仙台社会人一人旅
Survive in Sendai.

2001年9月

2001年8月

2001年9月1日 土曜日

正式には9月1日付で店長。

形式的には店長初日、朝礼でやってしまった。

8月19日,30日に続いてこれで3度目、人前では初めて…鼻血が出た。

朝礼で喋っていたら鼻水が出たと思った。

手で拭ったら赤い、「あっ」と思うとタラーっと垂れてきた。

「うわっ、チョットごめん、ティッシュ…」

慌ててティッシュを貰い鼻をおさえる。

例によって鼻血は溢れてくる…

私よりもスタッフが慌てて「大丈夫ですか」と繰り返す。

私は「これで3度目なんだけど、なんか疲れてると出ちゃうらしいんだよね…」と苦笑い。

別にこっちは痛くも何ともないのだが、目の前の人が突然鼻血を出したら何事かと心配するわな。

これまではトイレの中、シャワー浴びている時と共に1人の時だったが、今回は人前。

しかも鼻血が出るなんの前触れもなかった。

トイレでは大をする為に踏ん張ったことが影響していたかもしれない。

シャワーでは鼻クソをほじったことが引き金になった。

ところが今回は鼻水が出る、と思ったら鼻血だった。

冷静に分析するようなことではないかもしれないが、疲労と鼻血が相当たまっているものと思われる。

元々月初のこの日は1日事務所に篭って書類作成作業を行なう予定だった。

売場で接客していて突然鼻血出すわけにはいかないわな。

「今日は売場には出ないのであとはヨロシク…」

というわけで鼻血が出たという大義名分も手伝って(?)事務所に篭っての作業。

月初の作業は殆どが前月の結果をまとめることである。

前月の売上、原価、粗利、経費…そして重要なのが棚卸しの結果だ。

私の会社では毎月末に棚卸しを行ない、それが月ごとの決算に反映される。

その棚卸しは当然我々の手で行なわれる、人の手で商品を数え、PCに入力する。

それにはまず間違いなくミスが生じる。

コンピューター上の在庫数と実際に数えた数が大きく狂うのだ。

それが狂っていると正確な決算が出来ない。

だからまずは棚卸しの数が正しくないと先の作業へ進めない。

そして棚卸しの数が正しいことはなかなかない。

スタッフが数えて記入した棚卸し用紙と、PCに入力した数字を照らし合わせる。

誤った数値が入力されていないか、誤って2度数えていることはないか、数え間違えていないか…

いくらでも可能性を洗ってみる。

その作業に予想以上の手間がかかった。

これまでそうした作業は店長と一緒にやって来た。

先月の頭も月初書類作業は1人でやったが、棚卸しの調整等は店長と一緒にやった。

1人になるとこれまで店長が影ながらフォローしてくれていた部分も当然1人でやらなければならない。

失って初めて分かるありがたみ…とは良く言ったものだ、まさにその通り。

もっとも閉店後に元店長(すでに"元"店長なんだよな)が来てくれて、色々話したが、そこで改めてこの人とはあまり合わないな…というのは感じちゃったけど。

失って分かるありがたみと、個人的に合う合わないは全く別次元だ。

1日書類作業をしていてもまだ終わらない。

月初に本部へ提出する書類は1,2,3日とそれぞれ締切りが決まっている。

この日にやるべきことは終わらせて、他の書類もあと少しで終了というところでダウン。

ダウンというかもう帰りたくなったので「ヤメヤメ、後は明日」という感じで帰った。

もっともそれでも2時過ぎだけど。

 

2001年9月2日 日曜日

月次決算書類の仕事はまだあったが、土日に2日連続全く売場に出ないのもどうかと思い普通に働いた。

だが売場に出て仕事をするとあまりにも眠い。

自分でもスピードと作業効率がかなり悪いのが分かる。

スタッフの皆には申し訳なかったが「書類やってくる」と言って事務所行って仮眠した。

残った月次決算書類をどうにか終えたのは閉店後深夜1時30分。

この日は元店長が来ることもなく、ずーっと1人でやっていた。

1人自分の意志で残る分にはそれほど苦痛ではない。

大きな書類は片付けた、あとはミスがなかったことを願うのみだ。

これで翌日からは少しでも仕事に余裕が出来るかなと思った。

ところが翌日からは求人情報誌にウチの求人広告が掲載される。

すると面接が入るはず、面接をするのは当然私…休めるのはまだ先かな。

 

2001年9月3日 月曜日

店長になって本部からいくつかの書類が送られてきた。

ウチの店は県から営業許可を得る必要がある。

それに誰が責任者かを明記する必要があり、店長が代った時に登録をしなおす必要があるのだ。

許可申請書に署名・捺印をし、私の住民票と身分証明書も添えて提出をする。

また消防署へ防火管理者の申請者変更などもしなければならない。

先月防火管理者の資格を取っておいて良かった。

事務手続きも面倒臭いものだ。

そして店長になってこれまで出来ていたことが巧く出来なくなっている。

売場を効率良く回す、フロアコントロールというのだが、それが巧くいかない。

これまでそれほど苦労なく出来ていたフロアコントロールが店長になった途端に出来なかった。

理由は明白、店長になると方々から電話が入ったりして売場での作業が中断される。

常に売場を見ていられなくなるので、動きもなかなか把握できない。

それでは巧くフロアコントロールも出来なくなる。

それから休憩もこれまでのように取れなくなってきた。

これまでは休憩では飯食ってまったりしたり、スタッフと喋ったり出来たがそれも出来なくなってきた。

何かしらの書類作業やったり、電話がかかって来たりして、ゆっくりする時間がなくなってきた。

書類作業などは閉店後にも出来るのだが、なるべく早くやってさっさと帰りたいというのがあるので飯食った後の休憩時間中にやってしまう。

休憩と仕事の境界線がなくなってきたのだ。

オマケにこの日の休憩でまた鼻血…勘弁してくれ。

この日までにやるべき書類業務は終わっていたので0時過ぎには帰った。

家に帰ると高校時代の友人から電話があった。

友人は会社は違えど新卒で就職し、埼玉で1人暮しをしている。

お互いの近況報告電話、旧友と話すとホッとする。

翌日には家のガス熱量変更とやらがあり、それに立ち会わないといけないので店へは12時出勤。

久しぶりにゆっくり眠っていられるのかな?

