仙台社会人一人旅
Survive in Sendai.

2001年8月

2001年7月

2001年8月1日 水曜日

これまで月初の書類作成作業は店長と一緒にやっていた。

5,6,7月とやってきてそろそろ1人でやってみるか、ということになった。

いずれ1人で店を持つことになったら必ず1人でやらなければいけない作業。

今月は私1人でそれをやってみることになった。

敢えて店長はこの日に休みを取って、本当に私1人で作業をこなすことに。

雨で暇だったということもあって、売場は全てスタッフにお任せして1人事務所でデスクワーク。

大体のことは判っていた、出来ているつもりだった。

大丈夫だろうなというところで店長に電話して話しをして、抜けている部分がないかどうかを確認。

店長も実際に見ているわけではないので、正確な所は判らないがまぁ大丈夫だろうという判断。

その店長との電話で内々の人事を聞いた。

病気療養で休職する山形の店長に代わって、我々の同期が店長をやることになったという。

遂に同じエリアの同期が1人で店を任せられるようになった。

研修を一緒に受けた同期が7月に店長になった時は驚きと感嘆が大きかった。

だが、今回同じエリアの同期という最も近い同期が店長になったのは驚きと同時に悔しさもあった。

自分の身の程も知らずに"そうかアイツが店長かー、こっちもそのうち…"という感じである。

殆どずーっと事務所に篭って書類作成作業をやっていたにも関わらず、閉店しても終わらなかった。

閉店後に出荷作業なども1人でやっていた。

1人で店に残る分にはそれほど嫌ではないんだな。

翌日は休みだったし。

通常業務終了22時40分
退店3時40分

 

2001年8月2日 木曜日

14時過ぎまで1度も起きることなく爆睡。

前夜の帰宅が4時前なのだからそれもやむをえない。

店長によると翌週は仙台駅前店オープン準備が本格的に忙しくなり、休みは期待できないという。

ようやく週の生活リズムがなんとなく掴めてきた感があるのだが、それでまた狂いそうだ。

日曜日の夜に仙台駅前店への商品搬入作業が行なわれる。

深夜に集まってトラックから続々運ばれてくる商品を店内に運び込む作業。

駅前と言う場所のせいか、大きなトラックを止めるので深夜の搬入になるそうだ。

店長によると一大作業でかなり疲労するのでしっかり休んでおくようにとのことだった。

一体どんなことになるのやら、搬入。

 

2001年8月3日 金曜日

休み明けのそうは高くないモチベーションの中で仕事。

仙台の他店舗にエリアマネージャーが来ていると言うので閉店後にわざわざ店長と会いに行った。

別にこれといった用件はないのだが…

そういうことをするとますますモチベーションが下がるな。

通常業務終了22時40分
退店23時10分
帰宅1時45分

 

2001年8月4日 土曜日

世間は8月なのだが、それを全く実感できない。

学校へも行っていないし、夏休みの話しもないし、何よりも店舗内でずっと仕事をしているので暑くない。

大学時代のアルバイトは表で仕事をすることもあったので嫌でも季節を実感したのだが…

翌日は閉店後に一大イベントである仙台駅前店への商品搬入作業がある。

いくらでも人手が必要とかで、ウチの店のスタッフも可能な限り参加することになっている。

なんだか大事になりそうな予感。

スタッフが帰った閉店後に店長と2人でだらだらと通常業務など。

搬入がそんなに大事なら、さっさと帰って体力温存した方が良いと思うのだが。

通常業務終了22時45分
退店1時20分

 

2001年8月5日 日曜日

起きると既に9時30分、慌てて店に電話して15分の遅刻。

初めての遅刻になってしまった。

店は日曜の忙しさの中でも良い流れで作業が進みなかなか良かった。

この日は閉店しても仕事は終わらない。

これから仙台駅前店へ行って商品の搬入作業が行なわれるのだ。

閉店後23時くらいにウチのスタッフを10人ほど引き連れて仙台駅へ。

さすがにそこまで遅い時間だと仙台駅前とはいえ人通りはあまりなかった。

そういえば七夕祭りが近かったはずだが…(実施中だったかな??)

