ヨーロッパ旅日記
後編

Poland〜Czech Republic〜Austria〜Italy

 

2月7日 ポーランド・クラクウ〜チェコ・プラハ

この日の夜行列車でチェコ・プラハへ向かう。

夜行が出るのが22時40分、だからそれまでどうにかして時間を潰さねばならない。

時間を潰す第一の策、ホテルのチェックアウトギリギリまで部屋にいること。

というわけで朝はゆっくり眠って、ギリギリまで部屋にいることにした。

しかしどうも私は普段と環境が違うと朝寝坊が出来にくい体質なのか、割と早く目覚めてしまった。

家でだったら平気で昼過ぎまで眠っていられるのに。

それに比べて相方はほっとけばいつまででも眠っていそうなほどよく眠っている。

なんか知らんけど無性に腹が立った(かなり理不尽な怒りだが…)。

起きてしまったものは仕方ない、ということで今後の予定を考えた。

ガイドブックを読むと昔クラクウにはユダヤ人地区(ゲットー)があったらしい。

そしてクラクウのユダヤ人地区は映画シンドラーのリストの舞台になった場所だという。

時間はタップリあるのでそのユダヤ人地区があったというカジミエーシュ地区へ行ってみることにした。

こっちがガイドブックを読んで勉強(?)しているにも関わらず相方はいつまでも眠っている。

なんか無性に腹が立った(これも理不尽な怒りか…?)

 

11時過ぎにホテルを出てクラクウの街をぶらつく。

2月1日のパリ以来、久々に晴れた日になった。

この日のテーマはいかにして夜行列車の発車時刻まで時間を潰すか、ということ。

まずは歩いてユダヤ人地区があったというカジミエーシュ地区へ。

クラクウ中心地から歩いてヴァヴェル城を越えてさらに歩いた所にある。

昔ユダヤ人地区があったというだけで現在はこれといってシンドラーのリストの何があるわけではなかった。

ユダヤ博物館やユダヤ人共同墓地などはあるらしいがよく分からなかったしあまり興味もなかった。

シンドラーの工場もあったらしいのだが、地図が途切れていて場所がよく判らなかった。

そういえば私も映画シンドラーのリストは見たが、長ったらしくてあまり面白く感じなかったのを覚えている。

上下2巻のビデオで早く終わらないかなとばかり思って見ていたような気が…。

あまり実りのなかったカジミエーシュ地区見物を終えて腹も減ってきたので飯を食うことに。

ガイドブックに載っていたポーランド料理を出すという店へ行ってみた。

これまでの旅での飯は常に肉料理ばかり食べてきた。

メニューを見て外国語で書かれていても肉を表わすsteakやchickenなどは読めてしまう。

だからどうしても無難に肉料理と思われるものを頼んでしまっていた。

しかし今回入った店ではメニューにfishという文字が。

たまには肉ではなくて魚を食おう、と一大決心。

しかしfishの文字しかわからないので何の魚かは全く分からない。

fishの欄に書いてあったメニューから適当な値段の所を指差しで注文。

ついでに安かったのでスープも頼んでみた、もちろんビールも。

そして出てきた魚料理…見た目からして不味そう…食べてみて不味かった…

冷たい魚料理なのだ。

酢漬けにでもした魚を豆みたいなものと混ぜて変な黒いソースがかかっている。

一緒に頼んだスープもなんか変な甘いスープで不味かった。

不味くて食えないって程ではなく、慣れれば食べられるが美味しいとは絶対に言えない。

ビールが美味かったのだけが唯一の救い。

魚料理食ってビールで流し込むという感じでなんとか完食。

やはり得たいの知れない料理は頼むものではないと実感。

無難に肉料理にしておけば良かった、ポーランド料理ってこんなもんじゃないよな?

店内も空いていたので飯を食い終えてもしばらくそこで時間を潰してから店を出た。

 

あてもなく歩いていると最近日本に進出した大手外資系スーパーの看板を発見。

3.5km→との表示、3.5キロなら歩ける距離だから行ってみることに。

ところがその看板を見たのは1度だけ。

なんとなくこっちだろうという感じで歩いていたので全然目的地に着かない。

道を歩いていた大学生風の女性に英語で声をかけて道を聞いてみると、

「歩いて行くには遠い、バスを使った方が良い」と言われてしまった。

バスを使ってまで行きたくもないので結局引き返した。

途中の地元スーパーで缶ビール2.5ズォティ(≒85円)とつまみを買ってクラクウを流れるヴィスワ川沿いへ。

ヴィスワ川沿いのベンチに座り、缶ビールを飲みつまみを食う。

天気も良かったので川沿いのベンチはなかなか気持ちが良い。

犬の散歩をしている人、小さな子供を連れた家族、ジョギングをしている人。

日曜日でもないのに結構色々な人達が川沿いの道を歩いて行く。

クラクウでは殆ど東洋人を見なかった、だから我々東洋人は珍しいのだろう。

川沿いを歩く人はチラチラこちらを見て行く。

珍しい東洋人が川沿いのベンチで昼間からビール飲んでるのが珍しいのだろうか。

こっちも異国で川沿いを歩く異国人を珍しげに見ているのでお互い様といったところか。

夕方、陽が傾いてきたらだんだん寒くなってきたので歩くことに。

昨日と同じだがヴァヴェル城へ行って何もせずにベンチで休憩。

ところが17時なると警官みたいなのが出て来てどうやらもう終わりなのか敷地から出るように言われた。

だいぶ外は暗くなってきた、それでも残り時間はあと5時間以上もある。

暗くなってきてから人気のないところへ行くのは少々恐かったので街の中心部へ。

少し晩飯には時間があったので早速インターネットカフェで時間を潰すことにした。

昨夜行った所よりも安い1時間3ズォティ(≒102円)のネットカフェへ行き1時間を過ごす。

だいぶ腹も減ってきたのでガイドブックに載っていたレストランへ行ってみた。

すると店内は結構混雑していて店員に「Sorry it's full.」と言われた。

しかし2人が座れるくらいの席は空いていた。

その店員は我々の顔を見るなり満席だと言ったし…

日本人に対する嫌がらせか(考え過ぎかな)。

仕方ないのでまた適当に歩いて目に付いた店に入った。

そこの店も混雑していたが、「Please wait here.」と言って席を探してくれた。

さっきの店とは大違いだ。

外は暗いので外で時間を潰すのは危険が伴う、レストランでいかに時間を潰すかが重要になる。

昼飯の教訓から無難な肉料理を注文。

セットメニューで「potato or rice?」と聞かれたので「rice」と答えた、久しぶりに米が食える。

ところが出てきたライスは米にあらず。

いや、米なのだろうが我々日本人が食べる米より遥かに不味い、パサパサだった。

肉料理は無難な美味さだったけどあの米は頂けなかった。

ソースかけてどうにか食ったという感じだ。

時間を潰すためには飲むしかないという短絡的考えからビール(500ml)を3杯。

昼飯時(500ml)、昼過ぎのヴィスワ川のベンチで500ml、晩飯時500ml×3杯…

この時点で2.5リットルも飲んでいることになる。

結局そのレストランでは2時間30分も時間を潰すことに成功。

レストランを出てインターネットカフェに直行、1時間を過ごした。

ネットを軽く見た限りだと日本ではどうやらあまり大きなニュースはなかったようだ。

22時過ぎ、インターネットカフェを出てクラクウ中央駅を目指す。

バスやトラムの乗り場の人ごみには怪しげに見えるヤツもいて少し恐い感じもした。

急ぎ足で歩き、クラクウ中央駅へ無事に到着。

我々の乗るべき夜行列車は既にホームに到着していた。

列車の前に立っていた駅員に乗車券を渡して列車に乗る。

1等の寝台は2段ベッドがある個室でしっかり鍵もチェーンもかけることが出来たので一安心。

22時40分過ぎ、夜行列車はチェコ・プラハへ向けて動き出した。

列車が動き出すとクラクウのスーパーで買っておいた缶ビールを飲む。

実にこの日3リットル目となるビールだった。

 

私の中でこの旅でもっとも不安視していたのがポーランド・クラクウだった。

やはり旧共産主義圏というイメージが恐かったし、唯一首都ではない所へ行くというのにも不安があった。

だからポーランド・クラクウを出てチェコ・プラハまで無事に到着できれば後はどうにかなるだろうと考えていた。

チェコも旧共産の国だがプラハと言うと綺麗な街並みのイメージがあり、なんとなく安全と考えていた。

そしてクラクウ〜プラハまでの夜行列車に無事に乗れたことにより、旅の1つの山場を越えたと認識した。

 

2月8日 木曜日 チェコ・プラハ

夜行列車内、熟睡していると突然個室のドアがドンドンと叩かれる。

時計を見るとまだ真夜中の1時、チェーンはしたまま鍵を空けて隙間から顔を出すと軍人が立っている。

半分眠っていたのでチョット驚いたが、すぐにパスポートチェックだと分かった。

別に何の問題もなくパスポートチェックを終えた。

それにしてもこんな真夜中に容赦なくパスポートチェックとは、なんだか乱暴な感じだな。

朝の7時少し前、車掌がサービスの紅茶とパンを持って来たのでそれが朝食。

7時30分過ぎにチェコ・プラハ本駅に到着、天気も良かった。

ここへ来てどうやら天気は持ち直してくれたらしい。

 