そして午後から店へ行くと面接が待っている。

この日掲載されたウチの求人に何人かが応募してくれて早速翌日から面接が入った。

初めての面接…選ぶ側に回るのは初めてだな。

 

2001年9月4日 火曜日

午前中、アパートのガスを天然ガスにするための熱量変更が行なわれる。

それには居住者の立ち会いが必要とのことで、この日は午後から出勤することにした。

久々にゆっくり眠れると思いきや、思ったよりも早くガス会社の人間が来た。

寝惚け眼で迎え入れて、ガス会社の人間がキッチン辺りで何やら作業を始めた。

何もする事がなかったので私はそのままベッドに倒れ込み眠った。

ガス会社の人間が作業をしているのも構わず眠った。

少しすると声をかけられて起きた「終わりましたんで…」

ボーっと立ちあがって「あぁ、そうですか。ご苦労様です。」

ガス会社人間が去ると再びベッドへ倒れ込む…。

店のスタッフには12時出勤にすると言ってあるからそれまで何としても眠らなければ…。

体力が完全回復とは勿論ならないが、そこそこ良い休息になった。

昼過ぎに店へ行く、この日だけで5,6件の面接が入っていた。

面接1発目、とっても真面目そうなおとなしそうな女のコ。

休憩室兼倉庫に通して、休憩室のテーブルで面接。

「本日面接を担当させて頂きます紘之と申します、宜しくお願いします。履歴書はお持ち頂けましたか?」

で始める、この始め方は先月の仙台駅前店スタッフ採用の面接で覚えた。

履歴書を渡され「拝見させて頂きます。」と履歴書を見る。

私は面接など初めてなのでどうしたら良いかは判らない。

まずは履歴書を見ながら何でも適当に気になったことを質問する。

年齢・学歴・職歴・趣味・特技…何でも良いから適当に。

仙台駅前店の面接を横目で見ていた時は会社の経営理念まで説明していた。

だが、私にはどうしてもそこまで出来なかった。

そんなこと話してもあまり意味がないように思えたし、私自身も経営理念をそれほど理解していなかったので巧く説明できる自信がなかった。

元店長に駅前店の面接で経営理念まで説明していたという話をしたら、"俺はそこまでしない"と言っていた。

"だって最初にそこまで言っても相手は判んないもん"という理由だった。

だからというわけではないが、私も経営理念の説明はしなかった。

面接では定番の質問、志望動機も聞く。

最初のコのそれが結構ショックだった。

専門学校に行きたいが、親が病気なので自分で学費を稼がなければいけないという。

採用してあげたいなーとは思ったが、何だかこれという決め手がなかった。

そもそも何を基準に採用したら良いのかなんてのも私には判らない。

何よりも初めて面接をした最初のコでいきなり採用を決めるわけにはいかないとも思った。

合計4人くらいを採用するつもりで今回求人誌に掲載した。

これからもまだまだ面接は続く、ここでいきなり1人決めるわけにはいかない。

「面接の結果は1週間以内を目安に採用の場合は電話で、不採用の場合は履歴書を郵送で返却致しますのでその際はご了承下さい。」

最後にそう言って面接終了、これも駅前店面接でそうしていたのでそれに倣った。

2人目はスーツを着て来た真面目そうな男性、同じ年だった。

やらないつもりだったが、試しに経営理念の説明をしてみた。

相手はハイ、ハイと聞いているが、どうにも頭の上に?マークが付いていた。

もっとも私も説明しながら頭の中に?マークが付いていたが…

それでもう経営理念の説明はすまいと思った。

31歳男性フリーターの人の面接はやりにくかった。

どうしてもこっちが年齢の事を意識してしまう。

話していると、職がなくてアルバイトでも良いので働きたいと言う。

最初の女のコ同様に何だか採用してあげたいなーと思ってしまった。

でもこれといった決め手がなかったし、変な同情で採用するのは違うとも思った。

たかだかアルバイトの面接かもしれないが、それによって相手の人生を多少なりとも変えることになる。

そう思うとプレッシャーもかかった。

1人1人に仕事内容の説明もしなければいけないので、結構多く喋る必要がある。

面接初日にしてかなり疲れた。

ずーっと座っているのだが売場で仕事するよりもよほど疲れた。

やはり精神的にだろうな。

 

2001年9月5日 水曜日

朝が相当辛くなってきた、起きられない。

この日も当然面接があった。

前日の4,5件の面接はいずれも"採用したい"というのも"採用したくない"というのもいなかった。

"採用してあげたい"はいたけれど、どの人も平均点というところだった。

ところが今回の面接では両極端の2人が来た。

初めて"採用したい!"と思えた人と"採用したくない!"と思えたのがそれぞれ来たのだ。

前者は18歳の男のコ。

返事がハキハキしていて明るく元気が良く、やる気が伝わってきた。

働ける時間帯もこっちの希望と一致したので初めて面接をしながらこのコは採用したいな、と思えた。

この後もっといい人が来るかもしれないので、その場で採用を即決することはなかったけれど、殆ど心は決めていた。

その後で来たのが初めて"採用したくない"と思えた人物。

私と同じ歳の男子。

「自分はこの店の常連で店内のことは良く知っている、商品知識も豊富だ」と自ら言う。

こっちを試すように「何々って知ってます?」と逆に質問してきたりし、自分の知識をひけらかす。

1つの質問に対して答えがかなり長く、話し方もイライラした。

仕事内容の説明をすると「知っています、しょっちゅう店に来るのでよく見ます」と。

面接をしながら"絶対採用しねー"と思った。

あまりにも協調性や話を聞く態度が出来ていなかった。

面接は疲れるけれど、色々な人を見られて面白い。

少しは面接を楽しむ余裕が持てるようになった。

 

2001年9月6日 木曜日

この日もやはり数件の面接、殆ど顔も覚えていない。

40代の主婦を面接したことは覚えている。

スーパーのパート感覚で面接に来た。

最初からチョット違うな…と思えたので簡素な面接になった。

調べてみるとこの日までで既に15人面接をしている。

その中で採用したいと思えたのは前日の1人だけ。

うーん、採用の基準が厳しいのかな。

…といっても自分の中で採用の基準ってのが何なのかはよく判っていないのだが。

元店長に相談すると「イイと思ったら全員取っちゃえ」とのことだったが、なかなかそのイイと思えないのだ。

まぁまぁは沢山いるのだが、イイというのはなかなかいない、難しいものだ。

閉店後に駅前店店長にして新しく我らのエリアマネージャーとなった人が店に来た。

店長になった今、直接の上司はこの仙台駅前店店長兼エリアマネージャーになる。

駅前店オープンの際に貸してあった備品等を返しに来たのだ、わざわざエリアマネージャー直々に。

話をすると3日後に東北エリア全体でのエリア会議と損益勉強会を開催すると言う。

新しく仙台も加わって編成された東北エリアで集まっての会議と損益の勉強会。

店舗会議があるのでそれにあわせて本部へ行き、そこでエリア会議も開催するという。

それに私は当たり前だが店長として参加するのだ。

当然だが自分の店の実績報告や分析を自分でやらなければならない。

店長としてのエリア会議参加、かなり大変そうだ。

息つく暇もないな…。

 

