仙台社会人一人旅
Survive in Sendai.

2001年10月

2001年9月

2001年10月1日 月曜日

前日の20時間以上労働で家に帰ったら起きられないと判断し、事務所の机に突っ伏して眠っていた。

朝、出勤してきたスタッフに起こされる。

朝からクタクタである、朝まで仕事をしていて2時間も眠っていないのだから無理もない。

外は雨で店は暇になりそうな予感。

月初ということもあり、決算棚卸しの結果を出す必要もあり、事務所に篭っての仕事。

うつらうつら途中で居眠りしながら仕事をこなす。

棚卸しにも極端なミスはなく、疲労でスピードが遅いのを除けば順調に仕事は進んだ。

集計を終え、最低限のことだけやってエリアマネージャーに電話。

棚卸しの結果を報告する、帳在差異がこれだけ出ました、と。

帳簿(コンピューター)上の在庫数と、実際の在庫数の違い、それが帳在差異である。

その差異があまりにも大きいと棚卸しにどこかミスがあるのではないかということになる。

帳簿上の在庫数と実際の在庫数がピッタリ一致することなど皆無である。

カウントミスもあるだろうし、入力ミスもあるだろうし、万引きされてなくなっているのもあるだろうし、考えたくはないが内引きだってあるかもしれない。

だから帳在差異がゼロということはまずありえない。

誤差の範囲内、という大方の目安が会社で決まっている。

幸いにして今回の帳在差異は誤差の範囲内だったので、エリアマネージャーからOKの許可が出た。

許可が出ると、その棚卸し結果を元に月次決算書類を作成することができるのだ。

そのまま月次決算書類作成に移行したかったが、体力が持ちそうになかった。

ある程度で作業を切り上げて、後は翌日にまわすことにした。

 

2001年10月2日 火曜日

途中で1度も起きることなく9時30分まで熟睡、勿論遅刻である。

この日も事務所に篭って書類作成の続き。

だいぶスムーズに各書類を作成出来るようになっていたが、いつも何か抜けているような気がする。

2日後に休みを取った、取れた。

前回の休みから1週間という短いスパンでの休み、良いことだ。

そしてエリアマネージャーと電話で話していたら意外なことを言われた。

「夏休みを3日取って良い」と。

「えっ?!いいんですか??」思わず聞き返した。

他の各店店長もエリアマネージャーもしっかり夏休みを取るという、だからお前も取れと。

思わぬところで、思わぬことを言われた。

休みを取るなら早いほうが良い、来週にも取るつもりだ。

よし、頑張るか。

 

2001年10月3日 水曜日

残りの月初書類作業をこなす、3日の提出を終えて月初書類は完成する。

事務所に篭っているとスタッフから内線電話が。

「警察の方がお見えになっているのですが…」

ナニ?警察??何もした覚えはないぞ。

行ってみるとスーツを着たオジさんと若いのの2人組。

刑事と言われればそうだろうし、そうでないと言われればそうでないようにも見える。

オジさん刑事の方はスーツの上にいかにもなコートを着ている。

オジさん刑事が警察手帳は見せず、宮城県警の名刺を差し出してきた。

「店長さん、お忙しいところすみません。」

と切り出したそのオジさんは刑事とは思えない物腰で言った。

話を聞くと、逮捕した容疑者がウチの店を利用していたと供述したようで、顧客リストのようなものがあればその容疑者が載っていないか見せてくれないかと言う。

警察の調査依頼は可能な限り応じるように、というのは本部の研修で聞いた覚えがある。

警察や消防とは出来るだけ仲良くしておいた方が良い、という話しも。

調査を断る理由はない、事務所へ案内して、役に立ちそうな書類を出す。

オジさんと若いのが2人でそれらに目を通す。

別に私まで一緒にそれらの書類を調べる義務は無いのだが、一緒に調べた。

するとその容疑者の書類も出てきた。

膨大な数の書類の中からその容疑者のが出てきた、宝くじに当たったような感じだ。

それらの書類をコピーして刑事は帰っていった。

刑事が帰ると、好奇心旺盛なウチのスタッフがこぞって事務所に来た。

「何だったんですか?」、皆一様に好奇の視線を浮かべていた。

刑事の来店か、なかなか面白かった。

普段は帰宅後の晩酌は発泡酒を1本なのだが、休み前夜だと気分が良くなるくらいに飲む。

発泡酒の他に缶チューハイやウィスキーなどを。

音楽をヘッドホンで聞きながらいつのまにか眠りに落ちていた。

 

