ヨーロッパ旅日記
前編

United Kingdom〜France〜Netherlands〜Germany〜Poland

 

2001年1月29日 月曜日 日本・東京〜イギリス・ロンドン

イギリス・ロンドン行きの飛行機。

大韓航空だったので直行便ではなく、ソウル経由でロンドンへ向かう。

成田空港にて航空券を受け取る手筈になっていた。

航空券受け取りの時間は午前8時。

今回の旅の相方(っていつもと同じなのだが…)と新宿で待ち合わせたのは6時。

ところがお互いに微妙に遅れて6時15分に合流。

山手線で日暮里へ、ところが日暮里へ着いたのが7時少し前。

駅員に聞くと最も早いスカイライナーに乗っても成田空港着は8時になるという。

8時というと航空券の受け取り時間。

いきなり前途多難である、航空券を受け取れなければ旅にすら出られないではないか。

渋々追加料金を払いスカイライナーの券を購入して成田空港へ向かう。

朝だというのに、朝だからか、スカイライナー内は満席だった。

成田空港に到着、急ぎ足で航空券受け取りカウンターへ。

10分近く遅れたが無事に航空券を受け取ることが出来てとりあえずは一安心。

 

飛行機は定刻の9時30分に成田空港を出発。

韓国・ソウルへ向かう機内で既に機内食が出た。

さっそくビールと共に機内食を食ってあとはひたすら眠っていた。

気が付くとナンパな相方が機内で隣に座っていた女の子と仲良くなっていた。

彼女は大学4年生で卒業式を待たずにイギリスへ留学に行くのだという、我々とはまったく目的が違う。

私・相方・その女の子、という順番で座っていたので私はあまり話す機会がなかった、残念。

12時15分、韓国・ソウルに到着。つい3ヶ月前にも来た空港である。

飛行機を降りて、乗り継ぎ用のゲートへと向かう。

1度飛行機に乗って来ているのに、乗り継ぎの時にもまた金属探知機のゲートをくぐらされた。

我々が乗り継ぐ飛行機はすぐに判り、乗り継ぎ完了。

ロンドンへ向かう機内では明らかに西洋人が増えた。

13時発のロンドン行きの飛行機、定刻通りに出発。

あとは10時間以上も機内で過ごさなければならない。

13時に韓国を出た飛行機に10時間以上も乗るのに、ロンドンへ着くのは同じ日の16時30分。

時差の不思議である。

太陽と同じ方向へ向かって進んでいたので窓の外は1度も暗くならなかった。

軽食と機内食を合わせて計3回、もちろんその都度ビールは飲んだ。

大韓航空らしいというか、機内食でビビンパが出された。

旅行代理店の人が「大韓航空の機内はお国柄キムチ臭いと感じる人がいる」と言っていた。

なるほど機内でビビンパが出ればコチュジャンの匂いでキムチ臭くなるわ。

私はあまりキムチ臭くは感じなかったけれど、言われてみれば…という感じである。

10時間以上もの機内では、その半分以上を睡眠に費やした。

その他の時間はもっぱら地球の歩き方などのガイドブックを読んでヨーロッパ研究。

日本時間1月30日午前1時30分、ロンドン時間1月29日16時30分、

ロンドン・ヒースロー空港に到着(日本との時差は9時間)。

イギリスの入国審査は長い列。

審査ではイギリスでの滞在期間と次に行く国を聞かれて審査終了、呆気ないもんだ。

私と相方はすぐに審査が終わったが、留学する女の子は手間取っていた。

留学する為のビザはなにやら面倒らしい。

でもイギリスに留学しようって女の子だから英語の方も達者なのだろう。

無事に入国審査を終了したようで6ヶ月間の滞在を許されたらしい。

彼女によるとあとで請求したりすればその滞在期間が延びるとか延びないとか。

税関は誰もいない、ナニもない。

いつのまに税関を通ったのか分からなかった、いい加減な国なのか。

税関に誰もいなかったのなんて中国以来だ。

空港の銀行で1万円をイギリスのポンドに両替。

1ポンドがおよそ185円、計算が面倒臭い数値だな。

目指す方向が違うので空港でその彼女とお別れ。

私はあまり話す機会がなかったけどお勉強頑張って。

とうとう相方と二人になってしまった、いよいよ旅の始まりだ。

ロンドンで泊まるホテルは事前に日本で予約しておいた。

空港からそのホテルの最寄駅であるパディトン駅へ行かなければならない。

最も安い移動手段は地下鉄、というわけで地下鉄乗り場へ向かう。

地下鉄の乗り場はわかったが路線図と切符の買い方がよく分からない。

壁の大きな路線図と睨めっこをしていたらどうやらパディトン駅へ行くには乗り換えが必要らしい。

駅への行き方は分かったが切符の買い方がわからない。

と、思っていたらなんとタッチパネル式の券売機に日本語の表示があった。

ロンドンの地下鉄料金は区域ごとに別れていて、ここの区域はいくらという単純な料金システム。

ロンドン・ヒースロー空港からパディトン駅までの切符を購入、3.60ポンド(≒666円)。

空港からパディトン駅までは一本で行かずに乗り換えが必要。

無事に乗り換え駅で降りたのは良いが、次に乗る列車のホームが分からない。

そこでこの旅初めて自ら進んで外国人とコミュニケーションを取ることに。

英語で駅員さんに「パディトン駅行きの列車の乗り場はどこですか」と聞いてみた。

こちらの言わんとしていることは駅員さんに伝わった。

駅員さんの言っている英語が完全には分からなかったが断片的な単語や身振り手振りで理解できた。

少し迷いながらも目的の地下鉄に乗ることに成功、目的地のパディトン駅に到着した。

我々が泊まるホテルはパディトン駅からすぐ、ということは分かっていた。

ところがこのパディトン駅、かなり大きい駅だった。

駅に案内所があったのでそこで我々が泊まるホテルはどこにあるかを聞いてみた。

すると駅の出口を出てすぐ、だと言う。

実際歩いて行ってみると本当にすぐだった。

事前に日本で予約しておいたのですんなりホテルにチェックイン。