2001年9月7日 金曜日

面接ばかりしている日々だ。

この日は来た、"採用したい"と思える女のコだ。

明るい雰囲気と良い笑顔、そして素直な受け答え。

面接をしながらも心の中では採用だな、と決めていた。

まだ私の中に確固たる採用基準というものがない。

だからどうしても目先の明るさとか素直さなどに目が行く。

ハキハキとした受け答えや飾らない素直な答えをする人、笑顔が良い人、その辺りが基準だろうか。

おとなしいけれど内に秘めた光るものを見抜いて採用するなどという芸当はまだ出来そうにない。

目に見える部分に大きく採用基準が偏ってしまう。

採用基準が「私が一緒に働きたいと思った人」だからそれでも良いかなと思っている。

仕事が出来そうな人や、こっちの望む時間帯に入ってくれる人よりも一緒に働きたい、と思える人を優先したつもりだ。

なんとなく判ってきたのは、可もなし不可もなしだったら採用できないということ。

失礼な言い方だが"採用してあげたい"程度の人はゴロゴロいる。

動機に違いこそあれそれに差はつけられない、皆それぞれに働きたい事情があるのだ。

そして面接をしているとよほど極端でない限り、どの人も平均点はいくのだ。

殆どの人が可もなし、不可もなしになる。

だから"採用してあげたい"ではなく"採用したい"と思えた人だけを採用する。

正直言うと女の子は(まぁ男子も多少は)顔も見ていた。

先輩社員が店の客数を上げるにはレジの女の子にいかに可愛い子を揃えるかだ、なんて言っていたのを思い出した。

まぁそれも一緒に働きたいと思える一因ってことで…怒られそうだな。

 

2001年9月8日 土曜日

翌日から本部でのエリア会議・店舗会議に備えて、この日の夕方には仙台から本部へ向けて出発することになった。

午前中は面接で、午後にはエリア会議の準備でやはり殆ど売場に出られなかった。

翌日からの会議で火曜日まで店を空けるのでしばらく店にはいないことになる。

面接はこの日で殆ど終了、求人誌掲載も木曜日が最後だったので電話もかからなくなっていた。

この日の面接をもって殆どが終了なので、最終的に採用する人も決めないといけない。

朝の時間帯と夜の時間帯でそれぞれ2人ずつの計4人。

私の中で採用する人は殆ど面接の時点で即決できていた。

採用予定者には電話をする、最初の頃に面接をして採用を決めた人にまず電話をする。

面接の結果は1週間を目安に採用なら電話・不採用なら履歴書を郵送ということにしていたので、最初の頃に面接をした人に早く結果を知らせる必要があったのだ。

電話をして採用の旨を伝え、初出勤日などを話す。

本部から帰ってきた2日後に新人2人を受け入れることにした。

残りの2人は後半に面接をした人達なので、本部から帰ってきて連絡をするつもりだ。

午前の面接を終えて、午後はエリア会議の準備。

東北エリアになって初めてのエリア会議。

自分の店の実績報告・分析その他を全部自分でやらなければいけない。

その準備の為に事務所に篭ったのだが、準備といっても何を準備したら良いのかもいまいち判らない。

8月の決算書類を印刷し、その結果を自分なりに検証。

…といっても8月は自分の店には殆どいなかった、駅前店にばかり行っていた。

だから実際に売場にいた感覚ではなく、売上日報等の数字を見て判断するしかなかった。

夕方、店を出て一旦家に戻り、本部へ行く準備をする。

今回は3泊するのでそれなりの準備が必要だ。

会議の準備も宿泊の準備もどちらも何か忘れ物がありそうで落ちつかない中で本部へ向かった。

仙台で仙台の社員と待ち合わせをして本部へ向かう。

駅前店の社員はエリア会議には不参加。

店がオープンして1ヶ月も経たないでスタッフだけで店を任せるのには不安があったのだろう。

もっとも駅前店店長は東北エリアのエリアマネージャーでもあるから当然参加した。

本部の最寄駅でたまたま東北エリアの社員達と合流した。

青森・秋田・庄内から来ている人達だ。

仙台駅前店オープンの時に顔を合わせてはいるが、こういうちゃんとした場で会うのは初めて。

これから同じエリアの一員として1から関係を作っていかなければいけない。

その為の方法として会社恒例のホテル部屋での座談会。

18時過ぎに仙台を出て神奈川へ向かったので夜は遅く疲れていたが、お構いなくホテル部屋での座談会。

当然だが自己紹介もしなければいけない、東北エリア内では1からのスタート。

しかし今回は店長としてのスタートでもある、大変だ。

本部の近くにあって、会議のたびに泊まっているホテルがある。

そこのホテルのツインルームは大きなソファーなども置いてあり、部屋が結構広い。

3泊もするのでそれなりの経費がかかる。

そこで4人でツインルームに泊まることになった(本当はいけないんだろうけど)。

大きなツインルームなのでそれが可能なのだ。

だが、一緒に泊まるのは私と同期、そしてあとの2人は先輩社員。

必然的に先輩2人がベッドで寝ることになる。

私と同期はソファーである。

経費削減すんならこっちは実家に帰るよ…

先輩社員に話すと「だってホテルの部屋で懇親会やるじゃん」という理由で認められない。

店長になってもその辺の決定権がないことに変わりはないか…。

 

2001年9月9日 日曜日

朝、東北エリアの会議が本部で行なわれた。

改めて会義の席でまた自己紹介。

会議の内容は8月の計画と実績を見てその差異の検証がメイン。

これまで横にいて困った時に教えてもらっていた元店長がいないのできつかった。
(元店長は自分の店が大変らしくエリア会議には不参加)

