仙台社会人一人旅
Survive in Sendai.

2001年3月,4月

 

2001年3月14日 水曜日

入社する会社での配属先が仙台の店舗だと判ったのが3月2日。

3月13日に配属先店舗で私の育成担当者になる店長に挨拶の電話。

会社が借りてくれたアパートの住所や引越の日程などの話し。

いつまでに仙台に行けば良いのか、いつから働くのかなどを聞いてみたのだが店長は「好きにして良い」とのこと。

育成担当者である店長の電話での第1印象は「なんか頼りないな」だった。

もっとしっかりと「いつまでに仙台に来て、いつから働く」とハッキリ言ってくれる(決まっている)のかと思ったが…

極力働くのは後回しにしたいと思っていたのでギリギリまで引越はしたくなかったし、働きたくもなかった。

配属先が仙台に決まった時から少し計画していたのだが、これから住むアパートが判った所でお忍びで仙台に行って住むアパートと配属先の店舗を見てみることにした。

友人で別の就職先だが埼玉に配属されるヤツがいて、そいつと一緒に埼玉経由仙台行きの配属先店舗見学ドライブを計画し、実行に移した。

その仙台に向かうドライブ中に携帯電話に育成担当者の店長から電話がかかってきた。

引越の日程の調整だ。

大学の卒業式が3月24日で、会社の入社式が27日。

卒業式も入社式も実家から行くので卒業式前に引越すと、一旦実家に戻ってきて入社式後にまた仙台へ行くことになる。

それは面倒だし、金もかかるので入社式の翌日に引越をしようかと思った。

できるだけ仙台に行くのは遅らせたかったし…

ところが店長が言うには「好きにして良いけど、入社式翌日の1日で引越しと居住準備など全てやるのは難しい」

と言うので卒業式以前に引越を済ませて、卒業式・入社式の為に一旦実家に帰るということになった。

引越の詳しい日程などは引越業者との相談を自分でしてくれ、と言う。

なんか微妙に頼りなさがあったんだよな、電話口での店長は。

友人が勤める埼玉に寄っていった後に東北自動車道で仙台へ。

事前に地図で道は調べておいたので配属先の店舗まではスムーズに行けた。

仙台の配属先の店舗が近づいてくるにつれて胃がキリキリと痛くなった。

目の前に避けられない現実が…という感じだ。

配属先の店舗に到着するまで駅前や大通りなどを通ってどこにどんなものがあるかをなんとなく記憶。

使えそうなスーパーやショッピングモール、酒を売っているコンビニ、家電量販店やドラッグストアなどなど。

配属先の店舗は外観を見ただけ、というか中にはびびって入れなかった。

お忍びで行っているので店内に入って育成担当者と会ったらどうしよう…などと考えてしまった。

こっちは向こうの顔を知らんが、向こうは恐らくコッチの履歴書などを見て顔は知っていただろうし。

多分履歴書の写真を見ていたとしても、客のフリして店内入ったら気が付かなかっただろうけど。

それでもなんかびびってしまい入れずに、友人に中を見てきてもらっただけ。

我ながらなんか情けない、まだ腹を括れていなかったか。

自分が住むアパートもまだ鍵はもらっていなかったので外観だけ見た、普通のアパート。

アパートから店までは4車線の道路を1本と民家を1軒隔てただけ、徒歩30秒ほどの場所。

あまりの店との近さにまず感じたのは「逃がさないぞ」という無言のアピールだった。

仙台でカプセルホテルに泊まって翌日帰宅、配属先店舗ドライブ(社会科見学?)を終えた。

 