日本時間だと1月30日午前3時50分、イギリス時間で1月29日18時50分。

もう夜なのでロンドンも暗くなっていた。

この日(?)4食目となるが、せっかくイギリスに着いたのだから晩飯を食うことに。

外は暗かったのであまり遠出をせず、ホテルの近くの小さな食堂が並ぶ道路を歩いた。

適当に目を付けた店に入る。

店に入り、メニューを見る…分からない。

英語で書いてあるはずなのに料理名など見てもサッパリ分からない。

値段的にもメニューの位置的にもこの辺がメイン料理だろうという辺りを注文した。

出てきた料理は肉と野菜とポテトを大きな皿にドバっとのせたような料理。

イギリスの飯は不味い、というのは有名な話である。

美味からず、不味からず…。

タマネギが生っぽくて食後もその生タマネギの感触が口に残って気持ち悪かった。

ビールと合わせて10ポンド(≒1850円)、量はまぁ多かったが味の割りに高い。

コンビニみたいな所で缶ビール500ml、1.5ポンド(≒277円)を購入してホテルで飲み直し。

どうもロンドンは物価が高いのかな。

日本時間だと朝の8時になるころ、イギリスでは23時、就寝。

 

※これ以降の時刻は現地時間で掲載、日本とイギリスの時差は9時間。
※物価の計算は1ポンド≒185円。

 

1月30日 火曜日 イギリス・ロンドン

今回泊まったホテルでは朝食がセットになっている。

食堂では色々なパンやシリアルが大量に置いてあり、好きに取って勝手に食べる。

ジュースや紅茶、コーヒーも全てセルフサービス。

朝食を済ませ、まずは明日の目的地であるフランス・パリへ向かう為の鉄道チケットを買うことに。

ところがホテルを出るとなんと小雨…。

いきなり出鼻をくじかれた格好だ。

コートのフードを被って早足で駅へ向かった。

地下鉄に乗ってウォータールー駅へ、もうロンドンでの地下鉄の乗り方はマスターしたな。

ウォータールー駅からユーロスター(Euro Star)と言うパリ行きの特急列車が発着しているのだ。

銀行で1万円を両替してユーロスター窓口でパリ行きの切符を購入、45ポンド(≒8325円)。

キップ購入の際はメモ帳に列車の目的地や発着時刻等を書いてそれを窓口の人に見せる。

そうすると間違いも少なくて済むし、窓口の人も分かり易いだろう。

問題なくパリ行きの切符の購入に成功。

日本の旅行代理店ではロンドン〜パリ間のユーロスターは日本で予約しておいた方が良いと言われた。

また、ガイドブックなどでも日本で予約することを勧めている。

しかし実際に現地で切符を購入してみてそんな必要は全然なかったことに気が付いた。

シーズンオフで空いていたというのもあるかもしれないが全く問題なく切符を購入できた。

日本で予約することを勧めるのは予約手数料等が代理店側に入るからなのかな。

これでとりあえず明日はパリへ行くという予定が出来た。

ウォータールー駅を出てロンドン観光をすることに。

小雨の降る中、歩く歩く。

テムズ河にかかる橋を渡り、有名なロンドンの国会議事堂とビッグベンを見る。

ビッグベン
雨のロンドン、2階建てのバスも見える

そしてトラファルガー広場、ピカデリーサーカスをうろうろ。

トラファルガー広場は観光地なのだが、雨が降っていたこともあり閑散としていた。

昼飯はSOHO地区なるところの中華街で食うことに。

昨日飛行機で一緒だった女の子が中華街が美味しいと言っていたので行ってみた。

ロンドンの中華街ではアジア的な匂いがプンプン。

観光客も多く、日本人も目立った。

適当な店に入り昼飯。

ワンタン入りスープヌードル(決してラーメンではない)とビール。

合わせて8ポンド(≒1480円)、やはり物価は高いわ。

スターバックスでコーヒーも飲んだが、コーヒーは1.45ポンド(≒268円)

昼飯を済ませて目指すは大英博物館。

入場料金は寄付金制。

入り口に大きな寄付金入れ箱が置いてあるが、何も入れなくても問題なく入れる。

大英博物館に何があるかと言うと、

ロゼッタストーン、アテネのパルテノン神殿の彫刻群、古代エジプトのミイラ、マグナ・カルタ、シェイクスピアの初版、ビートルズの歌詞カード等々。

古今東西の文化遺産が一堂に会している世界最大級の博物館である。

館内はとても広く、人も大勢いた。

日本人ツアー客もいて、ガイドさんが日本語で喋っているのですぐに分かる。

ロゼッタストーンの周りは人だらけで、そこで日本人ガイドが言っていたのが聞こえた。

「人が大勢いるのでスリには気を付けて下さい」。

あれだけの人がいて、金も払わずに入場できるような所なのだから確かにスリは多そうだ。

どこに何があるかも分からずただ漠然と適当にブラブラと館内を見学。

日本文化を紹介する部屋もあり、畳敷きの部屋、浮世絵、仏像、能面、日本刀、鎧などが展示されていた。

エジプトの部屋にあった干からびた人間が最もグロテスクだった。

エジプトのミイラがある部屋には人が多く集まっていた。

館内には現地の小学生の社会科見学みたいな集団もいて、各所で座って展示品の絵などを書いていた。

時間を潰すのには適していた大英博物館を出てパディトン駅へ戻る。

ここまで歩いたのだからパディトン駅までも歩いてしまうことに。

今にもまた降りそうだったがどうにか雨は止んでいたので徒歩で駅まで行くことに。

オックスフォード・ストリートをひたすら歩く歩く。

大きな通りなので人も車も店も多い。

東京などに見られるような近代的なビルは殆ど見られない。

どの建物もどことなく古さを感じさせるような作りになっていた。

公園と言うよりもだだっ広い広場という感じのハイドパークで小休止をしてホテルに戻った。

結局殆ど歩き続けた1日になってしまった。

ウォータールー駅〜ビッグベン〜トラファルガー広場〜ピカデリーサーカス〜大英博物館〜ハイドパーク…

 

