舗会議。

これの交通費を抑えれば全体でかなりの経費削減になるというのだ。

というわけでこれまでは新幹線で行っていたのだが、今回は車で行くことに。

1台の車に仙台の各店長5人(駅前店・直営3店舗・加盟店)が乗って行くという。

単純計算してもこれまで新幹線往復、仙台〜東京+本部までの交通費で1人2万円はした。

5人の社員が行くとそれだけで10万円。

それを5人が1台の車で行くと、高速往復2万円、ガソリン代1万円(約3回給油)の計約3万円の試算。

これだけで7万円が浮いたことになるわけだ。

おまけに会議は日帰りで、会議後の懇親会も自粛とのお達しが本部からあった。

これまでは会議後の懇親会があった為に必然的にホテル等に宿泊せざるを得なくなっていた。

それでまた1人5,000円程度が浮くことになる。

それを直営店150店舗でやるわけだから、これはかなりの経費削減になるということだ。

個人的に会議後の懇親会やホテルでの座談会がないというのはありがたかった。

懇親会のあの空気がどうしても好きになれなかったので。

しかし代償(?)も大きい、翌朝5時に出発して会議を終えてそのまま日帰りという強行スケジュール。

店舗会議の重要性をそれほど感じない私としては会議そのもののペースを減らせば良いのに…と思ってしまう。

だけどそれは社長が望まない。

毎月会うことで仲間意識が生まれる、会議で皆の話を聞くことで元気になる。

そして社長は世の中がどんなに進化してネットやTV電話等でその場に居なくても簡単に会議が出来る時代になってもそれはしないと明言していた。

実際に会うからこそ、会って直接話したり聞いたりするからこそ良いのだ、と言う。

そうした人と人との繋がりを大事にしているのだ。

その為の経費削減で苦労するのはこっちなのだが…。

 

2001年11月12日 月曜日

朝の5時に駅前店集合で、早朝の道を飛ばす。

幸いにして運転を任されることはなかった。

先輩店長や、東北エリアGSV(ゼネラルスーパーバイザー)に運転させて私は車内爆睡。

所々起きてはいたのだが、起きていると喋らないといけない。

色々聞かれたり言われたりするのが煩わしく、起きかけてもずっと寝ていた。

でも普通乗用車に5人、決して楽ではない。

会議もかなり眠くて何度も落ちかけた。

経費削減の為に最小経費で会議に参加してその会議は眠くて殆ど何も頭に入っていない(もっとも普段から頭に入っているかどうかは疑問だが)。

本末転倒のような気がする…。

会議が終わってまっすぐ帰るではなく、短時間ではあるがエリア会議が開かれた。

会議後に仙台駅前店店長兼東北エリアGSVに色々と言われた。

店で何をやっているのか分からない。
分からないことがあるなら聞け。
自分から情報を発信しろ、情報を取りにいけ。
そのためのエリアなんだ。

「怒っているわけじゃないんだ。」というその口調はかなり激しかった。

・店で何をしているか?

何しているのだろうか…分からない。

・分からない事があるなら聞け?

