仙台社会人一人旅
Survive in Sendai.

2002年2月

2002年1月

2002年2月1日 金曜日

店で所有している車の車検が近かったので、車検業者を当たって見積もりを取った。

何箇所かに車を持って行って1番安かった所へ依頼した。

朝一でそこへ車を持って行った。

店から少し離れた所にあるので、車を預けると自力では帰れない。

代車を用意してもらうと2,000円かかるというのでそれは断わった。

そしてタクシーを拾って店まで戻るとそのタクシー代が2,000円だった…。

月初なので、先月の決算作業がある。

いつものように殆ど事務所に篭って仕事をしていた。

相変わらずのことなのだが、帳在の差異が大きい。

コンピュータでの登録上あるべき商品数と実際にある商品数の差異だ。

入力されている数字や棚卸しの結果に不自然な数字がないかを地道にチェック。

考えられるあらゆる可能性を洗っても尚差異が大きい時は絶望的な気分になる。

3時過ぎに、もうこれ以上は無理だと判断して帰宅。

 

2002年2月2日 土曜日

起床は9時40分、遅刻になってしまった。

仕事は相変わらずの書類作成作業。

しかし、昨夜で棚卸しのロスを埋めるのは殆ど諦めたので違う仕事をした。

締め切りの時間ぎりぎりになってエリアマネージャーに電話をする。

「最初の棚卸しロスはこれくらいだったのですが、検証の結果ここまで減りました、だけどもう無理です。」

ロスがあるといっても会社で定めているロスの範囲内だからまだ許されているのだろうけど。

このエリアマネージャーに電話するコツとして、最初は少し多めにロスを報告しておく。

その方が最後に電話をしてロスを報告した時に減ったという実感がある。

最初から正直にロスを報告して、最終的にあまり変わっていないと「もっと検証しろ」と言われてしまうのだ。

まぁそんなことをしてどうにか書類作業を進めた。

1月の結果が出たところで、計画と結果の違いを検証。

さらには週末なので翌週のシフトも組まなければならない。

さらにさらに、新しく取り入れた販売方式の検証も行なう…。

結局4時近くまで店にいた。

翌日は駅前店勤務、心から行きたくない。

棚卸しの結果等を報告した電話でも駅前店店長にはアーダコーダ言われたし。

 

2002年2月3日 日曜日

駅前店勤務予定だった、日曜日だった、だけど…。

登校拒否児が朝に体調が悪くなるっていうのはこういうことなのかなと思った。

駅前店行きたくねー行きたくねーとそればっかり思っていたら身体中がだるかった。

風邪や疲れとは違うのだけれど、胃が痛くて身体がダルイ。

完全に精神的なものが原因と思われる体調不良。

しかし休むために駅前店店長に電話するのも恐い…。

かといって駅前店には行きたくない、行けばもっと嫌な時間をすごさなければいけないだろう。

意を決して駅前店店長に電話。

「スイマセン、朝起きたら体調悪いんで休ませてもらいたいんですが…」

「ハッ?!」と答えた駅前店店長の言葉には多少の怒気が含まれているように感じた。

昨夜も電話で怒られている昨日の今日だからなにかしら疑わしかったのだろうか。

しかしそこまで電話したのでもう後には引けない。

スイマセン休みます…を連呼して電話を切った。

昨夜が遅かったのもあって電話を済ませるとさっさと寝た。

自分は具合が悪いんだ、と自分に言い聞かせて殆ど1日中寝ていた。

飯も夜にカップ麺を食ったのみ、食欲すらあまりなかった。

 

2002年2月4日 月曜日

この日は自店舗出勤なので、普通にいつも通り出勤。

前日に休んだことを改めて駅前店店長に電話して謝った。

その電話では別に何ともなかった。

翌日は最初から休みの予定。

前日にも休んでいるけど関係ない、しっかり休むよ。

 

2002年2月5日 火曜日

一昨日にたっぷり眠っているのでそうでもないかと思ったが、13時過ぎまで寝ていた。

特にあてもなく車でブラブラとドライブ。

その最中にも仕事での電話がかかってきて来週も駅前店に人がいないから都合つけて入ってくれ、と。

自分にとって最もキツイ内容の電話だ。

そんな感じで特に何もなく過ぎていった休日。

 