仙台駅前店が入る7階建てくらいの結構大きなビルの中へ。

2,3,4階が店舗で5階が事務所兼倉庫、そこの5階に集合。

エレベーターで5階に上がってあまりの人の多さにかなり驚いた。

会社としてもかなり力を入れている仙台駅前の一等地に東北の核となる店舗。

それの開店準備・商品搬入作業、大勢の社員やスタッフが各地から応援に駆けつけていたのだ。

仙台の他店舗の店長やそこの同期やスタッフなどは顔見知りだから判った。

あとは私が所属する北関東・南東北エリアの社員は全員参加、一部店舗からはスタッフも来ていた。

さらに、仙台駅前店の店長がエリアマネージャーを務める東北エリアからも恐らく社員は全員参加、スタッフも大勢来ていたようだ。

それに加えて、採用が決まった40人ほどの仙台駅前店のスタッフ。

全部で100人以上はいただろう、かなりの大人数だ。

23時30分、仙台駅前店オープン準備の指揮を執る東北エリアの店長が全員を集めた。

この会社では新店がオープンする時は誰かがそのオープンの指揮を執る団長になる(オープン団長と呼ぶ)。

その新店の店長や社員が指揮を執るのではなく、他の社員が団長となって仕切るのだ。

搬入の段取りや、人員配置、オープンまでの日程などの全てを仕切る。

それでは新店の店長や社員は何をするかと言うと"スタッフとの距離を縮める"のである。

諸雑用は周りがやり、店長は自分の店のスタッフとより多くのコミュニケーションを取り、距離を縮める。

スタッフは全員が右も左もわからない新人。

そんな彼らと店長が一緒にいる時間を長く持たせてやる。

それで店長とスタッフとの距離を縮めて、スタッフの目を店長に向けさせる。

そうすることにより店長の思いがスタッフに伝わり易くなり、その後の店舗運営をスムーズにさせる。

生まれたての雛に対する刷り込みみたいなものかな。

そういったことがこの会社の考え方だ。

そんなわけでオープン団長が100人を越えるであろう社員・スタッフを前に今回の搬入作業の流れなどを説明。

商品の詰まったダンボール箱を2,3,4,5階に次々どんどん運んでいく。

エレベーターもあるが、箱の量が何トンかは忘れたがトラック10台分くらいという膨大な量。

1台しかないエレベーターで運ぶよりも多人数を利用して外の非常階段でバケツリレーの方が早いとのこと。

外に面したビルの裏の非常階段の1階から5階までを一定間隔で皆が立つ。

男女が適度に散らばって同性同士で固まらないように。

0時頃に最初のトラックが到着していよいよ搬入スタート。

まるで祭りの時のように気合の入った掛け声が下から聞こえてくる。

「オッシャー、ハイ!ハイ!ハイ!」から始まりいつのまにか掛け声が「ワッショイ、ワッショイ」になっていた。

その声と一緒にダンボールが次々と運ばれてくる。

重い箱を勢いよくドンドン下から上へ流れ作業で運んでいく。

私は新店オープンの搬入に参加するのは初めてだったが、どうやらいつも搬入はこういうものらしい。

大声で掛け声をあげながらハイテンションでやるものらしい。

慣れた人はずーっとワッショイワッショイ叫びながらやっている。

正直かなり引いたが、私は社員なので率先してやらなきゃいけないなという使命感から流れに乗った。

それにしてもビッシリ商品が詰まった箱、どの箱も軽く見積もっても10kgはある。

それらを次から次へと渡されて渡して行く。

横から横へ流すのではなく、下から受取り、上に渡すのでかなり疲れる。

そしてバケツリレーで流れ作業なので途中で止まらないのだ、これは相当こたえた。

途中途中で上の方や下の方で箱を落とす音が聞こえるたびにストーップ!!と大きな声がかかり、流れが止まる。

時間が経つにつれて力がなくなっていくのが感じられた。

それはまわりも一緒らしく、時間が経つにつれ箱が落ちる回数が多くなり、ペースも落ちた。

すぐに汗だくになり、クタクタになる。

途中の休憩で飲んだジュースの美味かったこと…。

非常階段搬入ではあまりにも社員・スタッフの疲労が激しいというので途中で方法を変更。

スピードは落ちるが、エスカレーターを動かしてエスカレーターでベルトコンベアー方式。

エスカレーターを動かしてその上にどんどん箱を乗せていく。

これも最初は楽だと感じたが、しばらく続けるにつれてきつくなってくる。

何せ延々と箱を運ぶという疲れる単調作業、それをトラック10台分をやるのだから相当なもんだ。

ワッショイワッショイ叫ぶことはなくなったが、やはり皆でハイ!!ハイ!!など声を出しながらやる。

声が出ていないと「ホラ、2階声出てね-ぞ!!」などの掛け声が飛ぶ、体育会系だ…。

でも声が出ていないで黙々とやっていたら気が滅入る作業だったかも。

夜0時に始まった搬入は完全に夜が明けた6時過ぎにようやく全ての箱を運び込んで終わった。

勿論途中で休憩はあったが、こっちは日曜日の朝10時前から働いている、相当疲れた。

全ての作業が終わり、全員を集めて終礼、誰もが疲れ切っていた。

だが心地良い疲労感と達成感・充実感もあった、その空気が全体を占めていた。

とりあえず搬入作業は終了、一旦解散して夕方にまた集合ということになった。

ウチに帰ったのは8時、シャワー浴びて発泡酒飲んで眠りについたのは9時前…即眠。

通常業務終了22時30分
搬入業務終了翌6時10分
帰宅8時

 

2001年8月6日 月曜日

眠ったのは今朝の9時前、この日は16時にはまた仙台駅前店に集合だったので15時には起きた。

眠りが深かった所為か、よく眠った感じがした。

16時に仙台駅前店に集合。

搬入を終えて自分の店に帰った社員やスタッフもいるので、人数は減っていたがそれでも60人はいた。

なにせこの週の土曜日には開店するのだ、作業は急ピッチで進めなければならない。

昨夜商品が箱に入って到着したばかり、まだ何も棚に並んでいない状態なのだ。

我々社員や、各店舗応援スタッフ、駅前店のスタッフを班分け。

1つの班には慣れた社員や応援スタッフと駅前店のスタッフがまんべんなく入るようになっていた。

駅前店のスタッフは当然だが全員新人なので、社員や応援スタッフが必ずつくようにしてある。

そうやって少しでも早く、雰囲気に馴染んでもらうのが目的だ。

私の所属する班は青森から来た熟練スタッフ1人、駅前店のスタッフ4人に私という総勢6人の構成。

この日の作業は昨夜搬入した商品が詰まったダンボールを開けて、商品を棚に陳列する作業。

ただ単純に商品を陳列するだけではない。

商品を陳列しながらそれについての説明をしたり、積極的に駅前店のスタッフと話しながらやるのだ。

そうやって少しずつ慣れていってもらうのが目的だ。

そうした作業をやりながらもお客さんがいないのに景気付けに「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」と大きな声を出しながらやる。

やはりチョット違和感あるなー。

皆が前夜の疲労感を残しての仕事だったので、22時には終了・解散。

予想より早い時間に終わったので店長と駅前の店へ飲みに行った。

前夜の搬入の疲労も残っていたのか、かなり酔いが回った。

勿論この翌日も駅前店オープンヘルプだ。

ヘルプ業務終了22時

 

2001年8月7日 火曜日

朝起きると身体中が筋肉痛。

一昨夜の搬入の筋肉痛が今朝来たのだ…。

箱をどんどん手渡ししていったので両二の腕に浅黒いアザも出来ていた。

朝は9時30分に駅前店に集合。

私も店長も参加、仙台の店長・社員は全員参加している。

この日はまたダンボールを運ぶ作業。

5階にある倉庫にまとまって置いてある商品が詰まった箱を2,3,4階に振り分ける作業。

エスカレーターを使って箱をどんどん流していく。

私はエスカレーターの降り口で流れてくる箱を持ち上げて横にパスする場所にいたので相当疲れた。

腰を屈めて箱を持ち上げて立ってそれを横の人に渡す、また腰を屈めて…の繰り返し。

腰の痛み、手には生傷、額には大粒の汗、尋常でない喉の乾き。

大勢でテンポ良く流れているので、ペースを崩すわけにはいかない、相当無理をしてやった。

やはりオープン準備ってのは凄く大変な作業だ。

昼飯休憩は全員で一斉に取る。

そして必ず全員一堂に会して昼飯を食う。

近くで弁当なりを買ってきて、5階の倉庫に座り全員で飯を食う。

休憩は大事なコミュニケーションの場、そこでスタッフと距離を縮めるのだ。

外へ飯を食いに行くなどは論外なのである。

駅前なのでデパ地下もあれば牛丼屋、コンビニもある、弁当には事欠かない。

そこで辛いのが新入社員という立場。

参加しているヘルプ人員の弁当と飲み物を全てまとめて買いに行かされる。

仙台の同期や今回知り合った東北エリアの同期らと一緒に買いに行くことになる。

先輩社員から買って来いと命令されるわけではないが、必然的に「皆の分も買ってきます。」という状況になる。

そしてそれが当然という感じで誰も恐縮こそすれ遠慮はしない。

20人分ほどの弁当と飲み物をまとめて買うので相当な数になる。

いちいち精算するのもややこしい。

弁当を振り分ける時に勿論各々からお金を貰うのだが、必ずといっていいほどこのお金があわない。

そして金が実際の計算より多くあるということはなく、必ず金は少なくなっている。

誰かが金を払わずに弁当を食っているということだ。

20人もいたのではいちいち厳しくチェックできない。

「誰々の分と一緒で」と言ってまとめて払う人もいるし、誰が払って誰が払っていないのか判らなくなる。

合計4日間この昼食買い出しをしたが、全てあわせると数1000円は行方不明。

そのお金は最初にまとめて弁当を購入している私や同期の出費となる…イタタタタ。

昼食休憩後は前日に編成した班に分かれて商品の陳列作業。

駅前店のスタッフは全員が新人。

私の所属する班のスタッフは向上心が強くて感心する。

少しでも早く仕事を覚えたいというのが伝わってくる。

細かいことでもどんどん質問してきて、教えているこっちも教え甲斐を感じられた。

駅前店での作業は22時30分には終了・解散となった。

その後で自分の店に戻り、駅前店へ出荷する商品などを箱詰めした。

駅前店で実際に商品を陳列してみてまだ商品が必要だということで、急遽仙台の他店舗から商品を集めることになったのだ。

そんなわけで帰りは2時過ぎ。

ヘルプ業務終了22時30分
自店舗退店時刻2時

 

