仙台社会人一人旅
Survive in Sendai.

2002年1月

2001年12月

2002年1月1日 火曜日

正月だろうが元旦だろうが、月初であるということに変わりはない。

いつもの月初と同じように事務所に篭って書類作成作業。

スタッフの休憩を回す為に売場に出た時は暇だった。

毎度のことなのだが棚卸しの数字が合わなくて正月早々嫌になった。

何度調べてもどう調べても出てくる数字に大差がない。

深夜3時過ぎ、身体が限界を訴えたので帰宅。

実家からと、北海道の祖父母から年賀状が届いていた。

ウチの住所を知っている人なんざ身内以外ではいないからな。

 

2002年1月2日 水曜日

遅刻ギリギリ出勤。

一晩経っても棚卸しの数字が変わっているわけでもなく、やはり事務書に篭っていた。

考えられる条件は洗いました、もう無理っス…という報告をエリアマネージャーに。

ロスの範囲がまぁ誤差の範囲内というか許される数値内だったのでそれで月次締めをする許可が出た。

少し余裕が出たのでバックに篭っているついでに一眠り。

正月ということで来店客数が多い。

それに加えて客1人当たりの単価も高い、皆高い買物をしていってくれるのだ。

それでもただレジが忙しいだけで、全体での忙しさはそれほど感じなかった。

夜になって雪が降ってきた。

翌日は仙台の加盟店でセールをやっているので、それの手伝いに駆り出されることになった。

自店舗以外はあまり好きじゃないんだよなー。

 

2002年1月3日 木曜日

他店の手伝いに駆り出されて、午後からその他店へ。

その仕事中に車で出かける用事があったので、私が行く事になった。

昨夜からの雪で道路には多少雪が積もっている。

大きな駐車場の脇へ車を止めて、用事を済ませた。

そして車へ戻ると、すぐに管理人らしき人が現れた。

「チョットあんた、ココは契約駐車場だよ!」と怒られた。

雪で駐車場の線が見えなくなっていた、脇だと思った所がどうやら駐車スペースだったらしい。

こりゃ全面的にこっちが悪い、しかもこっちは仕事中で店名が入ったエプロンをしている、ただただ謝った。

さらに悪いことに、私が止めた場所に本来止めるべき人の車が戻ってきていて、

その人の車が私の車が邪魔で止められずに、強引に私の車の脇に止めていた。

狭い所へ強引に止めた為に、その人の車がその横にある車と接触してしまっていた。

さらにその接触していた相手の車はなんとベ○ツ…、最悪だ。

「あんたのせいで大変なことになっちゃってるじゃないか。」

散々グチグチ言われて、逆ギレしそうにもなったが、さすがにそれはマズイ。

確かに人の契約している駐車スペースに止めたのは私が全面的に悪い。

だけど、そこへ強引に止めようとして他の車に接触したことまでが全て私のせいになるのだろうか…

見たところ、接触はしているが、どちらの車にも傷やへこみなどはなさそうだった。

だけど、傷やら何やらがあったら修理代はどうなるのだろうか。

店の車でのコトだから、店の車の保険?

でも店の車が事故を起こしたわけではないからそれは変だ。

それならば私が加入している自動車保険か?

でも私の車で事故を起こしたわけではない。

…ということは私の自腹になるのか?そうなったらかなり痛いぞ…。

でも仕事中のことだから会社から何やらの保険が出るのだろうか、業務上でのことだし。

しかしそもそも私本人が接触させたわけではない、その原因を作ったのは私だが…。

色々とゴタゴタしたが、接触されたベ○ツの持ち主がその場にはいない。

その場で佇んでいても仕方がないので、駐車場の管理人に店と携帯の電話番号を教えて解放された。

新年早々とんでもないことになったが、真っ先に頭に浮かんだのは「面倒臭ぇな…」ということだった。

その日のうちに電話はかかってこなかった。

パッと見ではどちらの車も無事そうだったから、大丈夫だったのかな。

 