2002年2月6日 水曜日

自店舗に出勤。

同じエリアの同期から電話がかかってきて久々に長話をした。

同期と話しをしていても自分と意識のズレを感じる。

私はそこまで仕事に全身全霊を打ち込めないよ、と思ってしまう。

同期と話していてもそれだから、本音を話せる会社の人が見当たらない。

 

2002年2月7日 木曜日

自律神経失調症で休職する仙台他店の店長が一旦実家に帰ると言うことで挨拶に来た。

仙台ではずっと世話になっている先輩社員だった。

少しの寂しさと、いつも色々怒られたりしていたので安堵感も正直あった。

さらには休職して一旦実家に帰るというので羨ましさもあった。

私が辞めて帰るとしたら引越代は自腹だろうから3月は避けたいなーなんてことを漠然と考えた。

そして翌日は辞めたい度が急上昇する駅前店勤務。

さすがにもう体調不良の手は使えないな。

 

2002年2月8日 金曜日

駅前店勤務。

駅前店店長がいると次は何を言われるのかと緊張してばっかり。

一緒に休憩入ったりすると、食欲も失せてしまう。

完全に恐怖の対象になってしまっている。

夜は自店舗のスタッフ数が少ないんで…と言い訳して夕方で駅前店は上がって自店舗へ行った。

家に帰ってシャワーを浴びていて気がつくと流れている水が赤く染まっていた。

無意識のうちに鼻血が例によってボトボトと…

これも精神的なものかな、ハァ。

翌日から2日連続の通しで駅前店勤務だもんな。

駅前店に行くときは絶対に遅刻できないので、夜が遅くなるとベッドではなくコタツで眠る。

ベッドで眠ると起きる自信がないのだ。

 

2002年2月9日 土曜日

朝から駅前店に行くと店長が体調不良で休みだと言う。

凄くホッとして、まぁ平穏な駅前店勤務となった。

それでも閉店後は先輩社員らと話していて駅前店から帰ってきたのは結局2時すぎになった。

よほど疲れている時以外は、自店舗にいなかった日は閉店後何時でも店を覗くことにしている。

その日の売上はスタッフがメールで携帯電話に送ってくれるから分かっている。

売場やカウンター内の在庫がどうなっているかなどを見たり、売上日報をもう1度しっかり見たり。

ただ漠然と売場を眺めるだけのこともあるが、とにかく店にはなんとなく寄ってしまう。

この日の夜もいつものように深夜2時過ぎ、店の鍵を開けて中に入る。

すると店内が微妙に焦げ臭かった。

そして休憩室のドアを開けると中はうっすらとした煙で満ちていた。

臭いし目が痛い、すぐにタバコの吸殻だろうと分かった。

休憩所にガスは引いていないので煙が出る原因といったらタバコの吸殻入れしか考えられなかった。

果たして、煙草の吸殻を捨てる缶を開けると煙がモウモウと、幸いにして火はおきていない。

慌ててその中に水を入れまくってとりあえず処置した。

煙の元は処理したけれど、休憩室から事務所内まで充満した煙はなかなか消えない。

窓を開けるが、店内に続くドアを開けるわけにはいかない、店内にまで臭いが移ってしまう。

念のためにある程度室内の煙が収まるまではそこにいるべきだと判断した。

2月の深夜に窓を開放したままにするのはかなり寒い。

だからといってストーブをつけるのも躊躇われた、ガスが充満していたらどうなってしまうのか…。

その日の夜に入っているスタッフが頭に浮かんだ。

今夜入っているスタッフでタバコを吸うのは1人だけだ。

決めつけるのは良くないが、まず間違いはないだろう。

そのスタッフは翌日の夜もシフトに入っている。

翌日も駅前店勤務の予定だったが、これはそのスタッフと直に話しをしなければならないだろう。

ある程度煙が収まったので、防犯上大丈夫な窓を開けたままにしておいて帰ることにした。

臭いは残っていたがそれは仕方ない。

休憩所にはスタッフに宛てて当夜の一部始終を報告したメモを置いておいた。

そんなことがあったので帰宅は結局4時過ぎになった。

翌日も朝一で駅前店勤務なので、今夜もコタツ寝だな。

TVではソルトレイク冬季オリンピックの放送をやっていて女子モーグルで某選手が銅メダルを取っていた。

 

