仙台社会人一人旅
Survive in Sendai.

2001年6月

2001年5月

2001年6月1日 金曜日

店長は月初書類作成で殆ど売場に出ていなかった為、私が売場を回す。

いわゆるフロアコントロールというのだが、これがなかなか難しい。

アレコレ指示を出しながら作業をするのだが、どうにも巧く回らないのだ。

何の作業からやるか、どれだけ人数を割くか、休憩はどういう組合せで回すか等々。

なんかこの日もサッパリだった。

閉店後は私も月初書類作成作業を手伝う。

途中で晩飯を食いに30分ほど外出したが、帰宅は3時をすぎていた…。

通常業務終了22時30分
退店3時15分

 

2001年6月2日 土曜日

通常業務終了22時30分
退店1時

 

2001年6月3日 日曜日

それなりに忙しい日曜日。

翌日には休みを貰っていたので、余裕を持って仕事が出来た。

店長に父の病気や手術の話はしてあった。

6月半ばに静岡で新入社員を対象とした研修がある。

父が入院している病院が湯河原(静岡と神奈川の県境あたり)にあるので、研修が現地解散となった後でお見舞いに行くことにした。

研修が1泊2日で、その後2日間丸々休みをもらうことができた。

2連休なんて勿論初めてだ、今後貰えるかどうかもわからないし。

ともかく実家で落ち着ける時間があるのは良いな。

通常業務終了22時50分
退店1時

 

2001年6月4日 月曜日

思ったよりも早く、10時には目が覚めた。

仙台駅周辺へ出かけて買い物。

掃除機を買いに来たのだ、つまり掃除機はこれまで持っていなかったのだ。

"販売実習生"という札をつけた店員の一生懸命な接客も手伝って3万円程もする最新の掃除機を買った。

イイ掃除機を買ってもそれほど掃除する時間はないだろうな…と思いつつも。

帰って早速掃除…これまで2ヶ月以上掃除もせずにいたわけか。

でも家にいる時間は殆どないのでそれほど汚れている印象はなかったな。

冷蔵庫、洗濯機、掃除機、布団乾燥機、電話機…

あと家電で大きな買物っていうのはナイよな…。

思いつくのはアイロンくらいだけど、アイロンこそ掃除機よりも使わないような気がするな。

 

2001年6月5日 火曜日

休み開け、新人のスタッフが2人同時に入った。

1人の新人には私が付きっきりで仕事を教えた。

何をどう教えればよいか戸惑いながらも一緒に仕事をした。

大学時代のアルバイトでも新人に仕事を教えることはしていたような気がするのだが、どうやっていたのかどうにも覚い出せない。

仕事を教えるというのは改めて疲れると思った。

この日は父の手術があった日なのだが、何も連絡がないということは、悪いことは無かったと考えて良いのかな。

通常業務終了22時50分
退店0時

 

2001年6月6日 水曜日

通常業務終了22時40分
退店0時30分

 

2001年6月7日 木曜日

2日前に入ったばかりの新人スタッフが持病の腰痛の為に退職した。

僅か2日…早っ!

閉店後は時々やっている他店への出荷作業。

手当も何もつかない、閉店後の作業にはイライラしてくる。

翌日から店長が都内にある店舗の手伝いに出かけることになった。

つまり私が1人で数日間店を任せられることになった。

勿論プレッシャーもあったが、自分の意志で帰れるようになるというのが何より嬉しかった。

通常業務終了22時30分
退店2時30分

 

2001年6月8日 金曜日

店長がいない週末、朝礼から作業指示まで全て1人で私がやる。

店舗はスタッフと協力しながら比較的巧く回せたような気がする。

売上はそれほど良くなかったが、作業効率は良かった。

このまま何事も無く店長がいない週末を終える事が出来れば良いが…

通常業務を終えて、スタッフが帰っても、なんとなく1人で店に残ってしまった。

まぁ、いつでも自分の意志で帰れるのは良いが。

通常業務終了22時30分
退店23時30分

 

2001年6月9日 土曜日

土曜日ということもあって忙しく充実した1日。

店長がいないので見られていると意識しなくて良いから気が楽。

忙しく、慌しく、次に何をするか悩むような暇が無かった1日であっという間に過ぎた。

通常業務終了22時30分
退店0時10分

 

