仙台社会人一人旅
Survive in Sendai.

2001年7月

2001年6月

2001年7月1日 日曜日

あっというまに7月という感じだ。

この日は日曜日ながら月初書類作成作業。

書類の数字の意味や分析等はよく判っていなかったが、書類を作ることは出来るようになってきた。

書類作成といってもその月の売上や仕入金額、棚卸の結果、人件費、細かい経費などをPCに入力していく。

エクセルを使った専用フォーマットに入力し、その月の最終的な利益やら何やらが自動的に計算される。

それを本部にデータ送信するのだ。

他にもアルバイトスタッフの給与手続きなどもする。

売場には出ず殆ど事務所でPCと向かい合うデスクワークだ。

デスクワークは好きな方だが、眠くなるのが難点だ。

時々こっそり眠ってしまうけど。

店長の話によると次年度の新卒内定者がアルバイトとしてウチの店に入ってくる予定だという。

次年度の新卒内定者、つまり1年前の私と同じ状況の人だ。

私もこの会社に内定を貰った時にアルバイトをしないかと散々誘われた(ことごとく無視したけど…)。

そうか、もうそんな時期に来ているのか…

嫌でも後ろからの追い上げ(?)を意識せざるを得ない、こんな意識じゃまずいな。

殆ど売場に出ない1日で閉店後もずーっとデスクワーク。

通常業務終了22時30分
退店2時

 

2001年7月2日 月曜日

店長が休みだったんで、伸び伸びと仕事が出来た。

7月1日付で発行されてメールで流れてきた社員の配属店舗一覧表。

どの社員がどこの店舗に配属されているかが掲載されている表だ。

それを見ると第1研修で一緒だった2人がそれぞれ1人で店を任されていた。

つまりは店長である。

これまで同期で店長をやっている数人は入社前にアルバイトやインターンシップを経験した人達だった。

しかし私と第1研修が一緒だった同期連中は皆入社前のアルバイト経験がなかった。

つまり私と同じ条件下で入社して、同じ期間働いた結果7月付けで店長になった。

先を越されたというよりも、驚きの方が勝った。

やることやってんだろうなー、凄ぇなーって。

通常業務が早く終わり、店長が休みなので早く帰れるなと思っていたら店長が閉店後に店に来た。

休みなのに…。

おかげで帰宅時間が結局いつも通り…。

私は翌日が休みだったのが唯一の救いだ。

通常業務終了22時20分
退店0時

 

2001年7月3日 火曜日

仙台も朝はだいぶ寝苦しい暑さになってきた。

休日のこの日は別段することもなく、いつもの休日で終わった。

発泡酒を1ケース購入してしばらくは安泰だ。

 

2001年7月4日 水曜日

どうも休み明けは気分が乗らない。

そういえば大学時代のアルバイト先でも休み明けの社員は機嫌があまり良くなかった。

今なら判るぞ、その気持ち…。

翌日に仙台でエリア会議が開催される。

これまでは埼玉・栃木・山形・仙台の北関東・南東北エリア全体での会議が行なわれていたが、今回は仙台の3店舗での会議だ。

それでもエリアマネージャーは勿論、仙台外からも数人の先輩社員や同期が参加する。

各店舗毎に6月の実績の分析・報告や各店舗を見て回って各自気付いた点を挙げたりする会議。

ウチの店の分析・報告の為に店長と遅くまで話し合っていた。

発表するのは私なのだ、なんか緊張するな。

通常業務終了22時40分
退店2時

 