2002年2月10日 日曜日

朝一で駅前店勤務。

この日は駅前店店長が来ていたので、昨夜のボヤを報告。

「オマエ、そのスタッフをめちゃくちゃ怒れよ。」、と。

直接そのスタッフに言って聞かせろ、とのことだった。

そのスタッフはこの日も夜に出勤予定だったので、その時間にあわせて店に戻るつもりだった。

するとそれよりも早くそのスタッフから携帯に直接電話がかかってきて昨夜のことを詫びた。

出鼻をくじかれた格好だ、こっちは直接会って直に叱るつもりだったのに。

電話で済む問題じゃない、これからそっち行くんで…と無愛想に言って電話を切った。

店に行き、そのスタッフを休憩所に呼んで、出来るだけ頑張って色々言った。

今回のことは「まぁイイよ、次からは気をつけて」で済む問題ではない。

もしも火事になったら君だけじゃなくスタッフ全員の職場もなくなるし、店も商品もなくなる、下手したら地域に延焼したかもしれない。

そうなって君に責任が取れるのか。

店長が店を空けてスタッフに店を任せるというのは、ただ店を回すということだけではない。

そういう自覚も持ってくれ、と。

スタッフはただただ平謝りだったので、こっちもあまりどうたら良いのか判らなかった。

しかしウヤムヤにしてはいけない問題だったので、出来るだけ強く言ったつもりだ。

叱るのって疲れるわ。

 

2002年2月11日 月曜日

自店舗のシフト表にこの日の私の予定は駅前店勤務予定になっていた。

しかし駅前店の方は自店舗に人が少ないんで…って言って断わっておいた。

よってこの日は自店舗勤務。

少し意識的にやったのだが、起きたのは11時頃でそれから自店舗に行った。

もともとこの日の私は自店舗の人数に入っていなかったので敢えて少し遅れていった。

でもその間に駅前店から何らかの電話が入ったらシャレにならないので、それほど派手な遅刻は出来ない。

自店舗へ行ったら、祝日なのでやはり忙しかった。

翌日は月一の憂鬱な店舗会議。

先月は繁忙月ということで会議はなかったので12月以来だ。

12月は経費削減もあって早朝に車でまとめて行ったのだが、今回は新幹線。

だいたいどの社員も私と似たような労働形態で働いている。

つまり全員が疲労困憊なわけだ。

それらが5,6時間ものドライブをするのは危険だというエリアマネージャーの判断だった。

何でその判断をもっと早くから下さなかったのだろう…。

 

2002年2月12日 火曜日

8時に仙台全店舗の社員が仙台駅に集合。

幸いにして恐怖の対象である駅前店店長は別の列車だった。

新幹線内でいつも色々話しかけてくる他店店長は現在自律神経失調症で休職中。

車内では常に眠っていられた、上々。

社長講話が約1時間、他の社員などの体験報告があるいつもの会議がすぎていく。

会議後の懇親会はやはり経費削減でナシ。

…とは言うものの会議の懇親会は常に自腹切らされていたんだけど(ホテルに泊まる場合のホテル代は経費)。

おまけに今回は会議後にいつもエリアで集まっている簡易ミーティングもなかった。

本部行って、会議に参加して、終わるとすぐに解散。

仙台に戻ったのは22時、実に早い。

何のために会議に参加したのか判らないほどアッサリしていた。

まぁ会議やその後のエリア小会議が苦手な私にとっては良かった事だけど。

でもせっかく新幹線使ってこんなに早く帰ってくるなら実家に寄りたかったな。

 

2002年2月13日 水曜日

朝一で駅前店勤務予定だったのだが、行きたくなかったので午前中は自店舗でやることがある、と駅前店に電話をした。

そして自店舗に行くとなんとスタッフが1人しか来ていない、この日の朝は3人いるはずだが…。

来るべき2人のスタッフが来ていなくて連絡もない。

慌ててそのスタッフに電話をすると、1人はこの日に入っていることを忘れていたらしい、オイオイしっかりしてくれ。

もう1人はこの4月から社員として働く予定でウチで体験アルバイトをしている大学4年生。

電話すると急用があって来られなくなったと言う。

オイオイ社会的常識に欠けとるぞ、連絡は事前に必ずしろと怒っておいた…。

駅前店に電話をして店に行ってみたらスタッフがいなくて午後もそっちに行けなくなった、と電話。

まぁ駅前店に行かなくて良くなったのは怪我の功名かな。

 