自分の発言がそのまま店の実績報告になり、フォローしてくれる人がいない。

そもそも8月の計画を立てたのは私ではなく元店長。

そして8月の実績といっても私は自店舗にはおらず、店にいたのは元店長。

何を話して良いのかも判らず、無難に数字上の結果報告と僅かな分析に終始した。

午後からは会社の取締役が直々に我々に損益の勉強会を開催してくれるという。

取締役といっても30代前半くらいの人。

学生時代に店でアルバイトをしていて卒業と同時にそのまま就職をして、取締役にまでなった人だ。

月の計画の立て方や、損益上の数字の意味などを教わる。

基礎の基礎ということだったのでそれほどそれほど難しい内容ではなく、まずまず理解できた。

特に私にとっては店長になったばかりで、前任店長から計画の立て方などはあまり教わっていなかったのでためになった。

ためにはなかったが学校の授業みたいだった。

そして学校の授業同様眠たくなった。

どうしても眠るわけにはいかなかったが、所々でウツラウツラ…見られてなかっただろうな。

勉強会を終えると、取締役と一緒に懇親会。

「取締役の話を間近で聞ける機会はあまりないから大切にしなさい。」

とは先輩社員のお言葉。

その懇親会では居心地が悪かった。

入社して最初に行なわれた懇親会でも居心地が悪かった。

エリアが変わった今、その最初の懇親会と同じような居心地の悪さを感じていた。

どうも居場所がないような感覚だ。

早く終わらないかとばかり思っていた。

入社してから懇親会に慣れたのは3回目くらいの懇親会のときだったか。

今回も場を重ねないと居辛いのか…これは私の性格の問題かな。

ようやくその懇親会を終えた。

すると2次会もやるという話し、2次会も勿論同じような真面目な話しの場だ。

この会社では飲んで騒ぐという観念が一切ないのだ。

その2次会は「本当に来たい人だけが来れば良い、疲れていたら帰って休むのもOK」と言われた。

ポーズとしてどうしようか迷った後に、当然不参加を表明した。

ホテルへ戻って、話し易い同期らとちょこちょこ話をしてこの日は終了。

 

2001年9月10日 月曜日

朝からの雨、どうやら台風が来ているらしい。

この日は月に1度の店舗会議。

先月は忙しくて会議が開催されなかったので2ヶ月ぶりだ。

全社員が集まる店舗会議は何回か書いている通り体験発表会だ。

社長講話が1時間ほどあり、その後は順次体験発表会へ移行する。

新店をオープンさせた店長、実績を上げた店長や分社・本部の人、色々な人の体験発表の場である。

だいたい毎回15人ほどの選ばれた人が壇上で発表する。

具体的に私は何もしない、それらしい顔をしてメモを取りながら話を聞くだけだ。

この会議はいつも眠気との戦いになる。

社長講話でも眠くなることがある、だが社長講話で寝ているのが判ったら何を言われるか判らない。

同期と話していて、同期が社長講話で眠っているのを育成担当者に見られてこっぴどく怒られたらしい。

「中途半端な気持ちなら会議に来るな!」と。

私なんかいつも中途半端な気持ちなのだが…。

今回の会議は仙台駅前店の店長にして我ら東北エリアのエリアマネージャーの発表や知っている社員の発表もあったので引き締まった。

会議はただ受身で聞いていれば良いからまだ良いのだが、その後に必ず懇親会が開催される。

この夜も例外ではなく、東京エリアの社員らと合同での懇親会。

東北エリアの懇親会でも未だに馴染めずに居辛いのに全く知らない社員とも合同での懇親会。

居心地の悪い時間を過ごす。

もっとも、その場にいても適当に話して時を経過させる術は既に身についていた。

懇親会が終わっても終わりでないのはいつものこと、ホテルの部屋に場所を移しての座談会。

同じエリアの人達だしこっちの方がまだ気は楽だった。

仙台にある加盟店へ経営委託として出向している私の元店長とも久々に話をした。

元店長によると出向先の加盟店はスタッフのやる気が極端に低く苦労しているとのこと。

そこで直営店から応援部隊を派遣することになるという。

近場の仙台からの応援部隊が主、勿論私も参加する事になる。

私も自分の店が人手不足でこれから新人を受け入れていくのでかなり忙しくなるのだが…

でも「自分の店が忙しいので行けません」なんて言えるわけがない。

結局行くことになるんだろうな。

この日も3時過ぎまで話していた。

 

2001年9月11日 火曜日

3泊全てソファーでの寝起き、経費削減のためとはいえ辛いわ。

仙台に戻る日、台風の影響で大荒れの天気。

実家によりたかったが、天気の荒れがひどかったので帰れるうちに帰った方が良いと判断。

列車はかなりの徐行運転だったが新幹線はちゃんと動いていて無事に仙台に戻れた。

店へ行って売場には出なかったが、事務所で書類作業。

仙台でも台風が来ていてチャリで来たスタッフが帰るのに困っていた。

店の車(バン)を出して、それにチャリを乗っけて家まで送って行ってやった。

再び店に戻ると疲れもたまっていたので、早めに帰らせてもらった。

休みではないが、早く帰れるだけでもだいぶ違う。

TVを見ているとアメリカで大規模なテロが発生云々と各局で騒いでいる。

なんかかなりの大事件っぽい。

私は早く寝ることだけを考えていた。

 

2001年9月12日 水曜日

台風一過で晴天、ニュースは朝からアメリカ同時多発テロのニュースを放送している。

店のスタッフですらそのニュースの話題。

もっとも「凄かったねー、どうなるんだろ」程度の話題だけど。

凄いことなのは判っていたが、そんなことよりも目先の仕事。

後半に面接をした人達から朝の時間帯、夜の時間帯それぞれ1人ずつの採用を決めた。

採用者に電話をして翌週始めからの出勤に決めた。

翌日には先に採用を決めた2人の初出勤がある。

今回の面接で計4人の採用を決めた。

後で調べたら全部で25人の面接をしていた、結構な数だ。

25人中4人だから倍率高いな。

4人の内訳は18歳フリーター男子、20歳学生女子、19歳フリーター女子、26歳フリーター女子。

女性が多くなった。

そのつもりはなかったが、「一緒に働きたいと思える」という採用基準を満たすのは女性の方が多くて(笑)

