仙台社会人一人旅
Survive in Sendai.

2002年4月

2002年3月

2002年4月1日 月曜日

前夜…とも言わないな、3時間前まで仕事をしていた。

実に眠いなかをどうにか起きることが出来た。

半分眠りながら仕事についた。

棚卸しの入力作業や月初書類作成作業。

これまで1人でやっていた作業だが、今回は店長がいる。

単純にそれで分業が出来てかなり楽になった。

それでも眠気を抑えることは出来ず、フラフラ途中で落ちることもあった。

店長の提案で、ある程度仕事が片付いたら店は営業中だったが帰ることになった。

こういうときに私1人だけだったら営業中はスタッフに気を使って店にいただろうが、店長が"帰ろう"と言えば帰れるのは良いな。

それでも帰宅は22時頃、0時には就寝。

 

2002年4月2日 火曜日

9時間近く眠ったはずなのにまだまだ寝足りなかった。

この日は棚卸し結果との戦い。

いつものヤツ、実際の結果とコンピュータ登録上の結果の差異である。

特に大きく狂っている箇所があって、その部分は店長と2人で閉店後に再び数え直した。

それでもいまひとつ差異が埋まらず、最終的にはギブアップ。

帰宅は3時30分になっていた。

倒れるように就寝…。

 

2002年4月3日 水曜日

前日で決算棚卸しや月初書類関係の作業は殆ど終えていた。

しかしその分疲労もだいぶ溜まっていた。

売場で仕事をしながらも眠りそうになる瞬間がある、立っているのにだ。

翌日は休みの予定だったのでそれでも気分的には余裕があった。

ところが閉店30分前に店長宛てにかかってきた電話で状況が一変した。

1月にも手伝いに行った山形の店へ急遽行ってくれ、という依頼だった。

行くのは翌日、私は休みの予定だったのだが…。

スタッフの一斉退職があったその山形の店。

一斉退職の原因を作った店長は他店に異動となって、現在は私の同期がその店の店長を務めていた。

やはりスタッフが慢性的に足りなく、相変わらず厳しい状況が続いているらしい。

前回行ったのが1月、それが現在でも厳しいとは相当なものだ。

「山形が厳しいらしい、ヘルプに行ってやってくれ。」

と言われて断われるわけがない。

休みの予定があまりにも急展開、朝一で山形へ向かうことになってしまった。

 