店長って何をしたらよいんでしょうか?、と店長になったばかりの頃に聞いたら「お前は何をしたいんだ。」と質問し返されたのを覚えている。

それが未だによく分かっていない、自分が何をしているのか何がしたいのか。

帰りの車中では色々と考えた。

黙々と考えていると先輩社員から「何を考えているのか話せよ。」というありがたーいお言葉。

自分が何をしたいのか分かりません、なんてことを先輩社員に話せるだろうか。

そもそも先輩社員と自分とでは仕事に対する考え方が違うと思い始めていた。

…というよりも会社の考え方と自分とで考え方の相違というか会社内の雰囲気に違和感を覚えていた。

会社全体の雰囲気に対する違和感は入社当時からずっと感じていた。

タイムカードなし、休み週1が標準、日常的な12時間以上労働、残業・深夜・休日出勤手当一切ナシ。

そうした分かり易い部分での違和感…

会議などで上の方の先輩社員が平然とそうした苛酷な労働を「一生のうちで死ぬ気で働いた時があっても良い。」と言う。

そうした苛酷な労働をむしろ誇らしげに話す。

そしてそれを聞いた先輩社員らは「俺達もやらないとなー」と言う、何か違うだろ。

そういった違和感ともう1つは企業理念にある"全従業員の物心両面の幸福の追求"というヤツである。

幸福…といったら分かりにくいがこれは成長に起き替えられるという。

店舗を経営するには、人である。

店長が強い意志を持ち、それを全力でスタッフに伝えて、店を作っていく。

店が伸びる時にそこに必ず人の成長がなければならない。

「そこにお前の成長はあるのかよ、スタッフの成長はあるのか?」

よくエリアマネージャーに言われた。

スタッフは使うのではなく、一緒にやっていく。

仕事は楽しくやってもらわなければそこに成長はない。

仕事は凄く辛いんだけど、凄く楽しい。

チョー辛いけど、チョー楽しい。

これが会社の目指すところらしい。

素晴らしいことだというのは分かるような気はするのだが、私には出来ない。

というよりも出来ないだろうしやりたくない。

この仕事にそこまでの情熱を注ぎたいとは思わない。

しかし、会社のそうした考えを深く理解している人達が上にいる。

会議等で上の人達が言うことが社長の言っていることと本質では同じなのだ。

エリアマネージャー級の人も同じような事を言う。

そういう意味では凄く社長の考えが浸透しているといえる。

そしてそこに共感できてピッタリはまれば凄く良い会社だと思う、素晴らしいと思う。

だけどそうでない自分のような者は居心地が悪い。

社員の平均勤続年数が2年に満たないというのも分かる気がする。

同期が次々と辞めていくのが分かる気がする。

そうしたことも一因だったのだろう、9月に辞めた当時同じエリアの同期は自律神経失調症で退職した。

仙台駅前店の先輩社員の1人も精神を病んで休職している。

会社の理想と、それについていけない社員とのギャップ…。

この頃から入社時とは違う理由で辞めたいと、徐々にではあるが思うようになっていた。

 

2001年11月13日 火曜日

前夜にモヤモヤと色々考えて帰宅したのは1時過ぎ。

仙台から神奈川まで車で日帰りの疲労感+精神的な疲労感。

翌日のこの日も勿論仕事。

ゆっくりとモヤモヤ1人考える余裕のない、常に気を張っていなければならない駅前店ヘルプ。

この日は駅前店ヘルプでも、駅前店に新人スタッフがまとめて入ったのでやることが明確で助かった。

新人スタッフのトレーニングという分かり易い仕事があったので。

閉店後に、こっちも閉店している自店舗へ行く。

誰も居ないが、売場の状態等は可能な限りチェックするようにしている。

店へ行くとショックな出来事があった。

ウチの店では1週間ごとに翌週のスタッフのシフト(予定)を組んでいる。

土曜日にシフトを作っておいて日・月・火と店を空けていたのだが、その間にシフトが書きかえられていたのだ。

シフトの決定権は店長にある。

そのシフトが私の許可ナシに勝手に変わっていた。

先輩社員に電話して話すと「それは放っておいたらいけない。それがまかり通ったら店がダメになるし不正の温床にもなりかねない。シフトの作成権利は店長の最大の武器。必ず厳しく言っておけ。」とのことだった。

内(自分)外(他人)に憂いを抱えているな…

 