晩飯は質素にホテルの目の前にあったファストフード、バーガーキング。

ハンバーガーとポテトのセット2ポンド(≒370円)をテイクアウトして缶ビールと共にホテルで食事。

翌朝の早い時間の特急でパリへ向かうのでロンドンはこれにて終了。

 

やはり雨が行動範囲を狭めさせた。

バッキンガム宮殿とタワーブリッジは見たかったな。

でも無理に雨の中を傘もナシで歩いて風邪を引いてしまっても困るし。

街では赤い2階建てのバスが多く走っていた。

少し乗ってみたかったけれどよく分からなかったのでパス。

人種も色々なのがいた(肌の色もまさに色々)。

どれが生粋のイギリス人なのかは分からないけど。

物価がもう少し安ければ良かった。やはり高いという印象だ。

 

1月31日 水曜日 イギリス・ロンドン〜フランス・パリ

ホテルで朝食を済ませて8時過ぎにはホテルをチェックアウト。

外は小雨が降っている、天気悪いなー。

地下鉄に乗ってパリ行きの特急ユーロスターが出るウォータールー駅へ。

列車内で飲むためのビールとつまみを駅の売店で購入。

フランスへ行くと当たり前だがイギリスの通貨は使えなくなる。

紙幣は両替できるが硬貨は両替できないのでウォータールー駅の売店で極力小銭を減らした。

特急ユーロスターに乗るためのロビーに入るのには大層なチェックを受けた。

飛行機に乗るときのように荷物のX線検査を受けて金属探知機ゲートをくぐらされた。

9時23分発の列車で、発車の20分前には来いと言われたのに9時10分になってもホームへ上がれない。

ホームへ上がるための扉が開かないのだ。

ようやく9時20分に扉が開いてホームへ、かなり時間にルーズなのか?

結局9時30分にロンドンを出発。

発車のアナウンスもベルもなく、揺れも少なくスーッとゆっくり動き出した。

我々が乗った2等車の車内は3,4分の入りでかなり空いている。

車内でビール飲んでつまみ食ってたのは我々だけのようだ。

しばらく列車に乗っていると駅でもなんでもない所で20分近くも止まっていた。

車内アナウンスはよく分からないが"テクニカルプロブレム"という言葉が聞こえたのでなんかあったのだろう。

パリ到着が遅れるということと、フランス時間にする為に時計を1時間進めろというアナウンスが聞き取れた。

イギリスとフランスの時差は1時間、日本とフランスの時差は8時間。

動き出した列車は長いトンネルに入った。

恐らくはドーバー海峡をくぐっているところだろう、耳の奥がツーンとする。

2等車の席はそれほど広くはなかったが、揺れも少なく快適な列車だったといえよう。

 

14時すぎにパリに到着、降り立った駅はパリ・ノード駅。

国境を越えているのに入国審査もパスポートチェックも税関も何もない。

列車を降りてそのまま普通に何事もなく駅構内へ行くことが出来た。

国際列車が発着する駅だけあってかなり広い。

駅構内でいきなり黒人同士のケンカを見てかなり驚いた。

なにか口論しているな、と思ったら一人が殴りかかって相手が吹っ飛んで倒れた。

その吹っ飛んで倒れた相手に向かい走って行ってさらに蹴りつけた。

慌てて周りの人が大声を出して制止しに行った。

一時騒然、私は怖いので目を合わさないようにしてそそくさとパリ・ノード駅を出た。

パリの第一印象、恐い。

パリの天気は良くはなかったが雨は降っていない。

駅を出てまずすべきこと、それは両替である。

我々はフランスの通貨を持っていないのだ。

今夜のホテルも決めなければならないが、お金を持っていないと何も始まらない。

街を歩いて銀行を探した。

銀行と思われるところへ2,3軒入ったがいずれも両替を断られた、何故だろう。

どうみても銀行なのに「Exchange please.」と言ってもむげに断られるのだ。

そのうちの1軒は入り口で両替がしたい、と英語で言ったら列に並ばされた。

10分近く列に並んで窓口で両替を頼むと、両替はここではなく外に出てホニャララだと言う。

フランス人の英語はよく分からなかったが、要するにこの建物の中では出来ないらしい。

10分近くも列に並ばされたのは一体なんだったんだ、腹立たしい。

日本人に対する嫌がらせをされているような感じだった。

3,4軒目の銀行でも両替を断られたがそこの銀行の人が両替の出来る場所を教えてくれた。

なんとか聞き取れる英語で良かった、その両替が出来るというデパートへ向かった。

デパートのフロアーの一角、何故かその一角の名前は松坂屋。

ともかく両替が出来れば松坂屋でもなんでも良い。

ようやく1万円をフランスの通貨フランに両替することが出来た。1フラン(≒17円)

