仙台社会人一人旅
Survive in Sendai.

2001年5月

2001年3,4月

2001年5月1日 火曜日

新入社員を対象にした第1研修、通称イチケンが本部で行なわれる。

入社式の前にイチケンを済ませている人もいれば、入社式後に行なう人もいる。

私のイチケンは翌日から3泊4日。

同じエリアの同期では皆が既にイチケンを済ませていたので懇親会の席で色々話しは聞いていた。

まずは何よりも他のエリアの同期と仲良くなれるチャンスだし楽しいよ、とのことだった。

私の中では「仕事きっついわー」と思いながら働いていたので、何か変わるキッカケになるかなと期待していた。

イチケンを翌日に控えたこの日も通しで仕事。

最近入った新人に仕事を教える。

こっちもまだ完璧には覚えちゃいないのに、教えなければいけない。

人に仕事を教えるというのは少々難しいが、自分の仕事を再確認できるし、教えた相手がしっかりやってくれているのを見ると充実感がある。

こうした充実感は大学時代のアルバイトでも感じていたはずなのだが忘れてしまっていたなと気が付いた。

「まだやれる」、研修前日に思った。

 

2001年5月2日 水曜日

いざ第1研修へ。

9時過ぎに仙台を出る新幹線に乗り、本部へと向かう。

本部の最寄駅へ行くには、私の地元の駅で乗り換える必要があった。

行くつもりはなかったのだが、思わず大学時代のアルバイト先の前を通ってしまった。

すると仲の良かった後輩が分かり易い場所で暇そうにしていたので話しかけてしまった。

そんなに時は経っていなかったのに、元アルバイト先は妙に懐かしかった。

既に私が知らないアルバイトや社員もいて、当たり前だがもう私の居場所はないなーとしみじみ思った。

店内から顔見知りのアルバイトがわざわざ出てきてくれて雑談。

懐かしさと元気を貰って本部へ向かった。

本部では既に研修参加者数人が来ていた。

参加者は私を含めて全部で9人、当然だが皆が同期だ。

誰ともなく何となく話し始める、別にぎこちなさはなかった。

各9人それぞれの所属店舗は札幌・秋田・東京・東京・千葉・千葉・名古屋・大阪と私の仙台。

まさに全国各地から本部に集結だ。

そして研修本番(?)がスタート。

いわゆる会議室みたいな所でテーブルを囲む。

本部の教育研修課というところの先輩社員がインストラクターとして先生役を務める。

今回インストラクター役の先輩社員は2人(男と女)。

いずれも私と年齢が3,4つしか違わない。

2人とも店長経験者で、現場(店)を知っている人たち。

本部で形式的な「教育研修」だけを学んでいる人達とは違うのだ。

現場を経験してそのうえで教育研修課に配属になった人達なのだ。

最初は各々自己紹介と今回の研修に参加するにあたっての決意みたいなものも発表する。

自己紹介では「どこどこ店の誰々です。」と頭に必ず店名をつける。

私は無難に「まだ自分の店ではマニュアルを把握しきれていない部分があって、仕事にいまいち自信を持てずにいるので、今回きっちりとマニュアルの意味などを学びたいと思う」

みたいなことを言った。

第1研修とは現場(店)の知恵の集積であるマニュアルを知ることが第1のテーマなのだ。

参加者全員に自分用のマニュアルが配られる。

そういえば入社して初めて自分用のマニュアルを貰った。

自分の店ではマニュアルはあったけれど、自分用のマニュアルというのはなかったし。

まずはマニュアルの読み合わせからスタート。

インストラクターがマニュアルを音読し、その文章や言葉の説明などをする。

マニュアルの最初は企業理念から始まる。

企業理念は2つ

・事業活動を通じての地域社会への貢献
・全従業員の物心両面での幸福の追求

判り易いんだか、判りにくいんだか…

まずはその企業理念の説明から始まる。

事業活動云々〜は自分たちのやっている仕事、店でやっていることで地域の人達の役に立とう、みたいなこと。

単純に言うと「ここに店があって良かった」と少しでも多くの人に思ってもらえれば…といったところ。

全従業員云々〜は会社に携わるアルバイトも含め全ての従業員が物心両面で幸せに近づけるように…という。

物心両面の物、というのは簡単にいうとお金。自分の食い扶持は自分で稼ぐ、稼げるように…

そして物心両面の心、心はいまいち私もよく判らないのだが、自己実現とでも言おうか。

自分の目指す何か、人間像みたいなものに少しでも近づければ…とでも言おうか。

物心両面での幸福の追求とは、まぁそんなところだ。

あくまでも幸福の"追求"である、目指していきましょうよ、という。

自分の食い扶持は自分で稼げるようになり、仕事を通じて目指す自分に少しでも近づいていけるように…

それを物心両面の幸福と捉え、それを目指していきましょう、と。

私もこの理念は抽象的でいまいちよく判らない。(当時は勿論、退職した現在でもよく判らない)