2001年3月21日 水曜日

配属先店舗見学ドライブから1週間、引越の当日を迎えた。

朝9時に引越屋が来て弟の手も借りて2tトラックに荷物をどんどん積み込む。

思っていたよりも早く、1時間もしないで荷物を全てトラックに積み終えた。

荷物はその日の夕方頃に仙台に着くという。

それまでに自分も仙台に行かなければならない。

家を出て、新幹線を使って仙台へ。

卒業式があるため、すぐに戻ってくるのでそれほどの感慨はなかった。

3月の終わりだが、仙台はやはり東京に比べて肌寒く感じた。

そして1週間前にも行った配属先の店舗へ。

1週間前は入れなかったが、今回ばかりはそうはいかない。

アパートの鍵は育成担当者の店長が預かっているのだから。

ところが事前に電話をするとこの日は社長が仙台に来るとかで店長が世話をせねばならず店にはいないという。

店のスタッフ(アルバイト)にアパートの鍵を預けておいた、とのこと。

意を決して店内に入る。

カウンターにいるスタッフに話しかけて挨拶をする。

ここにいるスタッフ全員と一緒に働くことになるのか、あまり実感は湧かなかったけど…。

極めて事務的に鍵を受け取り、アパートへ。

何もない部屋を眺め、荷物が到着したら何をどこに置くかを頭の中でイメージ。

少し経って引越屋が到着。

チャッチャと荷物を部屋に運び込んだ。

最低限の荷解きだけして、まだ明るいうちに早速チャリで付近を散策。

生活家電で用意していなかったのが冷蔵庫と電子レンジ。

事前ドライブで見つけておいた家電量販店で冷蔵庫と電子レンジを眺める。

チャリで回れる範囲内の家電量販店をいくつか回って価格調査の末、購入する冷蔵庫を決めた。

ところがこのシーズンはどこも配達がいっぱいらしく、1週間以上かかるというので買うのをやめた。

1週間後は働いているだろうから、アパートにいて受け取れる保障がない。

外でラーメンを食って、コンビニで発泡酒とツマミを買って帰宅。

冷蔵庫がないが、外においておくだけでまだ充分冷めないような外気温だった。

アパートに戻るとTVやビデオ、コンポ、パソコンなどの配線をやってしまう。

パソコンはデータが消えてしまうと言うコトは無く、一安心。

1人暮しでTVがないと寂しい、とりあえず付けておいた。

仙台の天気予報でアナウンサーが言っていた

「今日の仙台は比較的暖かい1日でしたね」

私はそれでも肌寒いとすら思ったのだが…やはり北に来たなという印象だ。

夜になるとかなり寒くなった。

事前に水道と電気は使えるようにしておいたのだが、ガスの開栓には立ち会いが必要でガスは使えない。

故にお湯が出ないので風呂には入れない。

電気は使えるのでコタツに入ってじっとしていようと思ったら、以前からどっか調子悪かったコタツが引越のショックで完全に壊れたのか、つかなくなった。

ベッドも無いので布団は直にフローリングの床に敷く、これまた冷える。

1人暮し初日の夜はかなり寒い思いをして過ごした、これが1人暮しの寒さか…。

 

2001年3月22日 木曜日

引越翌日、一人仙台で迎える初めての朝。

ガスの開栓に立ち会ってガスが使用可能に、これでライフラインは整った。

今後の生活に必要となりそうなモノを購入する為に仙台駅へ。

東北の中心地・仙台駅へはアパートから最寄りの地下鉄駅までチャリで10分、そこから地下鉄で10分弱だ。

100円均一ショップで必要なものを購入し、家電量販店で必要なモノの価格調査。

それにしても100円均一ショップってのは凄い。

日常生活で必要なものは殆ど揃えてしまう事が出来る。

買い物を終えて最寄駅へ戻る。

そこからチャリで最寄駅周辺の商店街や、事前ドライブで見つけた近くの大型ショッピングモールへ行く。

ショッピングモール内の店でパイプベッドが特価で安かった(送料込み約5,000円)ので衝動買い。

それから近くの家電量販店へ行くとコタツも特価で安かった。

ちょうどウチのコタツは壊れたところだ。

店内を見ると「大型家電お買い上げのお客様、配達用の軽トラック貸します。」とのことだったのでコタツも衝動買い。

軽トラを借りてアパートまで自分で持っていくことに。

借りた軽トラはマニュアルだったのでかなり緊張。

実に教習所以来のマニュアル、しかも軽トラ、しかも慣れない道路。

左足は思いっきり力入った。

どうなることかと思ったが、無事にエンストこくことも無くアパートまで持っていけた。

教習所以来だから1年半ぶりくらいなのだが、身体で覚えているものなんだな。

昼飯は買物途中に仙台駅周辺で食ったが、晩飯は家でカップ麺に発泡酒。

100円均一ショップで買ったグラスに安発泡酒を注ぎ、カップ麺の晩飯。

独身男性1人暮しの哀愁を感じるな…

 

2001年3月23日 金曜日

翌日に大学の卒業式があるので一旦実家に帰ることに。

仙台に来てまだ育成担当者の店長には挨拶すらしていないので、東京に戻る前に配属先店舗へ。

ところが店に行くと店長はちょうど仕事で店を出たところだと言う。

帰りの時間も曖昧で判らないと言うので宜しく言っておいて下さいとだけ言って出ていった。

会えなくて少しホッとしている自分がいた。

仙台で新幹線に乗る前に、家電量販店に寄って冷蔵庫を購入(送料込約3万円也)。

新幹線ではビール飲んで熟睡。

久々ではないのに久々な感じのする実家。

私の部屋は出ていったときの汚い状態のまま。

主要なモノは全て持っていったので、家ではすることがない。

何だか祖父母宅へ行った時にすることがなくて何か退屈なのと同じような感覚だった。

 

2001年3月28日 水曜日

24日の卒業式から27日の入社式までの間に友人と飲んだりして"最後の学生生活"を過ごした。

入社式を終えた翌日、今度こそ何時戻って来られるか判らない実家を午前中に出て仙台へ向かう。

春休みの所為か新幹線は混んでいて座れなかった。

帰り際に仙台駅周辺の家電量販店で電子レンジを購入してアパートへ。

先日購入したパイプベッドも到着した。

ベッドを組みたてたりしてある程度落ち着いたところで配属先店舗へ行くことにした。

さすがに入社式を済ませたのだからしっかり店に行かなければならないだろう、店長に挨拶もしなければ。

夕方になって店へ、ようやく育成担当者である店長と会うことが出来た。

電話の印象と実際に会った感じとではだいぶ違ったが、まぁ可も無し不可も無しといったところ。

年齢は20代後半くらい。

挨拶だけして帰れれば良かったが、そんなに甘くはなく早速働くことに。

真新しいエプロンに身を包み、アルバイトのスタッフに仕事を教わる。

店にいる社員は店長と新入社員の自分だけ、それ以外は全員アルバイトのスタッフだ。

スタッフに店内の案内や商品陳列、商品分類などの初歩的なことから教わる。

変な意地は捨てて年下と思われるスタッフに対しても言葉は敬語で通した。

慣れないまま、とりあえず教わった仕事を黙々とこなした。

店の閉店時刻は22時、ところが閉店後も掃除や品出しなどをして結局終わったのは23時30分だった。

これで帰れるかと思いきや、店長と一緒に仙台にある他の店舗へ挨拶に行くことに。

私が就職した会社の直営店舗が仙台には3店舗ある。

そのうちの1店舗へ挨拶に行くことになった。

その店には私と同期の新入社員が配属になっている。

入社式でも「同じ仙台だから宜しく」くらいにしか挨拶をしていなかったが、同期がいるというだけで少し安心。

23時55分頃に店長の車でその店に到着、その店舗の閉店時刻は0時。

こちらも閉店後の諸作業があり、それを手伝うことになった。

店での諸作業を終えると飯でも食うかってことで私の同期とその育成担当者である店長、私と私の育成担当者である店長との4人で近くのファミレスまで飯を食いに行くことに。

いい加減帰りたいと思い始めていたが、断る術も無く飯を食いに。

なんか色々話をしていたが、殆ど育成担当者(店長)同士があれこれ店のことなどを話していた。

話を聞いていると仕事内容や考えなければいけないこと、色々ときつそうだった。

帰宅は3時頃、シャワー浴びたりしたので就寝は4時…社会人初日、厳しい、これが社会ってヤツか。

 