両替を済ますと次はホテルである。

フランスのホテルは外に料金表が貼ってある所が多く、分かり易くて良かった。

相方と2人なのでツインのベッドで1泊500フラン(≒8500円)を目安に探した。

最初に降り立ったパリ・ノード駅の近くに安そうなホテルが沢山あったので片っ端から入って行った。

ホテルに入り、英語で「Two days two beds. How much?」(2泊、2つのベッドでいくら?)と聞く。

条件が良かったら「Would you show me the room?」(部屋を見せてくれますか?)と言い部屋を見せてもらう。

英語の文法や使い方が間違っていようと関係ない、こっちの言いたいことは確実に向こうに伝わった。

1泊500フラン以下っぽい安そうなホテルを見つけては値段を聞いて行った。

部屋を見せてくれと言うと、だいたいのホテルが鍵をくれて部屋を見せてくれた。

5軒くらいまわって結局一番安かった420フラン(≒7140円)のホテルに落ち着いた。

ホテル探しや英語での会話がなかなか面白かった。色々なホテルの部屋も見られたし。

ホテルで小休止。

ガイドブックや鉄道時刻表を見ながら今後の予定を検討。

パリから次をどこの国に行くか

ドイツへ行くか、スイスへ行くか、ベルギーへ行くか、オランダへ行くか…

ガイドブック等を読んで検討した末に次の目的地をオランダ・アムステルダムに決定。

決め手はアムステルダムにあるハイネケンビール工場

ビール工場を見学した後にハイネケンが飲み放題だというのだ

オランダで本場のハイネケンを飲もう、という安易な発想である。

パリ・ノード駅から、オランダのアムステルダム・セントラル駅への特急が出ているのでそれで行くことにした。

そしてオランダで滞在した後にオランダからドイツへの列車が出ているのでそれでドイツへ行くことに。

2カ国先までの予定がとりあえず決まった。

小休止の後に晩飯を食いに夜のパリへ繰り出した。

考えてみれば両替屋探しとホテル探しで昼飯を食っていなかったのだ

駅前のホテルなので食べ物屋は色々ある。

あまりフランスっぽくはない店だったがなんとかステーキハウスという所に入った。

英語のメニューもあったのでどうにか解読してバッファローステーキセットなるものを注文。

注文はメニューを指差しながら英語で喋って通じた。

やはりフランスに来たということでビールではなくワインを注文、もちろん赤。

セットメニューにはパンとチーズも含まれていた。

フランス初日の飯でワイン、フランスパン、チーズというフランスでの目的(?)を難なく達成してしまった。

カマンベールチーズとブルーチーズが美味かった。

バッファローステーキなるモノは筋だらけで固かった。

ワインは2人で2本飲んでしまった。

飯食ってホテルに戻ると国境間移動と両替所やホテル探しで疲れたせいか横になってすぐに眠ってしまった。

風呂にも入らずに…

風呂ナシの部屋を断って風呂付きの高い部屋にしたのに…

 