まぁそういう理念の元に会社がありますよ、というのは頭にいれておくということで…

マニュアルの最初にこの企業理念が載っている。

まさにマニュアルの頭の部分である。

そういう企業理念の基に、事業をやっていますよ、マニュアルが出来ていますよ、という。

いわゆる店舗での通常作業もマニュアルに掲載されていて、読みながら改めて習っていく。

店でやっていることの復習。

店でしている通常の作業が、どういう意味や意図でそうなっているのかを学ぶ、といったところ。

店で普段やっていることなのでさほど難しくもなかったし、幸いにも眠くもならなかった。

13時に集合して始まった研修は休憩を挟んで18時30分頃に会議室での研修は終了。

一旦宿泊施設に荷物を置いてから親睦を深める為の懇親会を開催するという。

研修で泊まるところは本部近くに建てられた会社の宿泊施設。

これがとても立派でオートロックのマンション。

部屋は仙台での私の部屋(1Kフローリング9畳風呂トイレ別)よりも遙に広く、家電一式は当然揃っていたし乾燥機なども付いていた。

宿泊施設で荷物などをまとめて一段落した後は会社が経営する焼肉屋で懇親会。

会社が経営する店なので無料、飲み放題食い放題。

だが、ドンチャン騒ぎになるわけがなく、雑談になるわけでもなく真面目な仕事の話ばかり。

懇親会前に研修課のインストラクターが挨拶で

「私達がこうして飲み食いしている間にも、お店ではスタッフさんが頑張って働いています。それを忘れずに有意義な場にしましょう。」

みたいに挨拶、言うことは極めて正論。

しかも会社の金で飲み食いするわけだからとってもよく分かる、分かるけどねぇ、なんだかねぇ…

ハメを外すでもなく、お互い入社の経緯や店でどう言うことをしているかなどを真面目に話し合う。

懇親会を終えて、この日予定されていた研修のプログラムは全て終了となった。

お互いの部屋に戻ってフリータイム…にはならないのだ。

誰ともなく、誰かの部屋に皆で集まって話をしようということになる。

ホテルなどで泊まると夜に大勢が1つの部屋に集まって色々と話をするというのはこの会社の伝統らしい。

伝統というほど古い会社ではないが、会議後などでホテルに泊まると必ずそういう流れになる。

誰かの部屋に集まって、日頃店でやっていることや感じていることや悩みなどを赤裸々に語り合う、という。

4月にあった店舗会議やエリア会議の後でも、ホテルの部屋に集まっての座談会に参加していたので「こういう会社なんだな」というのはもう分かっていた。

研修でも同期の連中もやはり、「俺らも集まるか」という風に集まることになった。

当然全員参加、「俺はイイよ」みたいなことを言える雰囲気はない。

もっとも、インストラクターが参加するわけではなく、皆が同期なわけだからだいぶ砕けた集まりではあった。

菓子やジュースを飲み食いしながら雑談的な話しも出来た。

それでも労働時間は長いよなーといったことは話せるが、愚痴っぽいことは出なかった。

やっぱ皆も休みは週一日ペースだった。

話す内容はやはりどうしても仕事の内容になる、共通の話題っつったらそれしかないし。

マニュアルは全店舗同じものなのだが、話を聞いているとそれぞれの店長のマニュアルの解釈の違いや、近くに競合店があるかないかなどで店によって細かい部分では色々とやり方が違うことが分かった。

なかなか興味深かった。

翌朝も当然研修はあるので、0時過ぎをメドに自然解散。

結局自店舗にいるときと同じで夜は遅くなるんだな。

 

2001年5月3日 木曜日

朝、本部の目の前の店での朝礼に参加。

朝礼後は本部へ移動して、会議室で座学。

前日に引き続いてマニュアルの読み合わせ。

そして午後からは実際に店舗に出てOJT(=On the Job Training)。

店舗でやることは仙台でも本部の目の前の店でも変わらない。

ただ、今回の店は駅前にある店なので来店客数は私のいる仙台の店よりも遙に多い。

ゴールデンウィークということもあったし、更に忙しく感じられた。

そして店で働いているアルバイトのレベルの高さが尋常ではなかった。

一つ一つの作業が早いし、チームワークも良い。

休憩中などの話を聞いていても、雑談ではなくどうしたら店をよく出来るかといったことを話している。

会話の端々から私よりも遙に店に愛着を持っているな、店に対して意識が高いなと感じた。

私は「仕事だし…」と思ってやっているが、彼らはそれ以上のモノを持って働いているように思えた。

果たして自分にそんな高い意識を持てるのかと不安にもなった。

アルバイトの彼らですら、そのような高い意識を持っている。

自分が将来店長になるとして、彼らのように高い意識を持ってやれるのだろうか。

そう考えると、何だかこれまでで1番憂鬱になった。

逃げ出したくなった、"やってらんねー"というより"できねー"と思えた。

自分の中で「あくまでも仕事」という一線は越えられないような気がした。

ただ、できないからといって逃げ出すことはできないということはよく判っている。

とりあえずやってみるしかないということも判っていた。

閉店前に研修組の我々は店を出て、会議室で1日の反省会。

今日1日どうだったか、何か得るものはあったかなどを話し合う。

翌日は丸1日その店舗でのOJTとなる。

皆で翌日の目標をそれぞれ考える、自分に何か翌日の目標を設置するのだ。

私は「何であんなにスタッフ皆の意識が高いのか、少しでも話をして聞いてみたい。」みたいなことにした。

この日の研修プログラム終了後も宿泊施設の部屋に集まって同期の皆とお話。

何か同期の皆も話を聞いていると仕事に対する意識が高いなーと思えてしまう。

そんな中で私は「自分を作っているなー」と自分で判る。

会社の雰囲気に合わせようとしている自分がいた。

本当はそう思っていなくても、こう言っておけば大丈夫だろう、みたいなセリフを吐く。

同期と集まって話をしながらも「早く部屋帰って一人になりたいなー」っていうのは思っていた。

何人かそう思っている人がいたとしても、それをなかなか表に出すことは出来なさそうだ。

私も思っていても決して言えなかった、そんな雰囲気ではなかった。

やはりこの日も0時過ぎまでお話。

あくまでも自主的に集まっているので扱いとしては仕事の一環ではないんだろうな…。

 

2001年5月4日 金曜日

第1研修3日目。

この日は本部間近の店で開店から閉店まで丸1日店に出てOJT。

自分の店とは違うので作業の流れなど勝手がよく判らない。

ゴールデンウィークで慌しくて皆が忙しいので、周りにも何をしたら良いのか聞き辛いし。

何でも良いから適当に仕事を見つけて、仕事があるとホッとした。

とりあえずコレやってます、ってアピールできるし。

仕事の合間の休憩時間はその店のスタッフと一緒に飯を食う。

研修中に「1人で外で飯食ってきます」なんて言ったら怒られるだろう。

必ず皆で飯を食うのだ。

休憩時間中でも皆と話をすることによって、少しでも多くの情報等を得る。

休憩も大事なコミュニケーションの場、ということだ。

とりあえず仕事をしていて何が楽しいのか、何で皆の意識がそんなに高いのか、等をその店のスタッフに聞いてみた。

目標に向かって皆と力を合わせて仕事をし、それを感じられるのが楽しい、だそうだ。

1つの目標に向かって一生懸命皆で仕事をする一体感とでも言おうか、それが充実しているという。

目標に共感し、目指していく中で必然的に店をどうしたら良いか考える、店に対する意識も高くなるという。

うーん、判ったような判らないような…

OJTでは閉店までどうにか仕事をし続け、なんとか難なく終えた。

23時の閉店後、本部へ行って反省会。

10時開店23時閉店だから、自分の店よりも1時間営業時間が長い。

しかも慣れていない店で絶えず緊張状態にも置かれていたのでドッと疲れた。

その疲労感は同期も一緒だったらしく、今夜は部屋での会合はなし。

翌日が研修最終日、夕方まで本部会議室で座学。

そこで各々研修を通じての所感と今後の決意表明しなければならない。

各自考えてくるように、との課題を与えられていたので疲れた身体に鞭打って色々と考えた。

そして研修最後の夜、折角洗濯機と乾燥機が設置されている宿泊施設だったので洗濯もした。

乾燥機というヤツは素晴らしい、洗濯したGパンまでスッカリ乾いてしまった。

妙なことに感動を覚えながら、研修最後の夜は更けていった。

 