2001年10月4日 木曜日

休みなのだが、夕方にフリーペーパーに載せる広告の打ち合せで担当者が店に来ることになっていた。

その時間に合わせて店へ。

その打ち合せは休みの日に敢えて入れざるを得なかったほどのものだったかな…

原稿の文面や掲載する写真や枠の使い方などを一通り相談。

ちなみに週1回発行のフリーペーパーで1/9くらいの広告枠で掲載料は30,000円ほど。

打ち合せを終えるとさっさと店を出た。

店にいてしまうと何でも仕事があるのだ、店にいないことが1番。

チャリで近隣の中古車屋巡りをした。

9月末に預金残高を見て、これなら車が買えるだろうと判断したのだ。

冬になったら寒くなるし、チャリ以外の足が欲しいと思ったのだ。

見るだけのつもりで、色々見て回った。

チャリで遠くまで足を延ばしたが、思ったよりも中古車屋がいっぱいあって驚いた。

やはり見ると急に欲しくなる、来週に取る予定の夏(?)休みで購入してしまうつもりだ。

 

2001年10月5日 金曜日

休み明けでも1日仕事をすると、疲労は元に戻ってしまう。

先月に今月限りで辞めたいと言っていた店で1番長い主力の女の子がいる。

そのコと話をして、年内いっぱい12月まで続けてもらうことになった。

主力のコなので抜けると痛いし、12月まで続けてくれれば後輩も育てることが出来る。

彼女の方も年が明けたら引越をするつもりで、それの資金が必要だったこともあり、承諾してくれた。

正直言って助かった、まだ私の中でも彼女に頼る部分が大きかったので。

閉店後はこれといってする仕事がなかったのでさっさと帰った。

家に帰って晩飯を食うのだが、だいたいがカップラーメン。

発泡酒を飲みながら、そしてカップ麺食った後でたいがいスナック菓子にも手を出してしまう。

そしてその1時間後くらいにはベッドに入る。

確実に太っていきそうな食生活、危ないな。

家に体重計がないのが唯一の救いか。

 

2001年10月6日 土曜日

近頃は加盟店ヘルプもなく、駅前店ヘルプもなく、自店舗でじっくりやれるので良い。

やはり自店舗にいるのが落ち着く。

自分の店という愛着もあるし、監視の目はないし、好きなことが出来るし、好きな時間に帰れる。

好きな時間と言っても勿論閉店後であることに変わりはないけれど。

途中の時間に帰ったりしても良いのだろうけど、そこまでは出来ない。

店長として、休みの日以外はきっちり最初から最後まで店にいるべきだと思っていたので。

 

2001年10月7日 日曜日

エリアマネージャーに電話をして本当に夏休みを取って良いのかを確認。

何度でも確認しないと不安なもので。

休めるスタッフィング(スタッフの数)が整っていて自分が良いと判断したら休んで良いと言う。

エリアの殆どの社員は既に休みを取ったという。

決めた、余裕を持って次週のシフトスケジュールを組んで火曜日から3連休。

そしてその連休で車を買いに行くことに。

スタッフのコに中古車情報誌を貰ったので、それを参考に中古車屋巡りをするつもりだ。

3連休だから実家に帰るという案は浮かばなかった。

いつ仕事が入るか判らなかったので、遠い実家に帰るのは止めておいた方が良いと判断した。

休みが近いと気も緩むな。

 

2001年10月8日 月曜日

翌日から連休だという期待感を持って仕事をしていたのだが、閉店間際のFAXを見て愕然。

商品の緊急出荷依頼が届き、仙台の加盟店へ送る商品を至急用意しろと言う。

直後に仙台他店の店長から電話があって、3日後にその商品を届けがてら加盟店ヘルプだという。

3日後って…私、明日から3日間夏休みなんですけど…と言える雰囲気ではない。

出荷依頼のFAXには「皆も大変でしょうが、加盟店で頑張っている店長とスタッフの為にお願いします。」という1行が書いてある。

それを見ておきながら自分は夏休みなんで…なんて言えるわけがない。

これでせっかくの夏休みが1日潰れた。

この調子だと明日・明後日の休みも安泰かどうか…

一抹の不安は残しながらも、翌日は車を買いに行くんだとテンションを上げて休みの前夜を迎えた。

 

2001年10月9日 火曜日

休みにしては珍しく午前中に起きて、これくらいは許されるだろうと店の車を私用使用。

この日は店の車を使う予定は入っていなかったし、自分は店長なんだし、これくらい良いでしょう。

この日に全て決めてしまうつもりだったので、まずは銀行で大金を卸す。

65万円、それほどの金を卸したのは初めてだった。

諸費用込み現金一括で買えてしまう車を探すつもりだった。

折込みチラシが入っていた中古車屋や、中古車情報誌に載っていた店を片っ端から回る。

希望はステーションワゴン型、なんとなくあぁいう形のが欲しいと思っていた。

メーカーや車種にはこだわらず、形と色だけこだわった。

色々回って店員などとも話しをして熟考。

あれこれ回った末に買う車を決定。

形・色・値段・走行距離・年式・車検約2年付でヒットしたのを購入。

ディーゼル車というのが唯一の難点。

エンジン音がうるさいのとアイドリング中の振動がある。

ただ本体価格(安い)と燃費(軽油なので安い)も考えるとそれに落ち着いた。

本体価格約40万とその他諸々の料金・税金を全てあわせて63万飛んで50円。

現金一括で買うから60万にしてくれと粘ったが、どうしても値引きはしてくれなかった。

これまでの生涯で1番高い買物だったが、現金一括でアッサリと購入。

納車の為には車庫証明が必要。

翌日も休みなので近所で1番安い駐車場を探す。

家に帰って気分良く酒を飲む。

車庫証明提出して2週間後くらいに納車という、まずは駐車場を探さないと。

 