2002年1月4日 金曜日

新年最初の銀行営業日だったので年末年始の売上をまとめて入金。

これまでで最高と思われる額のお金をもって銀行へ。

普段はスタッフにやってもらっているこの仕事だが、さすがに金額が多い時は私が行く。

スタッフを信用していないわけではなく、何かあった時のためだ。

本社の指針では、銀行へ入金に行く時は充分に注意し、毎回同じ道を通らないようにと教えている。

しかしウチの店からは最寄りの銀行までは直線で徒歩5分、同じ道を通らざるをえない。

もっとも開店してから5年ほど経っているが幸いにしてこれまで何らかの事故は起きた事がない。

でも考えてみればかなり危険なことを毎朝やっている。

女の子が1人で行くこともザラだし、内部事情に詳しい人なら簡単に奪えそうだ…。

この日の夜には2人も休んで、スタッフは1人だけだった。

つまり私と2人だけで店を回さなければならない。

なんて言うのに、他店から電話がかかってきて「急いで12月の実績報告を送れ」などと言う。

ふざけんな、スタッフ1人しかいねーのに、それどころじゃねーんだと心の中で叫ぶ。

営業が終わると、閉店後にやる作業も中途半端だったが、スタッフには上がってもらった。

1人しか居ないスタッフに閉店作業を全部押しつけて、自分は自分の仕事をするなんて出来ない。

閉店して、スタッフが帰った後で急ごしらえの実績報告を作って、売場で残った作業を1人こなす。

こうしたことを誰が評価してくれるのだろうか…。

 

2002年1月5日 土曜日

駅前店への商品出荷依頼が急遽入って、閉店後に届けに行くことになった。

営業中に届けに行くのなら、商品だけ届けて自店舗に戻る…というのが出来るが、閉店後はそれをやり辛い。

エリアマネージャーや先輩社員がいる駅前店は非常に居辛いのだ。

案の定商品を届けた後も何故かズルズルと話などをしてしまい、時間が経った。

その時に、駅前店所属の社員で私と同期の男が2月末で退職することを発表した。

何人かのスタッフも残っていたので、皆の前でそのことを発表したのだ。

本人は仕事を続けたいらしいのだが、実家の両親の体調が悪くて実家に帰らなければいけなくなったそうだ。

同期の彼は、辞める事になった経緯を話しながら、店が好きだしこういう形で辞めるのは悔しい、と涙を流していた。

それを見て、心の中では常々辞めたいと思っている自分自身を少し恥じた。

続けたくても続けられない人もいる…

続けたくなくてもそれを口に出せない自分がいる…

 

2002年1月6日 日曜日

年末から続く忙しい1週間がようやくこの日曜日で一段落する。

翌週のシフトを組んで、どうにか2日後に休みを取ることが出来た。

 

2002年1月7日 月曜日

ウチの店の閉店は22時。

閉店後の諸作業を含めると早くて22時30分に全てが終了する。

23時頃にはスタッフが全員帰って、あとは私1人になる。

来店客の分析や、宣伝広告の検討などやらなければならないことはいくらでもある、仕事は尽きない。

しかし、特に急ぎ用がなければすぐに帰っても別に問題はない。

ところがなかなかそれが出来ない。

閉店頃から0時頃まではよく他店店長から店に電話がかかってくる時間帯なのだ。

その時に店にいないのはどうも気まずい「もう帰ったのか」と思われかねない。

実際に23時過ぎに携帯に電話があって「今日はもう上がったのか?」と聞いてくる先輩社員らがいる。

本人は別に深い意味があって言っているわけではないのかもしれないが、私にはそう聞こえないのだ。

別に何があるわけでなくても、0時頃までは店にいてしまう習慣が出来た。

そして電話がならないと、ホッとして帰る。何か違うよな…

 

2002年1月8日 火曜日

昨年末のクリスマス以来の休みの朝、店のスタッフからの電話で起こされる。

その日鍵を持ってくる当番のスタッフが鍵を忘れてしまい、店に入れないというのだ。

私の家は店から徒歩30秒の所にあるので、半分寝たまま鍵を渡してすぐに帰ってまた寝た。

夢の中の出来事のように寝ていた。

夕方にようやく目覚めて、少し経ったら何もしていないのに鼻血がボトボト垂れてきた。

鼻血は私の疲労のバロメーター。

昨年8月の怒涛の連勤で初めて出して以来癖になっているようだ。

18時にはアルバイトの面接が入っていたので、店へ行った。

携帯に他店店長から仕事関係の電話も入るし…

平穏な休みってのはなかなかないもんだ。

 