2001年7月5日 木曜日

仙台エリア会議当日。

朝はいつも通り売場に少しの時間だが出て昼前に車で仙台の他店舗へ。

そこでエリアマネージャー以下多数の社員と合流。

皆で飯を食って何台かの車に分乗して仙台にある直営3店舗を回る。

10人ほどの社員で一気に店内へ雪崩れ込むので端から見たら何事かと思うだろう。

この後の会議でそれぞれ気が付いた点を発表しなければならないので何でも気付いたことをメモしていく。

自分の店を見に行ったときは他の社員に自分の部屋を見回されているようで妙な感じだった。

3店舗を見終えたところで、店の休憩室を会議室代わりにして仙台エリア会議のスタート。

自店舗の実績報告が始まり、発表するのは私。

6月の売上は計画いくらに対して実績がいくら、経常利益は計画いくらに対して実績がいくら…

計画以上に売上・利益が出た原因の分析や、余分にかかった経費や抑えた経費の内訳等を発表。

6月に行なう計画だったチラシの印刷を抑えて翌月に他店舗と合同で印刷することにしたのでそのぶん宣伝広告費が浮いた。

売上増に対応する為に人を投入した分計画より人件費がかかったが、売上増によりその経費はカバーできる。

…という風に何が原因で計画と実績の数値に差が出たのか等を報告する。

他の社員が疑問に思った点などの質疑応答も行なわれたが無難に切りぬけた。

各店の発表を終えて、店舗見学の際の感想を言い合うことに。

店について売場について色々と指摘されるが殆どが判っていながらやれていないこと。

自分でも気が付いてはいるのだが、他の作業に取られてそこまで気が回らないといった部分である。

他の店の感想を言うときでもなんだか気が引けてしまう。

じゃぁそれをお前は出来てるのか、…と思われそう。

その気持ちは他の社員も同じなようで

「他店の指摘っていうのはやり辛い。それを自分の店ができていないことが判っているから。」

と先輩社員が言うと、エリアマネージャーが

「エリアマネージャーなんかやってたらそんなこと言えなくなる。店の粗探してナンボみたいなもんだから。」

だそうだ。

ピリッとした雰囲気はあったが、それほどの重圧は感じなかった仙台エリア会議が終わった。

これで解散とならないのはいつものこと。

やはり懇親会が行なわれるのだ。

これまたやはり飲み屋での懇親会。

さすがにもうただの飲み会ではないということは判っているのでそれなりの場の過ごし方を心得ている。

先輩社員の話しに耳を傾けつつ、料理がなくなっていないか、グラスが空いていないか注意をし、灰皿などを手際良く出し…

先輩社員曰くこういう動き1つも気配りとして普段から身に付けていなければならないという。

そういうのがスタッフへの気配りに結びつくのだぞ、と。

その懇親会席上でエリアマネージャーから結構重大と思われる発表があった。

8月上旬に仙台駅前の1等地に新たに店舗がオープンすることが決定したという。

これまで仙台にある直営3店舗はいずれも郊外ロードサイド型店舗と呼ばれている。

街の幹線道路となる大きな道路沿いに駐車場を備えた店舗いう形式。

それが今回は仙台駅前にオープンすることになった。

しかも東北の核となる仙台の駅前、会社としてもかなり力を入れるという。

店長は青森・秋田・庄内を束ねる東北エリアのエリアマネージャーが直々にやるという。

それがオープンすることになると我々仙台の社員が必然的に手伝いに駆り出されることになる。

どうなるかは判らないが、大きな流れになりそうなのは間違いない。

また、忙しくなりそうだ。

懇親会後、仙台外から来ている社員はホテルに泊まるのでそのホテルへ移動。

店舗会議後のようにそのホテルでも一室に集まり、例によって色々話し合い。

こっちはホテルに泊まるわけではないのだが、話し合いには参加せねばならない。

結局帰宅は2時だった。

 

2001年7月6日 金曜日

店長が前日の続きで先輩社員らと他店や加盟店、ライバル店などを見学に行ったので店に社員は私1人。

1人だと、スタッフを全員まとめて休憩に入れて自分1人で売場を回すこともある。

1人で売場を回すのはなかなか心地よい、「あぁ俺今働いてる!」って実感できる。

休憩も1人の方が落ち着けるし…

もっともこれは会社の理念というか考え方とは外れている。

会社の考え方としては休憩はとっても大事なスタッフとのコミュニケーションの場。

一緒に飯食って話すことによってスタッフとの距離を縮める、というのだ。

店長は店には結局来なかったので、最後まで社員は私だけだった。

閉店後にスタッフのシフトを作った。

誰と誰をどう入れて、組み合わせて、どこを休みにするかなどかなり悩んだ。

この人はまだ仕事の内容に不安があるから、この人を一緒にいれておこう等。

結構考えるのは楽しかった。

まぁそのおかげで店長がいないから早く帰れると思っていたのが、遅くなってしまった。

通常業務終了22時50分
退店0時20分

 

2001年7月7日 土曜日

閉店後に大きな出荷作業…

通常業務終了22時50分
退店2時10分

 

2001年7月8日 日曜日

翌日は本部での店舗会議と年に4回の来賓も集まる経営計画発表会。

暑い中、スーツ着て仙台から東京まで行かなければいけない。

会議もかったるいが、それもかったるい。

終わった後で実家に一時ではあるが帰ることが出来るのが唯一の救いだ。

通常業務終了22時30分
退店23時30分

 