2001年11月14日 水曜日

久々の自店舗なのだが朝礼からかました。

無許可でのシフト変更の件だ。

スタッフ間にそれはいけないという意識を徹底させなければいけないのでかなり強く言った。

シフト変更には直接関係のないスタッフもいたのだが、全員に意識をつけさせなければいけない。

シフトを勝手に変えていた本人についてはもっとキッチリ話した。

その日は売場に出られなかった、厳しいことを言った後でどんな顔して働けば良いのか分からなかった。

事務所に篭っての諸作業を黙々とこなした。

これまで私が店を空けていた日の数字のチェックや、来月の計画、今月の計画の進度率等々。

いくらでもやることがあるのだ。

店長は人と棚と数字を見なければいけない、先輩社員の言葉だ。

人・スタッフを見て、棚・売場の作りを見て、数字・売上の推移を見る。

判ってはいるが、実に大変な仕事だ。

 

2001年11月15日 木曜日

駅前店ヘルプの1日、無難にこなしたつもり。

駅前店のスタッフは好きだが、仕事に対する意識が高くてそれが窮屈に感じる。

自分の意識と比較して肩身が狭く感じる。

それなのに、駅前店のスタッフは私が社員で店長ということもあってか、それなりに慕ってくれている(自分で言うのもなんだが…)。

それがプレッシャーになる、いや私はそんなんじゃないよ…という。

自店舗にいた方がかなり気持ち的にも楽だ。

やはり気が緩んでいる自分がいるのだろう。

こういう気持ちだから売上がいまいち伸びないのかな。

 

2001年11月16日 金曜日

自店舗にいる時はホッとする、落ち着く。

ヘルプに行くと先輩社員らもいるので気が抜けないし、閉店後もさっさと帰るわけにもいかない。

会議後の懇親会やホテルでの座談などがあることから分かるように、話すことを大事にしている会社なのだ。

せっかく社員が集まっているのだから、何か情報を収集したり、近況を報告したりしろ、と。

さっさと帰るとは何事か、みたいになる。

ゆえになかなか帰れない。

自店舗だとそれらのしがらみがない。

自分の意志で帰れるというだけでだいぶ違う。

翌月曜日にはどうやら休みが取れそう。

だがそれもヘルプの予定いかんによって決まってしまう。

突発的なヘルプなどが入らない限り休む、休んでやる、休ませて下さい。

 

2001年11月17日 土曜日

土曜日で1日自店舗にいられた平穏な日。

主力スタッフの1人で私より2,3年上の主婦が、来月で辞めたいという。

詳細を聞くと妊娠したのだという。

既に1人の子持ちで、2人目の妊娠。

12,1月と忙しくなるのだが、そういう理由ならば引き止められる筈もない。

ただ、12月には既にもっとも長い主力のコが辞めることも決まっている。

これはチョット大変になりそうだぞ。

 

2001年11月18日 日曜日

仕事の業務連絡は電話やメールで流れてくる。

この日のエリア内メールに20日までに今期の計画を立てろとの指示が来た。

毎月20日に翌月の計画を本部に提出しているのだが、今回は今期…つまり来年3月までの計画を立てなければならない。

来月の計画さえどうなるか判らないっていうのに、来年3月までの計画なんて出来るかよ…。

売場を回したり、書類を作成したり、経費削減などは出来るが、売上計画となるとサッパリ判らなくなる。

経費などはなんとなく予測出来て、調整も出来るが、売上はそうはいかない。

そうしたことを電話で先輩社員(店長)らに相談する。

しかしその言っていることが判るのだが、判らない。

目標の売上を決めて、それを取るにはどの位の仕入が必要で、経費は幾らで、そしたら最終的に利益は…という立て方。

目標の利益を決めて、それを取るにはどの位の売上が必要で、その為にはどの位の仕入が必要で、経費は幾らで…という立て方。

それは判る、その程度なら判るのだが、目標の売上っていうのをどうやって設定するのか。

売上は前年の売上や、前年前月と今月を比べてどのくらいの伸び(縮み)が出ているかなどから予測する。

そして最後はどの部門に力を入れてどの程度の売上を取りたいか、店長の意志だという。

店長の意志、意志で売上が取れれば苦労しないが…。

判らないのは、ある部門に力を入れたとしてどの程度売上が変わるものなのかということ。

何かをしたら飛躍的に売上が伸びるようなことはないだろうし。

そこは勘になってしまうのか…いや、それが店長の意志だという。

先輩社員の言っていることはそんなようなこと、判るのだが、判らない。

翌日が休みだったので、過去の売上データなどを家にお持ち帰り。

休みの日も頭を使う仕事しなきゃいかんな…。

 