2001年6月10日 日曜日

この日も慌しく終わった。

翌日は本部で月一の店舗会議。

会議後は新入社員を対象とした研修がある。

研修とはいうものの、社員旅行みたいなもん。

社長、同期らと一緒に箱根の温泉宿へ1泊2日で行き、親睦を深めるという物。

メインイベントは静岡で有名なウナギ屋でうな丼を食うという通称うなぎ研修。

翌日の店舗会議を終えてそのままバスで研修へ行き、1泊2日。

その後は父の見舞いも兼ねて2日休みを貰っているのでしばらく店には戻らないな。

翌日が会議なので初めてスタッフと一緒に店を出た。

通常業務終了22時40分
退店23時

 

2001年6月11日 月曜日

店舗会議参加のため、8時前に仙台駅へ。

例によって睡魔と戦う会議を終えると我々新卒は研修へ。

懇親会やホテルでの先輩社員との会話を考えると、同期と研修に行った方がだいぶ気が楽だな。

バスに乗り、宿泊地である箱根を目指す。

大型バスに皆で乗り込むなんて、高校以来のような気がする。

数人の先輩社員も一緒に研修へ参加するのだがバス内は同期だけだった。

ホテルの部屋(班)はいつのまにか決められていたが、バスの座席は適当だった。

適当に乗り込んで座る、誰も隣に来なければゆっくり眠っていられのだがあいにく隣に女の子が座った。

まぁ同期だし、女の子だし(笑)、バスの中ではなんだかんだでずっと喋っていた。

宿泊するホテルに着くとチェックイン等々でロビーで待つ。

すると社長が到着したという報が入り、全員総出でホテルの入り口までお出迎え…なんだかなぁ。

ホテルは和室で5,6人部屋。

1時間ほど空き時間があったので風呂でも行くかってことで数人と大浴場へ。

なかなか気分の良かった大浴場を出ると、休憩所に人がいっぱいいる。

見ると全員が風呂上りと見られる同期の連中。

何をしているのかと思うと、輪の中心に社長がいて何かを喋っていた。

皆それを聞いているのだ。

同期連中が皆集まって社長の話を聞いている横を無視して通り過ぎることなど出来ない。

とりあえず輪の後ろの方にいた。

どうもこの会社は社長様万歳、という感じがする。

社長がホテルに到着したら全員でお出迎えとか。

皆で社長を囲んで話しに耳を傾けるだとか。

なーんか微妙に違和感を覚える。

そりゃ社長は我々の長だけど、そこまでするかなーっていう。

そしてそれをしないといけないような雰囲気が社内全体に漂っている。

やはりどことなく宗教的な部分を感じさせる。

部屋に戻ってあまりくつろぐ時間も無く、夕食兼懇親会の時間になった。

宴会場に行き、畳敷きの大きな部屋で修学旅行などで見られるようなお膳が並んでいる。

なんか典型的な社員旅行だ。

隣近所の同期とも話すことは仕事のことばかり。

でも考えてみれば共通の話題っていうとそれしかないわな。

社長の講話もあったが、かなり砕けた席だったのでいつものような堅苦しさはなかった。

ビンゴ大会もあって盛り上がったのだが、どうも作られている盛り上がりのような気がした。

盛り上がらないといけないな…みたいに思ってしまった。

あぁ、ここは盛り上がるところなんだなーと感じられ、そうしている自分がチョット嫌だった。

懇親会席上でも1人1分間の時間が与えられ、それぞれ現在仕事をしていて感じていることなどをスピーチ。

あまり深く考えずに"こういうことを言っておけば大丈夫"ということを言っておいた。

あまり自慢できる特技ではないと思うが、そういう場での適当な教科書的なコメントはそこそこ得意だ。

あぁ言うスピーチで他人が何を言っていたかなんてのは殆ど覚えていない。

先輩社員のスピーチもあったのだが、その中で来期卒業の学生の面接を行っている先輩社員の話し。

「内定を辞退する人の中に、"社長や社員の言うことがみな同じでなにか宗教みたいで嫌だ。"と言う人がいます。でも私は宗教でも良いと思います。社長と社員の言っていることが違う会社の方がどうかしていると思います。」