もともと私の店では女性スタッフの数が圧倒的に多い。

今回の採用で店長の私を含めて男は4人、女は13人。

先輩社員にはハーレムだなと冷やかされた。

そもそも店や仕事内容のイメージからか女性の方が面接希望者が多かった。

さらに男性だと同性ということで私が厳しく見ていたという部分もあるかもしれない。

ともかく、これで採用活動は一段落した。

しかし大変なのはこれから、新人さんを育てていかなければいけない。

翌日に初出勤する新人さんの受け入れ準備。

個人データをPCに打ち込んだり、名札やタイムカード用コードを作成したり、ロッカーや備品を用意したり…

結局なんだかんだで3時前まで店にいて仕事していた。

 

2001年9月13日 木曜日

初めて自分が採用したスタッフを受け入れる。

朝、いつもよりも早く店へ行き新人を待つ。

朝の時間帯は最初に好印象だった18歳の男のコ。

まずは店に来てくれただけで一安心したし嬉しかった。

給与振り込みの銀行口座を記入してもらったり、雇用契約書にサインしてもらったりといった事務手続きをする。

売場では私がついて1から教えていく。

しかし忙しくなってきたり、店に電話がかかって来たりするとどうしてもずっと見ていられなくなる。

夜の時間帯の学生の女のコもちゃんと初出勤に来てくれた。

当たり前のことかもしれないが、来てくれただけで嬉しいものだ。

彼女にも最初は私が基礎的なことを教えるが、必ず途中で私に何らかの仕事が入る。

初日にして1人でずっと教えることの限界を感じてしまった。

考えてみれば当たり前のことだ。

1人しかいない社員にして店長が、1日ずっと1つの仕事をしているわけにはいかない。

やはりここは既存スタッフにある程度新人さんの教育は任せないとやっていけない。

そんな中で翌日は私の元店長が出向して店長をしている加盟店へ行く。

加盟店のスタッフに仕事に対する姿勢や楽しさやを教え、やる気を出させるというのが主な理由。

スタッフにあまりやる気が感じられないらしく、そこで店長は苦労しているらしい。

仙台にある他の直営店からもその加盟店に日替わりでヘルプが入っているらしい。

私が行って何が出来るのかは判らないが、とりあえず行かざるを得ない。

何せ自分の元店長が苦労をしている。

一応世話になった身としては、手助けに行かなければ。

ウチの会社はそういう義理とか繋がりを大事にしてるし。

本音は自分の店にいたいんだけど。

 

2001年9月14日 金曜日

元店長と待ち合わせをして車で元店長出向先の加盟店へ。

ウチからだと少し遠くて車で30分以上かかり、朝の8時30分に家を出た。

朝礼でいきなりやる気を感じられない加盟店スタッフ。

もっとも、事前に元店長から「かなりダメだから」と聞かされていたので先入観もあったが。

加盟店にヘルプに行ったという扱いなのだが、実際に何をしたら良いのかがよく判らない。

加盟店スタッフは通常作業はそつなくこなせる、これまでだってそうしていたのだから。

今回の主目的は仕事に対する姿勢や楽しさを教え、スタッフにやる気を出させる

直営店の仕事に対する考え方としては、

仕事はイヤイヤやるものではない、店の皆で1つの方向に向かって一生懸命努力すれば自ずと楽しくなる…

さぁ頑張ろうよ、というようなもの。

私もなんとなくは判る、8月の駅前店オープンの時はまさにその気持ちだった。

しかしそれを人に伝えられるほどは納得できない。

駅前店オープンのようなイベントならばそれも理解できるが、通常業務に戻るととてもそうは思えない。

皆で1つの方向って何?仕事はやはり仕事でイヤイヤではないけれど好きでもない、仕事だからやる。

自分の中で納得していないものを他人に伝えられるわけがない。

では私は加盟店へ行って何をしたら良いのか。

とりあえずマニュアルに忠実に行動した。

仕事の楽しさなど自分がそれほど感じていないものを人には伝えられない。

ならばキッチリと仕事をする姿を見せるしかない。

店は暇だったので、通常の作業はとてもはかどった。

その加盟店は閉店時間が0時で必然的に帰宅は2時頃、それがキツイ。

店長と話しをしていると来週もまた行くことになりそうだ。

 

2001年9月15日 土曜日

店で通常業務。

閉店後に1人で事務作業をしていると、本来は店長の許可を得なければやってはいけない仕事をスタッフだけでやっていたことが判った。

それほど重要はない仕事だが、黙って見過ごすわけにはいかない。

こういう小さなことを放置すると大きな不正に繋がる恐れがある。

入社直後の4月に当時のスタッフの不正があった時に、当時のエリアマネージャーが不正をさせない環境を作ることが大切だと言っていた。

小さいことでも放置せずに、全体で引き締まった空気を作ることが大事だ、と。

社員が1人しかいないので、チェックの目は甘くなる。

不正をさせない空気を全体で作る必要があるのだ。

なのでこれも放置するわけにはいかない、そのスタッフが入っているのは翌日の夜の時間帯。

そのスタッフにはちゃんと話さなければいけないなと思った。

そんな矢先で翌日に急遽前日にも行った加盟店のヘルプが入った。

仙台の他店の店長から電話があって、一緒に行かざるを得なくなった。

翌日は日曜日なのに、しかもこっちは既に朝一で店の仕事をやらなければならなかった。

車を使う仕事で、その日は行けるスタッフがいなかったので私が行く必要があった。

加えて夜の時間帯にはスタッフに前記の話しもしなければいけない。

その辺りの事情を説明したが、それならば朝の仕事を片付けてから加盟店ヘルプに行き、夜のスタッフと話せる時間に戻れば良いとのことだった。

結局、加盟店ヘルプには行かなければいけなくなった。

こっちはそれどころじゃないんだけど…

 

2001年9月16日 日曜日

朝、車を使った仕事を済ませてそのまま加盟店へ車を走らせる。

加盟店では基本的に通常業務。

日曜日なのでそれなりに忙しい。

加盟店にいる店長や、仙台の他店の店長にも昨夜私が発見したスタッフが私の許可を得ずにやっていた仕事の話をする。

すると2人とも「ウヤムヤにせずに、きっちりダメなものはダメだとスタッフに言うべきだ」との意見だった。

そこで自分の店の閉店間際に店へ戻った。

関わっていたスタッフ2人を事務所に呼んで、前日発見したことを話す。

すると2人はそれが店長の許可が必要なことだと知らなかったと言う。

どうやらその言葉に嘘はないようだった。

それ以外にもいくつか質問したが不正に繋がるようなことはなかった。

とりあえずは一安心。

翌日には朝夜にそれぞれ新人が入る。

それの受け入れ準備等で帰宅は2時過ぎ。

 