2001年11月19日 月曜日

10日以上ぶりの休みも、他店店長(先輩社員)からの電話で起こされる。

その電話で嫌らしく感じてしまうのが、出たら必ず「今日はオフか?」と聞かれるのだ。

私の携帯電話に電話する前に、私の店に電話しているはずなのだ。

店に電話して私が休みだと言うことを知っていながらも敢えて「今日はオフか?」と聞いてきていると思える。

何だか嫌味のようにも聞こえてしまうのだ、被害妄想が強すぎるかもしれないが。

"アンタ店に電話したんだろ、だったら私がオフだって知ってんだろ。"

それなのに午前中に電話をかけてくる、まだ眠っている時間なのに。

電話の内容は「しっかり来年までの計画を立てているか」とのことだった。

ハイハイ、判らないながらもやりますよ…。

再び眠りについて昼すぎに起床、昼飯を食いがてら車で適当にドライブ。

19時になると店に行き、来年の計画を立てる。

来年の計画とそれに伴うアクションプラン(何をどうしてこうしてその計画売上を取っていくか)の作成。

やりながら自分でもよく判っていなかった。

翌日は駅前店ヘルプだったので、この日のうちに仕上げて本部に送信しないといけない。

結局全てを終えたのは23時30分、普段店で働いている時間と変わらん。

確かこの日は休みだったような気がするのだが…。

 

2001年11月20日 火曜日

この日は肉体的にも精神的にも疲れる駅前店ヘルプ。

朝夕終礼での一言がいつもプレッシャー、何言っていいか判らん。

終礼後は駅前店の先輩社員と話をして「何の為にヘルプに来ているか考えろ。」と。

知らねーよ、何のためなんだよ…いつものように心の中では逆切れ。

駅前店のスタッフに仕事とは何たるかや仕事の楽しさを伝える、スタッフのお役立ちをしてほしい、遠慮しないでモノを言う、スタッフの動きを報告する云々…とのこと。

通常作業を教えることは出来る、しかもそれだけならそれなりに自信もある。

しかし仕事が何たるかや楽しさなど抽象的なことは伝えられない。

こっちが判っていないのに、伝えられるわけがない。

これだから精神的に疲れるんだわな。

 

2001年11月21日 水曜日

午前中は自店舗で11月20日時点の売上等の実績報告書を作成。

昼からは再び駅前店。

駅前店は肉体的にも疲れる。

通常作業の終わりの時間というのが決まっていないのだ。

自分の店だと自分の判断でハイ、ここまでと言えるが、駅前店だと私が仕切るわけにもいかない。

この日は23時過ぎまで通常作業、閉店してから1時間以上も普通に働いていたのだ、客いないのに。

相変わらず自分が何をしたら良いのか判らず(判っているが出来ず?)だし。

先輩社員と電話で話していても言われることは似たようなことばかり。

「ヘルプ行って何をしているのか。自分の店に足りないものが駅前店にあるだろう。お前の店はどうなっているんだ。スタッフは成長しているのか。計画の進度率は。売場は…」

言われる度、考える度、嫌になってくる。

 

2001年11月22日 木曜日

この日は自店舗だが、病欠者が続出で朝はスタッフ1人だけという事態だった。

幸いにしてそれほど忙しくなかったのでなんとか乗りきることが出来た。

近頃自店舗の遅番スタッフの売場での私語が目に付くようになってきた。

遅番スタッフは学生が多いから仕方ないのかなとも思えてしまう。

自分が学生の頃にやっていたアルバイトを思い出してもかなり心当たりがあるし。

でも上の立場になったら仕方ないでは済ませられないこともある。

あまりにも私語がいきすぎていると思ったらしっかりと注意している。

喋るなとは言わんが、売場に響くような笑い声などは良くない。

話しが盛りあがってきそうになったら「仕事中だよ…」と釘をさしたり。

社員が1人だけ=店長だし、考え様によっては周りは全部敵となってしまう。

そりゃ注意する時にも気を使うわ。

 