2001年5月5日 土曜日

研修最終日、本部会議室で1日座学。

教育研修課のマネージャー(教育研修課で1番偉い人)から直々に「店長とは」という話を聞く。

店長の1番の仕事は何か、それは「利益をあげる」ことである。

では何故「利益をあげる」必要があるのか。

それは店を営業させる(店を潰さない)ためである。

では何故店を営業させる(店を潰さない)必要があるのか。

そこで研修の冒頭に登場した会社の企業理念が登場する。

企業理念
・事業活動を通じての地域社会への貢献
・全従業員の物心両面での幸福の追求

これらを実践する為には店がなければいけない。

・店がなければ、そこでの地域社会への貢献も出来ない。
・店がなければ、そこで働く全従業員の物心両面での幸福の追求は出来ない。

店は自分やスタッフが活躍・成長するステージであり、地域社会へ貢献する為の場所である。

だからこそ店は続けさせなければいけない、潰してはいけない。

店を続ける為には、潰さない為には、利益をあげることが必要になるのだ。

故に店長の1番の仕事というのは利益をあげることになる。

では、どうやって利益をあげるのか。

利益のピラミッドという図がある、ピラミッド状に上から順に

と並んでいく。

上から考えると、
利益をあげる為には、売上がなければいけない、
売上を得る為には、しっかり宣伝広告を打たなければいけない、
宣伝広告を打つ為には、店舗のQSC(Quality・Survice・Cleanliness)レベルをしっかりしなければいけない、
QSCレベルをしっかりさせるには、スタッフのトレーニングがしっかり行われていなければいけない、
スタッフのトレーニングをしっかりするには、スタッフィング(スタッフの人数)が適正でなければいけない

逆に下から考えると、
スタッフの人数が充実していないと、トレーニングをしても中途半端なものになってしまう。
中途半端なトレーニングを受けたスタッフだと、店のQSCレベルも中途半端になってしまう。
QSCレベルが中途半端だと、せっかく宣伝広告を打って新たなお客さんが来てもリピーターにはならない。
そうすると売上も上がらない、利益も得られない…ということだ。

利益や売上が思うようにいかない時、利益のピラミッドを考える。

果たして自分の店はどこでつまずいているのか、と。

そしてまた利益のピラミッドに基づいて店舗運営をして行く為には店長の知力×人間力がいかに大きいかで決まる。

知力とはこれまでの研修で学んできたマニュアルのことである。

マニュアルは現場の知恵の集積である。

いかにマニュアルを知り、使いこなすかが知力に繋がる。

そして知力と並ぶもう1つの要素である人間力、これがとても判りにくい…

人間力とは6つの精進である、6つの精進とは、

誰にも負けない努力をする
謙虚にして驕らず
毎日の反省 (利己の反省及び利己の払拭)
生きていることに感謝する (幸せを感じる心は"足を知る"心から生まれる)
善行・利他行を積む
感性的な悩みをしない

これらをいかにして実践していくかが人間力。

その人間力と知力がかけ合わさって、店を運営する強い力となる。

店長がマニュアルを熟知し、それを大いなる人間力でスタッフにしっかりと伝えていき、利益のピラミッドを実践していけば自ずと利益は付いてくる…

というような考え方だろうか。

どうだろうか、端から聞いてみて判るだろうか。

そういったことを教育研修課のマネージャー直々に「店長とは」という話の中で聞いた。

店長の仕事、利益のピラミッドまではなんとなく判ることが出来た。

しかし人間力云々は判らなかった。

なんとなくは判るような気もするのだが、よく判らない。

少し前の話になるが内定式の時に既にアルバイトをしていた同期が「この会社は宗教っぽいところがある。」と言っていたのを思い出した。

研修最終日の昼飯休憩でハプニングが起こった。

ちょうどその時に本部では来期の新卒者を対象とした社長面接が行なわれていた。

社長面接も休憩に入るので社長が研修中の我々と飯を食おうと言ったという。

…というわけで、第1研修の我々同期9人と教育研修課インストラクター2人、教育研修課マネージャー、

そして社長面接を行なっていた社長、専務、直営事業部マネージャーの3人

計15人でテーブルを囲んで、昼飯となった。

弁当も事前に注文していたらしく、結構立派なモノが出てきた。

社長に専務、直営事業部マネージャー(=直営店全店約150店舗を束ねる人)…錚々たるメンバーだ。

あまりの顔ぶれに最初はかなり緊張した。

だが元々お喋り好きな社長、気分良く喋っていたしこっちにも気さくに話しかけてくれた。

次第に緊張もほぐれていき、そこそこ楽しめた。

社長がその席で、急成長していた某衣料品量販店が次はそのノウハウを活かして、食品に進出するのでは

みたいなことを言っていた。

信じられないような話だったが(私も信じられなかった)、現在本当にその某衣料品量販店は食品業界に進出しようとしている。

社長の先見の明、恐るべし…

あれほど間近で社長の話を聞いたのは初めてだったので良い経験が出来たと思う。

「店長とは」の座学を終えて、研修のプログラムは一通り終了。

最後に全員が前夜に考えておいた草稿を元に、今回の研修を通しての所感と今後の決意表明。

私は「今回の研修を通じて、同期の皆と話をすることなどにより普段店にいては得られない経験をした。また、自分の店以外の店で初めて働いたことにより、その店の良さも見えたが逆に自分の店の良さも発見することが出来たと思う。今後の自分はここでしっかり学んだマニュアルや考え方を自分の店に戻ってスタッフに伝えていけるようになりたい。」