2002年1月9日 水曜日

求人誌に広告を載せていたので、アルバイトの面接に来る人が多い。

他人の履歴書を眺めていると世間の雇用状況は結構厳しいのかなと思ってしまう。

20歳前後のフリーターや学生が主なのだが、中には20代後半くらいの男性がチラホラ見うけられる。

正社員の職がないので、アルバイトでも仕事をしたい…と言うのだ。

そうしたのを見ていると私の"辞めてとりあえずフリーター"っていう安易な考えが戒められる。

 

2002年1月10日 木曜日

この日は閉店後に、昨年末に一斉に辞めたアルバイトの送別会兼新年会が開かれた。

唯一の社員であり、店長である私もその席に呼ばれた。

飲み放題コースだったのでやってしまった。

立場もわきまえず、学生の頃のようにガブガブ。

ウチの社員と飲みに行くと「この時間を無駄にするな」とハメを外すことなど許されない。

久々にそうしたことを考えなくても良い飲み会だった。

居酒屋で1万、2次会のカラオケでも1万(全額)払った。

居酒屋では10人以上もいたのでさすがに全額は出せなかった。

やはり立場上そうすべきでしょう。

記憶は断片的、立場をわきまえろって…。

 

2002年1月11日 金曜日

ギリギリではあったが、奇跡的に寝坊せずに出勤。

それなりの二日酔いと眠気。

ちょうど10日時点での実績報告書を作る日だったので、コレ幸いに事務所で寝ていた。

休憩中にはスタッフから前夜の私の記憶がない行ないを聞かされた。

まだ記憶を無くすほど飲むことがあるんだな、私もまだ若い。

 

2002年1月13日 日曜日

土・日・月と3連休、それなりの忙しさ。

他店店長から電話があって、翌週には駅前店へ行って欲しいという。

行けと言っておきながら、駅前店へ行く目的を明確にして行けと言う。

特にこれと言った目標なんてないのだが、強いて言えば刺激を求めて、かな。

 

2002年1月15日 火曜日

他店店長から電話があって、急遽山形の店へ手伝いに行けと言う。

何でも、スタッフが一気に大量に辞めて店が回らないらしい。

そこで仙台からも急遽応援人員を派遣することになったのだ。

木曜日には駅前店へ行き、その翌日には山形の店舗へ行く。

うーん、毎度の事ながら私はいつ休めば良いのだろうか。

 

2002年1月16日 水曜日

先日採用してこの日が初出勤のアルバイトの男子学生。

初めてのアルバイトとのことで反応が素直で初々しくて何だか嬉しかった。

雨と言うこともあってじっくり仕事を教えることが出来た。

仕事を教えて、それが相手に伝わっているのを感じることが出来た。

こういう時には確かに充実感があるんだけどな。

それを打ち消してくれる出来事が多すぎる。

 

2002年1月17日 木曜日

この日は駅前店勤務で、翌日は山形へ行く。

駅前店では売場は勿論、休憩までエリアマネージャーが一緒だったので、全く気が抜けなかった。

どうにか閉店まで漕ぎ着けたが、閉店後がきつかった。

翌日は車で山形へ行く事になっていたので、いつまでも残らずに少し早く帰ろうとするとエリアマネージャーに止められた。

「オイ、もう帰るのかよ。お前は今日1日何をしにココに来たんだよ。」

から始まったお説教タイム。

1日気を抜くことなく、無難に通常作業をこなしていたのだが、それではダメなのだ。

駅前店で働くことにより、自分の店に足りない何かに気が付く。

あるいはそれらを解決するための努力をする。

エリアマネージャーや先輩社員やスタッフと話をして、そういうことを何かしたのかよ…とのことだ。

お前が店で何をしたいのかどうしたいのかが見えない、感じられない云々。

ガーガー言われている最中に「そんなんだったら辞めろよ」とまで言われたが、そこで「では辞めます」とまでは言えなかった。

そんなことを言ったら火に油を注ぐようなものだということは容易に想像できた。

そんなわけで結局帰宅は3時すぎ。

翌日は朝から車で山形まで行かなきゃいけないっていうのに。

布団で眠ったら確実に起きられないと思ったので、コタツでそのまま眠った。

 