2001年3月29日 木曜日

この日は朝から通しで仕事。

そういえば真新しいベッドで初めての就寝・起床だったのだが、そんな感動(?)などどこにもなかった。

8時30分に起床し、大学時代のアルバイト先で貰ったビタミン剤などを飲んで9時20分過ぎに出勤。

開店前の店へ行き、そこで初対面のスタッフもいるので挨拶。

9時30分から朝礼が始まり、朝礼では前日の売上の報告や店長からの一言などがある。

朝礼後は掃除やら何やら開店準備をして10時に開店。

前日と同じく、与えられた仕事を・単調な作業をこなす。

昼飯休憩が12時から、数人でまとめて休憩に入る。

スタッフとはいまいち巧くコミュニケーションが取れない。

やはり仕事を知らない新入社員と仕事ができるアルバイトだと立場は微妙だ。

相変わらず淡々と仕事をしていると外に雪が降ってきてそれがすぐに積もった。

3月も終わりに近いのに雪か…

この日も閉店後に諸作業をし、スタッフが帰ったのが23時30分頃。

それから店長と2人になって少々話をする。

今日はどうだった、ということなど。

店長の話しはよく判らん。

売上や人件費、経費、経営戦略、目標…そういう数字の話しが出てきてもサッパリ判らん。

それらを覚えていかなければならないと思うと前途多難。

この日はわりとスンナリ帰ることが出来た、って言っても0時30分だけど。

外は雪が降っていたので酒を買いに行くことも出来ず、部屋でカップ麺だけの寂しい晩飯。

 

2001年3月30日 金曜日

この日は午前中から夕方にかけて働く早番スタッフの皆と店の隣にある焼肉屋で昼飯に誘われた。

店長1人を店に残してスタッフと私とで隣の焼肉屋へ。

女性4人対私1人。

30歳の主婦、22歳のシングルマザー(ヤンママ風)、20歳のフリーター、18歳の専門学生。

皆女の子(子じゃない人もいたが…)、かなりバラエティに富んだ面々だ。

仕事のことや店長のこと(あまり良い評判は聞かなかった)、仙台のことなどを色々話した。

スタッフと距離を縮める良い機会だった。

だいたい普通の1日の流れとしては、

9時20分過ぎに店へ行き早番スタッフもそのくらいの時間に出勤、

9時30分から朝礼で仕事開始、12時から45分間休憩があり、15時から15分間の休憩。(合計1時間の休憩)

16時30分〜45分の間に遅番スタッフが出勤してきて、16時45分頃に夕礼(朝礼に対して夕礼)。

17時15分〜30分ぐらいに早番スタッフがあがる。

19時から30分間休憩があり、22時閉店で23時前後まで諸作業というところだ。

通しで働いている私は、営業時間12時間-休憩時間合計1時間30分=実働時間10時間30分となる。

ただその10時間30分と言うのはあくまでも営業時間から休憩時間を引いたもの。

実際は開店の30分前から働いているし、閉店後の1時間くらいは作業をしている。

だから実際には12時間は働いている計算になる。

スタッフがあがった後で店長と2人になる時間があるが、そのダラダラした時間がきつい。

ただ店長と話をしているだけなのだが、時々何を言っているのか判らなかったし、同じような話を何度もする。

これは仕事の時間に含まれるのだろうか?こっちは早く帰りたい一心だ。

問題なのは、私が就職した会社にはタイムカードというものが存在しないということ。

もちろんアルバイトにはそれがあるが、社員には一切そういうものが無い。

だから何時から何時まで働いたという記録が一切残っていない。

労働時間や休日は配属先の店舗状況によってご自由に、という感じなのだ。

だから閉店後の店長とダラダラ話す時間が果たして労働時間なのかどうか。

単純に私が自由に出来る時間ではないので労働時間と捉えて良いのだろうか…

ってそれが労働時間だろうとそうでなかろうとタイムカードが存在しないのでどうしようもないが。

この日は23時30分には解放された。

近くのコンビニで酒とカップ麺を購入してから帰宅。

仙台に来てから家ではカップ麺しか食っていない、自炊する余裕なんて一切無いな。

 

2001年3月31日 土曜日

この日は年に2回の決算棚卸しの日。

22時に店が閉店した後にスタッフ総出で店内にある全ての商品の数を数える。

ほぼ全員のアルバイトと、アルバイトOB・OGも加わって大人数でただ商品を数えるだけと言う単調作業。

0時過ぎに店長が自腹で全員分の牛丼を買ってきて皆で食う。

アルバイト連中はOB・OGも混ざって皆で盛り上がって、なんだか疎外感。

全ての棚卸しを終えたのは3時30分、もちろんこの日も朝9時30分から普通に働いていた。

棚卸しを終えてから店長と話しをしていると仙台の他の店舗から電話があり、その店の手伝いに行くことに。

店長の車で仙台にある3店舗のうち先日行った同期がいる店舗ではなく、私がまだ行ったことのない店舗へ。

これで自分のいる店を含めた仙台にある直営店舗3店全てに行ったことになる。

その店で棚卸しの手伝いをして、終わったのが6時。

それで帰れるかと思いきや、同期がいる店舗へも挨拶に顔を出して自店舗に戻ったのは7時過ぎ。

途中で休憩こそあったが、20時間以上も働いたのか…

さすがに翌日(というかもうこの日なのだが)は昼過ぎに店に来て良いことになった。

 