という風なことを言った。

最後に第1研修修了証書を貰った。

卒業証書みたいにしっかりハードケースに入っているものだった。

研修を通して私の中で何か変われたのだろうか。

貴重な経験であったことは間違いない。

同期ともそれなりに仲良くなれた。

より多くの人と知り合うことにより、辞めにくい状況も出来た。

放っておくと辞めてしまいそうなので、そうやって辞めにくい状況を作るということも大事なのかもしれない。

仙台には22時過ぎに帰ってきた。

翌日は久々の自店舗、何か変わるのだろうか。

 

2001年5月6日 日曜日

それなりに働く意識をもって久々の自店舗。

意気込んでいったが、やることってのは別に変わらない。

むしろ、研修で忙しい店でやっていたので自店舗が楽に感じられてしまう。

緊張感ってのも殆どないし。

それに疲労感が何にも勝っているという事実。

研修が昨日の今日だったにも関わらず、自店舗に戻るとそれほど変化がない。

やる気とかそういうものを持続させるのは難しい。

閉店後に店長と研修の内容などの話をした。

研修を行なった店舗で実施していて、自店舗でやってみたいと思ったことを話した。

すると、「翌日の朝礼で皆に話してやってみよう」ということになった。

小さなことではあるが事実上初めて私からスタッフの皆に伝えるということになる。

 

2001年5月7日 月曜日

朝礼で自店舗のスタッフに研修店舗での話をして、仕事内容に少し変化をつけた。

スタッフの話を聞く表情が「?」という感じだったので少し不安もあったが、実際はちゃんと実施してくれた。

しっかりと皆がついてきてくれて嬉しかった。

もっとも「言われたからやる」っていうだけのことかもしれないけど。

翌日に、仕事中に交通事故に遭って入院している山形の店舗の店長の所へお見舞いがてら山形の店舗を見学に行く事になった。

他の仙台の店舗の店長2人とその下にいる私の同期との合計4人で行く事に。

店長が「明日は休みにするからお見舞いと店舗見学に行っておいで」と。

耳を疑った、明日は休みにするから…というのはどういう意味だ?

私の週に1回もらえるかどうかの休みに会社の連中とお見舞いと店舗見学に行けってことか。

それとも、店に出るのを休みにしてお見舞いに行って来いってことなのか…。

後者だよな…勿論。

翌日一緒に山形へ行くので、この夜は同期のアパートに泊まった。

同期の育成担当者店長も同じアパートに住んでいて、4時くらいまで同期の部屋で熱く色々語っていた。

正直こっちは早く寝たかったのだが…

 

2001年5月8日 火曜日

同期のいる店での朝礼(9時30分〜)に参加してから車に乗り山形へ向かう。

1時間強かけて山形市内へ。

仙台の店舗にいる同期とその育成担当者、仙台のもう1店舗の店長、そして私の4人。

山形市内には3店舗の直営店があり、1店舗ずつ見て回る。

いつも他店舗や競合店を見ると「どうだった?」と聞かれてなんと答えれば良いか判らない。

"どうだった?って何が??"という感じなのだ。

今回はお店を見ているときに一緒に来た仙台のもう1店舗の店長に聞いてみた。

「店を見る時って何を見るんですか?」と。

すると「売場や棚の陳列等もそうだけど、1番は働いているスタッフの表情だね。」とのこと。

働いているスタッフがイキイキしているか、充実した表情で働いているかを見るというのだ。

はぁ…表情か。

大差ないような感じもしたのだが、店を見終わった車の中で

「スタッフさんがイイ表情していたよね。」

なんて話しているのを聞いて、そうなのか…という感じだった。

「そうですかね?別にそうは思いませんでしたけど…」とは言えなかった…

山形で交通事故に遭った店長は立派な総合病院に入院していて、全治3ヶ月という。

トラックと正面衝突、一時は結構やばかったらしいが、回復に向かっているという。

山形を一望できる高い所にある病室から市内を眺めてはどこに折込チラシを捲くかを考えているという。

店長は四六時中店の事を考えていなければいけない、社長が話していたような気がする…。

山形にある3店舗と米沢にある1店舗も見て回って仙台に戻ってきたのは21時頃だった。

21時過ぎに自分の店に戻って疲れてはいたが店で働いた。

ここで働いておいて店長に暗に「今日は休みじゃないぞ」ということをアピールしておきたかった。

閉店後にもやはりダラダラと仕事をして結局帰宅できたのは1時だった。

帰った後でインターネットを使って真面目に労働基準法のページを検索してしまった。

明らかに私の労働時間は基準法に違反している。

しかし引っ掛かる点があった。

"労働監督者"という立場に該当した場合は労働基準法による労働時間と休日の適用が除外されるのだ。

労働基準法による労働時間とはいわゆる週40時間労働ってヤツだ。

これを越えると残業手当がつくことになる。

ところが労働監督者になると週40時間働こうが、50時間だろうが残業手当は一切つかない。

労働監督者とは、労働基準法でいうと実際に経営者と同列に管理する立場にある者のことをいう。

部下の労務管理、仕事の段取り、持ち場の割り当て等職場において一切の管理責任がある人のことだ。

つまり店長は、その店での経営者であるから労働監督者にあたる。

私は店長ではないが、入社式の時に書いた雇用契約書での職務内容の欄には「店長職」と書いてあった。

つまり店長職扱いで雇用契約を結んでいるということなので、労働監督者にあたってしまうのだろうか。

そんなことも考えたが、労働監督者はその地位に相応しい待遇が与えられていなければならないとされている。

残業手当や休日出勤手当がない代りに給料などでそれ相応の待遇を得ることが条件である。

私にそれ相応の待遇が与えられているとは到底思えなかった。

なんだかんだで結局行きつくところは納得いかねー、というところ。

何よりも納得いかないのがそれらを証明する方法がない。

元々会社にタイムカードが存在しないのだ。

いつ出勤していつ休んで何時間働いたのかという記録が一切残っていない。

労働基準監督署に密告しようかとも思ったが、何だかややこしいことになりそうで気が引けた。

そもそも自分が働いている仙台の監督署に密告するのか本部のある神奈川のにするのか。

仙台の監督署に密告したら直営店は仙台に3店舗しかないからアシがつきそうだった。

本部のある神奈川の監督署に密告するというのも何か見えない力でもみ消されてしまいそうな気がした。

結局何もしないまま、理不尽だと思いながらも仕事をしてしまうのである。

翌日も確実に12時間以上労働だろうしな…。

 