2002年4月4日 木曜日

6時過ぎに起床、7時前に仙台を出た。

前回は1月で雪が積もってスタッドレスでないと危なかったが、今回は自分の車で行くことにした。

自分の車だと好きな曲を聴きながら行ける。

そういえば車を購入して以来、高速に乗るのは初めてだ。

前回行った時に道は覚えていたので迷わずに行くことが出来た。

朝の東北道・山形道は共に空いていて、1時間半ほどで山形の店に着いた。

店はまだ誰も来ていなかったようなので、車内で仮眠を取っていた。

山形の店のスタッフらしき人が来たので挨拶をして店内に入る。

この日、その店の店長(私と同期)は休みだという。

それで私が来た意味が分かった。

その同期は、店長になってから店の状況が厳しくて全然休めていないという話を聞いていた。

私が来た意味はその店長の代わりをやるということなのだろう。

店には今年入ったばかりの新入社員も配属されていた。

殆ど知らない店で、全く知らない新入社員やスタッフと一緒に仕事をする。

そのような状況だったが、この仕事をしていて知らないスタッフと一緒に仕事をする機会はこれまでも多かった。

自然にそうした場合の自分の中での対応が身についているらしい。

新入社員の子やスタッフとも不思議と自然に打ち解けることが出来た。

初めてだとは思えないくらいに、スンナリ一緒に仕事を楽しめた感じがした。

この店の店長のミスで、新規スタッフ採用の面接をこの日に1件入れてしまったらしい。

ココの店長に電話したら「あぁ、忘れてた。悪いけど面接やっちゃってくれる?」。

…というわけで何故か私が山形の店で山形のスタッフ募集の面接をすることになった。

もしも"採用したい!"って思える人だったらどうしようかと思ったが、幸い(?)そのようなことはなかった。

慣れない店やスタッフだったので、新鮮に感じられて時の流れは早かった。

翌日は仙台でエリア会議が開催される予定。

それは分かっていたのだが、私は参加しない予定だった。

ウチの店長と話して、"正直言って参加したくない"ということを打ち明けたのだ。

そしたら翌日も山形の店に入ることになった。

2日連続山形か。

夜はココの店長のウチへ行った。

店長は同期で、入社当時から同じエリアで出身大学も一緒だったので前からよく話していた。

普通に喋ることは出来るが、やはり同期の彼も会社側の考えを強く持っている人間。

3月に私が辞意を洩らした会議にも来ていたので、そうした話しも少しした。

しかし彼は忙しいらしく、翌日のエリア会議の準備の為に深夜2時過ぎに店に戻っていった。

同期の彼は山形の全店舗を見るようになっていたし、新入社員も下についていた。

だからこそそこまでやるのか、大したもんだ。

凄い頑張るなとは思ったが羨ましくはなかった。

逆に自分にゃ無理だな、と思えた。

 

2002年4月5日 金曜日

山形の店での2日目。

売場はガタガタの店だが、スタッフのやる気と活気があって良い店だなと思えた。

そうした新鮮な感覚はしばらく味わっていなかった。

そういう時は悪くない、と思えるのだが。

その一方で同じ時にエリア会議をやっている社員達の中には入りたくないとも思っている。

3月27日以来休みが取れていない。

その3月27日も休みではあったが、東京へ行って翌朝二日酔いで戻るという強行スケジュール。

何もしない休むための休みというのは3月22日以来になる。

しかもその間には朝6時までの棚卸し、仙台から山形への移動…。

体力も限界が近づいていたようで2度ほど売場で立ったまま眠りかけた。

山形での勤務はこの日までとなった。

22時に閉店で0時過ぎに山形を出て1時間ほどで仙台に戻ってきた。

それにしても夜の山形道は他の車が殆どなく、街燈も暗くて恐いし眠くなる。

いつ休めるのか…この労働条件がなければ少しは辞めたい気持ちも治まるのかな。

 

2002年4月6日 土曜日

朝起きると喉が痛くて痰も絡む、山形で風邪でも貰ってきたか…。

店長は駅前店で主要社員らとミーティングだとかで店にはいなかった。

新スタッフの採用面接が立て込んでいて久々の自店舗でも対応に追われた。

閉店前に店長が戻ってきて、山形の話や前日のエリア会議の話などをした。

この日の主要社員ミーティングでは私の進退も話しに上がったらしい。

皆が心配している、と言う。

また、駅前店のスタッフも最近顔を見せない私を心配しているらしい…。

何だかそうした気持ちが嬉しいのはあるが、それが逆に辛くもある。

自分はそこまで想ってもらえるような者じゃないよ…って。

2日後には本部で店舗会議、そして年に4回の経営計画発表会、スーツ着用のヤツだ。

前回は新幹線で行った会議だが、今回の移動手段は夜間高速バス。

翌日の夜に仙台を出るのだそうだ。

しかも今回は新卒新入社員がいるので会議は懇親会とホテル泊、キツイなぁ。

 

2002年4月7日 日曜日

自店舗で仕事をして、20時過ぎに早々と上がった。

一旦自宅に戻って会議用にスーツに着替える。

社外の人間も参加する年に4回の経営計画発表会があるからだ。

年に4回のはずなのだが、今年1月は全店で売上・利益確保に専念とかで行なわれなかった。

神奈川へ向かう夜間高速バスは仙台駅から発車する。

久しぶりに駅前店に行く。

駅前店店長・エリアマネージャーとは挨拶はしたけれど、ちゃんと話すことは出来なかった。

早くもその場に居辛くかった、会議なんか行きたくねー。

仙台の社員は皆駅前店に集まった。

駅前店にも新入社員が配属されていたが、挨拶だけしたという感じだ。

仙台他店の社員とも、先日私が辞意を洩らしたこともあって話し辛かった。

夜行バスということも幸いして乗って早々さっさと眠った。

 