2月1日 木曜日 フランス・パリ

今回泊まったホテルは朝食ナシ。

朝ホテルを出てパリ・ノード駅の窓口へ行く。

明日のオランダ行き特急列車の予約をするのだ。

我々はヨーロッパ各国の鉄道が乗り放題になるユーレイルパスを事前に日本で購入していた。

イギリスでは使えないがフランス〜オランダ間ではそのパスが使える。

ユーレイルパスを持っていたので少しの追加料金だけでオランダ行きの切符を買うことが出来た。

翌朝にはオランダへ行くことになったのでパリの観光はこの日で終わらせなければならない。

私が設定したパリでのポイントは3つ。

エッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館である。

パリ・ノード駅から地下鉄に乗ってエッフェル塔を目指すことにする。

路線図を見るとどうやら乗換えが必要らしい。

券売機でどうにかして切符を購入して地下鉄のホームへ。

朝のラッシュアワーの時間とぶつかったのか、ホームがものすごい混雑。

おまけに地下鉄はなかなか来ない。

ようやく来た地下鉄だがホームの物凄い人が乗るものだから車内はぎゅうぎゅう詰め。

とても乗れないと判断して1本目の地下鉄は見送った。

2本目が来るまでにも結構時間がかかってその間にもホームには人が増えていく。

ようやく来た2本目にはなんとしても乗ったのだが車内も当然大混雑。

乗り換えの駅でどうにか降りた。

フランスでラッシュアワーを味わうことになるとは思わなかった。

乗り換えるべき地下鉄のホームはすぐに判った。

こちらのホームは先程よりは人が少ないもののやはり混んでいる。

1本目の地下鉄はやはり大混雑でどうにも乗れないので見送った。

そして次に来る2本目の地下鉄を待つ。

待つ、待つ、待つ…

おかしい…30分以上待っても一向に地下鉄が来ない。

時々ホームにアナウンスが流れる、しかしフランス語で何を言っているのかサッパリ判らない。

何度か流れるアナウンス、ホームでは他の客の失笑が漏れる。

諦めた感じでホームを離れる人もいる。

これは確実に何かがあった、しかし何もかもサッパリ判らない。

何かがあったと思われるのにその原因が判らず漠然といつ来るか判らない電車を待つ。

かなりフラストレーションが溜まる。

意を決して地下鉄を諦めて歩くことにして地下鉄の駅を出た。

地下鉄の駅を出てとりあえず腹が減っていたのですぐ近くにあったマクドナルドに入って朝食。

モーニングメニュー17フラン(≒289円)を食う。

その後ガイドブックを見て現在地を確認。

現在地が実はパリ・ノード駅からそれほど離れていなかったことが判明。

これならば最初から歩いていた方が断然早かっただろう。

地下鉄料金の8フラン(≒136円)返せよ…。

これからエッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館と歩き続けなければならない。

ガイドブックを見るとノートルダム大聖堂なるものを発見。

そうか、ノートルダムもフランスだったのか。

急遽ノートルダム大聖堂もパリでの観光ポイントに加えることにした。

地図を見てパリ歩きのルートを決めた。

まずは南下してノートルダム大聖堂を目指すことにした。

パリの朝の街を歩く、車は結構走っているが人はあまり多くない。

ところがセーヌ川を越えた辺りから明らかに観光客風の人が増えるようになってきた。

瞬間日本人だと分かるような人も多数。

これは目指すノートルダムが近いことを意味している。

そして到着、ノートルダム大聖堂。

第一印象・あぁ見たことあるわ、これってノートルダム大聖堂だったのか。

案の定観光客は多し。

日本人ツアー客も発見、そこの日本人ガイドの話しを聞いてみると

「パリから何キロという場合はノートルダムを起点にしております、まさにパリの中心というわけです。」だそうだ。

中にも入れたらしいが見るからに観光客が大勢いそうだったのでパス。

次に目指すはエッフェル塔。

セーヌ川沿いをしばし歩く。

イギリスのテムズ河でも思ったがセーヌ川も水が汚い。

都会の川の水はどれも汚いということか。

川沿いを歩いていて何度も同じような建築物を目にする。

立派な教会のようななんたら調という建物なのだろう。

フランス国旗も色々な所に掲げられていた。

川沿いをローラースケートで疾走するフランスの若者をちょくちょく見た。

日本でも少し流行ったキックボードもあった。

ってことは数年後に日本でローラースケートが流行るかな。

しばし歩くと見えてくるエッフェル塔。

見えてきたらあとは地図を見なくてもそれを目指して歩くだけ。

辿りついたエッフェル塔はノートルダムほど観光客はいない。

一大観光地にしては観光客が少ないとすら思った。

塔に登ることもできたようだが、料金を取られるのでパス。

次に目指すは凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場。

エッフェル塔から歩いて凱旋門に向かったので、凱旋門の横に出た。

凱旋門の周囲は車が何車線も環状にグルグル回っていて凱旋門にはとても近づけない。

どうやって凱旋門へいくのかというと地下道である。

地下道を通って凱旋門へ上がろうとしたら、ここも料金がかかるという。

金を払えば凱旋門の上まで登れたらしいが余分な金は使いたくなかったのでパス。

これでノートルダム、エッフェル塔、凱旋門へ行った。

残るはルーブル美術館のみだ。

ルーブル美術館は15時以降だと入場料金が30フラン(≒510円)に安くなるという(普段は46フラン≒782円)。

だから敢えてルーブルは15時以降に行くことにした。

凱旋門から伸びるパリのシャンゼリゼ通りをコンコルド広場、ルーブル美術館方面へ向かって歩く。

パリの大通りだけあって人も車も多く、様々な店が並ぶ。

昼飯はシャンゼリゼ通りで適当に目を付けた店に入った。

67.5フラン(≒1147円)のセットメニュー。

ハンバーガー(ファストフードみたいな安っちぃヤツじゃなくて立派なヤツ)、ポテト、パン、赤ワインのセット。

観光地で金をかけるのは嫌なくせに、食事には結構金を使っていたりする…

メニューに何が書いてあるかわからないからセットメニューのように無難なものを注文してしまうからだ。

まぁこれ頼めばまともなモノが出てくるだろう、という安易な気持ちからだ。

レストランを出てコンコルド広場からルーブル美術館へ向かう。

コンコルド広場へ近づいてくると、明らかに日本人が目に付き始めた。

西洋人の中にいる東洋人だから目立つ。

その中で同じ空気を出しているのか、相手が日本人だとなんとなく分かる。

こっちが向こうを日本人だと分かるくらいだから向こうもこっちが日本人だということは分かっているのだろうな。

時々それが韓国人だったりしたこともあったけど…

コンコルド広場のベンチで15時になるまで時間を潰す。

15時なったのを見計らってルーブル美術館へ。

館内広!でかっ!大英博物館よりも大きそうだったし人も多かった。

案内所には日本語の無料パンフレットも置いてあった。

30フラン(≒510円)払って館内へ。

何があるかなんてサッパリ分からないのでとりあえず一番有名(?)なモナリザを見ることに。

館内の案内表示にしたがってモナリザを見つけ出した。

モナリザだけは他の美術品とは別格でガラスで守られていた。

もちろんそこだけ観光客も多し。

館内はフラッシュ撮影禁止となっているのにしょっちゅうフラッシュがたかれていた。

モナリザの部屋
後ろに見えるのがモナリザ氏

モナリザを見たから後は時間の許す限り館内をブラブラ。

到る所に「教科書に載ってそうだなー」という絵や彫刻がたくさん。

ミロのビーナスや、ドラクロアが描いたフランス革命なども発見。

館内は迷路のように複雑。

ハムラビ法典があるというので探したが見つからなかった。

閉館時間が17時30分なのだが17時少し前になると次々に部屋から追い出された。

エスカレーターも止まっているし。

17時30分閉館だから15時以降は入場料が安くなるのだな、納得。

でもあれだけ広い美術館だったら閉館後に一人くらい隠れていても見つけ出せないだろうな。

それに開館時間から入っても全部を見ることは出来ないだろう。

17時30分頃、ルーブル美術館を出てホテルへ戻った。

もちろん帰りも徒歩、ルーブル美術館からパリ・ノード駅まで歩き、ホテルへ戻った。

朝、地下鉄を出たところから歩き始めて、ノートルダム〜エッフェル塔〜凱旋門〜シャンゼリゼ通り〜ルーブル美術館〜パリ・ノード駅

ロンドンに続きパリでも我ながらよく歩いたものだ。

 

ホテルに戻って小休止後に晩飯を食いに外へ。

表に日本語のメニューを掲げている店があったのでそこへ入ることにした。

80フラン(≒1360円)のセットメニューを注文。

ステーキにサラダ、赤ワインのセット。

なんかフランスではこんなのばっかり食っているような…。

座った席が窓際の席。

東洋人が珍しかったのだろうか外を歩いていたガキがこっちをみてイェーイ!!って…。

窓際の席は完全に見世物になるな…。

食後、駅の近くの小さな商店に入って缶ビールを購入。

店を出ると日本語で「あの、日本の方ですか」と声をかけられた。

見ると女の子2人組、いかにも"たった今到着しました"というように大きなスーツケースを持っている。

どうやら駅へ着いたのは良いがホテルの場所が判らなくて困っていたらしい。

ホテルの場所が載っている地図を見せてもらうと、現在いる所とは逆。

どうせ暇だったので一緒に探してあげることにした。

彼女ら2人は1人が大学4年の卒業旅行でもう1人は友達(フリーター)で一緒に来たという。

世間話(?)をしながら地図を頼りにホテルを探すが見つからない。

近い所まで来ているのは間違いないのだがホテルが見つからない。

そもそもこっちだってフランスに来て2日、そんなに道に詳しいわけではない。

かといって地図を渡されて途中まで案内した手前、やっぱり分かりませんとは言えない。

内心かなり焦っていた、やばい分からないぞ。

でもなんで私が地図持って一番一生懸命探してるんだよ、アンタらのホテルだろうが…

しばらくして彼女らがホテルの住所と電話番号が書いてある紙を出す。

住所を頼りにホテルを探すといとも簡単にアッサリとすぐ近くに見つかった。

思った通りかなり近い所まで来ていたのだ。

最初っからそのホテルの住所を出せよ…。

いずれにせよ、旅をしていて初めて他人の役に立てたな。

彼女らはフランスに1週間滞在した後でロンドンに向かうという。

ロンドンでもまた迷うのかな…道中お気をつけて。

 