プラハは相方が行きたいと言っていたので今回こうして来る事になった。

これまではどの都市でも私が地図を持って行く所とルートを決めていた。

しかしこのプラハは相方が希望した都市でもあったので全てを相方に任せた。

プラハへは朝着いたので今日1日観光が出来る。

だからプラハは1泊にして翌朝には次の目的地であるオーストリア・ウィーンへ行くことにしていた。

朝から丸1日観光できれば充分だと判断したのである。

プラハ本駅を出てすぐのところにヴァーツラフ広場がある。

プラハの春やビロード革命で有名な広場である。

この広場は私の希望でルートに組み込んだ。

大学の授業でビロード革命の後にこの広場に集まる大勢の人々の姿をビデオで見たことがあったのでプラハに来たら見てみたいと思っていた。

実際は広場というよりも大通りといった方がしっくり来るような所。

「はぁこんな所だったのか」という印象、なんかイメージと違った。

ヴォーツラフ広場
朝のヴォーツラフ広場、後ろの立派な建物は国立博物館

次に向かったのは旧市庁舎広場。

ここにあるカラクリ時計が有名らしく、毎正時になると人が大勢集まってその時計を見ると言う。

我々がその旧市庁舎広場に着いたのは8時20分頃。

次の正時は9時、どうせだからそれまで待ってみようということに。

まだ朝の旧市庁舎広場は人も少なくのどかな感じ。

9時に近くなってくるとポツポツだが人が集まり始めた。

さすがに朝の9時だとあまり人は集まらないようだ。

そして9時…鐘の音が鳴り、カラクリ時計の窓が開きキリスト12使徒の人形が出てきて、最後に鳩が鳴いて終了。

こう書くと何だかよく分からないだろうが、実際はかなり大したことない。

12使徒の人形が出てくると言っても実際は12使徒が窓の奥で一周するだけ。

おぉ?!と思うような仕掛けはなにもなかった。

数人しかいなかった見物人から拍子抜けの空気が辺りに漂った。

エッ?!終わり??というのが第一の感想、相方と2人で苦笑いだった。

いかにも凄いことのようにガイドブックに書いてあったから…

あれは大したことない、でもその大したことなさを見るのも楽しいかもしれない。

見物人と一緒に落胆し苦笑いできるし。

違う意味で楽しめた旧市庁舎広場を出ると両替商も開いていたので両替、1チェココロナ≒3.5円。

プラハ最古の石橋で観光スポットのカレル橋を渡ってプラハ城を目指す。

歩行者天国の橋で観光客やストリートパフォーマーで賑わう橋らしいが午前中と言うこともあり、閑散としていた。

プラハ城は小高い丘にあり、行くには坂を登っていかなければならない。

結構寒かったはずなのに坂を登り、階段を登るとかなり暑くなり汗をかいた。

少し高いところにあるので見える景色はなかなか良かった。

プラハ城正門前のベンチで休んでいるとちょうど10時で衛兵が交代する時間だった。

プラハ城内の方から3人の兵士が一定のリズムでゆっくりゆっくりと行進してくる。

そして衛兵を交代して交代された衛兵が一定のリズムでゆっくりゆっくりと行進して戻って行く。

厳粛な儀式なのかもしれないがなんだか滑稽に見えてしまった。

プラハ城正門前では団体観光客が結構いた。

我々もプラハ城へ入ってみることに。

城の衛兵はまさに微動だにしないという感じ。

団体観光客が勝手に衛兵の横に並んで写真を撮るときでも衛兵は微動だにしなかった。

だが目線はキョロキョロしていた、体は殆ど動いていないのでその目の動きがかなり不自然だった。

プラハ城敷地内も観光客がいっぱい、日本人もいた。

城内には有料入場施設もけっこうありそうなのでそれには入らないように気を付けながら敷地内を歩いた。

有料と知らずになんとなく教会の内部に入ったら団体客に紛れて金を払わずに入れていた。

中に入ってから窓口があったのを見つけて実は有料だったことに気が付いた。

東洋人は目立ちそうで何か言われたら厄介なのですぐに出た。

来た時とは違う坂を降りてプラハ城から出た。

正門ではない門から出たがここにも衛兵がいた。

ここにいた衛兵も微動だにしなかったがやはり目だけは動いていた。

するとその衛兵に西洋人のオバちゃんが話しかけた。

衛兵もちゃんと受け答えしている、どうやら話すのはOKらしい。

微動だにせずただ立っているだけの役かと思った。

 

少し時間は早かったが朝飯も早かったので腹が減ってきた。

どこで飯を食うかはあらかじめガイドブックを見て決めておいた。

プラハで最も古いというビアホールがあるらしいのだ。

プラハ城からは結構距離があったが歩いてそのビアホールへ。

地図を頼りにそこはすぐに見つかった。

建物はかなり古そう、昼飯時には少し早かったので店内は空いていた。

案内されて席に着いただけで店員は「Two beer?」と聞いてきた、さすが分かってるねー。

この店はアルコール度13%の特製黒ビール(40チェココロナ≒140円)が名物らしいのだ。

すぐに出てきた黒ビール、パッと見ても泡がクリーミーなのがすぐ判る。

いざ飲んでみると、まずはクリーミーな泡がとても美味い。

そして黒ビール、これまで黒ビールと言うと苦いというイメージしかなかったのが一新された。

苦さを感じる前に砂糖を焼いたような、カラメルのようなほのかな甘さを感じてそれから絶妙な苦味がくる。

最初の甘さが見事にコクを出していてそれにより苦味が引き立ち、ただ苦いだけではなくなる。

アルコール度13%らしいのだがそんな感じは全然しなかった、本当に13%もあったのだろうか。

まぁそんなことはお構いなし、とにかく美味いビールだった。

黒ビールを美味いと感じたのは初めてだった。

そのバーでビールと一緒に飯も食って充分に満足してそのバーを出た。

そろそろこの日の宿と明日の目的地オーストリア・ウィーン行きの乗車券も買わないといけない。

両方を同時に遂行するには駅へ行けば良い。

駅へ行って切符を買って、インフォメーションでホテルを紹介してもらえば良いのだ。

そんなわけでプラハ本駅へ戻った。

プラハ本駅でチェコ・プラハ〜オーストリア・ウィーンへの切符を買う。

我々の持っているユーレイルパスはオーストリア国内では使用することが出来る。

だから我々はチェコ国内のみの乗車券があれば良いのだ。

そのことを英語で窓口の兄ちゃんに説明、乗車券を発券してもらった。

この乗車券、ただの乗車券で車両番号や席番号が記載されていない。

どうやら我々がウィーンへ向かうために乗る列車は特急列車ではないらしい。

しかし国境を越える列車が特急でないなんてどうもおかしいような気がした。

その事を確認する為に窓口で聞いてみると「そのチケットで大丈夫だ」としか言わない。

窓口とインフォメーションの両方で聞いたが大丈夫だと言うのでまぁ大丈夫なのだろう、大丈夫かな…

そのプラハ本駅の乗車券売り場で日本人バックパッカー(男)が話しかけてきた。

某R大学の4年生で卒業旅行だと言う。

パリで会った女の子以来久々の日本人との会話。

そういえばパリの女の子も大学4年の卒業旅行だって言っていたな。

某R大の彼はなんとなくプラハに来たが持ってきたガイドブックにプラハが載っていなかったらしい。

我々はチェコのガイドブックを持っていたのでそれを見せてあげたのだ。

彼はフランスからヨーロッパ入りしたようでイタリアから出ると言う。

これまでユースホステルを転々としてきて、プラハでもユースホステルに泊まるつもりらしい。

ユースホステルは値段がかなり安いのが魅力。

しかしあまり綺麗なイメージがなく、相部屋とかも煩わしいと思えてしまう。

某R大の彼が言うには先日泊まったユースホステルは24人部屋だったと言う。

私はよほど切羽詰らないとユースホステルに泊まる気はしないな。

日本のカプセルホテルとかは大丈夫なくせにユースホステルはなんか敬遠してしまう。

某R大の彼と少々の世間話をして、そこで別れた。

我々はホテルを紹介してくれるインフォメーションへ行って英語で交渉。

駅の近くで2000チェココロナ(≒7000円)くらいで良い所はないか、と。

するとヴァーツラフ広場からすぐの所にあるホテルが予約できた。

駅を出てそのホテルを目指して歩く。

するとヴァーツラフ広場近くで先程会ったばかりの某R大の彼と再会した。

彼は地図を広げて歩いていたのだが、我々を見るとホッとしたような表情を見せた。

「迷っちゃったんですよ。もう1回ガイドブック見せてもらっても良いですか?」、と。

迷っちゃったって、ここ大通りだぞ…

一緒に地図を見て多分この道を曲がれば目的地に着けると思う、ということを教えてあげた。

そこで彼とは別れたが、大丈夫かな彼…

そういえば彼、次はスロバキアへ行くって言っていたので、「スロバキアへ行くにはビザが必要だよ」ってコトを教えたら「え?そうなんですか?」だと。

本当に大丈夫かね、彼…

我々よりも無計画だな、旅の無事を祈るよ。

彼は最悪野宿も覚悟して寝袋も持って来ていたようだけど。

我々は気を取りなおしてホテルへ向かう。

外観はどう見てもホテルに見えなかったので建物の目の前に来ていたのにホテルが分からなかった。

近くの本屋さんに入って店員さんに道を聞いてようやく場所が分かった。

外観はホテルっぽくなかったのにチェックインして入った部屋はこれまでで最も良いと思える部屋。

ビジネスホテルのような部屋ではなくてリビングルームのようにしっかりした部屋。

ソファやダイニングテーブルみたいなのも置いてあった。

これで2000チェココロナ(≒7000円)ってことはやはり物価が安いんだろうな。

もっと安いホテルにしても良かったな。

 