2001年11月23日 金曜日

勤労感謝の日、誰か私の勤労に感謝してくれているのだろうか…。

近頃朝が辛くて仕方ない、仕事行きたくねーと毎朝思う。

何だか気が乗らないというのが1番大きな理由。

自店舗の売上は良くない、計画等は判らない、駅前店ヘルプでは大きなプレッシャーがかかる…。

仕事をしていて1番平和な日というのは自店舗にいて、他店の誰からも電話がない日だ。

そんな日は1週間に1回あるかないかなんだけど。

翌日から4日連続で駅前店ヘルプ。

ますます朝が辛くなるな。

 

2001年11月24日 土曜日

朝から晩まで駅前店にて…

駅前店も10時開店で9時30分から朝礼。

自店舗だと朝礼の時間ギリギリに行ってもOKだが、駅前店だとそうもいかない。

先輩社員らの目もあるし、かなり時間に余裕を持っていかないといけない。

閉店時間も自店舗と同じで22時なのだが、その後も通常作業をするのでいつ終わるか判らん。

通常作業が終わった後も事務所で話したりしていて自分の意志で帰れない。

それらがなければ駅前店ヘルプがこれほどは嫌じゃないかもしれないのに。

 

2001年11月25日 日曜日

朝から晩まで駅前店にて…

仕事中に自店舗から電話がかかってきて「警察の方がお話があるとかで電話をしてほしいそうです…」と言う。

ナニ、警察?先月に続いてだ。

教えられた番号に電話をしてみると予想通りの内容だった。

先月の時と同じく、逮捕された容疑者がウチの店を利用していたので証拠の為に顧客リストなどを見せて欲しいというものだ。

こっちの都合が良ければ翌日にでも店に行きたいというので快諾した。

警察が来るという理由で駅前店に行くのを遅らせることが出来る。

渡りに船、翌日は少し落ち着けるか。

駅前店閉店後に、駅前店店長(兼東北エリアGSV)や私の元店長らと晩飯を食いに。

いつものことなのだが、駅前店店長の前だと緊張する。

何言っても怒られるというか注意される印象がある。

必然的に無口になってしまう。

2時に閉店のファミレスで閉店時間まで…。

駅前店店長などの話しを横で聞いていたのが殆ど。

 

2001年11月26日 月曜日

起きると既に10時20分、既に店も開店している完全な遅刻。

しかし駅前店には"警察が店に来るので遅れていく"と言ってある。

そして自店舗には"警察が店に来るのでその時間には店に行く"と言ってある。

つまり、朝から店に行くとは言っていない。

この寝坊と遅刻はもみ消せる、これは店長のなせる業だな。

自店舗に重役出勤(まぁ唯一の社員で店長だから重役か)。

売場には出ずに事務所作業。

11月25日時点での途中経過報告書を作成しなければいけない。

その他に出荷作業やら、それ以外に溜まっている仕事なども処理。

そして店に警察が来る。

10月に来た人と同じ人だった。

用件も10月に来た時と同じで、客のリストチェック。

刑事さん、ウチのスタッフの人数分のジュースを奢ってくれる。

それは経費で落とすのかな、などと考えてしまった。

今回も前回と同じく、容疑者の来店記録があった。

必要書類をコピーして刑事に渡す。

これで自店舗でやる仕事は一通り終えてしまった。

駅前店に行かなければいけない。

夕方から駅前店に行き、流れるままに仕事。

翌日も朝は自店舗に出て、昼から駅前店。

その翌日には休みを取ったので、もう一踏ん張りだな。

 