2001年8月8日 水曜日

8時30分には家を出て駅前店に向かわなければいけなかったが、起きたのが8時30分。

慌てて飛び起きてギリギリ遅刻せずに済んだ。

この日はダンボールを大量に運ぶような急激に疲れる仕事はなかった。

班ごとに分かれての商品陳列作業。

ただ並べるだけではなく、どうしたらより良く見せられるかを考えながらやる。

陳列のマニュアルはあり、それを私やヘルプ人員は知っているのでその通りにすれば良い。

だがそれを駅前店の新人スタッフにただ教えるのではない。

「どうしたら良いと思う?」とスタッフに考えさせるのだ。

そうして徐々に答えを導き出していく。

ただ一方的に教えるのではなくてどうしたら良いかを考えさせることが大事なのだ。

そういう風にスタッフとコミュニケーションを取りながら作業を進めていくのだ。

班以外に大勢で作業をすることもあり、そういう時は大変だ。

一気に多くの駅前店スタッフと一緒にやらなければいけない。

私1人に対して何人ものスタッフがつく、それらに対して一斉に教えなければいけない。

これはなかなか大変な作業だ。

アッチに説明したと思ったら、またコッチにも同じ説明を…。

だがこういう作業を繰り返すことにより、やり甲斐も勿論ある。

単純だが嬉しいのは駅前店のスタッフに「紘之さん」と名前で呼ばれることだ。

名前を覚えられていない時は「あの…」や「スイマセン」と呼ばれることが多かった。

大勢いるヘルプ人員や駅前店スタッフの中で名前を覚えられているというのは嬉しいことだ。

作業自体は結構早く21時には終わった。

だが作業後にヘルプ人員の東北エリア社員・スタッフらと色々話すのでそう簡単には帰れない。

今回のこのオープンヘルプでこれまで面識がなかった東北エリアの先輩社員や同期とも知り合えた。

同僚の知り合いが多いに越したことはないか。

ヘルプ作業終了21時
帰宅23時30分

 

2001年8月9日 木曜日

今朝も寝坊、遅刻はしなかったが疲労の蓄積からか起きられなくなっている。

この日も勿論駅前店へ行きオープンヘルプ。

開店が2日後の土曜日に控えている。

そして翌日の金曜日の夜にはオープン前夜決起会というものが開催される。

従って丸1日しっかりと作業が出来るのはこの日で最後ということになる。

細かい詰めの作業はいくらでもやることがある。

そうした作業を皆でこなしていった。

オープン日が迫ると、ヘルプ人員のかずも段々と少なくなっていく。

皆がそれぞれ自分の店に帰るのだ。

青森や秋田から来ている東北エリアの社員・スタッフやわざわざ本部・神奈川から来ている社員も。

作業が進むにつれて、開店が近づくにつれてそれらのヘルプ人員は帰っていくのだ。

だから段々とヘルプ人員は近郊仙台の社員や、精鋭のヘルプスタッフだけに絞られてきた。

実質最後の1日なので作業は深夜1時にまで及んだ。

駅前店のスタッフも参加できる人は最後まで参加した。

「良い店を作る為に妥協はしたくない。」というスタッフの言葉が印象的だった。

アルバイトにも関わらず、しかも入って数日にも関わらずたいしたもんだ。

翌日の夜にはオープン前夜決起会が開催される。

これも会社の慣習で、直営店オープンの前夜には直々に社長が参加して決起会が行なわれる。

その決起会には店長以下その店の全アルバイトスタッフまでもが参加するという一大イベント。

ヘルプ人員からは仙台3店舗の店長や、東北エリアの店長数人が参加する。

だが、その決起会に私の参加はナシ(勿論同じ立場である私の同期の参加もナシ)。

いつもなら開店に携わったヘルプ人員は殆どが参加するのだが、今回は経費削減の意味も含めて最小人員での決起会だという。

私は特に決起会に参加したかったわけではないが、そりゃねーよという感じだった。

こっちは駅前店スタッフ募集の時からずーっと手伝っているっていうのに…

ふにおちないものを感じたままで最終日を迎えることになってしまった。

ヘルプ業務終了1時
帰宅3時

 

2001年8月10日 金曜日

駅前店オープン前日。

長かったようでアッという間のようなヘルプ期間だった。

5日日曜日深夜の搬入から、1週間もしないうちに店が完成した。

1週間前には何もなかった店内が今では様々な商品が並んでいる。

商品の陳列作業は棚に色をつけていく作業である。

様々な色の商品で棚がカラフルになっていく。

駅前店のスタッフと一緒に仕事をしたのはこの日を含めても僅かに6日。

それなのに随分と親しくなった。

駅前店のスタッフはこの6日間で店を作る作業をしながら、通常作業も一通り覚えないといけない。

レジの打ち方からマニュアルトーク、通常作業の流れなどをマニュアルに沿って覚えないといけない。

既存の店に入る新人スタッフなら、先輩スタッフなどに聞きながら覚えられるが、駅前店スタッフは全員が横一列の新人である。

だから皆が皆必死でマニュアル片手に通常作業を覚えようとしていた。

とにかくレジやマニュアルトークなど最低限のことが出来ないと営業が出来ない。

駅前店スタッフは店を作る作業の合間を縫ってそうしたことも覚えていった。

それのフォローをするのが我々ヘルプ人員の仕事でもあった。

分からないところを教えてあげたり、色々アドバイスしたり。

だから駅前店スタッフのほぼ全員と親しくなることができた。

僅か数日間だったが、実に内容の濃い数日間だった。

最終日は掃除や整理。

売場は完成しているのであとはいつお客さんを入れても良い状態にしておくのだ。

夕方すぎに全ての作業が終了した、とうとう終わったのだ。

最後に全体で終礼。

この後に駅前店スタッフや一部ヘルプ人員はオープン前決起会に参加する。

それに参加しない私や、その他ヘルプ人員はこれで駅前店との関わりは一応最後となる。

最後ということでヘルプ人員から一言ずつ挨拶をすることに、当然私も。

この数日間の感想、皆で一から店を作り上げたことの達成感・充実感、駅前店スタッフの前向きな姿勢、そしてこれは終わりではなくて始まり、これから店を作っていく・良くしていくのはスタッフの皆なんだよ…などということを話した。