既に帰国まで1週間を切っていた。

そろそろ航空券のリコンファームをしなければならない。

リコンファーム…予約の再確認。

航空会社に「帰りの飛行機にちゃんと乗りますよ」ということを連絡しなければならないのだ。

ツアーだと旅行代理店が勝手にやってくれるのだが個人旅行だと自分でやらなければならない。

リコンファームを忘れると最悪の場合だと予約が取り消されて帰れなくなってしまう恐れもあるのだ。

リコンファームの方法は航空会社のオフィスへ行くか、電話をするかである。

プラハに大韓航空のオフィスがあるのかどうかは判らなかったのでホテルの部屋から電話をすることにした。

イタリア・ローマから帰国するので大韓航空のローマオフィスまで国際電話をかけなければならない。

ホテルのフロントへ行き、国際電話のかけ方を聞いてみる。

外線番号を押して国番号を押して電話番号を押す、という方法らしい。

ところが部屋に戻っていくら電話をかけようとしても繋がらない。

受話器の向こうでプープー言っているだけなのだ。

どうにも電話がかからない、どうも外線にすら繋がっていないような感じも。

もう1度フロントへ行って電話のかけ方を聞くのもなんだか面倒臭かった。

リコンファームは3日前までにすれば良いというからそんなに急ぐ必要もない。

色々調べているとどうも明日行く予定のウィーンに大韓航空のオフィスがあるという。

一向に電話が繋がらないし、もうウィーンのオフィスでリコンファームすることにした。

しかしどうやったら国際電話がかかったんだろう。

電話相手に苦戦しているうちにいつのまにか眠ってしまい、起きたら既に外は暗い。

相方によるとプラハの夜景が美しいらしいと言う。

それならば飯を食いに行きがてら小高い所にあったプラハ城へ行ってみることに。

夜でさすがに人が少なかったプラハ城へ続く道、相変わらず坂と階段は疲れる。

城はさすがにもう閉まっていたが、夜景が見える所には観光客がポツポツいた。

ところが期待していた夜景はそれほどでもなかった。

まぁ普通の夜景?特筆すべき点はそれほどなかった、残念。

晩飯はプラハ城下にあった生ビールが飲めそうなレストランへ。

ここでもビールは美味かった。

どうもチェコのビールは泡に特徴があるようで実にクリーミーな泡だった。

ここで食べた料理は相変わらず適当に注文したのだが、どうやらコース料理だったらしい。

スープ、サラダ、メインディッシュの後になんとデザートまで出てきた。

デザートはパフェみたいなもの、パフェなんて食ったのいつ以来だろうか…。

食後、夜のプラハを歩く。

ちょうど20時になる頃に朝見たカラクリ時計のある旧市庁舎広場へ来た。

結構多くの観光客がカラクリ時計の前で20時なるのを待っていた。

せっかくこの時間に来たのだからまたあの期待外れカラクリ時計を見ていくことに。

そして20時、鐘が鳴り12使徒が回って鳩が鳴く…

それが終わると広場がザワザワ、失笑も起こる、「finished?」と言う声も聞こえた。

あの空気はなかなか面白い、あぁいう空気は万国共通なんだということが分かった。

ホテルへ戻って翌朝7時10分発の列車に乗らなければならないので早めに就寝。

 

プラハは天気もまぁ良かったし、ある程度のものは見た。

何よりもビールが黒も白も美味かった、ドイツを越えたよ。

確かに街並みは綺麗。

趣のある建物がいっぱい、カレル橋からプラハ城付近が良いと感じた。

旧共産主義国だけにやはりまだ物価は安く感じた、ホテルなんてあの値段にしてはとても良かったし。

カレル橋やプラハ城など観光地が結構あるので日本人も街中でチョコチョコ見かけた。

 

2月9日 金曜日 チェコ・プラハ〜オーストリア…

ホテルは朝食付きだったのだが、朝食は7時から。

我々の乗る列車は7時10分発、必然的に朝飯は食べられない。

まだ夜も明けきらぬ暗いうちにホテルを出てプラハ本駅へ。

我々の乗る列車がどれなのかが判らない。

駅構内の掲示板にウィーンの文字がないのだ。

インフォメーションへ行き、ウィーン行きの列車に乗りたいと言うとプラットホーム番号を教えてくれた。

そのプラットホームへ行くも列車は止まっているがウィーン行きとは書いていない。

プラットホームで悩んでいると旅行者風の西洋人が「どうした?」みたいに話しかけてきた。

ウィーンへ行きたいのだが、と言うと「それならばこの列車の前の車両だ」と教えてくれた。

その旅行者の彼に礼を言い彼の言葉を信じてその列車の前の車両に乗り込んだ。

不安を残したまま7時10分に列車は発車。

どうやらこの列車は指定席の列車ではなくて自由席の列車。

しかも席は個室の中に4人がけの席が向かい合わせになっているコンパートメント方式。

朝早い列車だったので空いていたのが良かった。

しばらくすると車掌が乗車券の検札に来た。

乗車券を見せた際に車掌に聞いてみた「この列車はウィーンへ行くか?」と。

すると「ウィーンへ行くならこの車両ではなくてもう2つ後ろの車両だ」と言う。

車両によって行く所が違うのか?とにかく車掌の言うことを信じて2つ後ろの車両へと移動した。

そこの個室席内には既に1人オジさんが座っていたが、他に座るところもないのでその個室内にお邪魔した。

朝が早かったのですぐに眠ってしまった。

とはいえ見知らぬオジさんがいるので置き引きをされないよう荷物に手を添えながら眠った。

あまりあからさまに荷物を抱えて眠るとオジさんの気も悪いかなと思ったのだ。

結局そのまま列車内で眠っていると、どこかの駅で駅員に起こされた。

「Change train.」と言われた、どうやら乗り換えをするらしい。

言われたままにその駅で降り、違う列車に乗り換える。

しかし乗り換えろと言われて乗ったその列車はどう見てもローカル列車、なんと2両編成なのだ。

何かおかしいような気がした。

オーストリアの首都ウィーンへ行く列車がこんなローカル線なのだろうか。

鉄道時刻表を調べてみてもその時刻表に載っていない駅にばかり止まっている。

まずい、一体どこへ行くというのだ。

入念に鉄道時刻表を調べた結果、どうやら我々は乗り換えさせられた駅の1つ手前の駅で乗り換えるべきだったらしいことが判ってきた。

そして現在乗っているローカル線はどうやらオーストリア第2の都市ザルツブルグへ行くらしいことも判った。

乗り換える駅を間違えたと言うことだ。

しかしそもそも乗り換えが必要だったということすら知らなかった。

だからなるべくして陥った最悪な状況ということになる。

さらにその状況を悪化させるような出来事、どこぞのローカル駅で酒臭い酔っ払いが乗ってきた。

大きな声で何やら愉快そうにわめきながら何か1人で喋っている。

我々の横を通り過ぎただけで強烈な酒臭さ、ホームレスのような風貌。

明らかな東洋人顔の我々がいつからまれるかと気が気でなかった。

迷惑な酔っ払いと言うのも万国共通。

こっちはどこへ行くか判らない不安もあり、その酔っ払いに対してかなりイライラしていた。

これまでの状況を整理すると、列車を間違えていることは明白。

そして恐らくこの列車はザルツブルグへ向かっている。

こうなったらもう腹をくくってこのままザルツブルグへ向かうことにした。

ザルツブルグはモーツァルトが生まれた街ということで観光都市である。

観光都市ならば滞在するのに特に問題はないであろう。

それならばザルツブルグで一泊して、そこからイタリア入りすることにした。

時刻表を調べてイタリア行きの列車の有無を調べる。

どうやらザルツブルグからでも巧くイタリアへ入国する列車はある。

あとはザルツブルグのホテルから帰りの飛行機のリコンファームをすればなんとかなる。

頭の中で冷静に状況把握し、今後の予定を練り直すことによって最悪な状況からどうにか脱出しつつあった。

これでどうにかなりそうだと思うとだいぶ落ち着くことが出来た。

どこかの駅でどうやらオーストリアとの国境らしく、軍人がパスポートチェックに来た。

いつものように問題なくチェック終了。

ただその酔っ払いは何か問題があるのか案の定手続きに手間取っていた。

その酔っ払いはしきりにザルツブルグと叫んでいたのでどうやらザルツブルグへ行くのは間違いないようだ。

パスポートチェックを終えるとまたどこかのローカル駅で降ろされて「Change train.」だと言う。

そこのローカル駅で待っていたのはちゃんとした近代的な特急列車。

良かった、かなり安心した。

これでどうやらザルツブルグへ行けそうだ。

ローカル線にいたあの酔っ払いもどうやら乗って来ていないようなので良かった。

安心してその特急列車で眠っていた。

 

しばらくすると車掌の検札で起こされる。

オーストリアはユーレイルパスが使えるので検札は問題ないはずだった。

車掌に「どこまで行くのだ?」と聞かれたので「ザルツブルグ」と答えると、車掌は怪訝そうな顔をする。

そして「ザルツブルグへは行かない、この列車はホニャララ行きだ」と言う。

なに、ザルツブルグへ行かないだと?!