2001年10月10日 水曜日

天気は生憎の雨、駐車場を探さないといけないというのに。

住んでいるアパートの駐車場は満車。

それ以外にも家の近くには結構駐車場がある。

それらの駐車場に書いてある連絡先に片っ端から電話。

出来ればアパートの近くに借りたかった。

料金は月5,000円以内に抑えたかった。

だがアパートの近くのはいずれもいっぱいか料金が6,7千円する所ばかりだった。

アパートからは少し離れるが1箇所5,000円で空きがあるという駐車場を見つけた。

アパートから遠い所に借りるのならば、車は自分の店に止めた方が良かった。

何せアパートから店までは徒歩30秒、目と鼻の先なのである。

店の駐車場は35台以上止められるし、止めても誰に咎められるわけでもない。

ただ車庫証明を自分の店で取るのは少し厄介そうだ。

大家などの許可が必要になるし、公私混同と取られかねない。

それならば多少アパートから遠くても駐車場を借りて車庫証明だけを取ろう。

そして契約の駐車場はすぐに解約して、それから店の駐車場に止めれば良いのだ。

そうと決まると早速その5,000円の駐車場を押さえた。

その不動産屋に行って早々に契約、車庫証明を貰う。

その足で区役所へ行き、印鑑登録をして印鑑証明も貰う。

これで必要書類は全て揃ったことになる。

納車は再来週くらいと言う、こっちの休みにあわせて納車してもらわないといけないから面倒だ。

雨も降っていたのでそれ以外は家でおとなしくしていた。

部屋の掃除や2ヶ月ぶりのHP更新など。

翌日は休み返上で加盟店ヘルプ。

車購入に関することばかりをした2日間の夏休み(?)だった。

 

2001年10月11日 木曜日

加盟店のヘルプは朝礼から出ないといけない。

その前に久々に自店舗に寄る。

店舗のメールを開くと、商品出荷依頼や10月10日時点での実績報告書などを作成しろとの指示。

休み明けで仕事が溜まっている、社員が1人なので休むとこうなるんだよな…

店の車に乗り、加盟店へ向かう。

休み明けに行く店が加盟店ヘルプというのも変な話だ。

どうやらヘルプを大量投入して未完成の売場での仕事を一気に片付けるという手筈らしい。

仙台の各店舗からヘルプが参加していた。

21時頃にに通常作業は切り上げて、10日時点での実績報告などをまとめるために一旦自店舗に戻った。

10日時点での実績をある程度まとめたら駅前店に集合して仙台の店長を集めて会議をするという。

急遽会議かよ…しかも10日時点での実績報告なんて何も作ってないぞ。

慌てて店へ戻って10日時点での実績報告書の作成。

10日時点で到達しているであろう目標売上累計と、実際の売上累計を比べる。

同様にして人件費やその他経費などもどの程度の割合で推移しているかをまとめるのだ。

電卓叩きながら数字をパソコンに入力していく。

足し算だけなら電卓のブラインドタッチも出来るようになった。

急ごしらえで資料を作って駅前店へ車で行く。

会議というと堅苦しく聞こえて身構えて行ったが、実際は軽い話し合い程度だった。

その話の中でエリアが再編成されて、山形にある4店舗も東北エリアに合同されるという。

これまで山形は南東北・北関東エリアに属していたのだ。

その山形が今回のエリア再編成で正式に東北エリアに加わる。

仙台も元は南東北・北関東エリアだったので、山形の店長や社員は皆知っている。

同期が店長をやっている店舗もあるし、知った仲なので少し嬉しい。

駅前店での話し合いを終えて自店舗へ戻る。

閉店後、スタッフも皆帰った後で1人自店舗へ行く。

売場やカウンター内をなんとなく見まわして、何気なく色々とチェックする。

スタッフが店長不在の間にただ仕事をこなしただけなのか、それとも自主的に何かしているのか。

私の許可を得なければやってはいけないような仕事はしていないだろうか。

監視するというわけではないのだが、私のいない間にどういうことをしているのかは気にかけておかなくてはならない。

不正防止のためにはそれをさせない環境作りが必要。

そのためには日頃から細かい所でも気を配っていないといけない。

 

2001年10月12日 金曜日

自店舗のパソコンのレーザープリンタのトナーが切れた。

すぐに必要なものだったので、店の車で仙台駅前の電気屋まで買いに行った。

夕方17時頃か、仙台駅前から店に向かって車を走らせていた。

路上にやたらと目に付く警察官や白バイの姿。

なにか事故でもあったのかなと何気なく思っていた。

するとある遠くの道路沿いにマラソンの見物客のようにひとだかり、そして日の丸の垂れ幕。

見物客は皆日の丸を持っている。

皇室系の誰かが来るのか、その瞬間ピンと来た。

翌日は宮城国体の開会式、皇室系の誰かが挨拶に来てもおかしくない。

前方にいた日の丸を持った人だかりの日の丸が揺れ出した、来るのか?!