2001年5月9日 水曜日

前日は休み扱いかもしれんが全く休みではなかったので、4月25日以来休んでいない。

明らかにダルそうにして(事実ダルかったし…)いたのが幸いして翌日に休みをもらえた。

2週間以上ぶりか…

休日数でも良い、労働時間でも良い、せめて1つでも守ってくれ…

 

2001年5月10日 木曜日

実に2週間以上ぶりの休み、昼過ぎまで寝ていた。

仕事がある朝はもっと寝ていたいと思うのだが、休みの日だとそんなにそうは思わない。

寝たなーという感じがあまりしない、何だか勿体無いような気がする。

アパートの部屋にいてもすることがない。

録画しておいたビデオなどを見た…寂しい。

ちなみに新聞は取っていなかったのでTVは1ヶ月のTV番組雑誌を購入する。

実家にいた頃から見ていたプロレスや、バラエティー番組などは仙台に来てからもビデオに録って見ている。

ただ見る番組は実家にいた頃よりも明らかに減った。

本当に選りすぐったのしか見なくなった。

それに仙台は東京よりもチャンネルが少ないし…

東京では放送しているはずの番組が同じ時間帯に変なドラマの再放送やっていたり…

地元にいれば友人とかがいるので多少は違った休日を過ごせるのかもしれないが、1人で仙台にいてもすることがない。

結局ダラダラと何するでもなく過ごしてしまう。

つまらないなーとは思いながらもだからといって仕事をしたいとは思わないけど。

そしてチャリで休日の日課であるスーパー巡り。

発泡酒1ケースと米10kg等を買った。

せっかく炊飯器も持っていたし、米を炊こうと思い立ったのだ。

100円均一店で冷凍保存できるタッパーも購入した。

炊飯器で炊ける最大限のご飯を炊いて、余ったご飯はタッパーに入れて冷凍保存するのだ。

10kgも買ったし、しっかりご飯は食うように心掛けよう。

 

2001年5月11日 金曜日

休み空けにも関わらず、ダルイ。

よっしゃ仕事するぞ!!と強く思える朝が無い。

いつも通りの仕事の繰り返し。

閉店後に店長と2人で延々他店舗に商品を出荷する作業。

2時過ぎまでかかった…

1日休んで取れたはずの疲労が1日でリセットされた。

蓄積されている疲労が半端じゃないんだろう…

まともな社会人ってのはどんな生活を送っているのだろう。

アパートに帰って眠りにつくとき、ずっと眠っていられるのならそれでもイイやと考えてしまう…危険だ。

 

2001年5月13日 日曜日

朝起きるとなんと9時20分。

30分から朝礼、慌ててヒゲを剃って顔洗って店へ。

遅刻はしなかった、店までは徒歩30秒…こういうとき近いってのは良いね。

入社して1ヶ月半が経過。

仕事をしていて「楽しい!!」と思えることがあまりない。

新人さんに仕事を教えたり、ある程度頼られるようになってきたりはして多少の充実感はある。

だが、「楽しい!!」とはどうにもなかなか思えないのだ。

仕事だから…と割りきれるようなものではないくらい仕事が毎日の生活を蝕んでいる。

この頃は仕事のことから飛躍して今後の生き方を考えることが多くなっていた。

ずっと続けられる仕事でないことはよく判っている。

どこで見切りをつけるか、どう見切りをつけるか。

見切りをつけて何をするかや、ある程度生きりゃもうイイかなといったところまで。

考え出したらキリがなくなる。

翌日は月に1度の店舗会議。

全社員が神奈川の本部に集まる例の会議である。

 

2001年5月14日 月曜日

月に1度の店舗会議、仙台駅に仙台の社員5人が集結(店長3人と私と同期)。

今回の新幹線内は全員爆睡、皆が前日仕事してるしな。

4月の店舗会議はその後に経営計画発表会が控えていたので、ちゃんとした店舗会議は今回が初参加。

全社員が集まる店舗会議でも皆私服で参加。

とても急速な発展を見せ、全国規模で店舗を展開している会社の会議とは思えないくらいラフな集まりだ。

店舗会議と名は付いているものの、実際には各社員の体験発表会みたいなもの。

会議の最初は必ず社長講話で社長が1時間くらい話をする。

何かはよく判らないがやはり社長の話というのは人を惹きつける何かがある。

社長講話の後で体験発表会が始まる。

新たにオープンした店や、実績を残している店、本部の人達などから体験発表がある。

やはり現場の人達のナマの声というのはこっちも気合が入る。

「よし、自分も」と思える。

しかし中には少し引いてしまうような部分があるのも事実、「いや、そこまでは…」という風に。

会議後は例によってエリアでの懇親会が飲み屋で開催される。

今回の懇親会は我々のエリアと千葉茨木エリアの2つのエリア合同で行なわれた。

せっかく自分のエリアの社員を覚えたと思ったら、また色々覚えなければいけない人達が…

チバラギエリアには第1研修で一緒だった同期が2人いたので少しホッとした。

懇親会では積極的に色々な人と話をする事が求められる。

こういう所で多くの人と接することにより、より多くの情報を得て自分の糧にする。

普段は会えないような人と話をすることによって普段は得られないような情報を得る。

社長の言葉で「情報の量は移動距離に比例し、情報の質は経験に比例する。」というのがある。

まさにそれの実践するために全国から月に1度本部に集まるのだ、という。

その懇親会でショックな出来事があった。

なんとなく話の流れで誰かが「ウチの会社の労働時間のことを友達に話すと、労働基準法違反だよって言われる。」と言っていた。

するとそれを聞いていた近くにいた先輩社員が「お前はそんなレベルの低い話をしているのか。」と言った。

レベルの低い話か、最低限の権利だと思うのだが…。

ちなみにこの懇親会の費用は全員で割り勘。

人数が多いので高い金額ではないが、何だか腑に落ちない…これも仕事なんだろ?