車掌に「ザルツブルグへ行くならとりあえず次の駅で降りてザルツブルグ行きの列車を待て」と言われた。

そして次の駅で降ろされた…

駅の周りには民家しかない…

鉄道時刻表を念入りに調べてもその駅の名前はドコにもない。

ホームに駅員はおらず、改札すらなく、切符売り場にも誰もいない。

切符売り場の横にドアがあって開けてみるとようやく駅員が1人だけいた。

ザルツブルグへ行きたいというとザルツブルグ行きが来るのは1時間後くらいだと言う。

途方に暮れた、恐らくその列車に乗るとザルツブルグ着は夕方頃になってしまう。

それからホテルを探し、さらにリコンファームもしなければならない。

しかし時間が遅いとリコンファームが出来ないかもしれない、オフィスに電話しても誰もいないかもしれない。

国際電話のかけ方もいまいちよく分からないし。

リコンファームが出来なければ帰国することが出来ないかもしれない。

さらに我々は現時点でオーストリア通貨を一銭も持っていない。

ザルツブルグへ着いて両替に時間を取られない為にも駅の近くに銀行がないかどうか駅の周りを歩いた。

しかし銀行どころか商店すら見当たらない。

本当に民家しかない駅だった…どうしようもなかった。

1時間後のザルツブルグ行きを待つしかないかと諦めかけた。

駅の待合室にその駅の時刻表が貼ってあった。

確かにザルツブルグ行き列車が来るのは1時間後。

駅の時刻表と我々が持っていた鉄道時刻表を照らし合わせて見てみる。

現在いる駅は我々の持っていた鉄道時刻表には載っていないが、その近くの駅は乗っていた。

するとどうやら多くの列車が出ているターミナル的な駅が現在いる駅の近くにあるらしい。

数分後に現在いる駅からそこのターミナル駅へ行く列車が来る。

そしてそのターミナル駅からはウィーン行きの列車も出ていることが判った。

現在いる何もない駅で1時間もザルツブルグ行きの列車を待つよりも、数分後に来る列車に乗ってターミナル駅へ行ってウィーン行きの列車に賭けてみることにした。

そう決断して数分後に来た列車に乗ってそのターミナル駅であるLinz駅へ。

Linz駅からウィーンへ行く最も早い列車に乗れば16時42分にウィーンへ着くことが判った。

その時間ならばもしかしたらウィーンにある大韓航空のオフィスもまだ開いているかもしれない。

少しだけ希望が見えてきた。

ウィーン行きの列車が来るまで少し時間があった。

Linz駅は結構大きなターミナル駅なので駅構内に銀行もあった。

だんだん狂った歯車が元に戻ってきたような気がしてきた。

レートなどもはやどうでも良い、そこの銀行で両替をした。オーストリア通貨・1シリング≒8円。

インフォメーションでウィーン行きの列車のプラットホームを聞いてそこで待つ。

そこで待望のウィーン行きの列車にようやく乗れた。

ちゃんと列車にもWienの文字が…

始発の駅ではなかったので既に列車内は満席。

個室が並んでいる車両の通路に立っていることにした。

ウィーンまで2時間かかるらしいが、これまでのことを思うと通路で立つ事などなんの苦にもならなかった。

ところがトラブル発生。

相方が駅で買ったジュースを開けた途端に中の炭酸が吹き出てジュースが床にタップリこぼれた。

通路の横は個室になっていたのだが、個室の中にいた家族が物珍しそうに我々を見る。

母親と中学生くらいの息子1人と娘が2人。

こぼれたジュースを拭く相方をニヤニヤ笑いながら見ている、かなり感じが悪いガキどもだ。

東洋人と言うだけで珍しいのに目立つことをしてしまったからより注目を集めてしまったようだ。

その通路には椅子が収納されていて、その椅子を出せば我々も座ることが出来た。

しかし椅子を出して座ると、ちょうどそのガキどもの個室と向かい合わせに座るようになってしまうのだ。

だから敢えて椅子に座らずにガキらに背を向けるようにして立って車窓を眺めていた。

しばらくすると個室の中から娘が出てきて英語で私に話しかけてきた。

ところがその娘、なんだかこちらを小馬鹿にしたような微笑を浮かべて話しかけてくる。

どうも何故我々が収納されている椅子を出して座らないのかが不思議らしい。

クスクス笑いながら「何で座らないの?」と聞いてきた。

「お前らの顔を見たくないからだよ。」というのが本音だが「窓の外の景色を見ているんだ」と言ってあしらった。

するとクスクス笑って個室へ戻って行った。

どうもこちらを小馬鹿にしているような印象を受ける。

相方がジュースをこぼした時にそれをそのガキ共がニヤニヤ見ていたのが伏線になっているのだが…

少しするとその娘がまた個室から出てきて、「疲れないのか?」みたいに質問をする。

ノープロブレムだ、と言うとまたクスクス笑って個室に戻る。

何か英語で返すとクスクス笑うのだ、どうにもからかわれているような感じがしてイライラしていた。

またその娘が個室から出てきて英語で何事かを言ってきた。

こっちももう英語で返すのはやめようと思い、日本語で言ってやった

「からかってんのか?もうイイよ、戻れ。」

すると首をかしげて個室へ戻って行った。

言葉はもちろん判らなかっただろうが、こっちが不快に思っていることは伝わったらしい。

それ以降その娘が話しかけてくることはなかった。

チョット大人気なかったかな…でも腹立ってたんだもん。

そんなトラブル(?)を乗り越えて16時40分過ぎにオーストリア・ウィーン西駅に到着。

遠かった、実に遠いウィーンだった…

プラハから最初の予定通りに行っていればウィーン到着は13時だったのに…

一時はザルツブルグへ行く予定だったのが当初の予定通りに無事ウィーンに到着することが出来た。

ローカル線内でザルツブルグへ目的地を変更、更に名もない駅で再びウィーンへ目的地を変更。

鉄道時刻表を見ながら考えたあの機転は我ながら大したもんだと思った。

…というような感慨にふける暇はあまりなく、すぐにでも大韓航空のオフィスを目指さなければならない。

現在時刻は16時45分、大韓航空のオフィスが何時まで開いているかは判らないのだ。

とりあえず急ぎ足で街の中心部を目指す。

大韓航空オフィスの場所は把握していた、あとはいかに急いで行くかだけだった。

路面電車や地下鉄を使うのが1番早いことは判っていた。

しかしウィーンに着いたばかりでどれに乗れば良いのかが全く判らない。

不確定要素が強いそれらの乗り物よりは自らの足を使った方が良いと判断。

街の中心部へ向かって急ぎ足。

途中で警官に道を聞いて、道が間違っていないことを確認する。

思ったよりも街の中心部は遠く急ぎ足で歩くこと20分ほど、遂に大韓航空オフィスを発見。

まだ開いていた、助かった。

窓口でリコンファームを依頼、その場ですぐに手続き終了。

これでリコンファーム完了、ようやくこれで帰国することが出来る。

見ると大韓航空のオフィスは17時30分まで、その時の時刻は17時20分。

ギリギリだったのだ。

どうやら狂った歯車は完全に元に戻ったようだ。

名もない駅で途方に暮れたのがどん底だった。

当初の予定通りにウィーンに到着したわけだから当初の予定通りに行動することが出来る。

ウィーンで一泊して翌日夜の夜行列車で最後の国イタリアのローマへ行く。

夜行列車で行くので明日の夜までウィーン観光が出来るので敢えてウィーンは1泊にした。

そしてイタリア・ローマで2泊して帰国の途につく。

とうとうこの旅の終わりが見えてきた。

イタリア・ローマ行きの夜行列車の切符を買う為に再びウィーン西駅へ。

この旅最後の国境越え列車のチケット購入、無事に寝台車のチケットを買うことが出来た。

ホテル探しをする労力はさすがになかったので駅構内のインフォメーションで紹介してもらった。

1000シリング(≒8000円)のホテル。

駅から10分ほど歩いてそのホテルへ到着。

外観はパッとしなかったが、入ってみるとなかなか良さそうなホテルだった。

フロントにこのホテルのパンフレットがあったので見てみた。

するとそのパンフレットにはツインルームで1500シリング(≒12000)〜と書いてある。

しかし我々が紹介してもらった料金は1000シリング(≒8000円)である。

どうやらインフォメーションを介すと安くなるのだろうか。

そういえばこれまでベルリン・プラハ・ウィーンとインフォメーションで紹介してもらったホテルに外れはなかった。

もっと早くにそのことに気が付いていれば良かったな。

今回のホテルの部屋も広くてなかなか良かった。

とにかく何よりも本当に心から落ち着けた。

リコンファームも済み、最後の国境越え列車のチケットも手に入った。

翌日以降の心配をしなくても良くなったのだ。

 

ホテルで小休止をし飯を食いに行くことに。

疲れていたので何よりも生ビールが飲みたかった。

生ビールを飲ませる店はだいたい店先にどこかしらのビールの看板がかかっている。

この際ビールの看板がかかっている店ならどこでも良かった。

駅近くの大通りを探すがファストフードやチョット高そうなレストランはちょこちょこ目に付く。

ところがなかなかビール会社の看板がかかっているような店がない。

大通りから1つ曲がった所にようやくカイザービールなる看板を発見。

もうここしかない…とそこはイタリア料理屋だった。

最後の国・イタリアへ行く直前にイタリア料理もどうかと思ったが何よりも生ビールが飲みたかった。

腹も減っていたのでその店へ入った。

生ビールとスパゲッティとピザを注文。

そこでの生ビールは涙が出るほど喉にしみこみ、スパゲッティは最高に美味かった。

何せまともな飯は昨夜の晩飯以来なのである。

今朝は列車の時間が早かったので朝飯を食うことが出来なかった。

更に列車の乗り間違えなどのゴタゴタで飯など食っている余裕がなかった。

唯一食ったのがどっかの国で小銭処分の為に買った味もないパン1つだけ。

この日、幾多の困難(?)を乗り越えてようやく口にしたビールとスパゲッティは最高だった。

あれを越える味はさすがにイタリアのスパゲッティでも出せないだろう…。

"苦労を乗り越えた"という最高の調味料に"空腹"という最上のソースがかかっていたわけだから。

 

確実にこの旅で1番波瀾に満ちた1日だっただろう。

ウィーン行きの列車を乗り間違え、修正の為に乗ったザルツブルグ行きの列車すら間違えた。

それを更に修正をして結局最終的には当初の予定通りにウィーンに到着。

180度間違ったのを更に180度間違えて結局360度で元に戻った、みたいな感じだな。

こういうトラブルやそれへの対処も自由旅行ならでは、良い経験になった。

 

2月10日 土曜日 オーストリア・ウィーン

ホテルは朝食付き、ベルリン以来の朝食だ。

バイキング形式で結構豪華、なかなか宜しい。

この日の19時30分過ぎにウィーンを出る夜行列車でローマへ向かうので時間には余裕がある。

ホテルで朝をゆっくり過ごしてから街へ出た。

まず向かったのは世界遺産シェーンブルン宮殿。

昨日駅で貰った地図が少々判りにくく、多少道に迷いながら到着。

広大な敷地とシェーンブルン宮殿。

宮殿のほかに庭園も世界遺産に登録されているらしい。

小高い所にあるのか、ウィーンの街並みを見渡すことが出来た。

シェーンブルン宮殿はマリー・アントワネットが過ごし、6歳のモーツァルトが初めて御前演奏した所だという。

時間潰しのために有名な観光地だからなんとなく来ただけなんだけど…(なんか怒られそうだな)