パリでは天気が悪くなくて良かった。

曇ってはいたが時々晴れたし、雨は降りそうになかった。

シャンゼリゼ通りなどはいかにもパリ、1本の大きな道で凱旋門もあるだけに壮観。

有名な観光スポットもたくさんあるし、だいぶ観光客で潤っているだろう。

もう1泊くらいしてもう少しゆっくり見てまわっても良かったかもしれないな。

とは言えガイドブックを見て是非ココには行きたい!っていうのは特にもうなかったな。

そういう意味では妥当かつ満喫したフランス滞在だったのかもしれない。

 

2月2日 金曜日 フランス・パリ〜オランダ・アムステルダム

まだ夜も明けきらぬ5時30分には起きて、6時にはホテルを出た。

パリ・ノード駅から出る特急列車タリスに乗ってオランダ・アムステルダムを目指す。

乗車券は既に買ってあったので、駅構内の掲示板を見てプラットホーム番号を調べて列車に乗る。

国境を越える列車なのに、事前の乗車券の検札などは何もない。

乗ろうと思えば誰でも勝手に乗り込めてしまうような特急列車だった。

2等車の車内はほぼ満席、朝早い時間ということもあってか旅行者以外にビジネスマン風の人もいた。

定刻6時55分に出発、外はまだ暗い。

発車してすぐに車内で車掌が乗車券の検札に来た。

フランスからオランダへ行くにはベルギーを通って行かなければならない。

8時20分、ベルギーの首都ブリュッセルに到着、数人の客の乗り降り。

列車内からしかブリュッセルの街は見られなかったが、高層ビルもあって近代的な感じもした。

その一方でヨーロッパ風の古い建物もあった。

アムステルダムへ向かう車中で雪が降ってきた、いかにも寒そうだ。

考えてみるとパリですら緯度は北海道よりも高いのだ、寒くないわけがない。

11時過ぎ、アムステルダム・セントラル駅に到着。

結局ここでもパスポートチェックや税関などの国境通過行事(?)はなかった。

駅構内から外へ出てみると雪が降っていてものすごく寒い。

この寒い中で銀行等を探して両替するのはキツイかもしれん。

ということでレートは悪そうだったが駅構内で両替を済ませた。オランダの通貨は1ギルダー(≒47円)。

まずは腹ごしらえ、目に付いたマックへ入る。

マックの味はどこの国でも変わらない。

バーガーとポテト、ジュースのセット9.95ギルダー(≒467円)。

アムステルダムでの目的は2つ。

1つはハイネケンのビール工場がアムステルダムにあるのでそこへ行く。

そこはビール工場見学をした後にビールが飲み放題だという。

そしてもう1つはアンネ・フランクの隠れ家がアムステルダムにあるというのでそこへ行くことだ。

腹ごしらえを済ませてまずはハイネケンのビール工場へ向かう。

しかし天気は雪、しかも到着した時よりも明らかに雪が強くなり降るというより舞うという感じ。

風も強くてめちゃくちゃ寒い。

そんな中で地図を頼りにハイネケンビール工場を探し歩いた。

アムステルダムは街の中いたるところに運河が通っている。

小樽なんてメじゃないほどの運河の街である。

似たような運河がたくさんあって自分がどこにいるのか分からなくなる。

道も何だかヤヤコシイ。

そんなこんなで雪の中迷い歩きながらどうにかハイネケンビール工場を発見。

とても寒い中ビールを飲むのもどうかと思ったがせっかくこれ目当てで来たのだからと入り口へ向かう。

すると入り口の外に貼り紙が、そこにはこう書かれていた(英語で)。

"工場見学は2001年5月まで休みます。"

ふざけんなー!!思わずドアを開けようとしたが鍵もかかっていたし中に人のいる気配もない。

このクソ寒い中歩いてきたのにこの仕打ちかー!

もぉ絶対ハイネケンなんか飲まねーよ。

ただでさえ疲れていた体が精神的にも一気にどっと疲れた。

雪のオランダとハイネケンの仕打ちに腹が立ってオランダで2泊する予定だったのだが急遽予定を変更。

この日のうちにアンネ・フランクの隠れ家に行ってしまい翌日にはドイツ・ベルリンへ行ってしまうことにした。

そうと決まればまずは駅へ行ってドイツ・ベルリンまでの乗車券を購入することに。

駅の窓口で列車番号等を書いたメモを渡して英語で乗車券を無事に購入。

ユーレイルパスを持っていたので僅かな予約金のみで乗車券を購入。
(ユーレイルパスはヨーロッパの鉄道が乗り放題だが、予約が必要な列車では僅かな予約金を取られる)

ドイツ行きが決まったらあとはアンネ・フランクの隠れ家へ行くだけだ。

相変わらず雪の降りしきる中、アンネの隠れ家を目指す。

………見つからない。

地図を頼りに探し歩くがハイネケン工場同様なかなか見つからない。

裏通りみたいな所を歩いていると風貌の怪しげな若い男が

「コカイン、エクスタシー、ホニャラララ…」

と呟きながら近寄ってきた、目も合わせずに無視したが恐かった。

そういえばガイドブックにオランダは自由な街だから売春OK、ドラッグやゲイも横行みたいに書いてあった。

雪と寒さと迷いながら歩くことにより体力は消耗…

危険な香りのする裏通り…

アンネの隠れ家は見つからない…

夕方になってきて辺りも暗くなりだしそう…

当日のホテルすら未だ決めていない…

やめた!もーやめた!!