2つのエリア合同での懇親会を終えて宿泊するホテルへ。

ホテルでは例によって1つの部屋に集まって再び懇親会。

今回は私の所属する北関東南東北エリアのみ。

自分のエリアの人とはそこそこ普通に話せるようになってきた。

最初の店舗会議の時(4月)は居心地が悪くて仕方なかったけれど、今回はそれほどでもなかった。

同期の話を直に聞くと言うのが1番励みになるし、良い傾向だな。

ホテル部屋での会合が終わったのは3時過ぎ…これも仕事か。

 

2001年5月15日 火曜日

会議の翌日は基本的に休みをもらえる。

…はずなのだがこの日は朝9時に集合して本部の朝礼に参加。

オイオイ、休みじゃなかったのかよ。

本部の朝礼は会議翌日ということもあって色々なエリアの社員が大勢いた。

別に朝礼に出て何か発言をするとかいうわけではないのだが、ただ本部の朝礼とはどんなものか参加してみるという感じだ。

朝礼に参加した後で同じエリアの人たちと少し喋ったりして昼頃にようやく完全に自由の身になれた。

この日は実家にチョット顔を出そうと思っていた。

本部のある駅と私の実家の最寄駅は1つしか離れていないので仙台に戻る前に顔を出そうと思ったのだ。

実家に帰りたいというのもあるが、親にとりあえず元気な顔を見せておこうというのが強かった。

両親は共働きで弟は学校なので、昼間に実家に帰ってもネコしかいない。

夕方になり、母親が帰宅、弟も帰宅。

久しぶりだねってことで近況トーク、久々に実家の飯も食った。

新幹線の時間があったので父が帰ってくる時間には間に合わなかった。

この日初めて知ったのだが、父が腹に腫瘍が出来ていて検査入院していたという。

最悪手術もあると聞いて不安だった。

帰りの時間が迫っていたので家族と過ごせたのは2時間弱、本当にチョット顔を出すだけになった。

それほど別れという感じはしないがやはり寂しいな。

仙台には23時過ぎに到着。

さて、また明日から始まるな。

 

2001年5月16日 水曜日

気持ち切り替えて仕事…のはずなんだが、自店舗にくるとどうしてもダレてしまう。

やはり落ち着いちゃうのかな。

それとも実家に帰ったのが少し早すぎて、帰りたい度が増してしまったか…。

この土日にエリアマネージャーが店長を勤める埼玉の店で新卒フォローアップ研修が行なわれる。

同期皆で集まって先輩社員の体験談やエリアマネージャーの店舗でOJTなどを行なうという。

店長からはその研修までに何か自分で目標を見つけな、と言われたがよく判らん。

目標ねぇ…

 

2001年5月18日 金曜日

日々の仕事をしていてある一定のレベルまでいってから伸びることが出来るのかが不安になる。

大学時代にやっていたアルバイトでも後半の方は成長したとは思えなかったし。

大学時代のアルバイトと現在とで決定的に違うのは仕事に対する新鮮さ。

バイトを始めた頃は何もかもが新鮮に映って毎日が楽しかったような気がする。

新鮮なバイトして金まで貰える…仲の良い先輩や友人がいたというのもあるが、バイトが楽しくて仕方なかった。

ところが現在は仕事に対する新鮮さと言うのが無い。

大学時代のアルバイトは17歳の時に始めた。

例えば17歳の時に始めたアルバイトが現在の仕事だったとしたら多分新鮮で楽しかっただろう。

そしてそのバイトを続けて、22歳で逆に大学時代のアルバイト先に就職していたら、現在のように新鮮さがなかっただろう。

要は私が大人になりすぎてしまったということなのだろうか…

基本的に小売という似たような仕事をしているというのも理由としてあるかな。

そんなことを思いながら翌日は埼玉のエリアマネージャーの店で研修。

研修に備えて23時には帰れた、早い。

これで早いってのも考えものだ。

 

2001年5月19日 土曜日

この日はエリアの同期が皆で集まってエリアマネージャーの店舗で研修を行なう。

新卒フォローアップ研修と銘打たれている。

要は自分が抱えている悩みなどを同期や先輩社員と会って色々話しましょう。

エリアマネージャーの店舗や、エリアマネージャーが店舗でやっていることを見て勉強しましょう。

同期皆でいっしょに仕事をすることで連帯感を持ちましょう。

みたいなところだろうか。

朝の5時30分起床、まだバスは走っていないので地下鉄の駅まで歩いて仙台へ。

仙台駅で同期と合流して共に新幹線に乗り、大宮を目指す。

何故そんな朝早くから行くかというと、研修を行なう店での朝礼に間に合わす為である。

会社の考えでは、朝礼というのは店長が「店をこうしていく」ということをスタッフに伝える場である。

朝礼から参加し、エリアマネージャーが店舗でどういうことをスタッフに伝えているのかを見るのが勉強なのだ。

エリアの全店舗を統括するエリアマネージャーも一店長であることに変わりは無いのだ。

ちなみに会社の組織についての考え方は店舗における組織のあり方と同じであるとしている。

つまり一店舗には店長がいて、その下にスタッフがいる。

エリアを一店舗として考えると、エリアマネージャーがいて、その下に各店舗の店長がいる。

直営店全店を一店舗として考えると、直営事業部にはマネージャーがいて、その下に各エリアのエリアマネージャーがいる。

会社全体を一店舗として考えると、社長の下には、直営事業部や教育研修課など各事業部のマネージャーがいる。

…という考え方、全ての基本は店舗における店長とスタッフの関係、ということなのだ。

少し話がずれたが、そんなわけで朝礼から研修が始まるのだ。

エリアマネージャーのいる大宮の店舗に到着、その肝心の朝礼…あまり記憶に無い。

それほど印象的なことを言わなかったのか、私がそれほど重要と捉えていなかったか…

朝礼で何を伝えているかなどは1回見ただけでは判らないだろうし、この頃の自分は何かを伝える、というのがどういうことなのかも判っていなかったと思うし(それは今でもそうかもしれないが…)。