2001年3月(27日以降) 出勤日数5日(含・入社式) 休日0日

 

2001年4月1日 日曜日

今朝眠ったのが8時頃、で13時には店へ。

売場で働いた時間はそれほどでもないのだが、閉店後に前夜の棚卸しの書類などを作成。

皆が数えた数字をパソコンに入力していくだけの単調作業。

帰宅できたのは3時過ぎ、入社前の想像以上にキツイ。

営業中の仕事による肉体疲労は学生時代にやっていたアルバイトの方が大きい。

学生時代のアルバイトの方が重い物も持ったし、気象に左右されたりしていたので肉体的に疲れていた。

だが就職してからは長時間労働により睡眠時間がかなり削られているのでそれで疲労と眠気を感じる。

社員という立場上覚えなければいけないことが多々あるし、スタッフとも距離を感じるし、精神的疲労も多い。

 

2001年4月2日 月曜日

この日も店長が少し遅れて来て良いと言うので…でも11時には店へ。

相変わらずまだ仕事を覚える段階。

売場でも常に何かする事がある。暇な時間と言うのが存在しない。

学生時代にやっていたアルバイトだと暇な時間に掃除やら商品の前出しなどを行なっていたが、そういうことを行なう暇な時間帯というのがまだない。

常にやることがある、という状況だ。

店長からはちょくちょく「スタッフともっとコミュニケーションを取らないと辛いぞ」と言われる。

その度にうるせーよ、と思ってしまう。

そんなコトは重々承知しているが、「仕事を知らない新人なのに立場は社員」という微妙な位置にいてそう簡単にことは運ばない。

そればかりは自分のペースでやっていこうと思った。

店長からは「焦るコトは無い」と言われるが、その店長の言葉にプレッシャーを感じていた。

この日は0時には帰れた。

本気で誰か内部告発でもしてこの労働時間を何とかしてくれと思い始めたのがこの頃。

同時に日に1度は辞めたいとも思っていた。

翌日は休みを貰えたので帰宅後に初めて洗濯をした。

晩飯は定番となってしまったカップ麺と発泡酒。

 

2001年4月3日 火曜日

休日の朝、先日購入した冷蔵庫が家に届けられて目が覚める。

冷蔵庫到着、これでようやく発泡酒や缶チューハイの買い溜めが出来る。

この日は公的手続きを色々と済ませた。

区役所へ行き、転入届を出し住民票を貰う。

それを持って警察署へ行き、免許証の住所変更。

インターネットをやる為に必要な電話加入権の購入もした。

PHSなどの携帯端末でやろうかなとも思ったが、やはり1人暮しをするからには家に固定電話が欲しかった。

それにしても電話加入権って5万円近くもするとは…。

電話の開通には混み合っている時期だから10日〜2週間かかるという。

冷蔵庫が届いたので買物では発泡酒まとめ買い、牛乳・卵・ペットボトルのお茶などを購入した。

そして体調を整える為に野菜ジュースも購入。

新生活を始めてカップ麺ばかりの生活になり、明らかな野菜不足で大便は出ないし、口内炎は出るし…。

近所のスーパーでは安売りのカップ麺をまとめ買いして今後の食糧を確保。

せっかくの休みなので晩飯はちゃんとしたものを食おうと思い、スーパーで惣菜を購入。

結局公的手続きと買物に終わった休日だった。

 

2001年4月5日 木曜日

仕事を始めて1週間、この日は前日の売上を銀行へ入金に行った。

10万くらいの金額だが、この仕事も普段はアルバイトのスタッフがやる。

レジ開け作業やレジ締め精算作業も基本的にスタッフがやる。

よくそこまで任せられると思う、スタッフとの信頼関係ってヤツか。

この日は閉店後に店を出た後で店長と飯を食いに行った。

店長の車で近くにある24時間営業の大衆食堂へ。

セルフサービスで好きなおかずを取っていき、レジで精算する。

おかずは50円〜150円、ご飯が茶碗1杯50円〜どんぶり大盛り120円、味噌汁50円、トン汁70円、かけそば・うどん100円、てんぷらそば・うどん130円等々かなり安い。

味もそれなりでまずまず、カップ麺以外の晩飯ってだけで満足。

チャリで行ける距離にあれば嬉しいのだが、チャリで行くにはチョット遠かった。

 

2001年4月8日 日曜日

一通りの仕事をこなせるようになってきて初めての日曜日。

仕事がある程度出来るようになると忙しさも実感出来るようになる。

忙しいと働いていることが実感できて良い。

翌日に本部のある神奈川県で全社員が集まる店舗会議が実施され、その後に来賓も招いて経営計画発表会なるものも実施される。

会議は昼からなので、昼までに神奈川に行かなければならない。

…というわけでこの日は仕事を始めて初めて20時に帰らせてもらった。

早く帰れたのでスーパーで買い物をして、晩飯も少しだけ贅沢にスーパーの惣菜など…。

 