確かにそうだが、宗教的な部分は大いにあるわな。

私は入社するまで判らなかったが、内定の段階でそこまで感じる人もいるんだな。

企業ってのは多かれ少なかれ社長とトップとした宗教的な部分はあるものなのかな。

大学時代にやっていたアルバイト先ではあまり感じなかったけど、それはアルバイトだったからかな。

でもウチの会社の場合は他の所(知らないけど)よりは宗教的臭いは強いような気がする。

社長・会社・上司・労働条件…愚痴厳禁、愚痴は悪、というよりもそれを言う雰囲気すらない。

そういう雰囲気が宗教的と感じる所以かな。

懇親会最後には嫌なイベント。

入社式や4月の経営計画発表会でもやっていたのだが、あまりにも恥ずかしくてここに書けなかった。

何かというと社長以下社員全員が西○秀樹のヤング○ンの唄に合わせて皆で踊るのだ。

♪素晴らしい〜Y・M・C・A♪である。

これも社長が好きらしく、会社の何かイベントの後には皆で唄に合わせて踊るのが慣例となっているという。

入社式でこれをやらされた時はかなり引いた。

オイオイ、マジっすか…。

そして来賓が大勢集まる経営計画発表会でも最後にこれをやるのだ。

ホテルの大ホール内に曲が鳴り響き、数100人の社員が皆で踊る。

何度も参加している来賓の人も踊っているのには驚いた。

別に誰が見ているわけでもなく、社員ばかりで皆同じようにやっているのだがとても恥ずかしい。

社外の人間には見せられん、何でこんなことしなきゃいけないんだ…という感じだ。

そして楽しそうにやっている先輩社員や同期(全員ではないが…)。

いやぁ、そりゃ出来ねーっすよ。

うーん、確かに宗教かもしれんなこりゃ…

これを会社説明会でやってくれてりゃ絶対入社しなかったのに。

苦痛なYMCAを終えて懇親会終了。

部屋に戻って就寝…とならないのはいつものことだ。

会社の慣例に倣って部屋で深夜までの語らい。

同期ばかりだし、違うエリアの連中ばかりだったので新鮮だった。

妙な気を使うことも無かったし、布団に横になりながら男女入り乱れてお喋り。

仕事の話をしているのだが、それほど堅苦しさもなかったしまだ学生のノリが皆残っていたような感じだ。

他のエリアの同期と話すと、やはり皆それなりに苦労しているのがわかる。

毎晩3時くらいまで店にいて翌8時には出勤している同期。

社員が多い店で店長・副店長と意志の疎通がなかなか出来ない同期。

店のスタッフとなにかと衝突する同期。

色々な話を聞いたが、誰からも愚痴や文句などネガティブな話しは聞かなかった。

みんな中に溜めてんのかなー、私も表には一切出していないつもりだけど。

その中で既に店長として新店を立ち上げた同期や、1人で店を任されている同期は話すレベルが違った。

数字の話しがスラスラ出てきてサッパリだった。

あそこまで私も到達できるのかな。

実に3時過ぎまで喋っていていつのまにか就寝。

 

2001年6月12日 火曜日

ホテルでバイキング形式の豪華な朝食。

朝飯を食うのは実に久しぶりだ。

朝食後にバスでホテルを出て目指すは三島の方。

途中でどこかの日本酒工場に立ち寄りまるで社会科見学のようなこともした。

なんか本当にただの社員旅行だ。

そして一応この"研修"のメインイベントであるウナギ屋へ。

今回の研修の通称が"うなぎ研修"