2001年9月17日 月曜日

朝から新人スタッフの受け入れ。

業者や他店舗からの電話などはなかったので、つきっきりで仕事が出来た。

早番に採用したスタッフ(♀)は面接での好印象通りで、かなり良い感じ。

遅番に採用したスタッフ(♀)は素直な良い子なのだが、控えめで声が小さい。

どちらも採用して良かったと思えたので良し。

店のスタッフで1番長くやっている主力の女の子のスタッフが10月で辞めたいと言ってきた。

別に仕事が嫌になったからとかではなく、前々からずーっと考えていたことだという。

前任店長にも何度もその話をしてきたが、なかなか聞き入れてくれなかったらしい。

その彼女の話しを聞いて、彼女が辞めることに異論はなかった。

それについて私からとやかく言える筋合いはないと思った。

ただ単純に戦力として考えただけでもかなり痛い。

私に1から仕事を教えてくれたのは彼女だったし、現在でも頼っている部分が多々あった。

これからもっと大変になっていきそうだ。

翌日は朝から加盟店ヘルプ

 

2001年9月18日 火曜日

加盟店ヘルプ、今回は店の車で1人で加盟店へ。

居眠りしそうなほど眠たかった。

加盟店には他の直営各店からもヘルプが来ていて、久々に会う同期などもいた。

そこで仲の良かった同期が辞めそうだ、という話を聞いた。

体調を崩し、それが仕事に対する精神的な所から来ているらしく、ずっと休んでいるという。

9月のエリア再編で違うエリアになってしまったけれど、入社して以来同じエリアでやって来た同期だった。

精神的に不安定らしく、電話などもしない方が良いという。

大丈夫だろうか、明日は我が身なんて事がないようにしないと。

 

2001年9月19日 水曜日

昼過ぎまで自店舗で働いて、夕方からは加盟店ヘルプ。

いつになったら休めるのやら。

 

2001年9月20日 木曜日

この日は自店舗で1日仕事。

 

2001年9月21日 金曜日

朝は自店舗、夕方から加盟店といういつものスケジュール。

眠気が相当やばくて、自店舗では「書類作業やってる」と言って事務所に篭って仮眠。

夕方、加盟店に行く時も店の車で行くので途中のコンビニに車止めて仮眠。

加盟店は0時閉店なのが辛い。

自店舗でも閉店後にダラダラ0時まで仕事をすることなどはザラだが、営業が0時までというと話しは別だ。

0時までの営業の店舗もあれば、ウチのように22時までの店舗もある、東京には20時までという店舗もある。

新入社員の初任給はどこに配属されようと基本的に同じ(いきなり店長やってる奴は違うだろうけど)。

残業手当云々が存在しない会社だというのは先述の通り。

なんか違うよな。

 

2001年9月22日 土曜日

遂にダウン、9時40分、自店舗のスタッフから携帯電話に電話があった。

それまで全く起きることなく爆睡していた、相当キてるな。

店長になってから当たり前だが店のことは全て私がやる。

毎週末に新聞に店の宣伝をするために折込み広告を入れているのだが、それの配布地域なども私が決める。

土曜・日曜・月曜と3連休になるので土曜日にドーンと広告を入れるつもりだった。

ところが、忙しさにかまけてすっかり忘れていた。

忘れたものは仕方ない、どうしようもない。

ただ1人でやらなければいけないことが多すぎる。

慣れた店長などは腹心のスタッフを育てて、それに色々と仕事を振るという。

私にはとてもそこまで出来そうにない。

まずは自分のことで精一杯だ。

1日自店舗だったので、閉店後に残るのをやめて0時前には帰った。

翌週のスケジュールを組んで、水曜日にようやく休みを入れた。

ようやく休みが取れそうなスタッフ状況になったのだ。

スタッフにも「来週の水曜日は絶対休むからな!!」と強く宣言した。

あと少し、あと少し。

 

2001年9月23日 日曜日

仙台の同期が備品などを借りにウチの店に来た。

そこで少しお互いの近況などを話していて、仲の良かった同期が辞めたことを知った。

先日辞めそうだと話していた、仲の良かった同期だ。

仕事に関するストレスやら何やらで自律神経失調症になったという。

1度は復帰したが、今回遂に退職に到ったという。

週1日あるかないかの休み、1日10数時間労働…

それに加えてその同期は育成担当者と合わなかったらしい。

それらの心労が重なって自律神経失調症…。

私も危なかったのかな、もとい危ないのかな。

 

2001年9月24日 月曜日

前日の秋分の日の振替休日でこの日も休日。

この日入っているスタッフが少なかったのもあるが、かなり忙しかった。

そんな忙しい中、エリアマネージャーから電話があった。

20日までに提出すべき次月の損益計画が送られていないという。

なにー!!そういえばスッカリ忘れていた…。

エリアマネージャーは勿論、本部にも送らなければならない大事な損益計画なのに。

すぐに送ります…とは言ったものの店は慌しく大忙し。

結局閉店後に必死に損益計画を作成。

早くやらなければと慌てて作った為に、何の裏づけもない計画。

突っ込みどころが満載、やばいなー。

 

2001年9月25日 火曜日

疲労の蓄積がずーっとピークを迎えたままだ。

この日は車で外へ出る仕事だったのだが、必要なお金や書類や道具全てを忘れて出かけるという大失態。

ただ1人車に乗ってボーっと出かけていっただけになってしまった。

現場に到着する前にスタッフから携帯電話に電話がかかってきた。

「持ち物全部忘れてますよ!!」

慌てて店に戻る、スタッフからは働きすぎですと笑われた。

夕方からは加盟店ヘルプで1時まで加盟店で仕事。

それから既に閉店している自店舗に戻って、25日時点での実績報告を作成。

そう、翌日は休みなのだ。

何日振りの休みだ?とにかく休みなのだ。

帰って美味いはずの酒を飲むも、気が付くといつのまにか熟睡。

 