2002年4月8日 月曜日

0時10分に仙台を出たバスが浜松町に着いたのは6時すぎ。

かなりの眠気を残したまま本部を目指す。

早く着きすぎたので、ファミレスに入って時間を潰す。

こうした何するでもない時間潰しが実に苦痛だ。

本部での店舗会議は11時から。

新卒新入社員の自己紹介が80人近くいたのでそれがかなり長かった。

1年前は私もあそこに立っていたわけだ。

もっともそのときには既に働き始めていたので希望に燃えているなんてことは早くもなくなっていたが…。

相変わらずウトウトしながらの会議。

店舗会議終了後は会場を横浜の立派なホテルに移して経営計画発表会。

店舗会議同様にウトウトしながら必死に"起きている"を装っていた。

この会の休憩時間がきつくて、30分くらい時間が取られる。

知り合いはいるけれど友達はいない会社。

ましてや現在の自分は辞めたい度が相当高いレベルにある。

誰とも話したくなかった。

久しぶりに会う違うエリアにいる同期と挨拶をすると、自分を偽らなくてはいけない。

「おぉ、久しぶり、最近どう?」、「イヤぁ、最近は辞めたくてね」…なんて言える訳がない。

最低限の人と挨拶を交わす程度にしておいてあとは所在無くウロウロしていた。

経営計画発表会には社外の多くの人が来賓として招かれている。

こういう席でないと話を聞けないような人達。

付き合いのある企業の社長や、銀行のお偉いさん、政治家…

その彼らも壇上で挨拶なりスピーチなりをするのだが、その内容なんざ全く覚えちゃいねー。

ただコッチの人間が壇上で話した内容をベタ誉めするのだけは覚えている。

「素晴らしい内容の発表を聞かせていただきまして、是非ともウチの社員にも見習わせたい…」

…というような言葉は聞き飽きていた。

経営計画発表会を終えて本部最寄りの駅へ戻る。

今回は新卒新入社員もいるので久々に懇親会が開催されるのだ。

居酒屋での懇親会、イヤな時間が続く…。

やる気に満ち溢れた(?)新入社員に私が何を話せば良いのか…。

おまけに飲み代は自腹。

飲み物は各自に行き渡っているか、料理の小皿は足りているか…そうしたことにも気を配らなければいけない。

そういう気配りにも結構うるさい会社なのだ。

また、エリアの社員が一堂に会する機会はあまりない。

だからこそこの一瞬を大切にし、自分から色々な社員と積極的にコミュニケーションを取りに行け。

自分がどんな気持ちで働いているか、店ではどんなことをしているか、目標はなんだ…。

逆にそうしたことを先輩社員が話し出したら回りの人は神妙に聴かなければいけない。

ましてやエリアマネージャークラスが話し出したらメモを取らなければいけない(これがまた、皆メモを取るんだ)。

神妙な面持ちで話している人の周りに集まってフンフン話を聞く。

そうしたコトをする…させたがるのがこの会社の特徴でもあった。

私は表面的には平静を装いつつも、既に心ココ(会社)にあらず…だった。

エリアマネージャーには極力近づかないようにしていた。

懇親会がお開きになってそれで終わりではない。

宿泊先のホテルに移動して、小休止の後で必ず「誰々の部屋に集合」ということになる。

その部屋でも同じようなことが繰り返される。

夜通し皆で集まって何やら話すのだ。

最近は店舗会議があっても泊まりがなかったのでそれがないのは救いだったが、今回は久々の泊まりである。

だから懇親会も、その後のホテル夜通し話もある。

懇親会でもうオナカいっぱいだった私は誰々の部屋集合…へは行かずに自分の部屋にいた。

しかしこの自分の部屋がシングルではないのだ。

店長と一緒のツイン部屋。

結局店長と夜通し話す羽目に…。

会議もイヤだったし懇親会もいるのが辛かったし、やっぱ辞めたい気持ちに変わりはない事を伝えた。

ただ、だからといって辞めてやる!!という気持ちがないのも事実。

そんな話をウダウダとしていた。

皆が集まっている部屋に行って自分を偽るよりも、本音を話せたのはまぁ良かった。

それでも何だかんだで就寝は4時。

 