2002年2月14日 木曜日

普通に自店舗勤務。

何故か駅前店店長が先輩社員と一緒に店に来て店内を見てはアレコレ言って行った。

早く帰ってくれーとばかり思っていた。

パソコンのメールでは実家と時々やりとりをしている。

先日実家に電話した時に初めて"辞めようと考えている"と伝えてからはメールでもそうした気持ちを書いていた。

そして実家からのメールでは、それを認めてくれると言うか、"オマエの考えならばそれを尊重する"みたいなことが書いてあって凄く心強かった。

ネットに繋いでいた勢いでそのまま東京で1人暮し用のアパートを検索するサイトにアクセスしていた。

色々な条件を入力して物件を見ていると気分はもう1人暮しをはじめているような感じで楽しかった。

まだ辞めてすらいないのに。

現在の自分に必要なのは、辞めたいですと会社の人間に言う勇気だろうな。

どうすれば後腐れなく辞められるのだろうか…。

 

2002年2月15日 金曜日

駅前店店長はいなかったが、この日は駅前店勤務。

肉体的には常に疲労するけれど、店長がいなかったので精神的な疲労はそれほどなかった。

 

2002年2月16日 土曜日

この日は自店舗勤務なのだが、朝起きるも気力がなく、店に電話をして12時出勤にしてもらった。

この辺りでもだいぶ辞めたい病が進行していることが窺える。

普通に自店舗勤務をしていればまだ精神の安定が保てる。

辞めることに対する両親の理解、先日ネットで見た1人暮し用のアパートが辞めたい度を加速させている。

例えばフリーターで働いたとして月収が幾らで生活費が幾らで…シミュレーションしている自分がいた。

あとはきっかけとタイミングの問題だと思っていた。

ある程度穏便に辞められる方法をいつも探していた。

 

2002年2月17日 日曜日

考えてみると久々になる日曜日の自店舗。

日曜日に自店舗で忙しいお客さんと仕事に没頭していれば、モヤモヤしたことを考えずに済む。

他店店長から駅前店のスタッフィングが厳しい(スタッフが少ない)ので、都合つけて入れないかとの電話。

アレコレ言い訳をして駅前店に入る回数を最小限まで縮めた。

閉店後に他店へ出荷するための商品を60箱用意。

日曜日の営業中に出来るもんじゃないし、どうしても閉店後に1人でやることになってしまう。

この辺りをスタッフに気軽に任せられないところが自分の弱さなのかな。

他店への商品出荷というのは自店舗には何の利益も生まない仕事。

スタッフには営業中は売上に繋がる通常作業をして欲しいし、かといって閉店後に残って商品出荷を手伝ってくれとも言いづらい。

日曜深夜、閉店後に1人で60箱もの出荷準備。

こうした見えない部分では頑張っていると思うんだがな。

頑張っている方向が間違っているのは何となく気がついてはいるが…。

 

2002年2月18日 月曜日

翌日はOFFの予定を取っていたが、前日の他店店長からの電話で駅前店のスタッフィングが厳しいことを聞いている。

そういうこと言われるから休むのに気が引けるんだよな。

 

2002年2月19日 火曜日

休みは例によって昼まで寝て、昼過ぎから車に乗ってウロウロ。

10月に買った車の窓にスモークを貼ることにした。

以前からやろうと思っていたのだが、工賃の高さ(約3万円)にチョット手を出しかねていたのだ。

かといって自力でやるほどの暇も技術もないし。

どうせいつかやるつもりだったので、やっちまうことにした。

自宅から徒歩3分ほどのカー用品店に行って依頼すると、この日は技術者が休みなので無理だという。

2日後なら技術者がいるのでその時でどうかと。

2日後は自店舗出勤だからチョット店を抜けて車を持って行くことにして了承した。

休みの日でもかかってくるであろう仕事の電話にびくついている自分がいる。

休みってのは何なんだろうと考える。

ハッキリ休みは休みっていう仕事に就きたいな…。

気がつくと日本酒やらウィスキーやらをやたら飲みまくって寝ていた。

 