2001年7月9日 月曜日

暑い中、スーツを着て会議へ。

仙台で私のいる店以外の直営2店舗からはそれぞれ1人ずつアルバイトスタッフも会議に参加した。

今回は本部で店舗会議後に新横浜の立派なホテルに移動して来賓も集まる経営計画発表会。

その会で第1研修が一緒で、今月頭に店長になったばかりの同期が壇上で体験発表をしていた。

かなり先を越されているなーと実感。

店舗会議だと、社員全員の前での発表。

しかし経営計画発表会となると、社員は勿論のこと多くの来賓者も集まる。

それらの前で体験発表とはたいしたもんだ。

休憩時間にその彼女と話したら「別に何もしてないよ」と謙遜していたが…。

この経営計画発表会は常に眠気との戦いになる。

社長の話しや先輩や同期の話しはなんとか耐えられるが、きついのが来賓の話し。

取引先銀行の支店長やらどこぞの企業の社長やら結構な顔ぶれだと思うのだが、彼らの話しがきつい。

そして彼らがまず話すことがお世辞に満ち溢れていて嫌気がする。

今日は素晴らしいお話が聞けて…、若い店長さん達の熱い思いが…、ウチの社の人間にも見習わせたい…

眠くなる。

会議の後は本部至近の駅に移動し、そこで懇親会。

今回の懇親会では仙台駅前で店長を務めるエリアマネージャーの東北エリアとの合同懇親会。

仙台駅前店はなんと社員5人体制という大規模店舗、その中に同期も2人いる。

とりあえず仙台駅前店に来る皆と挨拶はしておいた。

東北エリアの人達ともオープンの手伝いで顔を合わせることも多くなる。

これでまた顔を覚えなければいけない人が一気に増えた。

ホテルへ行き、やはりホテルの部屋で色々と語り合い。

寝たのは4時過ぎ…もう慣れたよ。

 

2001年7月10日 火曜日

朝は9時にホテルのロビーに集まり、参加したくないのに本部朝礼に参加。

この日は休み扱いなので実家に帰る予定だったのだが、本部朝礼だけでは終わらなかった。

その後は行きたくもないのにエリアの皆と商品センターへ行った。

商品センターへは初めて行ったが、まさに倉庫という感じで様々な物があってそこそこ楽しかった。

面白そうな商品など適当に見繕って自分の店用に注文した。

ところが、エリアの人多数と行ったので1人で勝手に帰れない。

商品センターまでは会社の車に皆で乗ってきたので1人では帰れないのだ。

人によってはじっくり商品を見て回る人もいてなかなか全員が終わらない。

いつまでも終わらないのでかなりイライラした。

14時過ぎにようやく駅に戻ってきたが、飯でも食いに行こうということになった。

いい加減にしてくれ、そこは「実家に飯が用意してあるんで」となんとか逃れることが出来た。

スーツを着ていたのでとても暑いなか歩いて実家まで帰った。

実家にはたまたま京都から祖父母が来ていて会えて良かった。

父は未だ入院中なので会うことが出来なかったのが心残りだ。

晩飯食って飲んで、月に1度の僅かな落ち着いた時を過ごした。

今回仙台まで戻る方法は夜行バス。

出発時刻が遅いので、少しでも実家にいる時間が増えるのだ。

翌朝には仙台に着く。

 

2001年7月11日 水曜日

寝心地が良くないバスの席で6時頃目覚め、仙台に到着。

ウチには7時ごろに着き仮眠を取る。

なんとか遅刻ギリギリの9時20分に目が覚めて店へ。

店長が東京の店舗の手伝いに出ているので仕事は結構楽だった。

夜はさすがに眠かったのでさっさと帰った。

店長がいないとこれだから良い。

通常業務終了22時40分
退店23時

 

2001年7月12日 木曜日

前夜はわりと早く眠ったのでそこそこのモチベーションで仕事に臨めた。

モチベーションが高い1番の理由は店長不在なんだけど。

閉店後に突然の大雨と雷。

スタッフが帰れそうになかったので、店の車でスタッフを自宅まで送って行った。

スタッフのために働いたな、という感じだ。

通常業務終了22時30分
退店0時

 

2001年7月13日 金曜日

店長ナシでも売場を回すことは可能だが、それと1人で店をやることとは違う。

店長になるとやらなければならないこと、考えなければならないことが多すぎる。

売上・利益・スタッフ・経費・棚効率…考えれば考えるほど道は険しそうだ。

通常業務終了22時40分
退店23時

 