2001年4月9日 月曜日

この日は本部のある神奈川県で全社員が集まる月に1度の店舗会議が実施され、その後に来賓も招いての3ヶ月に1度の経営計画発表会が実施される。

通常の仕事は私服でOK、それこそGパンにトレーナーなんて格好だ。

そして月に1度実施される店舗会議でも私服で良いという。

だが、今回は年に4回実施される来賓も招いての経営計画発表会も実施される。

だから今回ばかりはスーツ着用での会議出席だ。

入社式以来のスーツに身を包み、7時過ぎのバスで仙台駅へ(最寄のバス停から仙台駅まで20分ほど)。

仙台にある3店舗の社員皆まとめて新幹線に乗り、本部のある神奈川県に向かう。

仙台3店舗の社員と言っても各店舗の店長3人と、新入社員が私と同期のもう1人だけの計5人。

新幹線の中でも店長同士は売上だなんだの話をしていてよく判らなかった。

仙台にいる時は全然実感していなかったのだが、ウチの会社の店舗は全国にあるので、各地域ごとにエリアが存在する。

私が配属されたエリアは北関東・南東北エリアとでも言おうか、埼玉・栃木・宮城・山形が合わさった大きなエリア。

そのエリアを統括するエリアマネージャーが存在して、その下に各店舗の店長がいて、その下に私のような新入社員がいる。

我々を統括するエリアマネージャーというのに会うのもこの日が初めてだったし、自分のエリアで同期の新入社員と顔を会わせるのも今日が初めてだった。

本部近くの最寄駅に到着、店舗会議開始まではまだ時間があった。

店長が携帯電話で誰かと連絡をとっている。

エリアマネージャー以下エリアの社員が集まってファミレスで飯を食っているというのでそこへ向かうことに。

向かったファミレスにはスーツを着た連中がいっぱい。

どうやらその殆どが会社の関係者、一般客は殆どいないような状況だった。

色々なエリアの社員が色々なテーブルに集まっている模様だ。

誰が誰やらサッパリ判らないので、とりあえず店長にくっついていく。

するとエリアマネージャーを紹介された。

エリアマネージャーの第1印象は「バイト先の前の店長にチョット似ている」。

同じエリアの人を次々と紹介され、次々と挨拶。

店舗会議には各店舗の主力アルバイトスタッフが参加することもある。

誰が同じエリアで誰が店長で誰が社員で誰が同期で誰がアルバイトなのかサッパリ判らなかった。

そのファミレスで先輩社員に言われた、

「店舗会議で新入社員紹介があり、新入社員は全員壇上に立って一言挨拶をするのでそこで自分にしか言えない言葉で自己紹介を。」とのことだった。

かなりのプレッシャーがかかった。

本部の大きなフロアーに全社員が集まっての店舗会議がスタート。

社長の話に続いて新入社員紹介。

新入社員約80人が全員壇上に上がる。

人数が多いだけに1人1人は際立たないのでさほど緊張はしない。

1人1分と持ち時間が決められていた。

壇上の端の人から順に自己紹介をしていくのだが、長く喋る人もいればすぐに済ませる人もいる。

長く喋る人に対しては会場の後ろで社員が持ち時間終了を表わす「0分」という札を持ってこっちに掲げている。

ただでさえ80人に1人1分だと80分かかるのに、それ以上時間はかけられないということか。

私の自己紹介は店名と名前を言う、そして自分は苗字が珍しいのでその苗字の説明をして(ここが自分にしか出来ない自己紹介)、「最後に聞いたことのある人もいるかと思いますが、自分の好きな詩を朗読させてもらいます」と言ってお約束の詩を朗読して終了。

ほぼきっかり1分くらいだったと思う。

本部での店舗会議を終えると、新横浜にあるホテルへ移動。

来賓を集めての経営計画発表会が行なわれるのだ。

とても立派なホテルの大広間を借りての経営計画発表会。

結婚式会場のような円テーブルが並び、そこへ座る。

立派な壇上で社長の講話が始まる。

社外へ向けての経営計画発表会なので、少々堅苦しい。

社長の話の他には現場からの体験報告ということで、実際に現場で働いている店長が数人壇上で普段の仕事ぶりなどを話す。

そこで私の同期も壇上で体験報告などをやってのけていた。

同じ日に入社したはずなのになんだこの違いは?

入社前にアルバイトやインターンシップで頭角を表わしていたんだろうな。

同期で入社していきなり店長っていうのが1人と、入社していきなり新店立ち上げて店長ってのが2人いた。

会の途中の休憩時間では豪華な弁当やビールも配られ、来賓の乾杯の挨拶と共に歓談へ。

ところがビール飲んで弁当食ってというわけには行かず、歓談の最中は会場のあっちこっちへ店長と共に行き、色々な人に紹介され、挨拶をしたりビールを注いだり…。

なかなか落ち着いて飯を食う余裕がなかった、実に豪華な弁当だったってのに。

周りがだいぶ席について弁当を食い始めたのでこっちも急いで食って飲む。

落ち着いて食えると思った所で壇上で列席の来賓紹介と来賓からの話が始まる。

ある程度弁当も食ってビールも飲んでいる、そして談上では退屈な話し。

眠くなる要素は全て揃っていた、そして案の定…。

会の後で誰かに「お前寝てただろう」って言われるかなと思ったが、それはなかった。

経営計画発表会を終えると、再び本部のある駅へ向かう。

今度はエリアごとに別れての懇親会が始まるのだ。

エリアの店長・社員・スタッフが一堂に会しての懇親会(飲み屋にて)。

そこでようやく自分のいるエリアの店長・社員・スタッフがハッキリした。

そこでもまた改めて自己紹介をさせられた。

AM1時頃に飲み屋を出て、宿泊先のビジネスホテルへ。

私の実家の最寄駅と会社本部のある駅とは実は1つしか離れていない。

だからビジネスホテルには泊まらずに実家に泊まった方が経費が浮くのだが、ホテルに泊まることになった。

…というのも、ホテルの部屋に皆で集まって遅くまで語るのが会議後の通例になっている為である。

荷物を各部屋に置いて少ししたら誰々の部屋に集合、というかたちでそこにまたエリアの社員が集まる。

そこでもまた会話が始まる。

新入社員はどうしてこの会社に入ったのか、というような話し。

先輩社員(殆どが店長)は店でどういうことをしているかや、これまでの経験談など。

ちなみに会社では殆どの社員がイコール店長である。

大きな規模の店だと店長と副店長の2人あるいはそれ以上の体制もあるが、大体は1人で店を受け持つ。

諸先輩方や同期の話を聞いていると少しだがヤル気は出てきた。

皆それぞれ苦労して働いているんだ、自分もやらなきゃ、ということが感じられた。

結局4時くらいまでなんだかんだと話して、自分の部屋へ(シングルルーム)。

仙台から神奈川まで移動し、本部で店舗会議、経営計画発表会、飲み屋で懇親会、ホテルで懇親会…

長い1日だった。

 