2002年2月20日 水曜日

起きると頭と体の節々が痛く、かなりの体調不良。

前夜に日本酒とウィスキーを飲んで、眠りについた記憶がないくらいだったので単なる二日酔いとも思われた。

しかし二日酔いとは明らかに違うダルさがあった。

店のスタッフィングを思い出して、何とかなるだろうと判断して店に体調不良で休む旨を電話した。

どうやら本当に体調を崩したらしい。

食欲もなく、頭と身体が痛くて1日中ずっと寝ていた。

夜にはどうにか回復の兆しが見えて、チャリで1分のコンビニで晩飯を買って食えるくらいまでにはなった。

精神的要因もかなり含まれていると思える体調不良だな…。

 

2002年2月21日 木曜日

朝起きるもまだ具合が悪い。

それでも普通のOFFを含めても3日連続で休むわけにはいかない。

やらなければいけない仕事もあるし。

とりあえず店に電話して少し遅れて行く旨を告げる。

店に行く前に近所のカー用品店に自分の車を持って行く必要もあった。

一昨日依頼した窓にスモークを貼る作業が今日行なわれるのだ。

車をカー用品店に預けて店へ。

売場に立つと体調の悪さを実感、頭が痛くふらつく。

しかしそれほど忙しさはなかったので、どうにかなった。

夕方の休憩時にスモーク貼り作業が完了した車を取りにカー用品店へ。

車を購入してすぐにMDとCDチェンジャーを搭載させ、今回スモークを貼った。

これで車を買った時にイメージしていたスタイルになった、もういつでも辞められる。

23日の正午までに本部へ提出するための来期の仮計画を立てなければならない。

来期の計画というとつまりは4月から来年3月までの計画だ。

計画は毎月前に修正するのだが、それでも本部に提出する現時点での年間計画ということになる。

つまりはそれが本部全体の損益計画に関わってくるもの、結構重要な計画になってくる。

それを考える仕事が控えていた。

過去の売上実績、伸び率、ここ最近の売上、宣伝広告、スタッフ確保予定、他店との協力体制…

考慮しなければならない事項がかなりある。

ダルイ頭と身体でそうしたことを考えなければならなかった。

来月どうなるかもわからないのに、1年後なんて…もう自分はいないと思うし。

 

2002年2月22日 金曜日

体調は良からず、悪からず…久々に朝礼から自店舗に参加。。

しかしそれほど忙しくなかった売場はスタッフに任せて、殆ど事務所にこもって来期の計画作成作業等。

夜に駅前店店長兼エリアマネージャーから電話があった。

例によって色々と言われた。

計画のこと、自店舗にいる今年4月に入社予定のアルバイトのこと、近頃体調不良な自分自身のこと…

ショックだったのは「勝手にオーバーワークして体調崩しやがって…」と言われたこと。

なんという言い方だ、その言葉が出たときは本当にすぐそこまで「辞めます」の一言が出かかった。

電話を切った後も折り返し電話をして「辞めます」と言おうと何度思ったことか。

しかしそれをする勇気は出てこなかった。

やはり現在の状況でそれを言うのは逃げだと思ったし、それを指摘されてボロクソに怒られるのも目に見えていた。

結局は辞める勇気すらが無い状況なのだ。

体調不良もあって全然身のない計画をとりあえず形だけでも作成した直後に再びエリアマネージャーから電話。

先程とはうってかわって優しい口調。

体調悪いんだろ、無理すんな、と。

翌日は駅前店勤務の予定だったのだが、体調が悪ければ電話しろ、無理に来なくて良いから…と。

計画を作り終わってホッとした直後にそうした電話。

実にアメとムチの使い方が巧いなーと思えた。

上に立つ人間ってのはそうしたフォローも重要なんだろうな。

駅前店店長にしてエリアマネージャーから翌日は駅前店に無理に来なくても良いといわれたので、その時点で翌日は行かない事に決めていた。

 