2001年7月14日 土曜日

夜に店長が帰ってくるので、私の天下はこの日まで。

店長が戻ってくると好きな時間に帰れない。

閉店後に店長から電話があり、店の車で駅まで迎えに行くことに。

さっそく色々話したりして帰宅は1時すぎ。

戻ってきたな。

通常業務終了22時50分
退店1時

 

2001年7月15日 日曜日

店長が帰って来た効果が早速表れた。

閉店後にこれまでの店の状況などを色々長々と話す。

その後は何をするわけでもないのだが、仙台の他店舗を車で回る。

解放され帰宅したのは2時過ぎ、やっぱりね。

通常業務終了22時45分
退店23時10分
帰宅2時10分

 

2001年7月16日 月曜日

休日、ホームページ更新と買い出し。

ホームページの我思ふ…に当時のリアルな気持ちを綴った項があるので、ここに紹介。

第六十三回テーマ これが全てか… (7/16月)

新入社員として社会に出て3ヶ月強。

仕事にも慣れ、仕事をしていてそれなりの楽しみもある。

だけど何かが違う。

よし、仕事頑張るぞ、と思えない。

勿論そう思うときもあるが、その気持ちを持続させるのが難しい。

仕事内容に対してはこれといってイヤな所があるわけではない。

例えば大学生時代に今の仕事をアルバイトでやっていたら楽しかっただろう。

でもそれは恐らくアルバイトだから楽しいのだと思う。

大学生の自分がいて、アルバイトをしている自分がいる。

だからこそ楽しいのだと思う。

もしも大学時代にやっていたアルバイト先に就職しても今と同じことを感じていただろう。

学生の自分がいるからアルバイトが楽しかった。

アルバイトをしている自分がいるから学校が楽しかった。

巧い相乗効果になっていたのではないかと思う。

でも今は仕事だけ。

親元を離れ、友人もいない地で1人暮し。

することといったら仕事だけ、朝から晩まで仕事だけ。

休みは週に1日だけ、自分の時間が殆どない。

休日は1週間分の疲れを取るのと次の休みまでの体力温存だけに費やされる。

今の自分は仕事だけだ、やりたいことはどこへ行った?

これが仕事か、これが会社か、これが社会か、これが全てか…

 

2001年7月17日 火曜日

本部から週に1度送られてくる運営会議速報と言うメールで、第1研修のときに一緒だった同期の退職を知った。

6月に続いて2人目の第1研修が一緒だった同期の退職だ。

あぁ、辞めちゃったかーと軽いショックはあるが、それだけ。

電話してみようなどとは思わない、淡白なもんだ。

店長が休みだったんで、早く帰れると思いきや閉店後に店長が店にきた。

またか…休んでてくれよ、頼むから。

通常業務終了22時45分
退店0時

 

2001年7月18日 水曜日

閉店後、店長と車で近郊店舗を巡る。

通常業務終了22時30分
退店23時10分
帰宅1時30分

 

2001年7月19日 木曜日

仙台駅前店の店長となる東北エリアのエリアマネージャーが店に来た。

オープン日が8月11日に決定して、現在はスタッフの募集をしている。

ビルの2,3,4階が店舗という大型店。

ワンフロアーの面積だけでウチの店と殆ど変わらない。

社員が5人、スタッフは50名の大量募集をかけている。

地元最大の求人広告誌の1/2面を派手に使ってのスタッフ募集。

開店まで1ヶ月を切っているのだが、まだ店がない。

店舗が入る予定のビルは急ピッチで工事をしていてまだ内装が完成していないという。

その為にスタッフ募集の電話がウチの店にかかってくる。

求人誌の半分のページをどーんと使っての求人広告なので電話がガンガンかかってくる。

いよいよ現実味を帯びてきた。

閉店後に、店長と東北エリアマネージャーと他店舗を見学しながらお話。

こっちはフンフン頷いているだけだけど。

通常業務終了22時45分
退店23時10分
帰宅0時30分

 

2001年7月20日 金曜日

祝日でそれなりの忙しさ。

この日、ボーナスが出たことを店長から知らされた。

新卒の私にも支給されたとのだ。

それについて社長にお礼の電話とをしろと言われた。

どうやらボーナスが出たら社長にお礼の電話をするというのがこの会社の慣習らしい。

わざわざエリアマネージャーからも社長にお礼の電話をと指示された。

社長の携帯電話に直接電話するという。

社長も心得ていて留守電に接続されるようになっているという。

300人を越える全社員が社長の携帯電話の留守電にメッセージ入れたらどうなるのか。

そもそもそんなに多くの留守電入るのか?入っていても聞くのか??