2002年4月9日 火曜日

ホテルで起床、本部の朝礼に参加するということで8時30分には起きる。

幸いにして少し我々が出るのが遅れたため、本部の朝礼に間に合わなかった。

会議翌日のこの日は休み扱いにしている。

だが、本部から仙台に戻るのが含まれるのでこれが純粋な休みと言えるのかどうか。

本部の朝礼に出るために8時30分に起きなければいけない。

そして仙台に戻るのも先輩社員が一緒。

まっすぐ仙台に戻る訳ではなくて本部の近くにある店をいくつか見学してから戻る。

さらには戻ってからも店に出て、売場にこそ出ないものの事務作業はしなければならなかったし…。

これが休みかぁ?

 

2002年4月10日 水曜日

朝、ケータイが鳴って起こされる。

着信を見ると店長から、時間は9時前。

こんな時間に何だよ…数分後には店で会うじゃねーか。

近頃は大した用でもないのに店長から電話がかかってきて色々と指示されたりすることがあった。

朝起きたばかりなのでチョットうんざりしながら不機嫌に電話に出た。

すると、「お互い疲労が溜まっているので今日はスタッフィングも大丈夫だしお互い休もう。」ということだった。

店長がそう言うのなら、それは大歓迎、突然休みになった。

休みになったので2度寝しようかと思ったが、身体が中途半端に起きかけていた。

少し迷った末に午前中から車で出かけることにした。

事前に休みだと判っていると確実に昼過ぎまで眠っているので、午前中に出かけることなど皆無だった。

特に当てもなく車を走らせていて思いついた、松島へ行ってみよう。

ドライブに適当な距離だったし、近くにあることは知っていても1度も行ったことがなかった。

平日の午前中と言うことで道も空いていてなかなか良し。

松島へ着くと、そこはまさに観光地の典型的な風景だった。

こんな近くに超観光地があったんだなぁ…という感じだ。

何を持って松島と言うのかはよく分からなかったが、海上に島が点々。

イメージしていたよりも何だか狭く感じた。

車を止めて歩こうかとも思ったが、海の近くの駐車場はどこも有料。

海からだいぶ離れた所に無料駐車場があったが、面倒なので海沿いを車で走るだけにしておいた。

遊覧船に乗って島を眺めるのがあるべき観光の姿なのかな。

松島まで行ってウロウロして、飯食って買い物して帰ってもまだ夕方だった。

早く起きる休日ってのも悪くないな。

 

2002年4月11日 木曜日

ローテンションな朝、ハイテンションな朝なんてありえないけど…。

この日から店長自らマニュアルの読み合わせをスタッフに対して行なっていった。

マニュアルには作業手順だけではなく、会社の経営理念や働くことに対する考え方も載っている。

その考え方の部分を店長がスタッフに説いていくのだ。

会社の経営理念、事業活動を通じての地域社会への貢献と全従業員の物心両面の幸福の追求。

それが何たるものかを熱っぽく説く。

スタッフにまでそうした話を浸透させて、社員と同じ気持ちで一緒に店を作っていく云々…

それが会社の考えるあるべき店の姿なのだ。

その一方で、新規スタッフ採用の面接も進んでいた。

この日は私1人で面接をしたのだが、久々にその場で"採用したい"と思える人がきた。

これまでに何度も面接をしてきて、自分の好みが分かるようになってきた。

素直な反応をする人に好印象を持つようだ。

言葉足らずでも変に自分を作ろうとしない人。

面接で少し気楽な話をした時に素直に笑ってくれる人も良し。

大体そういう人だと即決しているような気がする。

即決したいような人がいると、こっちも嬉しくなる。

良い原石が来たー、という感じだ。

それは辞めたい気満々の現在でも変わらなかった。

 