その人だかりの横を通りすぎて緩いカーブを曲がると対抗車線から無数の白バイとパトカー。

そしてその後ろには黒塗りの車。

その黒塗りの車からは見覚えのある白髪の紳士と淑女が手を振って沿道の声援に応えていた。

まさにTVでよく見かける光景。

2車線ほど離れてはいたが完全に同じ道路上で私はその黒塗りの車とすれ違った。

あまりに一瞬の出来事で信じられないくらいだが、あれは日本の天皇陛下と皇后様だった。

肉眼で天皇陛下の姿を拝むなど勿論初めてだし、これからもないだろう。

しかも車に乗っていたとは言え、かなり近づいていた。

あんなにアッサリと天皇陛下とすれ違えて良かったのだろうか?

そんな警備体制で大丈夫だったのだろうか。

私のような凡々人がたまたま車に乗っていたら天皇陛下とすれ違った、なんて状況があって良いのだろうか。

もしも私がヒットマンだったら…なんてことを考えてしまった。

何にせよ、ほんの一瞬の出来事とは言え実に貴重な体験をさせてもらった。

一瞬の出来事だったので終わってからコトの重大性(?)に気が付いた。

店に帰って興奮気味にスタッフに「天皇陛下を見たよ!」と報告。

へぇー、そうですか…案外皆興味がないようだった。

凄いことだよな…?偶然天皇陛下とすれ違ったなんて。

 

2001年10月13日 土曜日

翌日は日曜日なのだが、本部でエリア会議が開催される。

月曜日に本部で店舗会議が開催されるのでそれの前日に本部入りしてエリア会議も併せてやろうということだ。

青森・秋田・山形・仙台という広大な東北エリア、会議で集まるだけでもかなりの経費がかかるのだ。

だから本部へ行く店舗会議と併せてエリア会議もやってしまおうという経費削減策の1つ。

エリア会議ではいつものように自店舗の当月計画に対する進行具合の発表・報告。

それの準備が大変、しっかりとした発表をしないと突っ込まれてボロボロにされる。

土曜日で売場は忙しかったのだが、夜は事務所に篭って資料作成の仕事をしていた。

今月は年に4回の経営計画発表会も店舗会議と併せて行なわれる。

エリア会議、店舗会議、経営計画発表会、忙しい。

経営計画発表会で面倒なのが社外の来賓も来るので全員スーツ着用という点。

ただ会議のためだけに本部に行くのならそのままスーツを着ていくが、今回は前日入りしてエリア会議がある。

それまでわざわざスーツを着ていくのも面倒。

結局私服で行ってスーツを持っていかなければいけないので荷物が増える。

 

2001年10月14日 日曜日

実に眠い中、仙台駅から熟睡新幹線に乗り本部へ。

昼飯をファミレスで食った後に本部の会議室でエリア会議スタート。

店の10月の経過報告や今後の予定などの発表と質疑応答。

事前にどう発表するかなどのレジュメは勿論作ってあるし、発表のシュミレーションもなんとなくしてある。

だが冒頭からエリアマネージャーの一言「巧い発表、良い発表をするためにエリア会議があるわけじゃない。」

ごもっとも。

私は無難に発表をしたつもりだ。

ここまでの売上報告、宣伝広告費をどう使っていくか、人件費の調整、スタッフの育成など。

出来るだけ突っ込まれないようにと無難に無難にこなした。

どうやらエリアマネージャーにはその辺りが見抜かれていたのか「お前の店だろ、意志が感じられない。」

みたいなコトを言われた。

意志か、正直良く判らないな。

会議後は例によって懇親会が開催される。

未だに東北エリアの懇親会に馴染めない。

今回山形勢が新たにエリアに加わったことで、知っている仲が増えて多少は居易くなったけれど、どうしても苦手意識がある。

その後に必ずあるホテルの部屋での座談会でも同じだ。

他の店長や社員らが一生懸命に店のことやスタッフのことなどを話しているのについていけないというのがある。

ずっと話す内容は仕事仕事仕事…それについて違和感があるのかもしれない。

何でそこまで仕事に熱心になれるのだろう。

それは他の店長らが店に愛着を持っているから。

でも店に対する愛着なら自分だって持っている。

その愛着の度合いが違うのだろうな。

私はやらなければならない仕事があれば休みの日でも店に行く。

だが"やらなければならない"仕事があればだ、出来るのなら休みたい。

そこを他の店長はやりたい仕事があるから、休みの日でも店に行く。

色々話を聞いているとその辺りが私との決定的な違いなのかなと思う。

私には到底そこまで出来そうにない。

店長になっても"店長という仕事"だからやっているもんな。

勿論そんなこと誰にも言えないけど。

 