2001年9月26日 水曜日

実に8月17日以来の純粋な丸1日休み、何連続出勤だったんだ?既に数えるのも面倒臭い。

9月30日には中間決算棚卸しがある。

閉店後にスタッフ総出で店内全ての商品の数を数える一大イベントだ。

夜通し行なわれる作業の為に、それまでには絶対に休んでおかなければならない。

そんなわけでようやく休みを取ることが出来たのだ。

仕事以外では久しぶりに仙台駅前へ行った。

銀行に行って預金残高を見ると、思ったよりもあった。

そこで考えた、そろそろ車を買おうということを。

もともと車を買うことは就職してからの1つの目標であった。

そして店長になったことによって休みが各段に減り、深夜に行動することが多くなった。

チャリで行動できる範囲内には深夜でも営業しているのはコンビニくらい。

車があれば、行動できる範囲が各段に広がる。

24時間営業のスーパーや定食屋、ラーメン屋なども行動範囲に入る。

車を買う、遠いところにあったはずの目標がすぐ近くに来ていることを実感した。

そんなことを考えながら、少し豪勢に昼飯は牛タンを食う。

牛タンも無難に美味いのだが、定食で一緒に出てくるテールスープが美味いのだ。

決して脂っこくなく、牛テールがとろけるような美味さ。

ただ牛肉の筋が歯に挟まるのが難点。

発泡酒1ケースも購入、どんなに忙しくても毎晩飲んでいる。

あっという間に過ぎ去る休み。

状況的に休めなくなる月末に突入だ。

 

2001年9月27日 木曜日

休み明け、さすがに目覚めは良好。

昼過ぎんに加盟店のヘルプへ。

8月は仙台駅前店ヘルプ、9月に入ると加盟店のヘルプ。

どこが自分の店なのかよく判らなくなっている。

この日はなんと本部から直営事業部のマネージャーがわざわざ仙台にお見えになった。

直営店の店長(私の元店長)が、加盟店に出向しての経営委託。

過去に3例しかない加盟店への経営委託なので、本部としても注目しているのだ。

直営店舗100数十店舗を統括する直営事業部マネージャーが直々に仙台へ。

チョット挨拶を交わしただけだったが、緊張した。

こっちは1度も直に話したことがなかったのだが、向こうは私の名前を知っていた。

なんだかそれだけで嬉しかった、事前に覚えてきたのだろうけど…。

 

2001年9月28日 金曜日

朝から加盟店へ。

直営事業部のマネージャーが自ら加盟店の朝礼に参加するというので、そこに居ざるを得ない。

私の直属の上司であるエリアマネージャーも参加、仙台の店長は全員参加だ。

直営事業部のマネージャー、東北エリアマネージャー、仙台の全店長…

錚々たる面々、あ、店長には私も入っているのか…。

絶対に遅刻するわけにはいかなかった、かなり緊張した。

幸いにして朝礼で一言ふられることはなかった。

何言っていいか判らない。

この日は自店舗でもかなりスタッフの数が少なくて、できるならば自店舗を離れたくなかった。

だが、それら錚々たる面々が集まるので必然的に参加せざるを得なかったのだ。

夕方には自店舗に戻れたのだが、そこでスタッフに「遅いですよ!」とチョット怒り気味に言われた。

あのなぁ、こっちだってなぁ…色々言いたいのを辛うじて抑えた

管理職は辛い…

閉店後(22時半すぎ)にようやく落ち着いたと思ったら、加盟店店長で私の元店長から電話。

至急備品が欲しいという、その備品は私の店で余っていた。

「出来れば今すぐ持ってきて。」

ハァ…?!ふざけんなよ、今からかよ。

車でもって行っても往復で40分以上かかる。

断る理由が見つからなく、持っていくハメに。

ふざけんなふざけんな、そればかり思っていた。

何してんだろ、俺…そんなことを考えていた深夜の路上だった。

 