2002年4月13日 土曜日

惰性で仕事を続けているな、と思う。

このままだと自分にとっても良くないな…とは思う。

だけど店は相変わらずスタッフが少なくて現在も採用活動を続けている。

こんな状況で辞めるわけにはいかないし、店自体は好きなのでこの店を辞めたいとは思わない。

ただ、本社の考え方とすると

"人数が少ないとはいえ、既に働く気を無くしているヤツがいると店がマイナスの方向に向く"

ということだ。

どんなに仕事が速くて適確なスタッフでも、後ろ向きの考えや他のスタッフのやる気を無くさせるようなヤツはだめ…というような考え方がある。

私は自店舗にいる限りは、辞めたいとも思っていなかったし、後ろ向きではないと思っている。

でもこの店は好きだけど、会社は…という考え方は社員としては失格だ。

そりゃ誰だって自分の家の居心地が良いはずだから。

 

2002年4月16日 火曜日

前日に求人情報誌にアルバイト募集広告を載せていたのでこの日は朝から面接ラッシュ。

店長が体調不良で休んでいたので、それらを全て1人でさばかなければならない。

そんな忙しい中、お客からクレームの電話が入った。

だいたいのクレームならスタッフが処理できるが、そのお客は責任者を出せと言う。

店長が休みなので私がそれになるんだろうな。

電話に出ると少し気の弱そうな若者の声。

ウチで買った商品が不良品だったと言う。

そういう場合はまず店の在庫を確認して同じものがないかを調べる。

同じものがあったら交換、同じ物がなければ返金という形になる。

但し、レシートがあることが前提。

レシートを捨ててしまったというお客の場合は、お客にその商品の購入日時を聞いてこちらの販売記録と照合する。

そしてお手数ですが…と来店してもらって対処する。

今回のケースだと、同一商品が店になかったので返金ということになった。

「大変申し訳ございませんが、レシートをお持ちになってご来店頂ければ返金致しますが…」

すると口調は相変わらず気弱なのだが、家まで届けに来い、などと言う。

不良品を販売していたこちらに非があるので、断わりにくかった。

今すぐ伺います、と言うと1時間後を指定された。

1時間後にそのお客の家に行った、普通のアパート。

出てきたお客は茶髪だがモヤシのようにひょろっとして電話の印象通り気の弱そうな兄ちゃんだった。

"このガキが…わざわざ呼び出しやがって…"と思っていると、中からもう1人兄ちゃんが出てきた。

こっちは体格もよく、見るからにガラの悪そうな兄ちゃんだ。

「この度は申し訳ございませんでした…」と謝罪を繰り返す。

どうやらモヤシの兄ちゃんが商品を買ったらしく、ガラ悪兄ちゃんはモヤシに呼ばれてきたらしい。

喋るのは専らガラ悪兄ちゃん、モヤシは兄ちゃんの影に隠れている。

商品を返してもらい、こっちも購入金額を返して1件落着…ではなかった。

そのモヤシが「これだけ?店まで車で買いに行ったからガソリン代も払ってよ。」などとぬかしやがる。

何言いやがるこのクソガキが…

「申し訳ございませんが、そこまでは出来かねます…」と平身低頭。

とりあえずこっちは謝り通すしかない。

ガラの悪い兄ちゃんは案外サッパリした奴で「もういいじゃん」と言ったので、モヤシは渋々納得していた。

店に戻る車中でそのモヤシに対して腹が立った。

こっちはすぐ行くって言ったのに1時間後を指定したのもガラ悪兄ちゃんを呼んでいたのか…

粋がっていながら1人だとなんも出来ないヤツなんだな…

どんなに相手に腹が立っても非がこっちにあれば謝るしかないからな、接客業の辛いところだ。

 