2001年4月10日 火曜日

ホテルで目覚める。

店長が「この日は休みにするから自由にして良い。」とのことだったので1人で仙台へ戻った。

他の社員と一緒に仙台に戻るよりも1人の方がはるかに気楽で良い。

実家がすぐ近くなので寄って帰ることも出来たが、敢えてそれはしなかった。

新幹線内で飲みながら(他の社員と一緒だとこれはし辛いな…)仙台へ。

神奈川から仙台へ帰るこの日が休日扱いと言うコトは、今週の休みはもうないだろう。

今週分のカップ麺等の買物を済ませて帰宅。

 

2001年4月11日 水曜日

会議参加後の初仕事、多少なりとも自分に意識の変化はあったのかな。

この日は先日会ったばかりのエリアマネージャーが仙台に来るという。

夜になってエリアマネージャーが到着。

仙台の他店の店長と同期も一緒だ。

店での業務はそこまでにして、エリアマネージャーと店長と共に行動する。

仙台にある競合店舗や、直営店でないフランチャイズの加盟店などを見学しに行った。

店を見た後に必ず「どうだった?」と聞かれるのだが、何がどう「どうだった?」なのかが判らず困惑するばかり。

皆で晩飯を食いに行ったのだが、店長とエリアマネージャーの話しは数字に関するものが多かった。

いつの日かそれらの話しが理解できる日が来るのだろうか、来なきゃだめなんだな。

帰宅後、高校時代の友人から電話があった。

お互い新入社員としてそれぞれ別の会社でやっている。

友人からの電話というのは励みになった、特に遠く離れて1人暮しをしている身としては尚更だ。

 

2001年4月12日 木曜日

入社して2週間以上も経つともう一通りの仕事は全てこなせるようになってきた。

ただスピードは伴っていないし、一通りの仕事といってもそれは通常業務にすぎない。

この日は閉店後に店長から損益の話を聞いた。

次週の月曜日に栃木でエリアの社員が集まってのエリア会議が実施される。

そのエリア会議での議題が損益なのだ。

売上がいくらで粗利がいくらで何%で経費がどうで利益がどうだとかなんだとか。

経費の中でも人件費、宣伝広告費、会議費、交際費、人材育成費、旅費交通費等々…サッパリ判らん。

「話半分で聞いていて良いよ」と言われ、1時過ぎまでそんな話しを聞いていたが、本当に半分くらいしか理解できなかった。

丸1日仕事をした後で疲れていたし腹も減っていたというのもあったし。

 

2001年4月13日 金曜日

この日の閉店後、店長とスタッフの1人が何やら真剣そうに話をしている。

だいぶ長い話を終え、スタッフが全員帰った後で店長から聞いた。

スタッフの間で不正行為があったという。

店のスタッフの買物をスタッフがレジを打って実際の価格よりも安く購入したのだという。

何か不審に思った店長が当事者のスタッフを問い詰めて吐かせた、というのだ。

店長は不正に関わったスタッフは全員クビだと言う。

エリアマネージャーとも長電話をしていて対応を協議していた。

店長は信頼していたスタッフにそういうことをされたということが非常にショックな様子だった。

「俺の力不足だ」としきりに嘆いていた。

私はまだ入社して(この店に来て)1ヶ月も経たないので、店のスタッフに対するそれほどの思い入れはなかった。

だが、打ち解けることが出来てきたところでこういう形でスタッフがクビになるのは複雑な思いだった。

そういう話をしていて、私は初めて自分は社員だということを自覚できたような気がする。

最悪この不正行為に全てのスタッフが関わっていたとしたら、全員がクビになる。

そうしたら店長と2人で店を守っていかなければならない。

店長は翌日から全員と面談をすると言っていた。

大変なコトになったというのは容易に想像できた。

それでも不謹慎な私、お店が大変だということもそうだが、これによって自分がますます休みにくくなる、次の休みはいつだろう…という考えも頭をよぎってしまった。

この日、電話線が開通。

仙台に来てから初めてインターネットをすることができた。

これで一通りの生活環境が整ったことになる。

 

2001年4月14日 土曜日

朝から店長は不正に関わったとされる当事者と面談。

売場が忙しい土曜日だが、その日出勤している全スタッフと1人1人面談を行っていった。

面談でどういったことを言っていたのかは判らないが、スタッフは皆神妙な顔をして出てきた。

月曜日に栃木でエリアの社員が集まるエリア会議が開催されるのだが、それに店長の参加はなくなった。

店がこういう状況で社員が店を空けるのはまずいという結論になったのだ。

そこでエリア会議には私1人で参加する事になった。

つまり私がエリア会議で店舗の諸報告をし、会議の内容を店長に伝えなければならない、重大だ。

 