次に目指したのは今夜の夜行列車が発車するウィーン南駅。

実は昨日到着した駅はウィーン西駅で、切符を買ったのもウィーン西駅、さらにホテルも西駅の近くだった。

我々はローマ行きの列車が発車するウィーン南駅へは行ったことがないのだ。

だから昼間のうちに1度ウィーン南駅へ行っておいて、その場所と行き方を把握しておこうと思ったのだ。

夜になってから行ったことのない駅を探すことにならないように事前に手を打ったのだ。

シェーンブルン宮殿からウィーン南駅までは結構距離があって、かなり長時間歩いた。

なんか今回の旅は歩いてばっかりだな(フランスの地下鉄で懲りているというのもあるが…)。

ようやく着いたウィーン南駅。

駅構内には売店もあったので、列車内で飲むビールはそこの売店で最後に買うことが出来る、よしよし。

駅を出て、街の中心部を目指す。

国立オペラ座からシュテファン寺院へと続くウィーンのメインストリートを歩く。

土曜日ということもあってか人が多い。

シュテファン寺院はかなり大きな教会で、広場には観光客が大勢、大道芸人も数人いた。

このメインストリートと呼ばれる所では日本人っぽい観光客もそこそこ目に付いた。

ガイドブックを読むと近くにビール会社直営のビアホールがあるという。

時刻は既に15時頃だったので腹も減っていた。

昼飯も兼ねてそのビアホールへ行くことに。

15時過ぎという中途半端な時間にもかかわらず店内は結構混雑していた。

そこのビール会社の何とかという生ビールを頂く。

白と黒の両方を飲んだがどちらも無難に美味い。

食べ物も無難な所を選んだつもりが出てきたのは何故かスープ。

まぁスープはスープでそれなりに美味かったんだけど…

何かこれぞウィーンってものを口にしたいな、と思っていたら思い出した。

ウィンナコーヒーである、あれってウィーンだからウィンナコーヒー?

あまり自信はなかったが、そうだと自分に言い聞かせてウィーンでの目標を設定。

"ウィーンでウィンナコーヒーを飲む"

別にこの際ウィンナコーヒーの発祥がウィーンでなくても良いや。

とにかくウィンナコーヒーと呼ばれているものをウィーンで飲めれば。

なんとも浅はかな考えだ。

ビアホールで1時間ほど時間を潰して、夕暮れのウィーンをブラブラ。

モーツァルト像のあるブルグ庭園は夕暮れということもあって殆ど人がいなかった。

時間があればウィーン美術史博物館に行っても良かったが、博物館へ行くには少々時間が足りなかった。

なんとなくウィーンにはこれという何かがない、見出せない。

クラシック好きの人ならたまらない街なのだろうが、それ以外の何かが欲しかった。

ヨーロッパらしい雰囲気というのは充分醸し出しているような気はしたが…。

 

17時過ぎになって適当に目を付けた喫茶店に入る。

ここでウィンナコーヒーを頼む。

特別美味くも勿論不味くもないごく普通のウィンナコーヒーを飲む。

喫茶店でトイレに入った。

トイレから出ると出入り口の所に入ったときはいなかったオバさんがいる。

そのオバさんの横にあるテーブルには皿が置いてあって小銭が何枚も入っている。

私より先に出ていった人はそこの皿に小銭を1枚置いて行った、どうやらチップらしい。

トイレごときで金を取られるのは癪だったが郷に入っては郷に従え、1シリング(≒8円)置いて行った。

だいぶ外も暗くなってきた頃に喫茶店を出て、ウィーン南駅へ向かうことに。

シュテファン寺院前の広場での大道芸人もそろそろ営業終了なのか、片付けをしている人も目だった。

歩いてウィーン南駅へ向かう。

事前に道は調べてあったので不安はない。

やはり夜の暗い道を歩くわけだから事前に調べておいて正解だったと思える。

駅に到着し、ローマ行き夜行のプラットホームを確認。

駅構内の売店で小銭処分のためにビールやオカシを買い込む。

そしていざローマ行きの夜行列車に乗り込む。

オーストリア・ウィーンからイタリア・ローマまで。

19時36発の夜行列車でローマ着は翌朝9時30分の予定。

今回の旅で1番の長距離移動となる。

寝台車の個室は3段ベッドが2つもあり、最高で6人も収容できてしまう部屋。

しかし車掌に聞くと2つのベッドしか開放していないというので他人が入ってくる心配はない。

部屋に鍵をかけることも出来たので、荷物を置き引きされるような心配も減るわけだ。

6人用の個室を2人で使っているのでクラクウ→プラハでの寝台車よりもむしろ広々として良い感じ。

 

定刻に列車は出発、とうとう最後の都市を目指すことになった。

昼飯を15時過ぎという中途半端な時間に食ったので晩飯はまだ食べていない。

駅の売店で買ったビールとオカシで中途半端な晩飯。

21時15分頃に出国審査なのか、パスポートチェックに来た。

列車には洗面所もついていたので、ハミガキもして就寝。

とうとう最後の都市・ローマへ向かうことになった。

時間に余裕があればヴェネチアなどに寄ってからローマ入りするルートも考えた。

しかしあと3日の日程でヴェネチア・ローマと回ると結構忙しくなってしまう。

それならば最後の滞在都市ローマで多少ゆっくりしようという結論に達したのだ。

 

2月11日 日曜日 イタリア・ローマ

深夜1時15分、勿論眠りについている。

ドンドンドン、個室のドアを叩く音。

いつものことながらパスポートチェックは時間と場所を選ばずに容赦なく来る。

パスポートチェックが済み、イタリアに入国した余韻に浸ることなく再び眠りにつく。

朝7時、コンコン、個室のドアをノックする音。

開けると車掌がGood morningと言い紅茶とパンを持ってきてくれた。

窓の外は快晴、よく晴れていた。

9時20分過ぎ、最後の滞在都市ローマ・テルミニ駅に到着。

近代的で大きな駅、駅を出てまずはコロッセオに向かった。

駅前にいた警官にコロッセオまでの道を聞いて歩き始めた。

朝ということでまだそれほど人もいない道を歩く。

しかしコロッセオに近づいてきたと思われると明らかに観光客が増える。

そして見えてきたコロッセオ、それと同時に大勢の観光客も目に入った。

駅からコロッセオまで歩いていてかなり暑くなった、やはりイタリア・ローマは暖かいのだ。

これまでの国ではトレーナーの上にフリースを着て、その上にコートを来ていた。

しかしローマではそれでは暑いということが判った。

ローマでも東京よりも北にあるはずなのに東京よりも明らかに暖かい。

コロッセオについてから着ていたフリースを脱いだ。

午前中にもかかわらずコロッセオは人だらけ。

日本人・アジア人・現地人などのツアーがうようよ。

そうか、この日は日曜日だったのだ。

コロッセオ場内に入る為の入場券売窓口は長蛇の列。

我々はまだイタリア通貨を持っていなかったのでもとより入る気はなかった。

しかし通貨を持っていたとしてもあの長蛇の列に並んでまで内部に入りたいとは思えなかった。

コロッセオ前には中世風の騎士の格好をした人らが「シャシントリマセンカー」と日本語で呼びかける。

露店も出ているし、日本語の観光マップも売っている、観光客を乗せる馬車も…

古代ローマの闘技場とは思えないほど超観光地だったコロッセオ。

あまり人がいないコロッセオの裏側(どこが裏なのかは判らないが)へ行くとノラ猫がたくさんいた。

どうやらコロッセオの内部に住み着いているらしくあっちこっちにいた。

ファイティングポーズ
とりあえずコロッセオでは闘っとくか…

人だらけのコロッセオを後にしてそのすぐ近くにあるフォロ・ロマーノという古代ローマの大遺跡群へ。

大きな広場に古代ローマの遺跡が点在。

こちらも観光客は多かったが、広い敷地内なので観光客も分散していてコロッセオほどではない。

あっちこっちに壊れた遺跡が残っている。

もの凄い歴史があるものなんだろうが、壊れた古い建物をそのまま残しているだけの広場という感じ。

古代ローマの大遺跡も私の歴史観のなさにかかれば寂しいものだ。

フォロ・ロマーノを通り過ぎてしばし歩くと巨大な建物が見えてきた。

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂だという、けっこう立派な建物だった。

その辺りも観光客だらけ。

ガイドブックにはパリが世界一の観光都市と書いてあったが、日曜ということもあるが午前中で既にパリよりも大勢の観光客を見ている。

この日は日曜日なので銀行は基本的に営業をしていない。

それでも街の両替商は営業している。

そろそろ昼も近いので両替をして昼飯を食って、今晩のホテルを探す準備に入ることに。

数件の両替商を見つけてもっともレートの良いと思われる所へ入って1万円を両替。

イタリアの通貨リラが今回の旅でもっとも判りにくい。

1万円が17万リラ、17万って凄い数字だ…計算もややこしい、100リラ≒6円。

そもそも1リラというものが存在しないのだ、通貨の最小単位が5リラ硬貨≒0.3円から。

1リラは日本で言う1銭みたいなものか、おかしな国だ…

このおかしな通貨に馴染めないまま適当に目を付けたレストランに入った。

イタリアへ来たからにはやはりパスタとピザを食わねば(安易な発想だ)。

テーブルに座ると店員がお通しのパンを持ってきたが一向にメニューを持ってくる様子がない。

すると店員がこっちへ来い、とジェスチャーで示す。

店員の方へ行くとショーウィンドーの中に様々な料理が大きな器に載って並んでいる。

この中から好きなものを注文しろ、ということだった。

値段が判らないのが不安だったが、とりあえずビールとそのショーウィンドーの中のラザニアを頼む。

まぁラザニアもパスタ系だし、イタリア料理ってことで。

チョットしょっぱかったがその分ビールが進んでまぁ美味かった。

ラザニアだけでは少ないのでもう1度ショーウィンドーへ行き、海産物のトマトソース炒めみたいなものを頼んだ。

不味からず美味からず…無難な味。

ビールを2杯飲み、食後のコーヒーも飲む。

お会計は12万リラだった、通貨感覚がまだつかめていなかったので普通に払った。

ところが店を出てしばらくして思った…12万リラって高くないか?