1人1人のことなんざ判んないだろと思いつつ店長がお礼のメッセージを入れていたので私もそれに倣った。

留守電になっていると判ってはいたが、もし出たらどうしようと思いながら電話した。

「この度は新卒の私にもボーナスを支給してくださりありがとうございます。仙台駅前店がオープンするということで私も何かの力になれればと、新たな気持ちでやっていきたいと思います。」

みたいなことを言った、ハイ模範回答。

ちなみに金額は10万、新卒は一律10万との噂(既に店長やってるヤツはもうチョイ高そうだけど)。

高いのか、安いのか…諸々引かれて5万くらいだったけど。

閉店後に飯食いに行ったり(ボーナス出ても飯は24時間営業の安い定職屋)して、またもや店長の車でウロウロ連れまわされた。

通常業務終了22時30分
退店23時10分
帰宅2時

 

2001年7月21日 土曜日

閉店後・退店後にまた他店舗行ったりなんだかんだ…

通常業務終了22時30分
退店23時
帰宅1時

 

2001年7月22日 日曜日

金・土・日と3連休だったが、いまいち忙しくなかった。

世間では夏休みに突入か、まったく実感がない。

3連休を乗り切って少し落ち着いたので晩飯時に2本発泡酒を飲む(普段は1本)。

良い気分になり、ウィスキーをロックでちびちびやりながらインターネット。

気がつくといつのまにか眠っていた。

通常業務終了22時40分
退店23時30分

 

2001年7月23日 月曜日

気がつくと風呂も入らずシャワーも浴びずにベッドで寝ていた。

この朝もかなり暑く、汗もかいていた。

我ながら汗臭い、これでもかってくらい制汗スプレーを身体にかけて仕事へ。

この頃は仙台駅前店の店長になる東北エリアマネージャーがよく店に来る。

前述の通り、駅前店がまだ完成していないので、ウチの店を拠点替わりに使っているのだ。

その仙台駅前店店長になる東北エリアマネージャーはなんと1代前のウチの店の店長。

ウチのスタッフでも数人は知っているという。

なんか親近感持ったけれど、東北を束ねるエリアマネージャーで、しかも東北の核となる店舗の店長も任せられるくらいだから相当な人なのだろう。

どうしてもエリアマネージャーなどの大層な肩書きを持っている人とは接しにくい。

まだろくに話しもしていない。

翌日から2日間かけて防火管理者の講習がある。

朝から夕方までの講習で、その2日間は店を休みにしてもらった。

これはなんだろう、公休なのかな…

店長やエリアマネージャーが今後必要な資格なので取るようにと指示し、その代金も経費で落ちているのだからこれは完全に仕事の一環と捉えて良いはずだ。

つまりこれは仕事であって休みではない。

ま、店に行かないってだけで、講習が終わったら帰っていいってだけでだいぶ良いけど。

通常業務終了22時30分
退店23時30分

 