皆で同じもん食って精つけて頑張りましょうってとこかな。

そのウナギ屋の名物なのかしらんがそのうな丼が凄い。

茶碗4,5杯分というご飯にうなぎは2層。

丼の中はご飯、うなぎ、ご飯、うなぎ…となっているのだ。

例年開催されているこのうなぎ研修でこの特大うな丼を食べきれない人も多数いるのだという。

よーいスタートで食べ始め、気合を入れて食った結果、自分でも予想外で全体の6番目くらいで食い終わった。

自分は大食いではないし、ましてや早食いでもないのでこの結果には自分が驚いた。

量は相当なもので勢いで食わないと食べきれないくらいだ。

食いきれない人も半分くらいいた中で50代半ばくらいの社長が平気で全部食っていたのは驚いた。

同じ仙台の同期は無理して食ってその場を動けなくなり、数分後にその場で盛大に吐いたという。

虹を描くかの如く吐いたらしく、現場に居合わせた先輩社員から彼はそれ以来レインボーと呼ばれた。

たらふくウナギを食った後にバスで三島の駅まで行き、そこで現地解散となった。

バスはそのまま本部へ戻るので乗りたい人は乗って行っても良いとのことだった。

西日本の店舗に所属する人もいるのでわざわざ本部に戻るよりその場で解散となったのだ。

私は湯河原にある父が入院している病院に行くのでそこで別れることにした。

ようやく息が抜ける…

父の入院している病院へ行く。

手術直後ということもあって殆ど寝たきりで見るからに弱っていたのが痛々しかったが、声が元気だったのは救いだった。

近況報告などをして1時間後くらいに病院を出た。

そこから電車を乗り継いで地元に戻ってきた。

久しぶりに実家で晩飯を食うも、昼のうなぎが残っていて結構きつかった。

夜には大学時代にやっていたアルバイト先の連中と飲みに行った。

実家に帰って休みが取れることが判った時に仙台から連絡を取り、飲みに行く約束をしていたのだ。

久々に純粋に飲みを楽しめた。

元バイト先が今どうなっているのか、私はどんなことをしているのか等々…。

その日バイトが休みだったコまでわざわざ来てくれて嬉しかった。

朝から色々あって慌しい1日だった、しかし色々な人に会ったわ。

ウナギの所為か飲みの所為か、帰って体重量ったら私史上初めて60kgを越えていた。

仙台では体重計を持っていないのでもともと60kgを越えていただけかもしれないけど…。

 

2001年6月13日 水曜日

純粋な休み、しかも実家での休みだ。

母がこの日に父の見舞いに行くというので、私も行くことにした。

父の見舞いなら前日にしたばかりだったが、家にいても特に何もする事がない。

それならば父や母と一緒にいる時間を少しでも作ったほうが良いなと思えた。

今回は車に乗り、前日も行った湯河原の病院へ1時間半ほどのドライブ。

別に何を話したりするわけではないのだが、同じ時間を過ごすだけでも貴重なわけで。

次に父と会うときは実家で…と願いつつ病院を後にした。

 

2001年6月14日 木曜日

連休最終日。職場と学校へ向かう母と弟を送り出す、次に会うのは1ヶ月後かな。

仙台へ向かう高速バスが新宿から出ている。

それに乗る為に新宿へ向かう前に元アルバイト先に寄っていった。

バイト時代にお世話になった人で、私が辞める時には入院していて最後の挨拶が出来なかった人がいるのだ。

5月に元バイト先に寄った時は仕事に復帰していなかったが、一昨日の飲み会で仕事に復帰していることを知ったのだ。

お世話になったその人の他や、私の(私を)知っている数人に会って挨拶した。

そういう懐かしい面々に会うと自分も頑張らなきゃな、と思えるから不思議だ。

新宿では高校時代の友人と会うことになっていた。

大学時代はよく飲んでいたが、就職してから会うのは初めてだった。

昼間っからだが、焼肉屋に入り飲んだ。

大ジョッキ2杯に真露のボトル、昼間っからかなり飲んだ、酔った。

やはり気を使わなくてすむ友人と、何も考えず言いたいことを言えるというのは良い。

楽しかった、これこそ健全な飲み会だ。

仕事だらけの毎日の中でこの連休は一服の清涼剤ってところだ。

15時に新宿を出たバスの中では酔いも回って熟睡、21時過ぎに仙台に着いた。

さて、現実が待っている。

 

2001年6月15日 金曜日

いつも通りの1日が戻ってきた。

ただいつも通りでなかったのは店にエリアマネージャーが来ていたこと。

何をしに来たわけでもないらしく(本当はなにか目的があったんだろうけれど私には判らん)、エリアマナージャーも一緒に働いた、別にいつも通りの仕事だ。

ただいつも通りで無かったのは閉店後にすぐ店を出て店長とエリアマネージャーと3人で飲みに行ったこと。

エリアマネージャーも一緒となるとやはり気を使う。

真面目な話しばかりで気を使ってばかりの飲み、昨日の飲みとは大違いだ。

飲みに行ったので帰宅は2時過ぎ…やはりいつも通りだ。

通常業務終了22時30分
退店22時40分

 

2001年6月16日 土曜日

前日から新聞を取り始めた。

朝の数分でも新聞に目を通そうと思ったのだ。

やはり少しでも世間の動きや情報を得ておきたいと思ったのだ。

そうでもしないと何だか完全に世間から置いていかれ、仕事だけの世界にはまってしまいそうだったから。

家にいれば新聞の勧誘などが来るのだろうが、私は殆ど家にいないので勧誘にも会ったことがなかった。

なのでこっちから販売所に電話をかけて購読申し込みをした。

朝起きて、牛乳にインスタントコーヒー粉を溶かして暖めてそれを飲みながら新聞を読むのだ。

そうやってどうにか"世間"と繋がりを持って仕事に向かう。

通常業務終了22時30分
退店23時30分

 