2002年1月18日 金曜日

コタツで眠ったせいか、それほど起きるのが辛くなかった。

熟睡していないということなのだろうか。

6時頃には家を出て車に乗り込み山形へ向かう。

長距離ドライブになるので、自分の車で音楽を聴きながら行きたかったのだが、山形は雪が多い。

スタッドレスタイヤでないと危険らしいので、スタッドレスを履いている店の車で行く事にした。

前夜の睡眠時間は2時間30分ほど、かなり眠たい中で朝の東北道・山形道を走る。

予想通りかなり睡魔に襲われて2度ほどパーキングエリアで仮眠を取った。

それでも2時間ほどで山形に到着、思っていたよりも早かった。

今回急遽山形の店へ行く事になったのは、スタッフが一斉に退職したため。

何故にスタッフが一斉に退職することになったのか。

どうやら店長から見てスタッフの勤務態度が芳しくなかったらしい。

そして12月のアルバイトボーナスの時に殆どのスタッフをゼロ査定、つまりボーナス無しにした。

それの反発でスタッフの大量離脱を招いたらしい。

残ったスタッフは2人、その2人とて毎日出られるわけではない。

山形の他の店舗から毎日のように応援人員が駆けつけているが、それでも間に合わない。

そんなわけで、仙台からも人を送り込むことになったというわけだ。

駅前店へ入るときのように"何か目標を持って行け"なんていうことはなく"店を回す"ことが目的なので幾分気は楽だった。

状況がどうであれ、自店舗でない店で働くのは刺激になる。

環境が違うので、1日の流れも違うし商品構成なども違う。

これで"他店に行って何か得るものがあったか?"みたいなことをいちいち聞かれなければ良いのだが…。

帰りの山形道は夜で殆ど車は無く、しかも街燈が実に暗い、そしてかなり眠い。

居眠り運転を自覚できて恐かった。

 

2002年1月20日 日曜日

駅前店へ行ったり、山形へ行って、土日は自店舗。

久々に売上が絶好調で、気分がよかったところへ気分が良くない他店店長からの電話。

来週も駅前店へ行けという話だった。

それ以外にも自分から自分の店の情報を発信していけ、情報を取りにいけ、みたいなことを言われた。

ウチの店はこんなことやってます、おたくの店はどんなことしてますか?みたいなことらしい。

それらを参考にせよ、とのことらしい。

この土日は大学受験センター試験だった。

私の弟が今年受験なので恐らく受けたはずだ。

自分のことで精一杯だが、やはり気になるな。

 

2002年1月22日 火曜日

2週間ぶりの休日、休みにしては早く13時過ぎには目が覚めた。

今更ながら、年末年始に録ったビデオを眺めたりしながら休日が過ぎていく。

車で適当に買物ドライブなどもした。

この日は珍しく、自店舗から売上報告の電話以外には仕事関係の電話が無かった。

こんな日もあるんだな。

夜に実家の母から電話があり、弟はどうやら無事にセンター試験を受けたそうだ。

私のほうも近況報告をする中で、それとなく近いうちに辞めるかもみたいな事を言っておいた。

ハッキリとそう言ったわけでは無いが"そうは続かないと思っている"程度に言った。

休みが明けると3日連続で駅前店へ行く事になっている。

そこでまた辞めたい度が増す事は確実だ。

 