アンネの隠れ家なんてもぉいーや!!

だいたいアンネの"隠れ家"なんだ、見つからなかったからって何がいけないんだ。

そうだ、アンネの隠れ家は隠れてたから見つからなかったんだ、そうに違いない。

むしろ見つけたら"隠れ家"じゃねーよ、いーんだ、これでいーんだ、アンネよ安らかに…

無理矢理に自分を納得(してないけど)させてホテルを探すことにした。

オランダでは何もなかったことをネタにしようと頭を切り替えた。

かと言ってフランスのようにホテルに飛び込んで1泊いくらだ、部屋を見せろってやるのも面倒臭かった。

目に付いたホテルがツインで200ギルダー(≒9400円)だったのでそこに決めてしまった。

2泊するつもりで両替していたので金は持っていたし、もう高くてもなんでも良かった。

とにかくホテルをさっさと決めてとりあえず落ち着きたかった。

それほど参っていた。

あんだけ寒い雪の中を歩いてなんの成果もなし。

駅へ着いて雪が降っていた所から歯車が狂い始めて、ハイネケンのビール工場がやっていなかったことにより全ての歯車が狂ったのだ。

暖かい部屋でしばらく休んでようやく晩飯を食いに行くくらいの元気は取り戻した。

夜になっても雪は止まない。

ホテルは繁華街近くに取ってあったのでレストランみたいな所は結構あった。

少し前にハイネケンなんか絶対飲まない、って思っていたのに…

オランダ産のビールだけに街のレストランにはハイネケンの看板が多数。

ハイネケンの他にアムステルビールの看板もあったが、やはりハイネケンの方が多い。

なんだかんだ言ってもやはり生ビールが飲みたい!ってことでバーレストランみたいなところに入った。

そこではやはり生ハイネケンを注文してしまった。

フン、これが飲めなかったハイネケンか…苦労した後だけに美味いじゃないか。

オランダでのテーマは"生ハイネケンを飲む"で妥協しておこう、ウン。

 

アムステルダムの街はなんか恐い。

先述のドラッグ兄ちゃんの他にも突然路上で叫び出す若者がいたりとか。

これまでのロンドン、パリが大都市にして一大観光都市だったのに比べると規模が小さく感じてしまう。

日本人もアムステルダム・セントラル駅で数人見たきりだったし(観光地に行っていないというのもあるが…)。

印象はやはり運河の街ということと寒いということ、これに尽きるかな。

 

2月3日 土曜日 オランダ・アムステルダム〜ドイツ・ベルリン

今回泊まったホテルは朝食付き。

列車は朝早く出るので7時にはパンとハム、チーズ、紅茶の朝食を済ます。

ホテルを出ると昨日は積もっていなかった雪がすっかり積もっていた(雪も降っていた)。

朝8時前のアムステルダム・セントラル駅だが、駅構内にまたしてもドラッグを売る兄ちゃんがいた。

駅構内なのに「コカイン?」と聞いてきた、恐いな。

8時13分発のドイツ・ベルリン行きの特急列車。

これまでのユーロスターやタリスのような近代的特急列車とは少し違った感じ。

4人がけくらいの椅子が向かい合わせになっている個室(コンパーメント)などのある車両。

1つの車両にいくつもの個室があるが、個室ではなく普通の指定席みたいなのもあった。

色々な席が1つの車両に詰まっている妙な車両だった。

アムステルダムの売店で小銭処分のために買った缶ビール(やっぱりハイネケン…)を飲んで車窓を眺める。

外は一面の雪景色。

ビールも飲んでいたし朝も早かったので電車内は寝てすごす。

10時25分頃Bad Bentheim駅なる所に停車。

ここで初めて列車内でパスポートチェックに来た、初めての入国審査か?

パスポートを見せて滞在都市を告げただけでチェック終了。

入国のハンコを押すわけでもなく、アッサリすんなりOK。

国境だったのだろうか、入国審査にしては何もなさすぎだ。

でもこれまでは入国審査すらなかったわけだからこれで良いのだろう。

14時30分、ドイツのベルリン・ツォー駅に到着。

この日は土曜日のなので銀行等が営業していない恐れがあるので無難に駅の両替所で両替した。

1ドイツマルク≒58円

ベルリンもやはり寒い、雪の降った跡もある。

まずは腹ごしらえ、適当に歩いて目に付いたレストランに入る。

ドイツでは勿論ビール、ビールだ。

当然ナマ、生だったしジョッキだった、やはりドイツさすがドイツ。

相変わらずメニューが読めないので、無難な値段の料理を適当に注文。

出てきたのはトンカツにホワイトソースがかかったようなもの。

生ビールに合って結構美味かった。

そしてお会計。

店員に端数の小銭をピッタリ払ったら嫌そうな顔でチッって舌打ちされた。

その瞬間ピーンと来た、チップを忘れていた…。

しかしあからさまに嫌な顔で舌打ちされたのにチップを出すのも癪だったのでそのまま出てきてやった。

これまでの国でも料理屋でお釣りの小銭をチップとして置いて行くくらいのことはしていた。

ホテルでもちゃんと枕銭を置いてきたし。

でも今回はピッタリ小銭で払えてしまえた、あとは大きい紙幣しかなかったのだ。

こういう場合はどうやってチップを上げれば良いのだ?