2001年7月24日 火曜日

店は休み扱いで、消防署へ防火管理者講習を受講しに行く。

防火管理者とは、店舗などの不特定多数の人が訪れる建物に1人は必要で、その建物の防火管理に関する責任や権限を与えられる。

防火器具の点検や、避難訓練の実施、自衛消防団の結成等々の役目があるとかないとか。

とにかく、将来店長になって1人で店を任された場合に防火管理者になっていないといけないのだ。

その防火管理者だが、受講費6,500円を払って消防署で講習を受講すればなれる。

ちなみに費用は経費で落ちた。

…と、まぁその防火管理者講習を受けに仙台の結構大きな消防署へ行った。

店は休み扱いだが、講習は9時から、会場の消防署は地下鉄で15分ほど。

ウチから地下鉄の駅までチャリで10分くらいなので、結局普段店に行くよりも遙に早く起きざるを得なかった。

仙台の同期と消防署最寄の地下鉄駅で待ち合わせをして一緒に会場入り。

消防署の建物の中にある大きなホールのような所で授業。

プログラムを見ると9時から16時30分まで途中1時間の休憩を挟んでずっと授業。

まるで高校生のようなカリキュラム。

受講する席は事前に決まっていて、仙台の同期と席は離れた。

受講者は色々、老若男女。

学生っぽいのはさすがにいなかったが、我々くらいの年代の若者も、中年も、熟年も、老年もいた。

どんな小さな商店にでも飲食店でも必ず防火管理者というのは必要らしいので(いないと消防署の許可がおりない)、受講者も多いのだろう。

そういえば先輩社員に受講手続きを早くしないとすぐに満員になると言われた。

そんな中で臨んだ防火管理者教習。

大きなホールで私の席は後ろの方、そして講習前日も12時間は働いていたので、確実に眠る自信があった。

講習開始前に講師が「2日目の最後に効果測定の試験があります、これで7割取らないと補講を受けてもらうことになります。」と。

7割は厳しいなと思いながらも見事に眠りに落ちた。

午前中の講習は7割どころか9割以上寝ていた。

昼飯を食って午後の講習、お腹もいっぱいになったことでますます熟睡に磨きがかかる。

気持ち良く眠っている所にジリリリリリリーと大音響、ハッと起きると講師が「これが非常ベルです。皆さん目が覚めましたか?」と。

受講者が眠るのは慣れっこなんだろうな。

16時30分にようやく講習が終わる。

店に行かなくて良いということは後の時間はフリー。

7月29日に誕生日を迎える弟に何か買ってやろうと思い、仙台駅周辺をウロウロ。

弟は高校3年で受験の日々なので何をあげるか非常に迷った。

結局、弟の部屋には安物の掛け時計しかなかったはずだと思い、チョット良い掛け時計を買った。

他に夏なので、制汗スプレーや身体を拭くウェットティッシュなどの爽やか用品(?)を適当に買っておいた。

近所のスーパーでダンボールを貰ってそれらを箱詰めして送付準備完了。

あとは誕生日に到着するように送るだけ。

家帰ってさすがに翌日の効果測定がやばいなと思いつつテキストを開くも、元々聞いちゃいないのでサッパリ。

結局そのまま何もせず。

 

2001年7月25日 水曜日

講習2日目、起きてなきゃまずいと思いながらも眠ってしまう。

ところどころ目が覚めて、重要だぞって言っていた所に線を引くくらい。

確実に半分以上は寝て終えた。

こりゃまずいなーと思いながら最後の効果測定を受ける。

ところがこの効果測定、思ったよりも簡単。

常識問題のような部分が多かった。

ところどころ目が覚めて線を引いていた所などが出題されてさほど苦労せずに解けた。

重要な所で目が覚めるというのは大学時代の講義で自然と身に付いていたものか(?)

自己採点の結果なんと10問中8問を正解して文句なしに合格だった。

もっとも、講習開始前に講師が7割取らないと不合格と言ったのは我々をふっかける為で実際は4割取れていれば良かったらしい。

それにしても殆ど講習を寝ていた私が8割も正解してこれで防火管理者で良いのだろうか。

それよりも効果測定で4割取れていればそれで防火管理者で良いのだろうか。

かなり大きな疑問が残るも、これで晴れて防火管理者となれた。

気がつくと土用の丑の日だったので、スーパーでうなぎを買ってご飯も炊いて、1人で資格取得祝飲会。

店長と電話で話した結果、翌日の仕事は仙台駅前店のスタッフ面接の手伝いをすることになった。

何をするかは判らないけれど、チョット楽しみだ。

店に出ていつも通りの仕事をするよりも、非日常的な仕事をした方が新鮮だし。

 