今思うと結構クサイが私のお得意な教科書的・平均的な言葉ではないつもりだった、本当に心から感じたことを話した。

僅か数日だが、一緒に本気で働いた駅前店のスタッフを前に簡潔な教科書的答えは失礼だと思った。

本当に感じたことを伝えたかった、話したかった。

話していると駅前店のスタッフ全員が私の眼を見て話を聞いてくれている。

数10人の目が一斉に注がれるというのは緊張するが、心地良いものでもある。

それまでのヘルプ人員の挨拶で心に響くものがあったのだろう、最後の挨拶と言うことで終わりを実感したのもあったのだろう、涙ぐんでいるスタッフもいた。

終礼が終わり、決起会に参加するスタッフらを送り出す。

私もそうだし、この日で最後のヘルプ人員が多数。

駅前スタッフがヘルプ人員皆に「ありがとうございました。」「お世話になりました。」と挨拶・握手をしていく。

涙を流しながら「ありがとうございました」と挨拶をする女のコも数人、こっちまでジーンと来てしまった。

たかだか数日間一緒に仕事をしただけなのに、そこまで思いを込められるとは…。

そして私もほんの数日間一緒に仕事をしただけなのに、最後には別れの寂しさを感じていた。

だがその寂しさはどこか心地良くもあった。

皆で本当に必死に1つのもの(店)を作り上げた充実感があったのだ。

こういう充実感は就職してから初めて味わったものだった。

駅前店を出て、久しぶりに営業中の自分の店へ戻った。

久しぶりの自店舗での通常業務。

駅前店での充実感が残っていたので、通常業務にも熱が入った。

店長は駅前店のオープン前決起会に参加していたので、1人でさっさと帰れた。

翌日、駅前店はオープンを迎え、私はまた自店舗で通常業務に入る…。

通常業務終了22時40分
退店23時30分

 

2001年8月11日 土曜日

久しぶりに朝から自店舗に参加。

自店舗だとすぐ近くなので駅前店に行くよりも30分以上寝ていられる。

さらに自店舗だといくらか気が抜けるというか、落ち着いてやれるのが良い。

店長は駅前店のオープンに参加していたので社員は私だけ、久々にのんびり仕事が出来そうだった。

そう思っていたのも束の間、営業開始1時間もしないうちに駅前店に行っている店長から電話があった。

「店に余裕があったら、こっち(駅前店)に来てくれないか?」

とのことだった。

あまりの客の多さに作業が追いつかず、実戦(?)は初めてスタッフばかりなので何も出来ていないという。

そんなわけで急遽駅前店の応援に行くことになり、かなり張り切っている自分がいた。

自分が1からオープンに参加した店の開店初日っていうのを体験したいというのがあったし、駅前店のスタッフとまた一緒に仕事が出来るというのも嬉しかった。

前日に涙の別れ(?)を済ませていたので何だか照れたが、いざ店に行くとスタッフが皆「来てくれたんですね」と嬉しそうに迎えてくれた。

店内はお客で大混雑、片っ端から商品を補充していく。

ただ通常作業をするだけではない、スタッフに仕事を教えながらこっちも作業をしなければいけない。

何せスタッフは実際に営業中に仕事をするのは初めて。

マニュアルである程度は知っているにしろ、文章を読むのと実際にやるのとでは大いに違う。

スタッフに教えながら仕事、楽ではなかったが辛くはなかった。

お客さんはいっぱいでかなり慌しかったしとっても忙しかった。

だがそれに負けず、何も出来ないスタッフはただ元気がいっぱいでかなりイキの良いオープン初日だった。

開店前には店の前に長蛇の列が出来ていたという。

22時閉店なのは私の店と同じだ、閉店後に終礼が行なわれた。

「皆さんのおかげで最高のオープンを迎えることが出来ました。」と駅前店の店長。

終礼で発表された初日の売上金額は私のいる店のおよそ10倍、私にしてみると天文学的数値だった。

後に知ったのだが、150店舗以上ある直営店のオープン日売上記録でベスト5に入るほどの売上だったらしい。

大きなどよめきと拍手が沸き起こった。

終礼が終わるとドーっと疲れが出てきたが、それでも充実感の方が勝っていた。

またこうして心地良い充実感・疲労感を味わえたのが嬉しかった。

ところが終礼後のレジ締め精算作業が非常に手間取った。

レジは複数台あるし、オープン初日で大変混雑した。

それに加えてレジをやったのは駅前店スタッフが多い、皆実戦は初めてのスタッフ達。

なかなか釣銭が合わなかったりだなんだで時間がかかった。

実に全てが終わったのは2時になっていた。

2時を過ぎると当然だがバスも地下鉄も走っていない。

店長と割り勘でタクシーに乗り帰宅、自腹だ。

翌日は日曜日、自店舗で外せない仕事があったのでその後でまた駅前店へ行くことになった。

ヘルプ業務終了2時

 

2001年8月12日 日曜日

8時30分に1度目が覚めた記憶はあるのだが、次に目が覚めたのは9時35分!!遅刻。

2度目の遅刻、朝から駅前店ヘルプではなくて良かった。

自店舗で仕事をして、昼過ぎから駅前店へ行った。

雨が降ったこともあって客数は前日より少なめ。

それでも日曜日だし、ウチの店に比べれば遙に客数は多い。

フロアーも広く、スタッフは新人だらけ、新人を教えながら売場を見て客を見て…常に大忙し。

休憩時間がホッとする。

これほどまでに自分が働いているなーと思うのは就職以来初めて。

この日で10連続出勤、とりあえずまだ身体は大丈夫そうだ。

翌日は朝から駅前店ヘルプが決まった。

一体私の所属する店舗はどこなんだろう…

ヘルプ業務終了1時

 