2001年10月15日 月曜日

全社員が全国から集まる月に1度の店舗会議、年に4回の経営計画発表会。

持ってきたスーツに着替えて、店舗会議〜経営計画発表会へ。

今回は加盟店へ行った私の元店長の体験発表や仙台の他店店長の表彰(良い売上を達成したので)などがあった。

何回会議に参加してもいつも強烈な眠気に襲われる。

会議が終わると本部へ戻り、緊急でエリア会議が開かれるという。

何かあったのか?

エリア会議は我々東北エリアだけでなく、仙台の我々が元属していた北関東・南東北エリアの面々も集まっていた。

そして会議室には直営店全店を統括する直営事業部マネージャーまでもが来た。

ますますもってこれは何かあるぞ。

何かと思っていた会議はエリア再編の正式発表と、人事の発表だった。

東北エリアが、東北エリアという括りの中で2つに分かれること。

そしてその2つそれぞれにエリアマネージャーが就任するということ。

これまでのエリアマネージャーだった仙台駅前店の店長はエリアマネージャーの1つ上のGSV(ゼネラル・スーパー・バイザー)に就任するということ。

GSVは東北エリア全てを仕切るのと、東北の加盟店の面倒も見ていくという立場になるらしい。

そして私が入社当時に属していた北関東・南東北エリアのエリアマネージャーが本部フランチャイズ事業部のマネージャーに就任するということ。

上の方の人事が発表されたのだ。

直接私に関わりがある所では、これまでエリアマネージャーだった仙台駅前店の店長が、今後はエリア以外に加盟店も見ていかなければならない立場になったということ。

代わりにエリアマネージャーとして、秋田の店長が就任したということ。

店長から見た直属の上司がエリアマネージャーなので、それが変わったことになる。

だけど、実際にはGSVになった仙台駅前店店長が東北全部を仕切るので、現実はそれほど変わらない。

店長の上にエリアマネージャーがいて、その上にGSVがいる。

なんだかややこしくなった。

人事発表の会議を終えていつものごとく懇親会へ雪崩れ込む。

前に所属していたエリアのエリアマネージャーが本部へ異動になったので、送別会が開催された。

我々仙台組は、現在所属する東北エリアの懇親会ではなく、以前所属していたエリアの懇親会(エリアマネージャー送別会)に参加した。

東北エリアの懇親会よりもこっちの懇親会の方が居心地が良かった。

半年近く在籍したエリアだったので、そこの人たちも皆知った仲だったし。

ホテルに戻ってもやはり部屋でウダウダ話して結局5時すぎに解放される。

 

2001年10月16日 火曜日

久々に実家に顔を出して仙台に戻ることにした。

だが、他の仙台所属社員らと商品センターへ行くことになった。

商品センターへ行くと必ず長くなる。

全員で一緒の車に乗っていくために、全員が終わらないと帰れないのだ。

さらにその後で飯を食ったり、他の店の店舗見学に行ったりなんだでどんどん時間がなくなる。

あれこれウダウダやって次第にイライラしてきた、さっさと解散しようぜ…。

ようやく実家に顔を出せたのは18時頃になっていた、遅すぎる。

最終の仙台行き新幹線に間に合わせるために20時には家を出たので、2時間しか滞在時間がなかった。

しかし、退院して自宅療養している父と久しぶりに会った。

外見は元気そうだったので安心した、とりあえずそれだけでも実家に顔を出した甲斐があった。

最終の新幹線に間に合うように家を出て新宿駅で新幹線の切符を買おうとする。

すると窓口のオッサン、「もう間に合わないと思いますよ。」と言う。

こっちは事前にネットで最終に間に合うように行動しているのだ、「いいから発券してくれ」と言う。

「無理だと思うけど…」ブツブツ言いながら渋々という感じで発券した、何か感じ悪いぞ。

新宿から埼京線で大宮へ、大宮から新幹線に乗るのだ、これが最短再安コース。

大宮へ着くと新幹線はまだ到着していなくて、充分間に合う時間。

充分間に合うじゃないか、大宮の駅員に新宿の窓口のヤツの態度の悪さを文句言おうかと思ったくらいだ。

仙台についてから最終の地下鉄に乗り、0時30分頃にアパートに戻った。

 