2001年6月17日 日曜日

慌しい土日というのは良い。

スムーズに仕事が出来ると気持ちが良いし。

新人スタッフに仕事を教えてもいるのでやりがいも出てきた。

でもそれとは別に閉店後の店長に対しては早く帰らせろーって思っている自分がいる。

そういう部分ではなんとなくアルバイト気分というのがまだ抜けきっていないような気がする。

閉店したら仕事終わり、もう自分の時間、早く帰らせろーっていうあたりが。

通常業務終了22時40分
退店0時

 

2001年6月18日 月曜日

店長が休みを取って、夜の時間帯では自分よりキャリアが長いスタッフもこの日は休みだった。

だから1人で何もかもに対処しなければいけなかった。

かなりアタフタしたが、頼られる喜びみたいなものを感じられた。

学生時代のアルバイトを少し思い出した。

薬局にいたのだが、薬局担当の社員が休みで薬剤師さんも帰った後だと私が1番薬局に詳しいことになる。

必然的に薬局のことは他の社員も含めて全て私に聞いてくる。

なんだかその時は「頼られている、俺がいなければ」という充実感があった。

それと似たようなものをこの日は感じられた。

こういうのが仕事の充実感に繋がっていくのだろう。

売上も平日にしてはかなり良かったのもその要因の1つだっただろう。

忙しく、夜の休憩も取れなかったが心地良い疲労感だった。

おまけに翌日は休みも貰っていた。

前週に2連休を貰っていたのでもしかしたら今週は休みなしかなと思っていたので余計に嬉しい。

通常業務終了22時50分
退店23時30分

 

2001年6月19日 火曜日

1度も目がさめることなく13時過ぎまで熟睡。

それはそれでなんだか勿体無いような気がする。

1度目がさめて「あっ、今日はまだ眠れるんだ。」って思えた方が得した気分だ。

いつものようにスーパーを一巡りして部屋の掃除などをしてなんとなく1日が過ぎた。

どうも1日だけの休みだと大胆なこと(?)が出来ない。

どうしても明日も仕事あるし…次の休みはまた1週間後だし…と守りに入ってしまう。

休んでおかなきゃ、と思えてしまうのだ。

なんだか勿体無いな。

 

2001年6月20日 水曜日

毎週月曜日か火曜日に本部から運営会議速報というメールが届く。

月曜日に本部では運営会議なるものが毎週行なわれているらしく、その内容についてのメールだ。

そのメールにはオープン店の報告や人事、業務連絡などが掲載される。

それで退職者名も公開されるのだが、今回の退職者名の中に第1研修で一緒だった同期の名前があった。

これまで同期で何人か退職した人の名前は見ていたが、身近な同期が退職したのは初めてだった。

しかも第1研修でそこそこ仲良かったのでちょっとショックだった。

そういえば、前回の研修のときにもいなかったので気にはなっていた。

気にはなっていても電話するほどの仲ではないのだが…。

閉店後に店長に飲みにでも行くかと誘われて店の近くにある焼き鳥屋へ行った。

店長との共通の話題なぞ仕事のことしかない。

しかし店長ならそれほど気を使わなくても良いので楽といえば楽かな。

話を聞いているのは相変わらず辛い部分があるけど。

帰宅は1時頃、まぁまぁかな。

通常業務終了22時20分
退店22時30分

 

2001年6月21日 木曜日

閉店後に店長に連れられて、近郊の加盟店を見に行った。

別に何するわけでもなく、偵察とかいうのでもないのだが見に行った。

その後で仙台の同期のいる店へも行ってそこの店長と同期とで晩飯。

このメンツだと必ず長話になる…

喋っているのは殆ど店長同士だが。

これも仕事の時間に入ってるんだよな、帰宅は2時30分…不満だ。

通常業務終了22時30分
退店23時

 

2001年6月22日 金曜日

朝起きると喉がイガイガして少しの痛み…やばい、風邪か。

スタッフでも数人風邪を引いているのがいる、うつったかな。

1人暮しで風邪はきついな…悪化しなけりゃ良いけど。

にも関わらず閉店後店を出てから店長の車で近郊のホームセンターへ。

店の裏に物置を立てるとかでその物置を見に行ったのだ。

勿論ホームセンターは閉店している時間帯なのだが、物置は外に展示してあるので見ることが出来る。

わざわざ夜にそれを見に行ったのだ。

ったくこっちは体調悪いっていうのに。

おまけに目的が済んでも車でダラダラとドライブ…いい加減にしてくれと心の中で叫んだ。

結局帰れたのは2時過ぎ…はぁ。

通常業務終了22時40分
退店23時

 