2001年8月13日 月曜日

朝から駅前店のヘルプ、遅刻は許されないので早く起きた。

ここのところ朝がいつもギリギリだったので冷蔵庫の牛乳の賞味期限が1週間過ぎていた。

いつものようにインスタントコーヒー粉を溶かして飲んだが無事だったようだ。

駅前まではバスで通勤している、朝は所要時間20分ほどだ。

バス内では20分ほどだが常に眠る、朝コーヒーを飲んだことなど忘れたように眠れる。

駅前店で朝礼から参加するのは初めてだった。

朝礼では店長の挨拶が必ずあるのだが、それに加えて駅前店では全員が一言ずつ言葉を述べる。

店長、副店長、社員、ヘルプ人員、それにスタッフ、全員が一言述べるので相当時間がかかる。

9時30分から朝礼が始まるのだが、全員の一言だけで20分くらいかかる。

朝礼は会社が大事にしている時間で、そこで店長がスタッフに店をどうしていきたいのか方向性を伝える重要な場だとしている。

だから朝礼を外すことは出来ないのだ。

朝礼後に掃除やら何やらを始めて開店。

朝礼が長引いたので開店は慌しかった。

駅前店は朝から忙しい、客が多い。

体調も怪しくなってきたのか、ただ眠いだけか、仕事中思わず眠りそうになった。

自店舗に電話してウチの店長と話すと私の身柄(?)は駅前店に預けられたそうだ。

今週いっぱいは駅前店のシフトで過ごすことになったのだ。

駅前店は良いのだが、いつも全ての業務が終わって退店する時間にはバスも地下鉄も終わっている。

この日も全ての業務が終わったのは1時、やはりレジ締め精算作業が長引く。

仙台にいる同期も今週はずっと駅前店勤務だった。

その彼はいつも車で来ているので毎晩遠回りになるが送ってもらっている。

彼曰く、その駐車場代は自腹だという。

冗談なのか本当なのか彼の育成担当者である店長が経費で落としてくれないらしい。

経費で何を落とす落とさない云々は各店店長の判断、ご愁傷様です。

ヘルプ業務終了1時

 

2001年8月14日 火曜日

この日も朝から駅前店ヘルプ。

かなり眠気と疲労がピークに達しているらしい。

行きのバスの中で20分ほど熟睡なのはいつものことだが、バスを降りて店まで歩く間も半分寝ていた。

歩いていた記憶が殆どないのだ、寝ていながらでも歩けることを知った。

仕事中にも頭がカクッとなることが何度かあった。

勿論、誰にも分からないように1人で補充などをしている時だ。

仕事はスタッフと一緒に作業目標を決めてそれを目指して仕事する。

そうした作業をしながら自分でも充実感がある。

やることは自分の店でも変わらないはずなのだが、ヘルプで来ている駅前店の方が遙にやり甲斐を感じる。

それは駅前店のスタッフに触発されている部分も多々あると思う。

彼らが一生懸命仕事をしているのを見るとこっちもやる気になる。

自分の店にいる時には感じられなかった部分だ。

ヘルプ業務終了1時

 

2001年8月15日 水曜日

世間では終戦だなんだの日だが、こっちには一切関係ない。

そういえば原爆の日もいつの間にか過ぎ去っていた。

何してたんだろうと思うと当たり前だが仕事だ。

今月も半ばを過ぎたが、自分の店にいるよりも駅前店にいる時間のほうが長い。

そして自分の店にいる時よりもやり甲斐を感じている。

教える楽しみや、頼られる充実感がある。

何だか自店舗に戻った時に自店舗が物足りなく思えてしまいそうだった。

ヘルプ業務終了0時30分

 

2001年8月16日 木曜日

限界が近かったここ数日、ようやく翌日に休みを貰った。

駅前店でヘルプ人員も交代で休みを取っていて私の休みがようやく翌日貰えた。

駅前店ではヘルプで来ているので、ダレた動きが出来ない。

スタッフの手本となるというか教えに来ているのだから常に見られていると意識する。

自店舗だと多少気を抜ける部分があっても駅前店にいる時はそれがで出来ない。

常に気を張っていなければいけないので精神的にも疲れるのだろう。

それに加えて肉体的にも相当キてるはずである。

2日の休み以降一切の休みナシ、この日を含めて実に14日連続出勤。

その14日も通常業務に従事する14日ではなく、いつもより肉体も神経も使う非日常の14日。

しかもその中には夜通しの搬入作業などもあった。

我ながらよくもまぁ持ったもんだ。

この日は閉店後に売上が目標額に届かなかったといってスタッフを含めて買物タイムが開かれた。

強制ではないのだが、雰囲気に「お前は買わないの?」といったものがあった。

私も社員という立場もあり"これならあってもいいかな"ってものを購入したけれど、あの雰囲気は頂けない。

強制的に買わせるというのではなく、売上が足りないんだから買って当然みたいな雰囲気だった。

買って当然、買わないと悪、みたいな感じだ。

でもスタッフ間にもそういう雰囲気を作り出していたから大したもんかな。

売上の為にそこまで思えるアルバイトスタッフってそうはいないような。

この日はいつも車で送ってくれる仙台の同期が休みだったので「地下鉄がなくなるんで」と早めに帰った。

翌日が休みなので勿論いつもより多量の酒を飲むといつしか就寝。

ヘルプ業務終了22時50分

 

2001年8月17日 金曜日

2週間以上ぶりの休日、勿論昼過ぎまで熟睡。

昼飯食いに出かけて、帰ってきて昼寝。

夕方に起きて今度はスーパーと酒屋へ行き、食糧少々と発泡酒をケースで購入。

とにかく1日中寝ていて掃除もHPも何もしなかった。

夜に家のチャイムがなった。

家に来るヤツにろくなのはいない、何故なら仙台では会社関係以外の人は知らない。

出てみるとNHKの集金人だった、1人暮しを始めてから初遭遇だ。

向こうは何度か来ていたのだろうけれど、私が家にいることなど稀だからなかなか会えなかったのだろう。

「NHKの集金なんですけど…」と切りだし何やら説明した後に幾ら払って下さい、と言う。

集金人は口座振替が便利だとかなんとかしばらく色々説明していた。

対応するのが面倒だったし、金払う気もなかったので「いや、イイです…」と気だるそうに答えた。

「イイです、というワケにはいかないんで、払って下さい。」と向こうも食い下がる。

「いや、本当イイんで…」とそれだけ言って集金人が玄関にいるのに部屋の奥に引っ込んだ。

するとしばらく玄関にいたようだが、「また来ます」と言い残して去って行った、チョロイもんだ。

また来てもその時に私がいる保障はない、なんせ殆ど家にはいないので。

それにしても「イイです」だけで追い払えてしまった、本当にそんなんでイイのか??

NHKには昔から思う所があったので集金人が来たら「俺はコレコレこういう理由で受信料を払わない、分かったか!!」と啖呵切ってやるつもりだったが、面倒でそれすらしなかった。

それをやるほど頭が回らなかったというのも一因の1つだが。

NHKに思う所の一例を挙げると何でNHKニュースの中で「紅白歌合戦出場者決定」や「来年の大河ドラマ決定」などを流すのか…等、ニュースで放送するような内容ではないだろ。

私は今後もNHK受信料を払うつもりはない。

 

2001年8月18日 土曜日

休み明けで行く店は自店舗ではなく駅前店…妙な感じだ、私はどこ所属だ?