2002年4月17日 水曜日

どんなに辞めたい気持ちがあっても、新人スタッフが入ってくると新鮮な気持ちになる。

1から仕事を教えていくことに充実感もある。

ましてや新人が自分が採用した人となると尚更だ。

店の半分以上のスタッフは自分が採用した人なのだから、店の居心地はそりゃ良いはずだ。

こういう部分が働いていて楽しい部分ではある。

しかしそれを補って余りあるマイナス面が多すぎるのだ。

超長時間労働、週1取れれば上々の休み、それを美徳と考えるような会社の体質…

 

2002年4月18日 木曜日

この日も面接ラッシュ。

毎回毎回同じ説明をしなければいけないので結構疲れる。

コイツはダメだな…と思ってもむげに扱うわけにもいかない。

あくまでも"これから採用を検討しますよ"という態度で臨まなければならない。

面接で店に悪印象を持って欲しくないし。

気まずいのは不採用にした人が客として店に来た時。

数多くの人の面接をしたが、だいたい面接をやった人は頭の片隅で何となく記憶しているものである。

挨拶するのも変な感じだし、完全無視するわけにもいかないし…難しいところである。

目が合って、相手も気が付いたようだと「あ、どうも…」と曖昧な挨拶をするくらいだ。

 

2002年4月19日 金曜日

この日は休み、休みにしては早く10時30分には目が覚めた。

特にすることもなく、2度寝して次に起きたのは14時。

いつものようにあてもなくドライブ。

家に買置きの発泡酒がなくなりかけていたので購入。

いつも24本入りのケースで購入していたのだが、今回は6本1パックセットを2つ購入。

ケースで買える自信がなかったのだ。

ケースで買うということは24本買うということ。

基本的に発泡酒は1日1本のペースで飲んでいるので、24本だと24日。

いつ辞めるとも知れないような状況でケースを買うことが出来なかった。

夕方には家に戻り、休みの日の醍醐味、夕方から飲んだ。

休みの日もパッとしないなぁ…。

 

2002年4月20日 土曜日

休み明けは…別に休み明けじゃなくても…いつも憂鬱。

この日は土曜で売場は忙しかったが、アルバイトの面接も大量に入っていた。

この時期は新生活を始める人が多いので、アルバイトの面接も多いのだ。

休憩時間以外は殆ど面接だった。

店長は先日本部に呼ばれて、来期の新卒採用面接をしてきた。

かなりハードスケジュールだったらしく、この日は体調不良で休んでいた。

店長はもともと身体が弱い人で、2月にも自律神経失調症で1ヶ月休職している。

この店の店長になってからもちょこちょこ体調不良で休んでいる。

分かっちゃいるけど、釈然としない。

店長にではなくて、そうならざるをえない会社の体質にだ。

その一方で秋田・青森・仙台を仕切っているエリアマネージャーが自律神経失調症で休職すると言う。

これでその病名になった社員が私の周りだけでも4人目だ。

同期の1人(退職)、駅前店の先輩社員(数ヶ月〜現在も休職中)、今の店長(1ヶ月休職)…

やはりこの会社はヤバイよ…

 

2002年4月22日 月曜日

朝やる気がないのはいつものこと。

入社した直後から長時間労働と休みの無さに直面していたので、最初から仕事に対してやるぞ!って思えない。

そう思えたのは駅前店開店の時や、店長になったばかりの頃…数えるくらいしかない。

しかし店に行って特に自分が採用した人達と働いているとそれなりに楽しい。

自店舗で過ごした1日が終わって家で飲んでいるときなんかも今日も何とかなったなぁ…って思えるし。

 

2002年4月23日 火曜日

翌日は休み、店長がついてからは結構しっかりと休めるようになっている。

週1ではあるけれど、しっかり休みが取れるのは良い。

休みの日にかかってくる電話も店長から以外にはなくなったし平和になった。

 