2001年10月17日 水曜日

3日ぶりの店、売場は暇だったので、事務所作業を進めた。

事務所でやることというのは幾らでもあるのだ。

お客さんの個人データをもとに、どの辺りから来店しているかを調べる。

そして新聞の折込み広告を撒いて地域と日付を調べる。

どのあたりにいつ折込み広告を撒いて反応があったのか。

折込み広告は撒いていないけれど、お客さんが多く来ている地域はあるのか。

逆に広告を撒いても、反応が薄い地域はあるのか。

そういったものを調べて次回はどの地域に折込み広告を撒くかなどを検討する。

折込み広告の他にもフリーペーパーなどの紙面広告も考慮に入れる。

ただ闇雲にやれば良いというものでもない、月の宣伝広告費を計画内に収めなければならない。

土日や連休前など撒く日付も考える。

さらに撒くべき折込み広告がなくなったらそれの印刷もしなければいけない。

色々なことを考えながら、チラシを撒く地域を決めているのだ。

それを考えるだけでも一苦労。

お客さんの来店状況は1日ごとに変わる。

だからデータも1日ごとに変わる。

本来はその都度調べるべきなのだが、そういう暇はなかなかない。

だから暇な日や時間帯などを見計らって、まとめて調べたりするのだ。

売上が微妙に伸び悩んでいるので、それも何とかしなければいけない。

 

2001年10月18日 木曜日

20日までに次月の損益計画をたてて本部に提出しなければならない。

未だに計画云々は把握できていない。

経費はある程度コントロールが可能だが、売上はコントロールのしようがない。

どの程度の売上かを予測して計画を立てるのだが、判らない。

ましてや各部門ごとの売上などサッパリだ。

先輩社員に相談すると、前年の売上やその前後の月の売上、それらの推移を見て、それを今年の状況にあてはめてみるという。

あとは自分がどれくらいの売上を取りたいのかという意志を計画に反映させるというのだ。

どれくらいの売上を取りたいかという意志?

また難しいことを…

 

2001年10月19日 金曜日

次月の計画を立てたりなんだで事務所に篭っていた。

計画を立てたのをエリアマネージャーに確認してもらわなければいけない。

メールで店舗宛に計画を送付して確認をお願いする。

「次月の計画見て頂けましたか?」と電話するのだがいつも緊張する。

計画のどこをどう突っ込まれるか、どうやって対処しようか。

実際はそれほど突っ込まれないのだが、電話の前はいつも胃がキリキリする、精神的胃痛だ。

 

2001年10月20日 土曜日

今月はどうも売上が伸び悩んでいる。

激減という感じではなく、ジワジワと落ちている。

原因が判らない。

仙台他店の先輩社員と電話で話していて、今度損益計画の勉強をしようと言う。

いつか休みを合わせて一緒にやろうと言うのだ。

…それって休みじゃねーじゃん。

それとは関係なく休みは次週の水曜日に取ることにした。

それまでに車が納車されると良いのだが。

 

2001年10月21日 日曜日

1日自店舗、売場で作業。

土日などの混む時は自店舗の売場にいたい。

色々なことを忘れて作業が出来るのが良い。

暇だと色々考えてしまう。

 

2001年10月22日 月曜日

売上が落ちてきている原因かは判らないが、スタッフ間の仲が良すぎる。

どうも仕事をしているというよりは、仲良くお喋りついでに仕事をしているという感じがする。

平日の午前中や夜の暇な時間帯になると私語が目立つようになってきた。

だがその私語が微妙で、注意しようかなーどうしようかなーという程度。

喋ってはいるがやることはやっているとも見られるのでこれまた微妙。

巧く注意できない自分がいる。

 

2001年10月23日 火曜日

翌日が休みなのだが、車屋からの連絡がない、納車はまだだろうか。

翌日の休みに納車されなかったらまた1週間待たないと休みが取れない。

向こうから連絡があることになっていたが、たまりかねてこっちから電話した。

すると木曜日に納車の予定だと言う。

なんとかならないかと無理を言って翌日の18時までに納車させることに成功した。

翌日に納車と思うと1日気分良く仕事が出来た。

家に帰ってウィースキーをやっていたら、いつのまにか眠っていた。

気がつくと眠っていると何だか勿体無い。

折角翌日が休みなのだからその幸福感に浸りながら眠りたいのだが…。

 