駅前店の店長には冗談めかして「駅前店に異動届を出しとくよ」と言われた。

前日1日休んでいたにも関わらず、1日仕事をしただけでどっと疲れる。

2週間分の累積疲労はなかなか回復しないようだ。

駅前ヘルプを終えて帰宅すると家のチャイムがなった。

0時過ぎ、こんな時間に家に来るヤツにろくなのはいない…というか1人しかいない、店長だ。

何かと思うと、週明けにエリアマネージャーが仙台に来るという。

それほど大したニュースではないが、仙台に来る理由がどうやら異動を告げに来るらしい。

店長はエリアマネージャーがこの忙しい時期にわざわざ仙台に来る理由としては異動しか考えられないという。

そして異動するのなら店長か私の異動の可能性が高いという。

まだ店長の憶測の段階らしいが、店長はかなり強くその可能性を示唆した。

朝に駅前店店長が私に「駅前店に異動届を出しとくよ」と言った言葉を思い出した。

まさか、異動か…?

ヘルプ業務終了23時

 

2001年8月19日 日曜日

昨夜の店長との話しで私の駅前店ヘルプは火曜日で一旦終了ということになった。

一旦終了というのが気になる、一旦自店舗に戻ってそれから異動で駅前店配属になることも考えられる。

色々な憶測が自分の中を飛び交った。

自分で言うのもなんだが、私は駅前店のスタッフには気に入られていた。

そして開店前からずっと駅前店に関わっている。

仙台にいるので異動に伴う費用もそれほどかからない。

そして駅前店ではスタッフを教える人員が現在のところいくらでも必要。

私が駅前店に異動、それが1番高い可能性のように思えた。

色々考えながらも表面上はいつものように駅前店で仕事をした。

21時過ぎになって、便意をもよおしたのでトイレに入って大をしようとした。

大をしたら鼻水が出てきたのでトイレットペーパーで拭くと赤い液体が…。

鼻水だと思ったそれは、鼻血だったのだ。

しかも止まらない、ボタボタと鼻血が出てきた。

アッという間にトイレットペーパーが真赤に染まった。

ボタボタと垂れるように鼻血が出た、こんなことは初めてだった。

そういえば汚い話しだが、近頃は鼻クソがいつもと違い妙に粘着質だった。

それが今回の鼻血と関係があるかは知らないが、疲労からきたものだろうということは想像できた。

大をするために踏ん張ったのも関係があるだろうか。

でも鼻血が出たのは大が終わった後だったし…

とにかく横になって休ませてもらった。

働き過ぎかな…それはそうだろうけど。

 

2001年8月20日 月曜日

この日も朝から駅前店勤務、鼻血の後遺症はどうやらなかった。

ただ、疲労感と眠気は相変わらず。

昼飯休憩から15時休憩までの間が猛烈に眠くなる。

翌日で駅前店ヘルプは一応終了となる。

翌日は勤務でないスタッフなどは「長い間お世話になりました。」と言ってきてくれる。

そう言われるととても清々しい気分になる、いやいやこちらこそ…。

ヘルプを終え、家に帰るとチャイムがなった。

0時過ぎ、こんな時間に家に来るヤツにろくなのはいない…というか1人しかいない、店長だ。

この日、エリアマネージャーが来て店長と話をしたという。

その内容はやはり異動、私の異動ではなく、店長の異動だった。

その異動が水面下で動いているものらしい。

仙台には今回オープンした駅前店を含めて全部で4店舗の直営店がある。

ところがそれ以外にもフランチャイズの加盟店が6店舗ほどある。

フランチャイズの加盟店とは、我々本部から店の名前と営業ノウハウを貸して営業してもらうシステム。

その加盟店から売上に応じたロイヤリティ(上納金)を貰う。

直営店は、私の所属する会社が直接営業している店舗。

加盟店は、ウチの会社で店舗経営のノウハウを教えてもらった会社が営業している店舗。

加盟店と、直営店は全く別の会社が経営しているのだ。

全く別の会社が経営しているがゆえ、同じ看板を掲げた同じ店ではあるが交流は一切なかった。

ところがその交流が行なわれるらしいのだ。

仙台にある加盟店の1店舗が深刻な売上減にさらされているという。

そこで直営店から優秀な店長を加盟店に送り込んで、加盟店の売上不振を立て直す。

そういう加盟店の経営委託という案が持ちあがった。

そして直営店から加盟店に送り込まれる店長にウチの店長が選ばれたというのだ。

もっともこれは会社と会社の交渉になるので、会社内での異動とは違い簡単には決まらないかもしれならしい。

だが、決まったならばウチの店長が行く事になるというのは決定事項らしい。

すると店長が異動になった私の店はどうなるのか、誰が店長になるのか。

なんと私が持ち上がりで店長になるという。

驚いた、てっきり自分は駅前店に異動だとばかり思っていた。

それが私の店長が異動で、しかもその後釜で私が店長になるという。

あまりの急展開にかなり戸惑ってしまった。

勿論、店長が加盟店に異動という話しが急になくなることもあるらしい。

会社間の交渉というのは面倒なものらしいし。

少なくとも1週間以内には結論が出るという。

大変なことになってきた。

期待もあるが、あまりのことにどうしよう…という不安の方が大きかった。

 

2001年8月21日 火曜日

駅前店でのヘルプ業務は一応この日が最後。

もし近いうちに私が店長になったらそれこそ駅前店に来ることはなくなるかもしれない。

今は店長がいて、私がいるのでどちらか1人(…常に私だったが)は駅前店に張り付くことが出来た。

だが1人で店を任せられることになったらそうそう店を離れるわけにはいかなくなるかもしれない。

そんなことを考えると少し感慨深かった。

エリアマネージャーが駅前店を見に来た。

私も挨拶をしてエリアマネージャーが言った「これから頑張れよ」。

ん?これから頑張れ…なんだか私が店長になるのが決まったような言い方だった、考え過ぎかもしれないが。

エリアマネージャーから異動の話しなどは一切ナシ、完全なオフレコらしい。

駅前店でのヘルプは最終日だったのだが、色々考えてしまい仕事に集中できなかった。

翌日は実に久しぶりに自店舗での仕事だ。

 

2001年8月22日 水曜日

駅前店に行くよりも30分以上もゆっくり眠っていられるのが良い。

遅くて良いのに油断したか、起きたのは朝礼の10分前で慌てて店へ行った。

さすがに20日近くも自店舗を空けると懐かしく感じられた。

来年入社する内定者がアルバイトとして入っていたので挨拶。

1年前の自分の姿だ…もっとも私はアルバイトしなかったけど。

自分の店だとマイペースで仕事が出来る。

それが良いのかどうかはともかく落ち着いて仕事が出来る。

駅前店にいるとどうしてもヘルプで来ている、ということを意識して気が抜けない。

駅前店店長にして東北エリアのエリアマネージャー、2人の先輩社員、2人の同期、そして数10人のスタッフ。

常にどこか緊張して仕事をする必要があった。

自店舗ではそれが必要ないので気分的に楽だ。

翌日から店ではセールを開催する。

私がこの日から自店舗に復帰したのも、そのセールの準備をするためだ。

準備といっても、宣伝POPを表に張ったり、店内から吊るしたりするだけだが…。

一定金額以上をお買い上げのお客を対象にカラクジなしの福引を行なうというもの。

これをやると売上が通常の1.5倍は伸びるというデータが社内にはあるという。

夏休み8月最後の週末にその企画を持ってきて、売上を伸ばそうという考えだ。

店での普段の業務よりも1.5倍以上張り切って仕事をしなければいけない。

疲労が蓄積した身体で大丈夫だろうか…

帰ってニュースを見ると夏の高校野球で私の地元にある高校が優勝したという。

いつのまにか高校野球も終わっていたのか。

 