約7200円だぞ?!1人辺りでも3600円だ。

ビール2杯にお通しのパン、ラザニア、海産物炒め、コーヒー1杯。

うっ、微妙だなー。でも1人3600円はチョット高いような気が…

もしかして少しボッたくられてるのかなー。

しかしメニューを見て注文していないので値段が判らないのでなんとも言えん。

それにしても大して量もなかったあの料理で3600円はやはり少し高いな。

もしかしたらメニューを持ってこなかったのも策略だったのでは?

わざと値段の判らないものを食わせてちょっとボッってやろうと言う…

釈然としないまま、次に入った店ではちゃんとメニューを見て注文しようと心に決めた。

 

テルミニ駅へ戻り、宿探しをすることにする。

もっとも手っ取り早く効率の良い方法、駅のインフォメーションへ行った。

駅構内にはインチキ臭い外人が「ホテルあるよ」と片言の日本語で話しかけてくる。

でもガイドブックによると彼らに紹介してもらうと割高になると書いてあったので全て無視。

テルミニ駅構内のインフォメーションで「この近くで1泊14万リラ(≒8400円)くらいまでの宿がないか」と聞く。

14万リラって英語で言い辛いし判りにくい、ワンハンドレッドフォーティーサウザンドリラ…

すると「No、100万リラからだ」みたいな感じで冷たくあしらわれた。

100万リラって…6万円だぞ、そんなに高いのか、それとも私の聞き間違いか?

どちらにせよ窓口の姉ちゃんは既にこちらの話には聞く耳持たない、という感じでめちゃくちゃ感じ悪い。

なんか腹立ったんでその場を去った。

すると「スイマセン、日本の方ですか?」とネイティブな日本語…

見ると若い日本人の女の子2人組だった、このシチュエーション以前にもどこかで…

話を聞くとどうやらテルミニ駅から空港へ行くまでの列車の切符が買えないという。

2人とも大学4年生で卒業旅行だと言う。

そうだ、パリで会った女の子らと全く同じようなシチュエーションだ。

それにしてもこの旅で会う日本人は皆大学4年生で卒業旅行だな、我々もだけど…。

女の子「明後日帰るんですけど、空港までの切符を何処で買えば良いのか判らないんです。」

女の子「ガイドブックにはあそこの窓口で買えって書いてあるんですけど、窓口行っても無視されるんです。」

とかなり困っている様子。

「あっちにインフォメーションがあったんで行ってみましょう。」

と、インフォメーションまで案内してあげた。

「英語はできる?」

女の子「いえ…」

オイオイ大学4年の卒業旅行だろ、英語出来ないってどういうことだよ…

仕方ないので何故か私がインフォメーションで切符の買い方を聞くことに。

するとどうやらガイドブックに書いてあって女の子らが無視されたという窓口で買うらしいことが判った。

その窓口へ行き、ここでも何故か私が英語で「明後日の空港行きの切符を2枚」と。

すると「3万4000リラ(≒2040円)」と言われた。

「3万4000リラだって」と伝え、彼女らがお金を払うといとも簡単に発券してくれた。

めちゃめちゃ簡単だった、一体何故に彼女らはこんな簡単なことが出来なかったのだろう?

「これで日本に帰ることが出来ます、ありがとうございます。」と、とっても感謝されて彼女らとは別れた。

それにしても…人に頼り過ぎだろー、メチャクチャ簡単だったじゃないか、自分でやれ自分で…

パリの女の子らもホテル探しを完全に我々に任せたし、今回の子らも何も自分でやろうとしなかった。

もうチョットなー、大学4年で卒業旅行だろ…卒業させて良いんかね。

人助けを終えて我々も我々のなすべきこと、ホテル探しをすることに。

インフォメーションは役に立たないことが判ったので最後の都市だし原点に戻って自力で探すことに。

ローマでは2泊して明後日に帰国することになる。

最後の1泊のホテルは日本で事前に予約しておいた。

だから今夜1泊だけのホテルを探せば良いのだ。

幸いテルミニ駅周辺にはホテルも多い。

ホテル探しを始めると明日の夜泊まる予定で日本の旅行代理店で事前に予約しておいたホテルを見つけた。

最後の滞在都市なので日本で予約する際に少し高いホテルにしたのを覚えていた。

少し高いホテルにしたはずなのに外観は古そうであまり良くなさそうだった。

せっかくホテル探しをするのだから明日泊まるこのホテルでも値段を聞いてみることに。

日本で代理店を通して予約するのと現地で飛び込みで泊まるのとではどちらが安いのか。

フロントでツインベッドで1泊幾らかと聞くと26万リラ(≒15600円)だと言う。

後に旅行代理店のホテルガイドで調べたら我々は代理店を通して12600円で予約していた。

つまり日本で旅行代理店を通した方が現地で飛び込みで予約するよりも安かったのだ。

明日泊まるホテルは高いんだということがわかった、そんな所に泊まれるはずはない。

我々の目安は14万リラ(≒8400円)なのだから。

ちかくにホテルは沢山あったのでとりあえず片っ端から入って行った。

だいたい値段は13万(≒7800円)〜15万リラ(≒9000円)。

ある1軒に入っていつものように「部屋を見せてくれ」と言った。

これまでのホテルで「部屋を見せてくれ」と言うと、フロントの人は鍵をくれて部屋を自由に見させてくれた。

だが、そのホテルではフロントの人が一緒に着いてきた。

そして英語でしきりに喋りかけてくる。

「このホテルは最高だ、14万リラでこの部屋だ、朝飯も付いている、日曜日だからこの価格なんだ。」

あまりにも口うるさく勧めてくるのが煩わしい。

一通り部屋を見終えて、私はいつものように「ありがとう、また来るよ」と言うと突然怒った様に

「何故だ、こんな素晴らしいホテルを、朝飯も付いて14万リラなんて他にはないぞ」

と、わめきだした。そして遂には

「部屋を見たってことはこのホテルに決めるってことが前提なんだ」

みたいなコトを言い出した、まだ何やらわめいている声を背にホテルを出た。

まったく何だったんだあの態度の変わりようは…

ある程度ホテルを見終えて、どうも先程のうるさく勧められたホテルが良さそうだということになった。

しかしああいう格好でホテルから出たのにもう1度やっぱりココにします…って行くのも気が引けた。

それでも相手がどういう反応を示すかチョット興味もあったのでもう1度そのホテルへ行ってみた。

すると先程わめいていたフロントの人、今度は穏やかだった。

「ココに泊まりたいんですけど」と言うと、

「それなら駅のホテルインフォメーションへ行ってココを予約してくれ」と言う。

このホテルに泊まるために何でわざわざ駅のホテルインフォメーションから予約しないといけないのだ?

そんなの2度手間ではないか。

何度聞いても「駅のホテルインフォメーションで予約しろ」の一点張り。

どうも先程の仕返しに嫌がらせをされているようにしか思えなかった。

仮にそうでないとしても、そんな面倒なことをするのは嫌だったので「分かった」と言ってホテルを出た。

まったくもっておかしなホテルだった。

結局他のホテルでも朝食付き14万リラ(≒8400円)の所を見つけたのでそこに落ち着いた。

やはりホテルが決まると落ち着く。

明日のホテルは日本で事前に予約してあるのでもうホテル探しをすることもないわけだ。

今回のホテルは14万リラ(≒8400円)だったが、そのホテルも旅行代理店のホテルパンフレットに載っていた。

代理店のホテルパンフレットを見ると日本で代理店を通して予約すると6800円だった、なんか癪だなー。

明日我々が泊まるホテルといい、日本で代理店を通して予約しておいた方が安いんじゃないか…。

 

ホテルで小休止、最後の滞在都市ローマの観光ルートを考える。

ローマ滞在は2泊3日。

帰国の飛行機は夜22時発と遅いので最終日も夕方まで充分観光する時間がある。

ローマでは今日を含めて3日間ほぼ丸々観光する時間があるのだ。

だからあまり1日で行き尽くさないようにこの日はこれから真実の口だけを見に行くことにした。

壁に作られた顔の口の中に手を入れるアレである(分かるかな…)。

映画「ローマの休日」で有名になったらしいがその映画を見たことがない…。

まぁとにかく有名な観光地だから行ってみる、というくらいの気持ちでそこへ向かった。

再びコロッセオやフォロ・ロマーノの辺りを歩き、真実の口があるという教会へ。

コロッセオ周辺は観光客を乗せる馬車が結構走っているので道には馬糞がいっぱいだった。

真実の口は何とかという教会の一角にあり、人だかりが出来ていたのですぐに判った。

夕暮れでその教会が閉まる時間(18時)も近かったので、観光客は少ない方だったのだろう。

それでも真実の口に手を入れて写真を取る人たちの列が出来ていた。

写真撮ってハイ次、ハイ次…という感じだったのでそれに並んで写真を撮る気にはなれなかった。

まぁこんなもんなのかね、って感じで本日の観光終了。

駅周辺に戻って晩飯を食おうとするも、晩飯時でどこの店も混んでいる。

あまり金もなかったのでどこの国にもある最も楽な店、マクドナルドへ入った。

マックのセットが9900リラ(≒594円)。

帰りに露店で缶ビール500ml・5000リラ(≒300円)を購入してホテルへ戻った。

ホテルでは残り2日間をおよそ幾らあれば乗り切れるかを計算。

明日は月曜日で銀行が開くので最後の両替をすることになるだろう。

 

2月12日 月曜日 イタリア・ローマ〜ヴァチカン市国

今日も良く晴れている。

最後の国に来て天気はどうやら良くなったようだ。

この太陽が少しでもオランダ・アムステルダムで出てくれれば良かったのに…。

ゆっくりと朝飯を食ってホテルを出る。

昨日と今夜は違うホテルに泊まるので荷物を部屋に置きっぱなしにして行くことが出来ないのが辛い。

銀行へ行き、この旅最後の両替を済ます。

多少は食事に金をかけても充分にやっていけるだけの金額を両替した。

この旅で金に困ることは結局なかった、良かった。

クレジットカードを実際に使用することもなかったし。

 