2002年1月23日 水曜日

休み明けで駅前店へ。

駅前店ではスタッフの人数が慢性的に足りなくて、常に仙台他店から手伝いが入っているという感じだ。

では何故慢性的に人数が足りないのか、バンバン採用すれば良いではないかと言うことになる。

しかし、ウチの会社の体質として、スタッフと一緒に店を作っていく…みたいなところがある。

だから"この人は!"と思える人でないと採用しないのだ。

この人はフリーターで朝も夜も働けるからまぁ採用するか、みたいな基準では採用しないのだ。

ただ与えられた仕事をするだけでなく、自ら成長しようと考えている人や光る何かを持っているような人。

この人なら店の考えに共感してくれるだろう、一緒に店を作っていけるだろう、という人を採用する。

その基準が駅前店では結構厳しいらしく、なかなか良い人がいないという現状なのだ。

そして採用しても、その人が店(会社)のそうした特異な体質についていけなくて辞めてしまうという事も多い。

必然的に入れ替わりが激しくなる。

さらに3フロアーもあるのでスタッフの人数が多いし、各階での仕事内容が違うのでなかなか定着しない。

そんなわけで常に新人がいるような状況で、常にスタッフの数が足りない。

だから仙台他店から毎日のように応援が来るのだ。

今回は3日連続での駅前店。

いつものように仕事して、エリアマネージャーにはいつものように色々言われ、いつものように遅くまで…。

 

2002年1月25日 金曜日

3日連続での駅前店勤務をなんとか乗り切った。

3日ともにエリアマネージャーが店にいたので常に気が抜けなかった。

このエリアマネージャーが昨日ガッツリ怒ったかと思えば、今日は励ます…みたいに緩急を巧く使い分ける。

それがあるのでどうしても憎めないというか、嫌いになれない。

これが本当に合わなかったり、嫌な人だったらもっとアッサリ辞められると思うのだが。

 

2002年1月27日 日曜日

前夜に降り出した雪が雨に変わり、眠いなかをいつものように自店舗へ行く。

すると開店前、いつもは休憩所にいるはずのスタッフが、売場で右往左往している。

スタッフは私を見つけると、「大変です。」と。

なんと店内の、レジカウンターの中のアチコチで雨漏りがしている。

それもポタッ、ポタッという程度ではなく、ポタポタと雨漏り。

その雨漏りがレジに直撃していてレジが作動しないという。

かなり慌てた、その時に出勤していたスタッフは2人。

とりあえずレジを雨漏りが当たらない場所へ移動し、雨漏りしている場所の下にはバケツを配置。

雨漏りの場所が数カ所あったので、バケツだけでは足りない。

ダンボール箱にゴミ袋用のビニールを敷いて臨時の雨受けにする。

そして雨漏りだから屋根屋に電話。

しかしこの日は日曜日、タウンページ片手に日曜でもやっている所へ電話して来てもらうことに。

雨水がコンセント部分からも流れていたので、電気屋も呼んだ方が良いと判断して電気屋も呼んだ。

電気をつけると危なそうだったので、雨漏り付近の電気はつけないことにした。

さらに、レジが使えないので、それも何とかしなければいけない。

エリアマネージャーに連絡して善後策を求めると、仙台他店に2つレジがある店舗があるので、そこのを1つ借りろと言う。

その一方でレジのメーカーへ電話連絡をして至急修理の人をよこさせるようにした。

雨が降っているとはいえ、この日は日曜日、しかも給料日後、平日よりは稼げる日なのに…

店内で雨漏り、レジは壊れている…最悪の状況で開店を迎えた。

レジが動かないので、会計は全て計算機を使っての手作業。

おまけに棚卸しで誤差も生じるので、何が売れたかを控えなければならない。

そんな状況の中で開店。

お客さんは好奇の視線で雨漏りを見つめている。

レジでは計算機を使って手作業での会計。

不幸中の幸いだったのは商品への被害は殆どなかったということだ。

屋根屋が来て、すぐに応急処置をしてもらった。

どうも屋根の上に雪がたまって固まってしまい、本来雨水が流れる箇所を塞いでしまっていて、逆流した雨水が店内に伝ってきたたらしい。

次に電気屋が来て、雨漏り部分とコンセント部分とを調べてもらう。

するとやはり漏電していることがわかった。

そこも早急に治してもらい、しばらくするとどうにか雨漏りは止み、電気もつくようになった。

しかし問題はレジである、相変わらず手入力でやっている。

ようやく他店のスタッフが、レジを持って来てくれた。

そのレジの設定をウチの店のに合わせてようやく普通に営業ができるレベルになった。

その後、レジの設定をしているメーカーがやってきてその場で修理をしてくれた。

雨漏りによる基盤の故障だったそうだ。

ようやく営業を終えて、売上は散々なものだった。

おまけにその日の現金過不足(帳簿上あるべき現金と実際にある現金の差異)はとんでもない額だった。

やはり半日間も手入力でレジ作業をすれば間違いが生じるのは仕方あるまい。

それにしてもとんだハプニングに見舞われた1日だった。

私もテンパってしまって、適確な判断が下せていたのかどうか。

翌日は休みを取っていたのだが、屋根や漏電をしっかり見てもらうために店に行かざるを得ない。

気が休まる暇はないな。

 