2001年8月23日 木曜日

この日から自店舗でセールを開催する。

一定金額以上お買い上げのお客さんに対してカラクジなしの福引をやらせるというもの。

そんなんで本当にお客が来るのかと疑問だったが、通常の平日にしてはそこそこのお客が集まった。

スタッフの盛り上がりは今1つだったが、この企画は日曜日まで続く。

まずまずの滑り出しだったかな。

 

2001年8月24日 金曜日

この日も売上はまずまず、土日のピークに向けてどう盛り上がれるかがポイントだ。

いつもよりも大きな声を出して、店内で福引のイベントやってますよーとアピールするのだ。

日曜までですと強調することによってリピーターにも期待をする。

だからスタッフもいつも以上に張り切って欲しいのだが、照れからかなかなかそれが出来ない。

かくいう私も"社員だから","仕事だから"と自分を納得させて張り切ったんだけど…。

自店舗の閉店後に駅前店へ商品を持っていった。

商品を箱に詰めて店の車で届に行く。

夜遅いので道は空いていて10分もかからずに行ける。

ヘルプ聞かんが終わっても店はすぐ近くなのでこうして商品出荷など何かと繋がりは多そうだ。

私も駅前店に行くのは嫌いではないし。

 

2001年8月25日 土曜日

一定金額購入のお客さんにカラクジなしの福引イベントを開催して3日目。

夏休み最後の週末に照準を合わせてのイベントだ。

土曜日ということもあって客数は多く、それと比例して忙しさと疲労も多くなる。

客が多くての忙しさと疲労は心地良いから悪くないけど。

ちなみにこの福引、結構本格的な福引器(ガラガラ回して玉が出てくるヤツ)を使用する。

当たりダマを入れるのもこっちなのだが、この当たりダマは午前や午後の空いている時間帯には入れない。

夕方から夜にかけての混雑した時間帯に多くの当たりダマを入れるようにしている。

「タマが少なくなってきたので補充します」とかなんとか言って混雑時に当たりダマを入れるのだ。

理由は簡単、店内が混んでいる時に当たりダマが出た方がより宣伝効果がある。

大勢お客さんがいる中で「只今当たりが出ました」と騒いだ方が、他のお客さんの購買意欲がそそられる。

そういう小さな詐欺(?)もしている。

大学時代にディスカウントストアーでアルバイトをしていた。

私はそこのドラッグストアーで働いていたが、大手化粧品会社のキャンペーンなどが土日になると入る。

「只今、こちらの店頭でキャンペーンをやっております。無料サンプルが当たるクジを配っております。」

スピーカーで外を歩く人に宣伝してタダでクジを配る。

だがそのクジの中身が当たりか外れかはクジを配っている売り子さんは把握している。

例えば当たりクジは人差し指と中指の間に挟み、外れクジは薬指と小指の間に挟む。

そして客を見て当たりと外れを使い分けて渡すのだ。

カップルや夫婦が歩いてくると女の方に当たりクジを渡し、男には外れを渡す。

化粧品会社のキャンペーンなので、購買する客層を狙って当たりクジを渡すのだ。

連れの男が外れたのを見て「全員に当たりを渡しているわけではない」と客が思う。

当たったのだから何か良いものが貰えるのかも、と客は無料サンプルを貰うためにその化粧品会社のキャンペーンを覗く。

別に無料サンプルを貰った後で何か買う買わないはお客の自由だが、そうやってお客を釣っているのだ。

最初にそれを知った時は社会の暗部(?)をまだ知らなかったウブな頃だからやり方に驚きを覚えた。

だが、そんな詐欺みたいなことを…と憤りを感じることはなかった。

逆に感心したし、それに釣られる人がなんだか滑稽に思えた。

今回の福引イベントでもそれと似たような感じだった。

その理論でいくと小売店で福引だの何かが当たるだのと騒いでいる時は、混雑時に行った方が良いはずだ。

小売店でレシートの裏に当たりが出たら無料、などとやっていることがあるが、あれも混雑した時間帯に行った方が当たり率が高そうだ。

なんだか仕事とは別の方向に話しが行ってしまったが、そういう社会の暗部(?)もあるよ、と。

 

2001年8月26日 日曜日

セールは無事に終了。

一応の盛り上がりを見せ、それなりの売上も記録。

駅前店の開店ヘルプから、自店舗での福引セール。

8月の予定は本来ならこれで一段落するはずだったのだが、店長異動云々の話があるので落ち着かない。

落ち着かないイコール休みが取れない。

店長の話では、店長の異動の話しは一進一退でまだどうなるか判らないらしい。

こっちはここまで来たらさっさと自分が店長になりたいと思うようになっていた。

今更その話がなくなったら正直失望するだろうなと思った。

不安はかなりあったけれど、入社半年で店長になれるというのが誇らしかった。

それに今の店長と離れられるのも魅力だった。

何度も書くが、嫌な人ではなく嫌いでもないが苦手な人だったので。

それと同時に、店舗配属のエリアが変わるという話しも聞いた。

これまでのエリア編成は仙台は東北エリアではなく、北関東・南東北エリアに位置付けられていた。

エリアマネージャーは埼玉の店長がやっていた。

だが、仙台駅前店オープンによって東北のエリアマネージャーが仙台駅前店に店長として来た。

これを機に仙台は東北エリアに統合されることになった。

つまりエリアマネージャーが仙台駅前店の店長に変わることになったのだ。

私の直属の上司は店長になるが、その店長の上司はエリアマネージャーだ。

そのエリアマネージャーが変わるのだから、結構大きな変化だ。

大きな変化、私の身にも起きるのだろうか。

 

2001年8月27日 月曜日

閉店後に仙台の4店舗の店長と雑談交じりのエリア会議。

駅前店の店長はこれから我々のエリアマネージャーになる人だ。

今後エリアが統合されると言うことで、各店の今後の予定などを話した。

その話し合いの場に店長でなくて参加しているのは私だけだった。

仙台の同期は参加していなかったのだ。

私だけ参加していたのはやはり今後をにらんでのことだろうか。

近頃はそういうことばかり考えてしまっている。

でも店長は相変わらず「一進一退でどうなるかは判らない」と繰り返す。

 