この日の目的は単純なローマ市内観光。

ただ我々の場合は地下鉄やバスなどの公共交通機関は一切使わずに歩く。

パリで懲りて以来、街では地下鉄にもバスにも乗っていない。

結局自分の足で歩くのが時間はかかるけれどもっとも単純で良い。

銀行で両替を済ませてから徒歩でまず向かったのはパンテオン。

2世紀に再建されたものが今でも完全な形で残っている…らしい。

ローマは観光都市だけあって、有名な観光地へ行くまでの簡単な看板が出ていて分かり易い。

なるほどパンテオン、観光客がいっぱいだ。

中に入るのは無料、中は広々していて天井の窓から光が差しこむ。

特に何があるわけでもなさそうなので次にナヴォーナ広場へ向かった。

3つの噴水があり、オープンカフェなども並ぶ。

あまりにも天気が良かったので広場のベンチに座りしばし広場を行く人を眺める。

我々がベンチに座るとすぐに若者がサングラスを売りに来た。

目も合わせずに無視しているとすぐに行ってしまった。

よく陽が当たって暖かく、風も心地良い。

何するでもなくベンチで日向ぼっこ。

小1時間何もせずにいると腹が減ってきた。

ナヴォーナ広場近くに飯を食う所はたくさんある。

店の表にメニューと値段が出ていて、昨日のように曖昧にボラれなさそうな店へ入った。

マッシュルームピザ1万リラ(≒600円)とビール6000リラ(≒360円)を注文。

ピザはテレビなどで見るように、生地を放り投げて手でクルクル回して作っていた。

結構大きいピザだったしビールは生ビールだったしメニュー通りの値段だったしなかなか良かった。

満腹満足して店を出る。

ナヴォーナ広場を歩いていると陽気なイタリアン(?)に笑顔で「ナカタ、ナカタ」と声をかけられた。

こっちも「オー」と言って反応したので、向こうが近寄ってきて何か見せてきた。

どうやら何かを売りたかったらしい、それは無視して通り過ぎた。

でもローマで中田の名前を聞けたのは少し嬉しかった。

ナヴォーナ広場を出て向かったのはこの旅で訪れる最後の国、ヴァチカン市国。

ローマ市内にある世界で1番小さな国である。

世界で1番小さな国にしてカトリックの総本山である。

サンタンジェロ城を経由してヴァチカン市国に入国(?)

もちろんパスポートチェックも何もなし、どこからがヴァチカン市国なのかはよく分からなかった。

ヴァチカン市国は観光客だらけ。

この日はただヴァチカンに来ただけ、ヴァチカン観光は翌日する予定だった。

ヴァチカン博物館と言う有名な博物館を見るために、翌日もヴァチカン市国に来る予定だったのだ。

このヴァチカン博物館が曲者で昼の12時30分までしか開館していないというのだ。

この日はもう昼過ぎだったので博物館はやっていなかっただろう。

どうせ翌日も来るつもりだったのでヴァチカン市国は早々に立ち去った。

次に向かったのはこれまた有名なスペイン広場とスペイン階段。

近づいていくにつれて観光客が見る見る増えて行くからすぐに判った。

しかもスペイン広場へ続いている道、この両脇にはブランドショップばかりが立ち並んでいた。

そして日本人の多いこと多いこと。

ル○・ヴィ○ンの店などは店に入る為に列が出来ていた。

そしてその列に並んでいる人の大半が明らかに日本人…

そんな日本人を見ていると自分が日本人であることが恥ずかしくなってしまう…何でだろう。

スペイン広場のスペイン階段も凄い人。

何するでもなく皆が階段に座っている。

はぁ、凄い人…という印象だけを残してスペイン広場を後にする。

さらに観光地巡りは続く、次はトレヴィの泉。

なんのことはただ彫像が立ち並ぶ泉なのだがここも観光客が大勢。

何するでもなく泉の回りに座っている。

このトレヴィの泉の有名な言い伝え、後ろ向きでコインを泉に投げ入れると願い事が叶うと言う。

コインを1つ投げ入れると「ローマを再び訪れることが出来る。」
コインを2つ投げ入れると「好きな人と結ばれる」
コインを3つ投げ入れると「嫌いな人と別れられる」
コインを4つ投げ入れると「新しい恋人が出来る」

だそうだ。

本当に後ろ向きでコインを投げているヤツなんかいるのかなと思ったら結構いた。

なんかローマは観光地にあまりにも人が多い。

観光地だから人が集まるのか人が集まるから観光地なのか…

 

駅まで戻って、明日の空港行きの切符を買う。

昨日女の子らに切符を買ってあげていたので買い方はすぐに判った。

これで帰り支度はバッチリだ。

最後の宿は日本で事前に予約しておいたホテル。

昨日見たとおり外観はあまり綺麗ではなかったが、部屋は値段相応の綺麗さだった。

ホテルで小休止の後に晩飯を食うために再び街へ。

ウロウロと食べる場所を探し歩いた末に結局スパゲティー&ピザ屋に入った。

メニューは相変わらず読んでもそんなに分からないので適当に注文。

クリーム系のスパゲティーが出てきて、結構美味かった。

イタリアの飯はそれなりに美味い、スパゲティーにピザ、という分かり易さも良い。

フランス料理のように高級感が溢れていない所も良い。

晩飯を食い終え、イタメシ屋を出た頃にもう時間は22時過ぎ。

トレヴィの泉が近かったのでこんな夜でも人がいるかどうかを見に行ってみることにした。

するといるいる、22時過ぎにもかかわらず昼間ほどではないが人が大勢。

ついでに行ったスペイン広場にもやはり人が大勢、みんな暇なんだなー(我々もだけど…)。

スペイン階段は昼間ほど混雑していなかったので階段を登ってみた。

階段を登り終えると結構疲れた。特にそれほど見晴らしが良いというわけでもなかった。

それにしてもトレヴィの泉とスペイン広場はいつになったら人がいなくなるのだろうか…

帰り道でやはり缶ビールを購入してホテルで最後の晩餐。

これまで行った国で余った硬貨(通貨は余ると次の国で両替していた)をお互いに交換。

旅の思い出になるはずなのだが、どの硬貨がどの国のなのか…実にわかりにくかった。

 

2月13日 火曜日 イタリア・ローマ〜ヴァチカン市国

とうとう最終日、遂に終わるなーという感慨もひとしお。

最後の1日も晴れ、後半はすっかり晴れたな。

22時発の飛行機なので2時間前の20時には空港に着きたい。

さらに余裕を持って19時には空港にいれば問題ないだろう。

ローマ・テルミニ駅から空港まではおよそ30分、18時台の列車に乗れば大丈夫だろう。

18時にローマ・テルミニ駅にいれば大丈夫だということを把握してから最終日の観光へ出発。

 

ホテルから1時間ほどかけて歩くと、前日にも行ったヴァチカン市国。

この日の目的はヴァチカン博物館。

ここにミケランジェロが描いた「最後の審判」がある。

ガイドブックに「時代を超えて、世界美術史上最大の傑作と言っても過言ではない」などと書いてあった。

そんなに言うなら見に行ってやろう、ということでヴァチカン博物館へ。

このヴァチカン博物館、12時30分までしか開館していないので午前中に来なければならなかった。

11時少し前にヴァチカン博物館に到着。

予想に反してえらく近代的な建物、入り口で荷物を預けろと言われた。

どうやら大きな荷物を持っていると入れないらしい。

荷物預かり所で荷物を預けて身軽になったところで、いざ館内へ。

入場券を買うために長い列が出来ていたのでそれに並んで入場券を購入(1万8000リラ≒1080円)。

すると館内に入る為にはさらに金属探知機のゲートをくぐらなければならなかった。

厳重なガードだな…。

予想通りこのヴァチカン博物館も相当広い。

大英博物館、ルーブル美術館と見てきたからある程度の広さは覚悟していた。

もとより全部見られるわけがないし、全部見てもその価値なんぞ私に判るわけがない。

目的はシスティーナ礼拝堂にあると言う「最後の審判」と「創世記」のみ。

目的を決めて見ないと到底1日で全てを見て回れる広さではない。

当然だが館内も凄い人。

館内で地図も貰えたらしいのだが、人が多く何処で貰えるのかもよく分からない。

ガイドブックは預けた荷物の中だったので適当に歩いてシスティーナ礼拝堂を探すしかなかった。

館内の到る所に人ごみがあり、団体ツアーも大勢、通路が渋滞しているような所も。

案内図に書いてあったシスティーナという文字だけを頼りに館内をあっちこっち歩き回る。

最悪見つからない場合は館内に日本人も大勢いたから彼らに聞けばイイやと思っていた。

階段を降りたり登ったりアチコチ歩き回った末にそれらしい部屋を発見した。

その部屋の前には「写真撮影もフラッシュも禁止」という看板がかかっていたのだ。

ビンゴ、それがシスティーナ礼拝堂だった。

部屋に入ると同時に「最後の審判」に圧倒…ではなく物凄い数の人に圧倒されてしまった。

礼拝堂と言うだけあってかなり大きいのだが、その中が人だらけ。

体育館での全校集会よりも多いだろう。

そして壁に目を向けるとありました「最後の審判」。

でっけー…なるほどその大きさには圧倒された。(縦14メートル弱、横12メートル強らしい)

それと同時に疑問も。

ミケランジェロが描いたっていうけど、どうやって描いたんだろう…。

あんな壁一面の壁画をどうやって描くのだ?

本当にミケランジェロが書いたのか?