2002年1月28日 月曜日

休みを取った1日ではあるが、昨日の屋根雨漏り、漏電箇所の修理、来月の計画提出、自店舗所有車の車検業者決定…

気が付けばやることが山積で結局店へ行っていた。

私の出勤日にやるべきようなことなのだろうが、出勤日には売場に出ていることが多い。

売場に出ることも事務作業もどちらも仕事ではあるのだが、出勤したとなると売場に出ないと落ち着かない。

スタッフだけに忙しい売場を任せるのは気が引けるのだ。

だから必然的に閉店後や休みの日に店に行って、事務作業をこなすということになってしまう。

なかなか気が休まる暇がないな。

大学時代のアルバイト先の後輩からメールが来ていた。

バイト先の2号店が閉店になって、溢れた社員が大勢異動することになったらしい。

それによって私のもとあるバイト先のバイト連中は一部を残して殆どが解雇。

もしも私がまだ学生でそのバイトを続けていれば同じ目にあっていたのかな。

これらも不況の影響と言うヤツだろうか。

この仕事辞めてフリーターで働きでもしようかという考えに若干のかげりが…

 

2002年1月29日 火曜日

この日は月に1度の棚卸しで、スタッフも多く投入していたのでスムーズに済んだ。

夜になって仙台他店の店長が急に店に来た。

何事かと思ったら、2月から休職するのだと言う。

話を聞くと原因は自律神経失調症とのことだ。

前年9月に退職した同期も同病にかかっていた。

さらに仙台駅前店の社員の1人も自律神経失調症で休職している。

私が入社して1年も経たないのに、私の周りだけでも数人が自律神経を病んでいる。

どう考えても仕事が原因と思われる病気だ。

無理もないよな…

 

2002年1月30日 水曜日

この日は駅前店へ行くことになっていたのだが、棚卸しの入力等をやって、出来るだけその時間を遅らせた。

特に"何をしに行く"というわけではないのだ。

ただ慢性的に人がいない状態なので、手伝いに行く程度のレベルなのだ。

何度も書いているが、ただ人手が足りないので手伝うだけなら話は簡単だ。

だが、私が行くとなると状況が違う。

そこから何かを自店舗に持ち帰ることを要求される。

駅前店に人がいないというから手伝いに入っているのに

「何しに来たの?ただのワーカー(作業員)ならいらないよ。ウチに来ることでお前に何か成長がなければ意味がないんだから。」

みたいなことをエリアマネージャーに言われる。

そんな毎回毎回意味なんて持たせらんねーよ。

下手な発言するとめちゃくちゃ怒られたりするし…。

 

2002年1月31日 木曜日

朝から駅前店へ、憂鬱な駅前店へ。

駅前店でもスタッフと純粋に働くだけなら決して苦痛ではなく、どちらかというと楽しい。

駅前店では新人スタッフが多いので仕事を教えることが多く、それにやりがいもある。

自分が他店の店長ということもあって慕ってくれている人もいるし。

ただ、エリアマネージャーや先輩社員らがいるとそうではなくなる。

お前の店はどうなんだ、今日は何をしに来たんだ、お前はココで何を吸収していくのだ…

アレコレと色々言われうんざりする。

チョット理不尽じゃないかということで怒られたり。

どこからか歯車が狂ってエリアマネージャーを避けるようになってきた。

気が付けば何か怒られてばかりで。

エリアマネージャーと話す度に辞めたい気持ちが増していくような気がしていた。

この月は駅前店に行く機会が多かったので尚更だった。

結局1月も休みは3日、しかもそのうち2日は店へ行っていた、よくやるなぁ…。

 

2002年1月 出勤日数28日 休日3日(含・短時間勤務)

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