2002年2月23日 土曜日

朝、まずは恐る恐る駅前店店長に電話。

やっぱ体調悪くて無理です…と、まぁ体調が悪いのは事実だったけどどこか後ろめたい。

昨夜一応完成させた次年度計画だったが、見直しをする必要もあったので自店舗へは出た。

計画を見直して修正したら帰るつもりだったが、土曜日の店、混雑しないわけが無い。

その混雑を横目に帰るわけにはいかないので、結局売場で働くことになった。

そしたら夜に他店店長から電話があった。

「アレ、今日は駅前店じゃなかったっけ?」

「そうなんですけど、体調悪くて…」

「で、何で自店舗にいるんだよ。」

なんとなく気まずかった。

するとその後に駅前店店長から恐怖の電話

「駅前店に来たく無いなら最初っからハッキリそう言えよ。」と不機嫌だった。

そりゃ駅前店に行きたくねーよ、そう思ったが口に出せるわけも無い。

しかし体調不良だったのは事実。

だけど自店舗で来期計画をしっかり見直さなければならないから、自店舗に行くのはやむをえない。

自店舗に行ったら忙しく働いているスタッフがいるのに自分だけ体調不良で帰るわけにはいかない。

そしたら自店舗で働くのが普通だろ。

それなのに、何でそんな言われ方をしなきゃいけないんだよ…。

前日の「勝手にオーバーワークして…」という言葉もあって、本当に辞めるまであと一息に来ていると感じた。

あとは何か1つの決定的なきっかけだ。

 

2002年2月24日 日曜日

この日は忙しい日曜日で1日自店舗で普通に働いた。

特に他店からの電話も無く、辞めたいと思うことも無かった。

こういう日もあるんだよな。

翌日は休み。

 

2002年2月25日 月曜日

いつものように特になにもしなかった休日。

仙台に友人がいるわけではないし、翌日も仕事と思うと車で遠出も出来ない。

そして1人の時間があるとどうしても辞めることを考える。

自店舗は好きで安息していて良いけど、他店や会社は…といういつもの葛藤だ。

これで自店舗の居心地が悪ければさっさと辞められるような気もするのだが。

やはり自分が店長というのもあるし、安易に自店舗を捨てて辞めるという言葉が出てこない。

寝る直前に友人から電話。

就職して結構ノーノーとやっている話しを聞く。

そうした話しを聞いていると、私のいる会社の相当なハイペースぶりを知ることが出来る。

入社から1年も経たずに店の全てを任せられている。

全体での店舗会議はともかく、エリア会議では自店舗の報告や方向性の発表などもしている。

自店舗の売上目標、平均客単価、来店客数、商品構成…それらも自然と頭の中に入っているのだ。

どの商品を見ても利益がだいたいどれくらいだというのも瞬時に判るし。

それに多くのスタッフを(言葉は悪いが)扱うのにも少しは慣れてきた。

新規採用のスタッフ面接も数10件こなしている。

宣伝広告や求人などの業者交渉もしているし、お客の対応にも責任者として対処している。

入社1年未満でこれだけ、端から考えればやはり大したことなだろう。

それだけこの会社の荒波に揉まれているってことだ。

その結果現在の自分の辞めたい病が発生しているということもあるが…。

 

2002年2月26日 火曜日

休み明けの仕事、自店舗で棚卸し。

棚卸しの後はいつものように結果が出て月次決算作業などに入る。

また月末月初が来る、憂鬱な月末月初が…。

 

2002年2月27日 水曜日

平日ながら前日の棚卸しの残りもあって結構忙しい1日。

閉店後に1人で商品出荷作業をしていたら、この店の前店長にして私の育成担当者で現在は加盟店の立て直しの為に本部から派遣されている店長が店に来た。

入社して彼の下でこの店で働いていた時から彼の長いウダウダした話しにはうんざりしていた。

棚卸しや1人での出荷作業で疲れていたのでウダウダ話しはこたえた。

しかも少し説教めいていたし…

「今の自分の1年後が見える?」なんて言われた。

"まぁ少なくともココにはいないだろうな"心の中ではそう思っていた。

 

2002年2月28日 木曜日

2月最終日。

辞めたい辞めたいと思いながらもアッという間に過ぎて行った感がある。

このまま続けて行けば続けて行くほどに辞めにくくなっていくような気がする。

仙台にいて世話になっている先輩社員。

そして自分の店にいる多くのスタッフ達との人間関係。

駅前店にはよく行くので、そこのスタッフとも人間関係が出来つつある。

またその駅前店で会う、他の仙台の店舗のスタッフ達。

3月に抜けるスタッフ(学生の卒業など)の補強のために現在も採用をかけて面接をしている。

この日だけでも10件を超える面接をした。

そうしたことでまだどんどん新しい関係を築きつつある。

自分1人でスタッフの採用を決めておきながらその当人が辞める気満々なんてわけにはいかない。

辞めたい気持ちはあるけれど、安易にそれが出来ないような状況だ。

 

2002年2月 出勤日数23日 休日5日(含・病欠)

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