大宮の店舗ではまずは普通に働くOJT。

同期と一緒に働く、しかも見知ったエリアの同期だからワイワイやれてなかなか楽しかった。

そうなんだ、こういう時はそこそこ楽しいなと思えるんだ…

別に仕事に関係無い雑談をしてるわけではなく、仕事の話をしながらあぁしようこぅしようって話をしながらやるのが楽しく感じるんだよな。

それが何故に自分の店では出来ないのか。

店長との壁やスタッフとの壁があるからだろう。

別に関係がギクシャクしているわけではないのだが、どこが事務的に淡々と仕事をこなしているから自店舗ではそこまで楽しめないのだろうか。

大宮の店での印象は、第1研修を行った本部のすぐ近くの駅前店よりも落ち着いた感じで雰囲気が良かった。

朝から働いて、夕方くらいにOJTは切り上げて、店舗事務所の一室に集まり、感想等を言い合う。

半日働いてみての感想、店での気がついた点等々。

教育研修課からインストラクターも来ていて、彼らが店長時代に苦労した体験談などの話しも聞いた。

エリアマネージャーの他に1人先輩社員がいて、彼も自らの体験談等を語った。

先輩社員が己の体験談等を赤裸々に語るのが、この会社の特徴だ。

その後、場所を飲み屋に変えて懇親会が行なわれた。

入社当時は懇親会の雰囲気は苦痛だったけれど、だいぶ慣れてきた。

ただやはり真面目な話ばかりなので、途中から飲み食いがし辛い雰囲気になる。

誰かが熱く語り出したりすると、皆が箸を止めて聞き入るのだ。

皆がそうしているから私だけ飲み食いしながら聞いているわけにもいかないし…

懇親会の席上で先輩社員から「何か悩みとかないの?」と聞かれる。

この場合の「悩み」というのはお店でスタッフと巧くコミュニケーションが取れていなくて…だったり、

自分の思っていることをなかなかスタッフに伝えられない…だったり

店長の考え方と少しギャップを感じて…等ということ。

労働時間の長さと休みの無さが堪らないのが悩み、なんてことは口が裂けても言えなかった。

今回の研修は1泊2日の研修だったので、大宮のホテルに泊まることになっていた。

ちなみに研修参加の交通費やホテル宿泊費は当然各店舗の経費で落ちる。

今回の懇親会費用は「研修」という名目の懇親会なので飲み代金は経費扱い。

ただ、毎月の会議後の懇親会では何故か自腹になる…。

ホテルではやはり一室に皆で集まり、語り合う。

その中で、教育研修課の先輩社員の言葉が印象に残っている、

「この会社は、早い遅いこそあれ誰にでも必ずチャンスは回ってくるので辞めたいと思ってもそれを思い出して頑張って欲しい。」と。

ありきたりな言葉のような気がするが、何だか印象に残っている。

当時辞めたいと思う気持ちがあったから印象に残っているのかな。

0時過ぎに先輩社員や研修課の人達は部屋を出ていったが、その後も同期連中と残って色々話した。

3時過ぎまで色々喋っていたが、皆真面目に仕事について考え、悩んでいてい感心した。

超過労働時間と休みの無さでヒーヒー思っている自分をその場では心の中で恥じた。

皆は仕事で苦労してるんだなーって。

どうしたら店が良くなるか等を真剣に考えている。

自分は店長に守られてスタッフとも適度に接し、のうのうとした日々を送っている。

自分はまだ恵まれているのだ、とこの時は思えるのだが…。

 

2001年5月20日 日曜日

前夜に何時まで話していようが、朝から仕事である。

少しの間店舗に出て働いた後に、店舗事務所で今回の研修の総括。

今回の研修で学んだ点や、これから自らがどういうことをやっていくかなどを各々が発表する。

1人1人に発表させるのが実に好きな会社なのだ。

私は、同期と一緒に働けたということが実に楽しかったということ、自分の育成担当者である店長が店をどうしていこうと思っているのかなどを店長と話していきたい、もっと店長と巧く話せるようになりたい。…というようなことを言ったと思う。

同期の皆もそれぞれ感じたことや自分の目標などを話し、それに刺激を受けている自分がいた。

「よし、俺もやるぞ」と思える…なにをやるのかはよく判っていないのだが。

研修のプログラムは以上で終了。

やはり同期と一緒にエリアマネージャーの店舗で働くことによって何かを掴む、というような研修か。

「これをやります」ってハッキリと決まっている研修ではなかった。

研修の目的ってのは自分自身で設定するものだったのかもしれない。

そういえば店長が研修に行くまでに何か自分で目標を見つけな、と言っていた。

何故そういうことを言ったのかが少し判ったような気がした。

研修を終え、仙台の同期と一緒に仙台に戻る。

自店舗へ行き当然仕事。

あきらかにいつも以上にやる気がある自分がそこにいた。

閉店後に店長から必然的に「研修どうだった?」という話しになる。

飯でも食うかってことになり、店長の車で近くのラーメン屋に行く。

ラーメンを食った後にコンビニで酒を購入してウチで飲むことになった。

店長がどういう経歴でここまで来たのかや、店長の店についての考え方などの話を聞いた。

これまで店長が店長自身の過去のことを話すことなどは殆どなかった。

閉店後のダラダラしたトークでも、売上や経費などの数字の話しや会社の話しが主で、店長自身の話をしたことは殆どなかった。

今回店長からこういう話しをしたというのは私が研修でもっと店長と話をしていきたい、と言ったことが店長の耳にも入ったのだろう。

結局3時過ぎまでウチで飲みながら話をしていた。

翌日私は休み、確実に昼まで寝ているだろうなと思えた。

ちなみに私の育成担当者店長も私と同じアパートに住んでいる。

正直あまり良い気はしないわな、そんなことないだろうけど常に見張られている…みたい。

 

2001年5月21日 月曜日

予想通り14時まで爆睡。

夕方頃から行動を開始し、かねてより購入しようと思っていた布団乾燥機(約6,000円)を購入した。

これまで1度も布団を干していない(出勤日には干せないし、休日は昼過ぎまで寝ているし)。

これから梅雨時にもなるので乾燥機はあった方が良いとの判断だ。

それから休日の日課であるスーパー巡りをしてほぼ1日が終了。

休日の夜なので飯を炊く、そしてタッパーで冷凍庫に入れて保存するのだ。

ちなみに洗濯は基本的に休みの前日にまとめて行なっている。

毎日替えるのはパンツと靴下くらいだから、それほど量はたまらない。

但し、週一の洗濯だとパンツと靴下が最低でも7ペアないといけないので注意。

私はこうなることを見越してパンツと靴下は過剰なくらい持っていたので、パンツと靴下に困ることは無かった。

 