2001年11月27日 火曜日

朝は自店舗の朝礼に参加。

直接指示をしてやらせたい仕事があったのだ。

駅前店の朝礼に出たくないので、自店舗の朝礼に出たというのもあるが。

昼から駅前店に行くと、店長は休みとのことでかなりホッとした。

駅前店店長と会うのもビビッている自分がいる。

何をしていても何かは突っ込まれるような気がするのだ。

そんなわけでまぁ落ち着いて仕事が出来た。

翌日はようやく休み、仕事の電話がありませんように…。

 

2001年11月28日 水曜日

ようやくの休み、今月の休みは結局3日か。

当然昼過ぎまで寝ていた。

休みの日はあてもなく車で適当に走る。

カー用品店を回ったり、行ったことがない方向へ行ってみたり。

美味そうなラーメン屋や、良さそうなスーパーや酒屋を適当に走っていて探したりする。

昼はたいがい探してラーメン屋。

夜はスーパーで安くなった惣菜を購入する。

私が休みでも自店舗からは何らかの電話がほぼ確実にある。

殆どがたいした用事ではないので、店からの電話は苦痛ではない。

だけど他店店長からの電話は嫌だ。

当たり前だが、必ず仕事絡みの電話だし。

この日は他店店長から電話が無く、実に平和な休日だった。

それで気分が良くなったのか、夜に飲んでいて調子に乗ってウィスキーや焼酎を飲みまくりいつのまにか就寝。

翌日は仕事だぞ。

 

2001年11月29日 木曜日

朝起きると二日酔いで気持ち悪い。

昨夜、1人だったのにどの辺まで飲んでいたのか記憶にない…。

発泡酒に缶酎ハイ、ウィスキーに焼酎、なんであんなに飲んだのだろう。

自店舗での仕事は月末なので棚卸し。

仕事中も気持ち悪くてトイレで胃液が出るまで3,4度吐いてしまった。

飲みすぎで吐くのは仙台来て初めてだ。

1人で飲んでいてこんなことになるとは…。

いつもの二日酔いの症状と同じで、夕方には回復した。

 

2001年11月30日 金曜日

昼過ぎに棚卸しを終わらせて、その後は求人情報誌の担当者が店に来て打ち合せ。

12月に2人の退職者が出ることが決まっているので、バイト募集をしなければいけない。

1週間に2度発行の雑誌で、ページの1/8枠を使って27,000円。

決して安くはない。

人を集めると言うのは大変だ。

しかもその中から厳選して、さらに成長させていかなければならない。

それと同時に売上や利益も見ていかなければならない。

今月の売上は見事に計画を下回った。

原因はよく判らない。

今月は1/3くらい駅前店ヘルプに行っていた。

だから自分の店の状況が良くわからなかったというのは言い訳。

自分が店を空けても店の状況がわかるようにならなければならない。

そのためにはどうしたら良いか、腹心のスタッフを育てるのだ。

"自分の分身を作れ"というのは会議などで先輩社員からよく出る言葉。

自分と同じ考えのスタッフが店に1人いれば、そのスタッフに仕事を任せる。

そのスタッフから店の情報を仕入れる。

何かあった時も、自分と同じ判断を下せるようなスタッフに育てるのだ。

そうすれば、そのスタッフがいれば店長が店を空けても大丈夫。

しかしそれにはスタッフを大いに信用し、スタッフから大いに信頼されなければならない。

そうした関係を築くのは並大抵のことではない。

勿論私には分身となるようなスタッフはいない。

業務面で信頼できるスタッフはいるが、自分の分身とはとても呼べない。

そんなのどうしたら出来るんだよ…。

先輩社員やエリアマネージャーと話しても、よく判らない。

なんだか何もかも判らなくなってきている。

何もかもを投げ出してどっかの地で1人暮しフリーターでもしようかと思ったりもしていた。

 

2001年11月 出勤日数27日 休日3日(含・短時間勤務)

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