弟子みたいなの引き連れて皆で書いたんじゃないのか…なんてコト言ったら怒られるかな、やっぱり。

次に天井を見上げると天井一面に天上画が…

これもミケランジェロが描いた「創世記」だ。

「最後の審判」同様、どこかで必ず見たことのある画である。

ずーっと上を向いて天井を眺めていると、天上画が飛び出してきそうな錯覚に襲われた。

ずっと上を向いていたのでチョット感覚がおかしくなるが、その分なんだか芸術っぽく感じられて良い。

しかしなるほど、「最後の審判」と「創世記」は見る価値があったかもしれない。

芸術など判らない私でも「はぁ、こりゃすげーわ」くらいには感じられたし(そんなんでイイのだろうか…)。

システィーナ礼拝堂内はフラッシュもカメラ撮影も禁止なのにアッチコッチでシャッターの音やフラッシュの光。

あれだけ人が大勢いたら無法地帯にもなるわな。

システィーナ礼拝堂を出て、人の多さにも辟易していたのでそろそろ出ることに。

しかし迷いながらシスティーナ礼拝堂に辿りついたので、帰り道がよく判らない。

よく判らないながらも適当に歩いていたら出口に辿りついた。

博物館内には日本人も大勢いたが驚いたことに大学で顔を見たことのある人がいた。

喋ったコトはなく、名前も知らなかったので声はかけなかったけれど同じ大学で同じ学科・課程の人だった。

まさか異国で見たことのあるヤツに出くわすとは思わなかったな…。

荷物を返してもらい、ヴァチカン博物館を出る。

この荷物を返してもらう時に普通はチップなどを払うものなのだろうか?払わなかったけど…。

ヴァチカン市国のもう1つの有名な観光地、サンピエトロ寺院。

観光地とはいえココはカトリックの総本山なのだそうだ。

ここでも寺院内に入る為には荷物を預けなければならなかった。

寺院内は広く、カトリック総本山とは思えないほど観光客だらけ。

寺院内の一角で牧師さんが説教をしていた。

そこには座る所があったので言葉の判らない説教を聴きながら座って休憩していた。

すると座って説教を聴いていた人たちが突然全員立ち上がった。

そして牧師さんと一緒に詠唱を始めた。

えっ?!ナニ?…突然のことに呆気にとられてしまった。

詠唱を終えると皆がひざまずいて祈り始めた。

宗教的行事なのだろうが我々にはサッパリ判らない。

ただ休憩の為に一緒に座っていた我々はかなり気まずい…

しかし皆が祈っているのに立ちあがってそこを離れるわけにもいかない。

かと言って回りのように祈るふりをしてもそれはポーズにすぎない。

一通りのお祈りが終わったらしい、皆が普通に席につき始めた頃を見計らって我々は席を立った。

慌ててその場を離れたが、かなりバチ当たりなことをしてしまったような感じだ。

 

ヴァチカン市国内を出た頃は14時過ぎ、どこかで昼飯を食うことに。

ナヴォーナ広場へ行き、無難に昨日行った店と同じ所へ入る。

金銭に余裕があったのでスパゲティ、ピザ、ビールとワインも注文した。

食後フラフラ歩いてなんとなくまた来てしまったスペイン広場。

昨日よりは人が少ないような感じがする、ル○・ヴィ○ンの前の列は相変わらずだったが…

スペイン階段も相変わらず何するでもなくたくさんの人が座っている。

何するでもなく皆は何をしているのだろう、という素朴な疑問を解明する為に我々も階段に座ってみることに。

スペイン階段
荷物は置き引きされないようにしっかりと抱えて持ちましょう。

何するでもなく座っているとやはり何もしない、ただ座っているだけである。

ところが、座っていると結構面白いことが判った。

色々なポスターを見せ、売ろうとする連中、オモチャみたいな物を売ろうとする連中。

様々な物売りが階段に座っている観光客に向かって行く。

そして観光客が多く来る所だけに様々な国の人々を眺めることが出来る。

本当にたくさんの観光客がいる、やはり我々が日本人だからか日本人はすぐに判る。

何するでもなく座っている人や、置き引き目当てなのか怪しげな風貌で階段をウロウロする人。

警戒のためなのか時々現れる警官…

なるほど階段に座って色々眺めていると結構面白く、時間が経つのを忘れる。

観光客が各国の観光客を呼び、物売りを呼び、置き引きを呼び、警官を呼ぶ…観光地って面白いな。

以外と飽きなかったスペイン広場で1時間以上も時間を潰した。

時間的に行く所が限られてきたのでガイドブックに載っていた通称・骸骨寺という教会に行ってみることに。

なんでも4000体の修道僧の骸骨が飾ってある教会なのだと言う。

地図を頼りにサンタ・マリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ教会(通称・骸骨寺)を目指す。

大通りを曲がった所で貧相なオバさんとその娘らしき少女が何事かを言いながら近づいてきた。

私の目を見て何事かを呟きながらダンボールを持って近づいてきたので物売りだと思った。

そう思った瞬間私のヒジのあたりをコチョコチョと触ってくる手が…スリだ!!

瞬間的にスリだと判断して激しく腕を振り払って急ぎ足で歩いた。

もともとこっちは早足で歩いていたので一瞬の出来事。

バッと手を払ってそのままスタスタ歩いて行ったのでその後のオバさんと少女がどうなったのかは判らない。

すられそうになったという驚きから私もすぐにその場を離れてしまった。

それにしても大通りを曲がった所とはいえ車の往来も人の往来もある所だった。

そんな所で白昼堂々と私の目を見て近寄って来てすろうとするとは思わなかった。

子供連れやダンボールを持っているなどは典型的なスリの手口。

子供やダンボールに注意を引きつけておいてスルというやり方だ。

幸いにして私はヒジをコチョコチョやられた時点でスリだと気が付き手を払って危機を脱したが、それでも何かすられていないかと不安になった。

冬場でコートを着ていたのが幸いしたようだ。

財布等はジーパンのポケットに入っていたのだが、ジーパンのポケットに手を伸ばすにはコートをめくらなければならない。

本当に一瞬の出来事だった、すろうとするのも一瞬、手を払ったのも一瞬、その場を立ち去ったのも一瞬。

今思うともう少し高圧的な態度で威嚇しても良かったかな。

しかし当時は"すられそうだった"ということでかなりドキドキしてしまいその場を離れることしか考えていなかった。

最後の国の最終日にして危機一髪、といったところか。

 

目指す所はサンタ・マリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ教会(通称・骸骨寺)だったはずだ。

途中で警官に道を聞いてその教会に到着。

ところが教会内に入っても、どこに骸骨がいるのか判らなかった。

教会内は暗く、内部がよく判らなかった。

結局骸骨を見ないまま出てしまった、よく判らなかったし…

少し飛行機の時間には早かったが、どこか観光地に行くほどの時間もなかった。

露店で缶ビールを購入してローマ・テルミニ駅構内で最後のビール。

最後までビールを飲み続けた旅だった。

 

空港までノンストップで向かう列車に乗り込む。

30分ほどでイタリア・ローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港に到着。

昨日乗車券を購入しておいたのに車内では時間も遅いせいか検札がなかった、ただ乗りできたな。

かなり余裕を持って19時に空港に着けば良いと思っていたのにさらに余裕の18時30分には着いてしまった。

空港内はABCの3つのターミナルに別れていた。

大韓航空が何処のターミナルか判らなかったのでとりあえずAのターミナルに行ってみた。

インフォメーションで聞いてみると大韓航空はCターミナルだと言う。

AからCって、1番遠いじゃないか…

やはりアジア系航空会社は下に見られているのか、だからCターミナルなのか…

かなり早く着いていたのでまだ大韓航空の窓口も開いていなかった。

時間にはかなり余裕があったので空港内のマクドナルドで晩飯。

ヨーロッパでの最後の飯がマックっていうのもなんだかなー。

食後、お土産屋をウロウロした後に大韓航空窓口へ。

既に窓口は開いていたが、いるのは韓国人の団体客ばかり。

窓口でチケットを発行してもらい、あとは搭乗を待つのみ。

時間が遅かったので空港内は閑散として、出国審査や金属探知機も実にスムーズだった。

出国審査を終え、搭乗を待つロビーも人は殆どいなかった。

空港内は空いていたのに、乗り込んだ飛行機内は8〜9分の客入り。

我々が座った席の横はスチュワーデスが食事などを準備する小部屋だった。

22時発の飛行機、機内食は遅いから出ないかと思ったがちゃんと出た。

機内食の準備をするスチュワーデスの小部屋はまさに大忙し。

とても慌しそうに準備をする。

機内食ではビビンパを食う。

実に久しぶりのまともな米の飯だ(ポーランドで食ったライスは不味かった…)。

ん?これでこの日4食目になるのか。

食後も食膳の片付けなどでスチュワーデスの小部屋は大忙し。

とても「もう1本ビール下さい」とは言えないような状況だった。

最初はスチュワーデスの小部屋を興味深く見ていた。

しかし食前や食後のとても忙しいさまを見ているとコッチも急かされているような気分になる。

あまり良い席ではないかもしれない。

昼間によく歩いていたので晩飯後はすぐに眠りに着いた。

 

2月14日 水曜日 機上〜韓国・ソウル〜日本・東京

ヨーロッパ時間で朝の7時、機内で朝食が出された。

ヨーロッパ時間で8時50分、韓国・ソウルに到着、韓国の時間で既に16時50分。

乗り継ぎ用のゲートをくぐって東京行きの飛行機の出発時刻をロビーで待つ。

この空港内で時計の針をヨーロッパ時間から日本と韓国の時刻に戻す。

さらばヨーロッパ時刻…

18時40分発東京行きの飛行機に乗り込む。

機内は明らかに東洋人が増え、ほぼ満席だった。

これまでに10数時間も飛行機に乗っていたのでソウル→東京間はアッという間という印象。

21時には成田空港に到着した。

時間も遅かったので入国審査や税関も非常にスムーズだった。

21時28分発の京成線に乗り、日暮里へ。

日暮里で山手線を待つホーム、なんだかとても寒い。

久々の東京の印象は「東京ってこんなに寒かったっけ?」。

0時過ぎ、無事に帰宅。

17日間くらいだったら大きな変化はなかったな。

 

帰宅したのが0時過ぎ。

熱ーい風呂に入って、やっぱ日本の風呂は良いなーっていうことを感じる。

一通り落ち着いた後、やはり飛行機移動などの疲れが残っていたのだろう、すぐに眠れた。

翌日以降も昼間に急激に眠くなることなどはなかった。

帰国したのが夜でそのまま眠りに着けたことが時差ボケ防止になったのだろう。

日本からイギリスへ行った時にも結局時差ボケはなかった。

少し経験してみたかったような気もするな、時差ボケ。

 

 

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