2001年10月24日 水曜日

18時頃に車があがる予定なのでそれまでは暇。

いつものように昼過ぎまで眠っていた。

車は車屋まで取りに行かなければならなかった。

買いに行った時は店の車で行ったが、今回は自分で車に乗って帰らなければならない。

地下鉄に乗って最寄りの駅まで行き、そこから歩いて行くことに。

18時まで時間を潰しながら逸る気持ちを抑えて車屋へ。

そしてようやく念願の納車。

運転心地は可もなく不可もなく。

意識するからだろうが、ディーゼル音と振動は若干気になる。

初ドライブは家に帰りがてら予想通りスーパーへ買物だった。

駐車場は契約した所ではなく、店に止めた。

契約した所に止めるよりも店に止めた方がウチから近いので。

翌日が給料日なので近々車にMD/CDのカーオーディオを搭載したい。

家帰って晩飯を終え気分よく飲んでいると、店から電話があった。

スタッフからの電話で閉店後のレジ精算作業で、12,000円が合わないという。

あるべき12,000円がないというのだ。

10,000円以上の現金差異は重大だ。

慌てて店に行って原因を追求、こういう時に店と家が近いのは良い。

考えられる原因を追求、レジの中・下・隙間・付近やレジの記録など。

仙台の他店店長に電話してみて他に考えられる要因がないかを聞いたりした。

そしてレジの登録ミスが発覚、記録すべき12,000円の出金を記録していなかったのだ。

原因が判って解決できたところで帰宅、落ち着いて飲み直し。

そういやスタッフに「酒クサイですよ。」って言われた。

だって休みだもん、いいじゃねーか。


念願の車

2001年10月25日 木曜日

休み明け、いつもだるい休み明け。

昼休憩は1人で車に乗り、定食屋で昼飯(いつもはコンビニ弁当かホカ弁)。

閉店後もさっさと切り上げて深夜のドライブ。

夜だから景色を楽しむとかは出来なかったが、スイスイ走れて気分良い。

晩飯は深夜もやっているラーメン屋。

早速車を買った効果が出ているな。

 

2001年10月26日 金曜日

平日の仕事で毎朝銀行へ行く。

前日分の売上金を入金するのだ。

そして金曜日や祝日前などには土日の釣り銭用の小銭を両替もする。

ところが今月から501枚以上を両替する時は手数料がかかるようになったのだ。

501枚〜1,000枚で315円、それ以降は500枚単位で315円ずつ増えていく。

自動両替機での両替ならば手数料はかからないのだが、いつも利用している銀行に自動両替機はない。

だから窓口で両替をしなければならない、そして土日の釣り銭用小銭は500枚以内では納まらない。

しかし両替のために手数料を払うのは癪だ。

そこで先週の金曜日にもやったのだが、2回に分けて両替をするのだ。

1回の両替を500枚以下にしてそれを2回行なえば手数料はかからない。

先週はそのようにして両替をしたのでこの日も同じように2度に分けて両替をしようとした。

すると窓口のオバさんが「そのような両替方法はお断りしております。」と言った。

「え、何で?先週は何の問題もなく出来たよ。」

とチョット不機嫌に言った。

「いえ、しかし…」

何か揉めているのが判ったのかYシャツにネクタイの銀行員のオジさんが「どうかしましたか?」と登場。

先週は2回に分けて両替が出来たのに、今日は出来ないとはどういうことか…チョット不機嫌に質問。

しかし私が質問すると、そのオジさんよりも、窓口のオバさんの態度が引っ掛かった。

見るからに不機嫌な顔で私が差し出した両替依頼書を乱暴に取り扱った。

私が出した両替依頼書を机に軽くバンと叩きつけてドンと乱暴にハンコを押したのだ。

これにはかなりカチンときた。

「チョット、この人の今の態度かなり感じ悪いんだけど。」、すぐさまオジさんとオバさんに言う。

するとオバさん、一瞬で営業スマイルに切り変わり「申し訳ございません。」と頭を下げた。

「素晴らしい変化ですね。」と最上の皮肉をプレゼント。

オジさんは申し訳ありませんと名刺を差し出す、見るとなんと次長だ。

めちゃくちゃ腰の低い態度で銀行の言い分を主張する。

前回は2回に分けて両替が出来て今回はできないというのは完全にこちらの対応不足ですので謝罪致します。

窓口の対応の悪さについても謝罪致します。

だけど両替の際に手数料がかかるのはご理解頂きたい、と。

いやいや、こっちは2回に分けて両替をすると言っているのだ。

たかだか315円の手数料かもしれないが、余計な経費はかけたくない。

1歩でも銀行内から出れば2回に分けて両替しても良いのか?

それがダメなら何分後に両替すれば良いんだ?

でも結局それって同じことでしょ?

こっちは2度手間になるし、そっちにしても2度手間になる。

自動両替機を設置するとコストがかかるから、そのコストを惜しんで我々に両替手数料の負担をさせる。

これがおたくの考えるサービスですか?さすがは天下の銀行さんですね。

さぁどーなんだ?どーなんだ?。(言葉遣いは丁寧に言ったけど)