2001年6月23日 土曜日

朝起きると前日より喉が痛く、全身の倦怠感。

来たなーという感じだ、完全に風邪の症状。

それなりにだるかったのだが仕事へ。

仕事中もかなりだるかったがどうにか耐えられた。

閉店後はさすがに1人先に帰らせてもらった。

それでも23時30分、決して早くはない…

通常業務終了22時40分
退店23時30分

 

2001年6月24日 日曜日

一晩しっかり寝るだけでだいぶ具合は良くなっていた。

ただこれまで喉の痛みや倦怠感など身体内部の症状だったのに対して、この日は鼻水・セキ・くしゃみという外部に出る症状。

それによって端から見ると前日よりも酷くなっていると見られたらしい。

周りの気遣いもあってなんとかこの日も普通に乗り切った。

閉店後もなるべくだるそうに振舞って帰宅、そうでもしなきゃ帰れん。

通常業務終了22時30分
退店23時20分

 

2001年6月25日 月曜日

朝、体調は一進一退。

いつもよりも早く起きて誰もいない店へ。

店の車を使って消防署へ出かけた。

何をしに行ったのかというと、防火管理者講習の申し込みをしに行ったのだ。

将来的に1人で店を任せられることになると、防火管理者というのになっていないといけない。

店舗等の建物に必ず1人はその建物の防火に関する管理者が必要なのだ。

その防火管理者の資格は講習を受講するだけで取得できる。

店長になる前に防火管理者の資格を取っておく必要があったので、その講習の申し込みをしに消防署へ行ったのだ。

朝一で消防署に行って諸書類に記入をし簡単に申し込み完了。

あまりにも早く終わってしまい、このまま店へ行くと開店前に着いてしまうので少しゆっくりして開店後に店へ。

この日は店長が休み、実に気が楽だ。

店長も休みだし、体調も万全ではなかったので閉店後早々に店を出た。

私は翌日が休み、体調如何ではずっと寝ていることにもなりかねんな。

通常業務終了22時20分
退店23時

 

2001年6月26日 火曜日

1日中寝ているとまではいかなかったが、昼過ぎまでは普通に寝ていた。

やはり身体はどことなくだるい。

適度な買物だけしてあとは安静にしておいた…

せっかくの休みが…

 

2001年6月27日 水曜日

休み明け、それでも体調は万全ではない。

新人さんが入った、また1つ新鮮な空気。

営業時間中に辞めたいと思うことはなくなってきた。

新人さんには頼られているし、しっかり成長しているのを実感できるし結構充実している。

営業時間中は良いのだ、営業時間後が嫌なのだ。

営業時間後というよりも閉店した後の店長とのダラダラした時間が嫌なのだ。

閉店後のデスクワークならばまだ我慢できるのだが、店長とのトークがつらい。

話すなら話す、何もないなら帰る、ってハッキリしてほしい。

通常業務終了22時40分
退店0時

 

2001年6月28日 木曜日

この日は実家の母の誕生日である。

とりあえず手紙は出しておいた。

父が入院し、弟は受験で忙しい、母もさぞかし大変だろう。

私にできることは心配をかけないことくらい。

仕事は棚卸し、月に1度の非日常感がちょうど良い。

通常業務終了22時40分
退店23時20分

 

2001年6月29日 金曜日

朝一でクレーム処理のためにお客さんの家まで店の車で行った。

クレーム処理というあまり気乗りしない仕事だが、車で出かけるので1人になれる時間があって良い。

体調の悪化もあって近頃は朝起きるのが非常に辛く、新聞もろくに読めていない。

不調の時期が長いな…精神的なもんもあんのかな。

通常業務終了22時20分
退店23時30分

 

2001年6月30日 土曜日

月末最終日、今月の売上目標額には到達できた。

目標の売上金額等は把握出来るようになっている。

ただどういう根拠でその目標が設定されているかなどは判っていなかったが…。

ケータイに中学時代の友人で共にこの春から新社会人の友人から電話があった。

仕事は大変で週一の休みだが、休日出勤手当が1万〜1.5万は出るという。

そういうのがしっかりしている所は良いなー。

やはり友達の声を聞くと元気になる。

元気が出ることによって改めて1人だなというのを実感もするけど…。

通常業務終了23時
退店0時

 

2001年6月 出勤日数25日(含・会議,研修旅行) 休日5日

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