2001年7月26日 木曜日

朝、仙台駅前店がオープンする予定のビルへ行く。

ビルはあるのだが、その中の店舗になる予定の2,3,4階はまだ工事中で内装は全く出来ていない。

その建物の中のこれまた工事中の地下1階がスタッフの面接会場。

東北エリアマネージャーや駅前店に配属となる社員さんらに挨拶。

実に面接予定人数が200人を越えるという。

その中から40人ほどを採用予定で、この日が面接の初日。

9時から30分刻みで途中の休憩を挟んで20時までみっちり面接予定が入っている。

私の仕事は何かというと、ビルの入口に立って面接に来る人達を会場に案内すること。

工事中の建物で入口が判りにくいので、その入り口の所にエプロン着けて立っているだけ。

面接予定者の名前が掲載されたタイムスケジュールを持って、来た人に「誰々さんですね、こちらへどうぞ。」とやるだけ。

かなり退屈、そして仙台といえど夏の陽射しはかなり強く暑い。

ボーっとしながら駅前なので道行くひとなどを眺めながら、30分に2回だけの仕事。

だいたい30分おきに面接予定者が来るのだ。

社員2人で1人ずつ個人面接をやるので1回に2人さばける。

だから30分おきにだいたい2人の面接予定者が来る。

面接予定者がそろそろ来そうだなという時間になるまでは実に退屈だった。

かといって店のエプロンをしているので、あからさまにダルそうに立っているわけにはいかない。

往来を眺めながらボーっとしているくらいしかすることはない。

選挙が近かったので街宣車を何度も見かけたがどいつもこいつも実にうるさかった。

面接予定者はギリギリに来る者、早く来る者、遅刻してくる者、来ない者…実に様々だった。

昼飯は東北エリアマネージャーの奢りで牛タンをご馳走になった。

途中で仙台駅前店に配属となる同期2人が青森から仙台に到着して合流。

これまで東北エリアマネージャーと、副店長と私の3人だけだったからかなり気が楽になった。

かといってやる仕事に変化があるわけではない。

この日はただの案内人に終わった。

何か仕事ないですか?って聞いても特にないみたいだったし。

同期が合流するまでは仙台駅前店の社員は2人しかいなくて、その2人が面接をやるのだから私の存在意義はあったとはいえるな。

晩飯もご馳走になった、あくまでも私は"お手伝いのお客さん"扱いだなと感じた。

東北エリアマネージャーは第1印象では温厚そうな人かなと思ったが、同期2人や副店長に対してかなり厳しいことをビシビシ言っていた。

私に対してはあくまでもお客さん扱いだったらしく、厳しいことは何も言われなかったけど。

2週間後くらいにはオープンする、未だにスタッフも決まっていない状態で大丈夫なのか?

それ以前に店舗が完成していない、本当に大丈夫か。

これから手伝いの機会は更に増えそうな気がする。

 

2001年7月27日 金曜日

久しぶりになる自店舗での仕事。

だが、前日の暑い中立ちっぱなしが効いたのか妙に眠い1日。

まぁ眠くない1日などないが…。

閉店後はわりと早く帰れた。

家に帰ると晩飯を食う。

大抵はカップラーメンで発泡酒350mlを必ず一緒に。

カップラだけでは物足りないので、食後にいわゆるスナック菓子を食う。

本棚に本は1冊もなく、カップラとスナック菓子等の買い溜めしたもの置場になっている。

食後にスナック菓子を食うっていうのは身体に悪そうだ。

しかも飯食って酒飲んであとはシャワー浴びて眠るだけ、確実に太りそうな生活を続けている。

通常業務終了22時50分
退店23時20分

 

2001年7月28日 土曜日

翌日に仙台駅前店の手伝いが入った。

参院選挙が翌日に控えているのでそれの投票に行ってから仕事に行くつもりだ。

新聞は取ったものの殆ど政治ネタには目を通す暇がなかった。

新聞の参院選特集の別刷りを読んで一夜漬けの勉強。

同時に仙台市長選挙も開催されるらしいが、これなどどうでもよい。

誰が市長になろうが、私が仙台に今後も住むということはまずないだろう、勝手にやっとくれ。

労働条件を改善してくれるのなら誰にでも入れたいよ。

通常業務終了22時30分
退店23時20分

 

2001年7月29日 日曜日

朝、投票所の市民センターへ行って投票を済ます。

朝早いということもあってか若者の姿は見なかった。

仙台市長選挙もせっかく行ったので投票した。

誰が何だかよく判らなかったが、候補者で"紘"の字を使った名前の人がいたからそいつに入れておいた。

なんといい加減な投票だろうか。

バスで仙台駅へ、日曜日の仙台駅なんて初めてではなかろうか。

面接会場は前回と違って公民館みたいな所の一室を借りて行なわれる。

だから前回のように暑い中で外に立って面接会場を案内する人は必要ない。

なのでこの日の仕事は案内作業ではなく事務作業。

26日から面接が始まり、この日まで続けているので採用する人もぼちぼち決まってきているらしい。

その採用予定者の履歴書をまとめたり、名簿を作ったりする作業。

それと同時に不採用者へ履歴書を返送する為の宛名書き。

数多くの履歴書を眺めながらの作業。

何だか他人の履歴書を眺めるのは面白い。

その人の人生の一端を覗けるというか…、こんなに多くの人の履歴書を見るなんて初めてだ。

同じ室内で面接も行なわれていた。

これまで私は自分の店でも面接をやったことがなかったので、その内容は興味深かった。

普通、アルバイトの面接というと「何日入れますか、休みはいつを希望しますか、何時から何時まで働けますか、こんな仕事しますけど…」という事務的説明や質問が多いイメージがある。