2001年8月28日 火曜日

朝は9時20分に起きる、30分から朝礼だというのに。

考えてみれば14連続出勤で1日休みを貰いこの日でまた11日連続出勤、そりゃ起きられんわ。

この日は月に1度の棚卸し。

ただ黙々と商品を数えるだけの作業なのでこれが実に眠くなる。

眠たい目をこすりながら仕事をしていたら、眠気をふっとばすニュース。

店長の異動が決まり、私が店長になることが決まったという。

来たかー…という感じ、ある程度予想はしていたが実際に決まるとなると何だか力が抜けた。

1人になる嬉しさと不安が入り混じった妙な気持ち。

前日までは一進一退でどうなるか判らないなんて言っていたのが急展開での決定。

事態は急で店長は明後日には配属先(正確には出向先)の加盟店へ挨拶などをしに行くという。

正式には9月1日かららしいが実質2日後には私は1人で店を任せられることになる。

今の店長と仕事をするのもあと僅かかと少し感傷に浸ろうと思っていたらそれを打ち消すことをやってくれた。

閉店後に88箱のダンボールに詰まった商品を出荷作業、3時まで延々それをやった。

今後はこれがなくなると思うと、店長と別れて1人になれて良かったとつくづく思う。

 

2001年8月29日 水曜日

店長と仕事をするのは実質最終日。

店長は事務所にある書類などを整理していたので売場ではそれほど仕事をしなかった。

最終日だから感慨深いものがあるかなと思ったが、それほどなかった。

仙台にいるというのは変わらないし、同じアパートにいるのも変わらない。

むしろ前夜のように閉店後に自分の意思に反して残ることはなくなるし、少し清々した感すらあった。

恩を仇で返すような考えかもしれないが、それが素直な気持ちだった。

スタッフ達が閉店後に8月末で退職するスタッフの送別会を開くと言い、私もそれに誘われた。

店長に相談すると、「行ってくれば」とのことだったので行く事にした。

店長は最後に書類などをまとめなければいけないので参加しない、とのことだった。

閉店後に殆どのスタッフと一緒にすぐ近くのカラオケボックスへ。

就職して店のスタッフらと飲みに行くのは初めてだった。

カラオケボックス内というのがちょっと気に入らなかったが、久々に飲みまくった。

これから店長になるということで期待と、大丈夫かなと不安もあったので余計に酒が進んだ。

酔いが回ってくると自分でもかなり意識してテンションを上げた。

近頃はカラオケに行ってもあまり唄わなくなったのだが歌も唄った。

翌日から店へ行くと店長がいない…私が店長なのだ。

そう考えるとフッと酔いが覚める瞬間があったが、それなりに楽しめた飲み会だった。

15人ほどで行ったカラオケだったが、私が1万円を出してあとは皆で割り勘にしてもらった。

やはりああいう場になったら立場上多く出さなければいけないような気がした。

自分でも判るほどかなり酔った、帰ってすぐに熟睡。

 

2001年8月30日 木曜日

9時40分、スタッフからの電話で目が覚めた。

完全に寝坊…店長初日にして遅刻、しかも二日酔いという最悪パターン。

逆に考えると店長だったから良かったと言えるかも。

これが上に店長とかがいたらメチャクチャ怒られていただろう。

慌てて店へ行くと、どのスタッフも苦笑い、「だって昨日飲み過ぎですよ」と。

午後からは求人情報誌の営業の人が来た。

8月末で退職するスタッフがいるので(昨夜はその送別会)、新人スタッフを募集しなければいけないのだ。

求人情報誌の営業の人と掲載する求人内容の打ち合せ。

業者との交渉というのも私は初めてだった。

店長のを横で見ていたことすらない、全くの初体験だった。

求人広告を掲載するスペースの大きさや、その内容などを確認。

殆ど向こうが提示する案をフンフン良いですよと頷いていただけのような気がする。

求人情報誌の紙面の1/4を使って週2回の掲載で料金が50,000円強。

東北最大の求人誌である、結構高いもんなんだな…。

他にもウチの主力スタッフと今後店をどうするかなどを話しているうちに時間はアッという間に過ぎた。

通常業務をするも二日酔いと蓄積疲労で全然仕事にならなかった。

気がつけば既に月末。

また月初になると書類作成業務が入り、忙しくなる。

店長初日は実に慌しく過ぎていった。

帰宅後、シャワーを浴びる。

鼻をほじるとまた大出血した(8月19日参照)。

前回もそうだったのだが、鼻に痛みは全くないのだ。

ただ出血の量が尋常ではない。

今回も最初は気が付かなかったのだが、排水溝に流れていく水が赤く染まっているのを見て気がついた。

うわっ!また鼻血が出ている…という感じである。

この鼻血の正体はなんなのだろう、まず間違いなく疲労から来ていると思うのだが。

14連続出勤して1日休み、そしていま13連続出勤中。

しかも13連続出勤から記録はもっと延びそう、確実に自己最高14連続出勤を更新する勢いだ。

一体いつになったら休めるのか…ってそれももう自分で決める立場になったのか。

 

2001年8月31日 金曜日

店長になって感じたのは電話が急に多くかかってくるようになった。

店宛てにかかってくる電話は殆どが社員宛てのもの。

そして社員は私1人、必然的にお客さんからの問合せ等の電話以外は全て私宛てということになる。

他店からの連絡や、どっかの業者からの営業電話なども。

売場にいる時間が極端に減ってしまった。

何だか売場では流れに乗れなくて、電話の応対もおぼつかなく、1人でバタバタしてしまった。

些細なことでも決断を下すのは私、大したことではなくても戸惑ってしまう。

月末最終日でやるべきこと、やっておいた方が良いことは沢山あるのだが、精神的にも肉体的にもフラフラで早々に帰ってしまった。

1人になると当たり前だが、月末月初の書類作業は1人でやらなければいけない。

イキナリ月末・月初を迎えるというのも厳しいな。

小さなことでも近くに相談できる相手がいないわけだし、結構精神的に参るかも。

早速1人の不安を感じてしまった。

でもこの日のように疲れたら自分の意志でサッサと帰れるというのは利点だな。

 

2001年8月 出勤日数29日 休日2日

8月後書き

実に実に慌しい1ヶ月だった。
駅前店オープンに始まり、店長就任に終わった。
そもそも8月という月自体が夏休みということもあって通常よりも忙しい月。
8月は毎月行なわれていた店舗会議は開催されなかった。
全店で8月は寸暇を惜しんで売上を取る月にしようという会社の方針からだ。
それに加えて上記のような転換期が訪れた。
月末には私が店長になっているということを誰が想像できただろう。
私史上最も忙しかった1ヶ月だったといっても過言ではない。
8月半ばからそれまで書いていた業務終了時間や退店時間の記載がなくなった。
ヘルプ続きでその辺りの時間が曖昧になったというのもあるが、
店長になったとしたらそれらを記載しても意味がないと判断した。
14連続出勤→1日休み→14連続出勤中
疲労から鼻血が噴き出すなど考えてもいなかった。
8月の慌しさと疲労を蓄積させたまま9月へ進む…

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