2002年4月24日 水曜日

休み、昼過ぎまで寝る。

ドライブして天気が良かったのでなんとなく海でも見に行くか、と適当に海と思われる方向へ車を走らせた。

何やら海岸ではなくて、フェリー埠頭に辿り着いた。

埠頭のはじっこまで車が進入できて、"1人で悩まずに相談しよう"みたいな自殺防止のメッセージが書かれている看板があった。

海を見てもフェリー埠頭なので何だか工業地帯っぽくて特に何も感じる所はなかった。

夕方には帰ってやはり酒飲んで寝て起きて食って飲んで寝て…。

特に何もしてないんだよな…

1日しかない休みで何しろってんだよ…ってのは何もしていない自分への言い訳だろうな。

 

2002年4月25日 木曜日

店長が東京の店の手伝いに駆り出されたので私が店を回すことになった。

現在の自分はかなり楽な立場にいる。

経験はあるので店を回すことなど容易だし、スタッフは皆知った仲。

売上などの数字的な部分は店長が見てくれる。

私はただ店を回して店長のフォローをすれば良い。

でもこのままでは社員としてはダメなことは分かっている。

かといってまた1人でやるほどの自身も実力もやる気もない。

この会社にいる限り、店長とはどういうものか…というのが分かっていた。

ゴールデンウィークが明けた頃には、また真剣に考えなければいけないと思っていた。

 

2002年4月26日 金曜日

やる気がないから店に行きたくなくて朝が辛いのか。

朝が辛いからやる気が出なくて店に行きたくないのか。

ただ疲れているだけなのか…

疲れの理由はやる気がないからなのか…

疲れの理由は単純に労働時間の長さなのか…

辞めればそれで楽になるのか…

4月でまた長くやっていたスタッフが辞める。

自分も常にそれは考えている。

でも店が落ち着かないままいなくなるわけにはいかない。

かといって店が落ち着くってのは何を指していえるのか。

…こんな気持ちだから翌朝辛いのか。

翌朝辛いからこんな気持ちなのか…

 

2002年4月27日 土曜日

世間ではゴールデンウィークに突入。

普通の人(?)は連休になるが、普通の人が連休イコール我々は連勤である。

忙しい土日祝は出ないわけにはいかないのだ。

世間のゴールデンウィーク分の連休を代わりに平日に取れる訳ではないし…

小売業ってのは殆どがそうなのかな、まぁコノ会社はそうでなくても特別だとは思うけど。

 

2002年4月29日 日曜日

月曜日で祝日、やはり忙しい。

東京の店舗の手伝いに行っていた店長が戻ってくるも体調不良。

具合悪いんだったら出てこなきゃいいのに…

気持ちは分からないでもないが、見ているコッチが気を遣ってしまう。

 

2002年4月30日 月曜日

月末最終日、4月まで持ってしまった…。

ゴールデンウィークの中日ということもあって、それほど忙しくはなかった。

この日でまた長くやっていたスタッフが退職した。

ちょうど私と入った時期が一緒で、年齢も同じだったのでよく喋った人だ。

大学を卒業して、実家を継ぐために帰るという。

就職活動をするか実家を継ぐかでだいぶ迷っていて、今でも悩んだままとりあえず実家の手伝いをするという。

私も早く決断しないとズルズル続いていきそうだな。

夜に駅前店店長と、山形・庄内エリアのエリアマネージャーが店に来た。

飯食いに行くから…ということで呼ばれてしまった。

その席で言われた「いつまで給料泥棒やってんの?」

確かに現在の私は社員として相応の働きをしているとは到底思えなかったが、カチンときた。

うるせーな、だったらサッサと辞めさせろよ。

店に戻って棚卸しの入力作業。

翌日からまた月次決算作業、月初書類作成…いつもの月初がいつものように始まるわけだ。

 

2002年4月 出勤日数26日 休日4日(含・会議帰路)

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