夜に実家からメールが来ていて驚いた。

先日の会議後に久々に実家に帰った時に父が腹に腫瘍が出来て検査入院していたと聞いていた。

この夜のメールでその腫瘍が悪性のものだったらしく、手術することになったことを知った。

手術をしてさらに2,3ヶ月入院するという。

そんなに長期間入院するということは楽な病気(?)ではない。

メールを見たのは23時過ぎだったが、いてもたってもいられずに実家に電話した。

ちょうど翌日から父が入院ということだったので、話をする事が出来た。

電話口の父の声は元気そうだったのでとりあえずは一安心。

だが、どんな病気かなど詳しくは判っていないそうで、かなり不安は残る。

入院の期間も術後の経過によってはどうなるか判らないというし…。

実家には両親の他に弟もいるが、弟は高校3年生で受験を控えているのだ。

私がこの3月に家を出て、弟は受験に入り、父親が手術・入院…なんか実家が大変だ。

こっちは仙台にいてどうすることもできない、もっとも実家にいてもどうすることもできなかっただろうが…。

折角の休みの夜、布団乾燥機で気持ちよく眠れると思っていたがどうもそうはいかなかった。

 

2001年5月22日 火曜日

そしてまたいつものように仕事。

何があるかは判らないので一応店長にも父の病気のことは話しておいた。

研修から2日だが、あの新鮮さとやる気はどこへやら。

決してやる気がないわけではない、営業時間中は…

閉店すると疲労が一気にドーンとくる。

それに加えて店長のダラダラトーク。

2日前の研修後のように真面目に話せば良いのだが、何度も聞いたような話を延々されるとイヤになってくる。

どうも店長と話していると奇妙な間が出来てしまう。

お互い黙って何も言わない奇妙なマが出来るのである。

その間を嫌うのか、店長が前にも聞いたことのあるような話をはじめてダラダラトークに突入してしまう。

会話中の妙な間は3月に初めて電話で話したときから感じていた。

別に店長は嫌な人ではないし、恐くもないのだが、話している感じどうも苦手なタイプかもしれない。

 

2001年5月23日 水曜日

この日は店長が休みだったので、店で社員は私1人。

しかし哀しいかな、まだ私1人で店を回すような力と判断力は持っていない。

スタッフに指示を仰ぎながらまだ店舗の歯車になってしまっている。

慣れてくれば巧く回せるようになるのだろう。

そうすれば少しは仕事が楽しくなるかな。

閉店後、1人店に残って店内をウロウロ。

別に1人でする仕事なんてないのだが、なんか閉店後の店内に1人っていう雰囲気が良かった。

まぁでも折角店長がいなくて早く帰れるので23時過ぎには帰宅した(これで早いんだもんな…)。

 

2001年5月24日 木曜日

この日は仕事で初めて車を使った。

仕事の一環で、会社の車に乗って外出することがあるのだ。

スタッフと一緒に会社の車に乗って出かけた。

なんかドライブ気分で息抜きも出来て楽しかった、普段の仕事とは違うし新鮮だった。

 

2001年5月25日 金曜日

閉店後に店長の車で仙台の他店舗へ。

特に何をしに行った訳でもない、何しに行ったんだろ…

ただそれによって帰宅時間がかなり遅くなったというのだけは事実だ。

店長とはそろそろ2ヶ月近くになるが、いまいち何考えているのか判らない。

んー、コミュニケーションが足りないんだろうな。

なんか店長と喋っていてもどうしても仕事の一線を越えない。

先日の研修後には多少話せたが、あの時はこっちも店長とコミュニケーション取らなきゃと思っていたから話せた部分がある。

少し時間が経つと、やはり閉店後に疲れた体で話すせいもあるだろうが、だるくなる。

ウダウダ話すのはイイから帰ろうよ…って思ってしまう。

店長の話し方がゆっくりな独特の間で話すからえらい時間かかるし、イライラすることもあった。

イライラの1番の理由は閉店後にダラダラ話すからなんだろうけど。

 

2001年5月26日 土曜日

この日から後に証拠として使うことがあるかなと思って、仕事が終わった時間をメモしている。

スタッフがあがった(通常業務が終了した)時間と、私が店を出た時間の2つ。

スタッフがタイムカードを切った時間(社員にタイムカードはないが、アルバイトにはタイムカードがある)を通常業務終了時刻とした。

スタッフが帰った後でも、店長との仕事の一環なのか判らないダラダラトークや、商品出荷作業や書類作成などの純粋な仕事もあるので、私が店を出た時間も退店時刻として記録してある。

特に記載が無い場合は朝9時30分から仕事が始まり、休憩は各45,15,30分で合計1時間30分である。

通常業務終了23時
退店23時30分

 

2001年5月27日 日曜日

車を使っての仕事で外出。

天気も良く、しかも1人で行ったのでかなり良い気晴らしになった。

あぁ、そのまま店に戻らずにどっか行ってしまいたい…

2日後には休みを貰えたのだが、月末にしかやらない仕事があり、それを覚える為に途中出勤になった。

この夜も遅くまでダラダラ話していた。

通常業務終了22時45分
退店1時

 

2001年5月28日 月曜日

通常業務終了22時40分
退店23時50分

 

2001年5月29日 火曜日

本来は休みの日のはずが、月末にしかやらない業務をこの日にやるというので午後から出勤。

月末にしかやらないその仕事は大して時間かかることなく終了。

店長からは別に帰っても良いよと言われたが、それで帰ると休みにチョット来て働いた、となってしまう。

それよりはしっかりずっと働いて、この日は午後出勤でシッカリ働いた、と店長に認識させた方が良い。

妙な判断を勝手にして、閉店まで働いた。

本音は帰りたかったんだけど、何か変な意地で…

閉店後の作業も終えてからは少し勇気を出して「んじゃ今日は先に帰ります。」とスタッフよりも先に帰った。

やはり閉店後に店長と2人でダラダラ喋る時間がキツイからな。

通常業務終了22時20分
退店22時40分

 

2001年5月30日 水曜日

通常業務終了22時30分
退店23時30分

 

2001年5月31日 木曜日

毎月末は棚卸し、非日常の1日だ。

なんか棚卸しって学生時代にやっていたアルバイトでも好きだったな、何でだろ。

この日、店のスタッフで最も長かった人が就職に伴い退職した。

彼女が最後に挨拶しているのを見て3ヶ月ほど前の自分を思い出した。

私もアルバイトを卒業してココに来ているんだなー、と。

 

月末月初は棚卸しの集計やら何やらで帰宅時間が遅くなる。

いまいち何をやっているのかよく判らないまま仕事をしているという感じだ。

それによって帰宅は1時すぎ、もうしょうがないのかね…。

通常業務終了22時30分
退店1時

 

2001年5月 出勤日数28日(含・研修,会議,他店舗見学,午後出勤) 休日3日(含・会議帰路)

2001年6月へ

他の月へ

最初のページに戻る