2001年4月15日 日曜日

翌日に栃木でエリア会議が開催されるので夜は早めに店を出て仙台にいる同期のアパートに泊まった。

翌朝その同期と、同期の育成担当者と、仙台にあるもう1店舗の店長と私との4人で車で栃木へ行く為だ。

同期のいる店は閉店時間が0時。

その店で手伝いや、翌日の会議のための資料などを作っていたので同期のアパートへ行ったのが3時過ぎ。

夜はその同期と部屋で色々喋った為に就寝は4時過ぎになってしまった。

 

2001年4月16日 月曜日

朝一で車に乗ってエリア会議が行なわれる栃木にある店舗へ向かう。

エリアの面々と顔を合わせるのは1週間ぶり。

エリア会議開始に先だって全員がそれぞれの店と自分の近況を報告。

私は私の店で起こった不正のコトも話した。

他の社員も皆神妙な顔をしてその不正の話を聞いていた。

会議は少々難しい内容で店長が各店舗の損益の数字を発表し、分析みたいな事もしていた。

何やら判らないままメモを取るのが精一杯だった。

その後に新卒は新卒で集まってエリアマネージャーに損益について色々と教わった。

売上と仕入れの考え方や、粗利の説明、理想的な粗利率、何がどの経費に含まれるか等々。

事前に店長からも損益については話半分ながらも聞いていたのである程度は理解できた。

話の中では理解できるのだが、なかなか実感としては理解できずにいた。

実際にどれだけの売上があって、その中で粗利はいくらで、経費がいくらで、最終的な利益云々…

まだまだ先は遠そうだ。

会議後は例によって飲み屋で懇親会。

飲み屋での懇親会、そこでのコミュニケーション(通称・飲みュニケーション)が好きな会社だ。

飲み屋で話す内容は仕事に関することばかり。

気楽な飲み会という感じは一切ない、あくまでも仕事の一環だ。

他の店長や社員と接せることができるそういう場を大切にして、諸先輩方や同期の話を聞いて何か自分の糧にしなければならない。

私から話すことはあまりなく、フンフン話を聞いているのが主。

周りの同期はそれぞれ自分の店で悩みを抱えていたり、同期同士で売上の話をしたりしていた。

こっちは仕事こそ覚えてきたが、自分で戦力と思えるほどではなかったし、売上の話などサッパリ判らなかった。

私のエリアの同期は皆入社前にアルバイトをしていたので、その点で私は少し出遅れている感があった。

飲み屋での懇親会を終えて、宿泊先のビジネスホテルへと向かう。

前回の店舗会議のときと同様に、ホテルでも誰かの部屋に集まって語り合う。

それも大事なコミュニケーションの場になるというのだ。

ホテルでは新卒同期6人で同じ部屋に集まって語り合った。

さすがに同期だけで話すとかなり気が楽だった。

勿論仕事の話だが堅苦しい雰囲気はなく、店でこんなことしてる、こんなことがあったなど気楽な話し。

だが、途中から先輩社員が数人登場。

「気にしないで(話しを)続けろよ」、とは言われた物のやっぱりねぇ…。

この日は同期とも結構話せたし、収穫のある日だったように思う。

 

2001年4月17日 火曜日

エリア会議翌日、先輩社員の車で仙台に戻る…のだがその前にせっかく来たのだから栃木県にある他の店舗へ見学に行くことに。

店舗を見るのは構わないのだが、見終わった後に感想を求められるのがきつい。

何を言えば良いのか判らない…。

昼食まで諸先輩社員と一緒、やはり先輩社員が一緒だと気を使う。

夕方になって仙台に戻ってきて、ウチの店長にエリア会議の報告。

それからは通常業務で店に出て売場に立った。

先日の不正行為で遅番スタッフ2名が解雇となったので、夜の時間帯は人がいなくなってしまったのだ。

当事者2名の解雇でとりあえず落ち着きを見せたが、2人いなくなっただけでシフトの人はガクっと減った印象。

エリア会議から帰ってきたばかりだったのでやる気はそこそこあった。

もっともやる気に勝るとも劣らないものが眠気だったけど。

 

2001年4月18日 水曜日

会議の余韻が残っているのか結構やる気があっての仕事。

楽しい!とこそは思わないが、以前のように辞めることを何度も考えるようなコトはなくなった。

やはり仕事を覚えてきて、やることが判ってくるとやる気も出てくるもんだ。

月の半ばだからか、ゴタゴタがあって店長の疲労が溜まっているからか最近は0時には帰れる日々が続いているし(それでも遅いような気はするが…)。

夜の時間帯にスタッフが足りない状況なので休みこそ貰えないが、翌日は15時から出勤して良いと言われた。

朝一で仕事じゃないだけでも良しとするか。

 

2001年4月19日 木曜日

辛うじてもらえた午前中の休み。

仙台駅周辺へ買物に行き、仙台に来て初めて牛タンを食った。

店のスタッフに聞いた仙台で有名だという店へ行ってみた。

12時前に行ったのだが既に列が出来ていて、4,5分待って入れた。

牛タン1.5定食1,500円。牛タン1.5人前と麦飯、テールスープのセット。

かなりビールも飲みたかったが午後から仕事だし…。

味?ウン、美味かったが無難に美味い牛タン。

テールスープが美味かった、肉のスジが歯に挟まるが…。

午後からの仕事ということもあってそれほどきつくはなかった。

でもやはり丸1日休みが欲しいな。

 

2001年4月21日 土曜日

土曜日は例外なくそこそこ忙しい。

通常作業も覚えてきて、忙しいと充実感もあるのでそれ自体は良い。

ただ仕事後が辛かった。

閉店後に店長の車で仙台のもう1店舗へ行き、そこの店長と私の同期と4人でファミレスで晩飯。

どうも店長同士仲が良いらしい。

店長同士の話にはついていけないし、こっちそっちのけで2人で話すし、仕事終わりだから当然疲れているし、やはり気ぃ使うし…

その席上はかなり居心地が悪い。

後半からは、いつまで続くんだこの話し、早く帰りたいとばかり思っていた。

まぁ向こうの店長の下にも私と同期の人がいるのが救いだが。

ちなみに帰宅は2時頃。

 