ところが、私がそこで見た面接では事務的質問や説明はほんの少しだけ。

面接を受けに来た人がどういう人なのかを聞いたり、店の運営方針や目指すものなどを話していた。

さらには会社の企業理念の説明までもしていた。

端から見ればたかだかアルバイトの面接だが、随分と突っ込んだ部分まで話していた。

面接では担当の店長や副店長らが面接者の様子を面接チェックシートなるものに記入をしていた。

人柄、協調性、勤勉さなどいくつかの項目を記入する。

総合評価の部分はABCDで分けられていた。

A+は即採用、A,B+は前向検討、B,B-は検討、Cは最後の手段、Dは不採用。

面接に1人あたり20分くらいはかけていた。

1人1人にしっかり企業理念まで説明するのだから時間がかかる。

そうまでした面接なのだが、面接が終わるとすぐに「この人はDで…」とバッサリ切って捨てていた人もいた。

私はその部屋で不採用者への通知の宛名書きをしていたので、その場でまさに今終わったばかりの人の不採用通知の宛名書きもした。

面接直後にバッサリ切るくらいなら始めから力を抜いた面接をしても良さそうなものだが、1人1人にしっかりと同じ説明をしていた。

逆に中には面接が凄く長引いて、更に意気投合してその場で採用が即決された人も何人かはいた。

そんな面接を横目に見ながら、淡々と事務作業をこなしていった。

20時30分頃に仙台駅前店の手伝いは終わり、営業中でもあったので店へ行って通常業務。

一応店長に今日1日の報告もしなければいけない(そんな大層なもんでもないが…)。

仕事後、選挙結果をTVで眺める。

一喜一憂が見られる選挙結果をTVで眺めているのはなかなか面白い。

私が投票した参院選の票はどうやら生かされたようだ。

逆に市長選挙の方は"紘"の字を使っている候補者というだけで入れたのだが、見事に最下位だった(笑)。

通常業務終了22時30分
退店23時30分

 

2001年7月30日 月曜日

駅前店の開店準備手伝いしたり自店舗だったりどうも落ち着かない。

駅前店が開店したらもっと忙しくなる、とは店長談。

忙しくなるイコール休みがなくなると捉えられる、きつい。

通常業務終了22時30分
退店23時30分

 

2001年7月31日 火曜日

昼にスタッフの皆と隣にある焼肉屋で昼食。

スタッフの方から一緒に食べに行きませんか、と誘われたので嬉しかった。

店長1人だけを店に残して飯を食いに行った。

概ね店長という立場はそうなのかもしれないが、ウチの店長はスタッフ間で評判が悪い。

何考えているか判らない、ハッキリ物事を言わない、作業が中途半端、何もせずにウロウロしている…

スタッフ間に流れる店長の悪い評判について私は特に否定しない。

事実、私もそう思うことがあるし、閉店後のダラダラ話などから店長に良い感情はあまり持っていない。

以前にも記したが、嫌な人ではないし嫌いな人でもないが、苦手な人だ。

スタッフと一緒に店長の悪口言って盛り上がることはないが、それを否定しもしない。

なんだか微妙な立場にいる。

一緒になって店長の悪口を言うと店長を裏切るみたいだし、そういうこと言うのはやめようというのもスタッフから距離を置かれそうで言えないし、別にやめさせようとも思わない。

ゆえに黙ってしまう。

会議で先輩社員の話で「スタッフが店長の悪口を言っていたら…」というのを聞いた。

スタッフから店長の悪口や愚痴を聞いたら、何でそういう悪口や愚痴が出るのかその理由を考える。

そしてそのスタッフに、店長はこういう考えで店をやっている、だから店長はあぁいう言動に出たんだよ、と店長の考え方を伝える。

…みたいなことを言っていた。

店長とスタッフの距離を縮める、それが店長の下につく社員の仕事だ、と。

それは判るが、実際はそう巧くはいかない。

スタッフの店長に対する悪口や愚痴の殆どが店長自身の性格などによる個人的問題だと思うからだ。

だからスタッフの悪口や愚痴に対しても「そうだよね」としか言えない。

難しい立場だ…

通常業務終了22時50分
退店0時15分

 

2001年7月 出勤日数28日(含・会議,資格取得講習受講,他店手伝い等) 休日3日(含・会議帰路)

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