自分でもかなり意地悪だなーと思ったが、久々にクレーマー心に火が点いてしまった。

最初のオバさんの態度が悪くなければここまでは行かなかったかもしれないけど…。

次長のオジさんはただただ平謝りで「店長さんの言うことはごもっともですが、我々と致しましても…」、とひたすら低姿勢で同じ言葉を繰り返す。

このままで問答を続けても進展がないと判断して「ウチはこれからも2回に分けて両替しますんで。」と捨て台詞を残して店に戻った。

店に戻って仕事をしているとなんと先ほどの次長、店まで来た。

何しに来たのかと思うと、先ほどの対応の不手際をひたすら謝る。

さすがは銀行員という感じの見事な低姿勢謝罪ぶり。

だんだんその次長が哀れに思えてしまった。

私の倍くらいの年齢と思われる人が明らかな若造の私にひたすら頭を下げている。

しかも売場でだ、ウチのスタッフは勿論のことお客さんも見てるっていうのに。

「判りました、もういいですよ…」、根負けだ。

「そちらの考えはわかりました、でもこちらとしても余分な経費はかけたくない。2度に分けるけど朝と昼にするなどして少し時間を置いてから両替に行くので、それなら良いでしょ。」

妥協策成立、次長さんは納得して御礼と謝罪を繰り返して帰っていった。

スタッフからは何だったんですか?と訝られた。

久々のクレーム、vs銀行の次長、結構面白かった。

閉店後は車で24時間営業の定食屋へ行き晩飯。

行動範囲が一気に広がった。

コンビニ弁当かカップラーメンの晩飯だった食生活も一気に改善の兆しだ。

ただドライブ兼食事に行ってから帰宅すると時間が遅くなるのがネックだ。

飯食って帰ってきた後も1本は発泡酒を飲んじゃうし。

 

2001年10月27日 土曜日

週明けの月曜日に休みを取ることにした。

前回の休みからそれほど日がないが、月末・月初があるので早めに休みを取ることにした。

今月は1日減ったとはいえ夏休みも取れたし、まぁ順調に休めている。

もっともこれで順調に休めているというのも何か違う気がするが…。

 

2001年10月28日 日曜日

仙台の他店舗の店長で私の仙台配属当初からお世話になった人の異動が決まった。

この日が店舗での最終日だというので、閉店後に挨拶に行った。

するとちょうど店ではスタッフを交えて最後の終礼の真っ最中だった。

スタッフの殆どが涙を流していた、入っていくのがためらわれた。

お世話になった他店店長にちょっとだけ挨拶をして、すぐに店を出た。

店長とスタッフだけにしてあげるべきだと思った、部外者は早々に退散だ。

異動の際にスタッフが涙を流している、いいスタッフに囲まれているなーと思った。

翌日は休みだったので自店舗に戻って多少仕事をしてから帰った。

 

2001年10月29日 月曜日

休みのこの日は当然昼過ぎまで眠ってから行動開始。

まずは銀行へ行き、車購入で貧弱になったが25日を境に復活した口座からいくらか引き出す。

カーオーディオ購入の際の資金だ。

ドライブがてら近場のカー用品店をいくつも見て回る。

すると台数限定の品でCD12枚チェンジャー+MDで30,000円強という特価品を発見。

他の店を見て回ったのと比較しても平均10,000円は安い。

それに決定して即座に購入、取り付け。

これで車に欲しい機能は揃えられた。

殆ど車に乗っていた1日。

翌日からは棚卸し、翌月に入ると月初書類作成とハードスケジュールが続く。

11月も今月のように休める保障はないな。

 

2001年10月30日 火曜日

段取りが良く、結構早く終わった棚卸し。

先月末の棚卸しに比べると営業中にやるし、多少のミスは覚悟しているからそれほど神経は使わないけど。

棚卸しの結果などを早々にPCに入力しておく。

そうしておくことにより、月初にかかる仕事の負担が少なくなる。

それにPC入力くらいならスタッフにも任せられるようになってきた。

そうすることにより、自分にかかる負担を少なくする。

ようやく手際が少しは判ってきた。

閉店後、車で出かけ24時間営業のスーパーで晩飯を買って帰る。

食後、シャワーを浴びようと思い風呂へ。

蛇口をひねるが水が出てこない。

そうだ、そういえば30日夜〜31日朝にかけて工事で断水ってチラシが入っていた。

トイレも流れず、風呂も入れずか…。

 

2001年10月31日 水曜日

10月は計画していた売上に対して届かなかった。

あと1日あれば計画を達成できたのだが…悔しい。

売上は届かなかったが、なんとか利益は計画通り取れていれば良いのだが。

売上が届かなくとも、その分人件費を抑えたりすれば利益は計画通り取ることは可能なのだ。

そのための保険をかけた利益計画を立てているし。

11月は月初書類作業を終えると、どうやら仙台駅前店のヘルプに行くことになりそう。

仙台駅前店では結構人数の入れ替わりが多いらしく、現在人がいなくてピンチだという。

今月はそれほどでもなかったが、8,9月は他店ヘルプが多い月だった。

11月はまた他店ヘルプの1ヶ月になるのかな。

他店ヘルプが多いと生活ペースが乱れるし、休みが取りにくくなるから嫌だ。

 

2001年10月 出勤日数25日 休日6日(含・会議帰路,短時間勤務)

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