2001年9月29日 土曜日

店で値札の張り替えをしていたガキを捕まえた。

ウチの店ではバーコードなどは使用していなくて商品の値札をレジに登録して販売している。

貼られた値札をレジに打ち込んで会計をする。

だから値札を張り替えれば、その値段でレジを打つのだ。

商品を持ってきた高校生くらいのガキ、レジに持ってきた商品と値札を見て何か変だなと思った。

これがこの値段とは思えないのだが…

疑問に思いつつも確信がなかったので、とりあえず会計を済ませた。

そのガキ、店を出ずに店内をうろついていたので、さりげなくそいつが持ってきた商品を調べて見た。

すると値札の張り替えをやったであろう証拠が見つかったので思いきって声をかけた

「お客様、チョットこちらまで宜しいでしょうか」

自分のやったことがばれたのが判ったのか素直に着いてきて、事務所に連れ込む。

他の客が見えない所に連れるが否や、胸倉を掴んで壁に押し当てる。

「テメー何やったか判ってんだろうな?!」

怒気を含んだ声で言いながらも結構こっちも緊張していた、何持っているかも判らないし。

バイトの頃に万引きを捕まえた社員を横で見ていたことはあった。

それのフォローなどはしたことがあった。

だが実際に自分が捕まえて何かをしたことは1度もなかった。

相手も判っていて観念したのだろう、抵抗はせず

「な、殴ってください。」

などと言う。

一瞬どうしようかと迷った、殴るなら顔じゃなくて腹だな、傷がつかない…

でも殴ったらこっちにも傷害罪とかで厄介になりかねない、危害は加えるわけにいかない。

瞬間的に色々考えたが、やはり手を出すのはまずい…

「ふざけんな、それで済むと思うな。」

と椅子に座らせた。

高校生に見えたそのガキ、学生証を出せと言うと持っていないという。

あとから考えれば嘘なのだろうが、こっちも興奮して緊張していたのでそこまで頭が回らなかった。

「名前と住所と電話番号と学校名とクラス、担任の名前を言え。」

と言わせて、それをメモした。

軽い気持ちでやったのかもしれないけど、何したか判ってのか…等と散々怒鳴り散らした。

こっちも怒りながら結構ドキドキだったんだけど。

しきりに平謝りのガキ、その場で警察を呼ぶことも出来たのだが、そこまでするのはかわいそうかなと思えた。

「ただで済むと思うなよ。」と言って帰らせた。

かと言ってこのまま誰にも言わないほど私はお人よしではない。

ガキを帰らせた後、ガキが言った実家に電話した…誰も出ない。

あのガキ、嘘ついたのか…。

少し時間を置いてからかけたら母親らしき人が出た。

「○●さんのお宅ですか。□○君のお母さんですか。」

と切りだし、事情を説明する。

すると母親だと思ったその人は母親ではなく、オバさんだと言う。

母親は入院していて父親は家を出ていて、オバさんがそのガキの面倒を見ていると言う。

何やら複雑な家族関係のようだ。

コトの一部始終を説明すると、オバさんも平謝り。

「そちらの家庭の事情もわかりますが…」

と前置きはしたが、こちらもキツイことを結構言った。

「私、謝りに参りますので場所を教えて下さい」、と。

謝りになんか来られたらどんな顔をしたら良いのか判らない。

「イヤ、そこまではして頂かなくて結構、彼をしっかりと叱ってやって下さい。」

それでも謝りに来るというオバさんをしきりに来るなと説得させて電話は終了。

ガキの学校にも電話連絡しようと思っていたが、家庭の事情などを聞いてやめておいた。

学校にも一から説明するのにも労力を使うし、もう終わったことだと割り切った。

閉店後に仙台の他店店長に連絡したら「別にそれでイイんじゃない?」と。

「俺達の仕事は万引きや値札張り替えを捕まえることじゃないからね」と。

なるほど、確かに仕事はそれじゃぁナイわな。

そして翌日には半年に1度の大仕事、決算棚卸しが控えている。

自分が店長になってからは勿論初めての決算棚卸し。

半年前、3月の決算棚卸しでさえ入社直後だったので与えられた仕事をこなしていただけだ。

実質、ちゃんとした決算棚卸しは初めて、ちゃんとやれるだろうか。

 

2001年9月30日 日曜日

年に2度の決算棚卸し、店の、会社の一大イベントだ。

日曜日なので通常の営業でもそこそこ忙しい。

それと合わせて棚卸しの準備もしなければならない。

閉店後に夜通し行なう棚卸しの為に、夜通しのための準備もしなければならない。

何をするかと言うとスタッフを慰労するために飯でも買わなければいけない。

3月の棚卸しの時にも店長が自腹で全員分の牛丼などを買ってきていた。

やはり店長としてそれくらいはしなければならないだろう。

スタッフにお金を渡して、牛丼人数分と適当なオカシを買ってきてくれるように頼む。

体調不良の1人と、主婦の1人を除いた全スタッフが棚卸しには参加。

早晩のスタッフも、夕方に仕事が終わって一旦帰った後で閉店後にまた出勤してくるのだ。

閉店後、お客さんが1人もいないのを確認してから参加する全スタッフを集めて段取り発表。

過去の棚卸しでミスが多い部門を疲労が少ない早い時間帯に、慣れたスタッフにやってもらう。

9月に入ったばかりの新人スタッフ4人もいるので、彼らにはやり易い部門を割り当てる。

今回の棚卸し結果は会社の決算の正式な書類になるので、書き損じもいちいち訂正印を押して訂正しなければいけない。

かなり厄介な作業なのだ。

直営店100数十店舗がこの日の閉店後に一斉に棚卸しを行なうのだ。

我が店でも棚卸しがスタート。

作業そのものはただ商品を数えるだけなので実に単純な作業。

ただ時間の経過と共に当然ミスが多くなるのはやむをえない。

ずーっと同じ単純作業、商品を数えるだけの作業を繰り返していたら集中力も途切れる。

0時すぎに夜食も兼ねての休憩。

10数人分の牛丼、卵とジュースやお茶、お菓子など…全部私の自腹である。

なんかの経費で落とせたのかな、でも前店長も前回は自腹切っていたからなー。

スタッフ全員だと休憩所に入りきらないので、普段は営業している店舗内で皆で食す。

前回3月にもこれをやったのだが、OB・OG参加で勝手に盛りあがっていて私は居場所がなかった。

半年経って店長になった、スタッフは気心の知れた人らばかり。

なかなか楽しい、これで仕事中ではなくて酒があれば完璧なのだが。

作業を再開し、深夜2時すぎに作業は終了。

前回3月の時には3時30分までかかった。

だから今回もそれくらいの時間になることは覚悟していた。

それが予想以上に早く終わった。

どこかやり残した箇所があるのではないかと疑ったが、それもなかった。

無事に棚卸し終了だ。

これで終わって晴れて帰れるというわけではない。

少しの休憩をした後で仙台の他店舗へ電話をして棚卸しの進行状況を聞く。

前回3月のときもそうだった、終わったら他店の手伝いがあるのだ。

そして今回その手伝いへ行くのは仙台駅前店。

先月頭にオープンして、私の店の3倍近くのフロアー面積に広大な倉庫、それらを全て数えるのだ。

駅前店に電話して店長兼東北エリアマネージャーと話しをする。

終わったのならば来てくれるとありがたい、とのこと。

来てくれるとありがたいイコール来いということだ。

駅前店に手伝いに行くのなら一緒に行きたいというウチのスタッフがいた。

わざわざ帰らずに待っていてくれた。

そのコと一緒に深夜3時をすぎた夜の道を車で仙台駅前店へ向かう。

最近は加盟店ばかりに行っていたので結構久しぶりの仙台駅前店。

ちゃんと駅前店に行くのは1ヶ月ぶりくらい、妙に懐かしく思えた。

いつも元気だった駅前店のスタッフにもさすがに疲労の色が見えた。

駅前店へ手伝いに行ってもやることは自分の店でやったことと全く同じ。

ただ商品を数えるだけだ。

途中で休憩を挟んで、全てを終えたのは6時になっていた。

この日も勿論朝から出勤している、9時30分から翌6時まで働き通しということだ。

それほどきつい労働をしたわけではないが、働き詰めというのはきつい。

駅前店を出ると外は雨が降っていたが明るい。

一緒に仙台駅前店へ手伝いに来てくれたスタッフ、雨が降っていたので車で家まで送ってあげた。

スタッフを送って車で自店舗まで戻る。

その途中で朝の交通渋滞に巻き込まれた。

渋滞中でおもわずウトウト…居眠りしてしまった。

フッと意識が飛んで、後ろのトラックのクラクションに起こされた。

3車線道路を走っていたのだが、気がつくと横の車線に突っ込みそうになっていた。

危ない危ない、完全な居眠り運転、あと1歩で事故だった。

店に戻ったら既に8時に近い。

1時間半後には今日の営業が始まる。

家に帰ってベッドで寝たら絶対に起きられないと思った。

事務所の机に突っ伏して、雨も降り既に少し寒い仙台、エアコンのヒーターをつけてそのまま眠った。

休みが1日しかなかった9月を象徴するような9月最終日だった。

 

2001年9月 出勤日数29日 休日1日

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