2001年4月23日 月曜日

毎日の仕事のおかげで毎晩寝つきは素晴らしいくらい良い。

大学時代は布団に入ってもなかなか眠れないこととか多かったのだが、今はすぐにでも眠りに付ける。

まぁ大学時代になかなか眠れないというのは昼寝をしていたからだということもあるが…。

お仕事サマサマです。

ところがここのところ眠っていると突然足のふくらはぎに痺れと激痛が走ることがある。

ふくらはぎがつっているような強烈な痛みが襲い、その痛みで目が覚めるのだ。

何日か連続して症状が出たり、右足だったり左足だったり、必ずふくらはぎに症状が現れる。

日常生活では何も問題がなく、寝ている時だけ起こるのだ。

これまでこんなことはなかったので何か恐いな。

 

2001年4月24日 火曜日

仕事をしていて総合的に「働いていて楽しい」とは思えない。

断片的にそう感じることが出来る部分は勿論あるのだが、それが持続しない。

休憩はスタッフとのコミュニケーションの場なのだが、1人で休憩に入っていた方が落ち着く。

営業時間が終わると帰ることしか頭になくなってしまう。

正直なかなかやる気ってものが起きない。

店舗会議やエリア会議の後はあるのだが、持続させるのが難しい。

 

2001年4月25日 水曜日

4月10日の店舗会議翌日以来の丸1日休日を貰った。

4月10日の休日といっても神奈川から仙台までの移動が含まれていたから丸1日休日とはいえないかな…

そう考えたとすると実に4月3日以来の純粋な丸1日休みだ。

休日はチャリでスーパー巡りになってしまう。

あちこち回って色々なスーパーで各々最も安い価格のものを買う。

主なものとして牛乳、卵、野菜ジュース、冷凍食品(レンジで暖めてすぐ食えるもの)、カップ麺。

牛乳と卵はそれでしか摂れない栄養分が含まれているからあった方が良い、と母に言われていた。

牛乳は朝、コーヒーを溶かして飲み、卵はカップ麺に落としたり、ゆで卵にしたり。

朝起きた時と寝る前にコップ1杯の野菜ジュースを飲む。

辛うじて体調を崩すことなく生活できているといったところか。

スーパー巡りをして安くそういったものが手に入るとなんだか充実した気分。

また、安いスーパーなどを発見した時も妙に嬉しかったりする。

うーん、寂しい休日の過ごし方かな。

買物を終え、自宅では久々にホームページの更新もした。

ただ、仕事の愚痴は思っていても載せられなかった。

店長もインターネットをやると言っていたし、HPのアドレスは教えていなかったけど見つけられないとも限らないし。

休みの日は遅く起きられるのも魅力だが早く眠れるのもまた良い。

その日のうち(0時前)に眠れるのは休みの日くらいだもんな。

 

2001年4月26日 木曜日

この日の仕事は棚卸し、毎月末に棚卸しを行なうのだ。

ただ、先月末のように閉店後に一気に数える棚卸しではなく、営業時間中に数える棚卸し。

延々商品を数えるだけなのだが、普段の仕事と少し違うというだけで何か良い。

店では就職して初めての給料明細を貰った。

意識していなかったが、前日が初めての給料日だったのだ。

何せ金に困るような生活はしていなかったし、必要な買物以外には金を使うようなこともなかったし。

諸々引かれて18万弱、どういう計算なのかよく判らんが。

いずれにせよ、飲みや旅行などは出来そうもない生活を続けているからそこそこ貯まりそうな気がする。

仙台にいると何かと車があると便利だと感じる。

目標は今年中に車購入だな。

 

2001年4月28日 土曜日

ちょうど初出勤から1ヶ月が経過した。

世間ではゴールデンウィークだなんだと騒いでいるがそんなものとは全く無縁の生活を送っている。

店がいつもよりも混むなー、くらい。

不正行為事件で遅番スタッフ2人が解雇になって、やはり人手が足りない。

新人スタッフも入っているが、新人なので誰かが一緒についていなければ仕事にならない。

だからやはり人手が足りない。

仕事は一通り全てこなせるようになった、相変わらずスピードは伴っていないと思うが。

戦力かどうかはともかく足手まといにはならない程度に成長できたと思える。

色々あったが本当にアッという間の1ヶ月だった。

同時に1人暮しをして1ヶ月にもなるが、こちらも問題ありだな。

さすがに毎食カップ麺生活は改めたが、仕事終わりに帰ると必ず発泡酒を飲む。

そしてほぼ必ず何かスナック菓子を一緒に食う。

不健康そうな生活だ。

でも酒は止められん、とりあえず1番落ち着く瞬間だし。

 

2001年4月30日 月曜日

ゴールデンウィークらしく、忙しかった。

仕事を一通り出来るようになると、忙しさも実感できる。

恐らく仕事を始めて1番忙しかった日ではなかっただろうか。

閉店後に店で例によって店長とウダウダ話したりしていると同期から電話がかかってきた。

やはり同期の声を聞くと元気が出た、1人じゃないなーって思える。

その同期の話しだと、既に辞めた同期が出て来ているという。

その気持ちわからんでもないと思いつつも少し自信にもなった。

辞めている奴もいるけれど、私はまだ続けている、と。

 

2001年4月 出勤日数27日(含・会議) 休日3日(含・会議帰路)

2001年5月へ

仙台社会人一人旅トップ

最初のページに戻る