わざと大きい紙幣で払ってまでしてチップを上げなければならないのだろうか。

妙な文化だ、チップ。

貰えるのが当たり前だと思っているのが腹立つ。

とりあえず空腹は満たされたことによって次にするのは今夜のホテル探し。

パリのように飛び込みで交渉して探しても良かったが、寒くてあまりそれをする気にはならなかった。

手っ取り早いホテル探しの方法としてツーリストインフォメーションへ行くというのがある。

大きい駅の構内やその近くにはだいたいインフォメーションがある。

そこでホテルの予約もしてくれるのだ。

ベルリン・ツォー駅の近くのヨーロッパセンターなる建物にインフォメーションがあった。

そこでホテル探しを依頼。

駅の近くでツインベッドで1泊の予算は150ドイツマルク(≒8700円)くらいまでで2泊したい、

ということを英語を駆使して言った。

すると窓口の兄ちゃんがパソコンを操作して145ドイツマルク(≒8410円)で良い所がある、と。

「Special…」と言っていたから特別価格なのかお薦めなのか…。

とにかく145ドイツマルクなら許容範囲内なのでそこに決めた。

手続きの際にクレジットカードの提示を求められた。

この旅で初めてクレジットカードが役に立った。

ガイドブックにホテル予約の際にクレジットカードが支払能力があることの証明になる、と書いてあった。

どうやらそれは本当らしいな…

ホテルの場所の説明を聞き、地図で確認してホテルまで歩いて行った。

徒歩20分くらいと言われたが、10分ほどで着いた。

ホテルは予想以上に綺麗でなかなか良かった、朝食も付いているというし。

もし普通に歩いてホテル探しをしていたら「高そうだ」ということで敬遠していそうなホテル。

風呂がシャワーだけだったのが難点だが、それでもこれまで泊まったホテルの中では一番かなと思えた。

インフォメーションの斡旋を通すと安くなるのかな。

 

ホテルで小休止した後に晩飯を食いに外へ。

夜のベルリン、めちゃくちゃ寒い。

駅方面へ向かって歩くと良い感じのバーを発見。

店内に入ると雰囲気もなんとなくドイツ(よく分からんが…)って感じで良い。

とりあえず数種類もあった生ビールを飲む。

ウィンナーも食った。

ドイツでの目的、"ビールとウィンナー"達成。

店内では土曜日だからかバンドの生演奏とかもあったしなかなか良かった。

チキン、チーズ揚げ、ウィンナー、生ビール各6杯(1人3杯)で合計70ドイツマルク(≒4060円)。

ホテルへ戻り、今後の予定を検討。

鉄道時刻表を見ながらルート研究。

ちなみにルート研究は全て私がやった。

私が決めたルートを相方に提示し賛同を得るという感じ。

もちろん相方の意見(行きたい・見たい所)も尊重した。

官僚と政治家みたいなもんだな。

私が今回の旅で行きたいと思っていたのがポーランドのクラクウ(理由は後で説明)。

そして相方はチェコのプラハへ行ってみたいと言っていた。

この2つの意見をまとめてポーランド・クラクウへ行き、それからチェコへ行くルートを考えた。

鉄道時刻表を見て巧く行く列車を探す。

ベルリンからクラクウへ行く列車があり、クラクウからプラハへ行く列車もあった。

巧くお互いのニーズを満たす列車を発見することが出来た。

そんなわけで、ベルリンの次はポーランド・クラクウへ行くことに。

そしてポーランド・クラクウからチェコ・プラハへ行くことにした。

問題はチェコから先のルートをどうするか。

チェコに隣接している国はドイツかオーストリアかスロバキア。

スロバキアはビザがないと行けないし、ドイツは現在いる所。

すると必然的に行くのはオーストリアということになる。

というわけで鉄道時刻表を調べるとチェコ・プラハからオーストリア・ウィーンへ行く列車がある。

それでウィーンへ行くことにして、ウィーンから最後の国・イタリアへ入国することにした。

ここへ来てようやく旅の全ルートが暫定ながら決定した。

もちろん途中の街で何があるか分からないのであくまでも暫定決定だ。

今後の予定が決まったところで就寝。

翌日はポーランド・クラクウ行きの乗車券を買い、ベルリン観光だ。

 

2月4日 日曜日 ドイツ・ベルリン

この日は1日フリーでベルリン観光。

列車が朝早く出るとかそういう予定がないので久々に朝はゆっくり眠っていられた。

ホテルの朝食は豪華で、セルフサービスでパンやシリアル、数種類のハム・チーズが取り放題。

ジュースや紅茶・コーヒー、ヨーグルトなどのデザート関係も充実。

やはりなかなか良いホテルだ。

ホテルを出ると我々の行く手を遮るものが…雪、しかも積もっている。

アムステルダムの二の舞だけは御免だ。

幸いにして降ってはいたが強く舞ったりはしていなかったので強行突破(強行突歩)することに決定。

まずはベルリン・ツォー駅へ行き、ポーランド・クラクウまでの切符を購入。

これまではユーレイルパスというヨーロッパの鉄道が乗り放題のフリーパスを使ってきた。

ところがこのユーレイルパス、明日から行く旧共産主義圏の国であるポーランドやチェコでは使えない。

しかしドイツ国内での鉄道ではユーレイルパスが使える。

ドイツ・ベルリンからポーランド・クラクウまで行く列車のポーランド国内分だけ乗車券を買わなければならない。

だから今回の乗車券購入は少し厄介なのだ。

駅の窓口で持てる英語力を最大限に発揮して、ユーレイルパスを持っていることをアピール。

だから我々はポーランド国内だけの乗車券が欲しいのだ、ということを必死に伝えた。

私の言いたかったことは窓口のお姉さんに伝わったようでちゃんと発券してくれた。

ドイツ・ベルリンからポーランド・クラクウまでの特急券と、ポーランド国内の乗車券の2枚を手に入れた。

恐れくこれで大丈夫なのだろう。

毎度のことながら無事にこっちの意志が伝わるとホッとする。

とりあえず安心したところでベルリン観光へ向かった。

ベルリンといえばなんといっても壁だろう。

壁の名残を求めるために歩き出した。

まず向かったのは戦勝記念塔ジーゲスゾイレなるところ。

1864年デンマーク、1866年オーストリア、1871年フランスに勝利した記念に立てられた塔らしい。

戦勝記念の何かをもし日本で日本国内に作ったらアジア諸国からボロクソに批判されるんだろうな…

大統領官邸や旧帝国議会議事堂などがあるティアーガルテンなる大きな公園を抜けて戦勝記念塔へ。

雪も降り、積もっていたのであまり観光客の姿はない。

戦勝記念塔は中に入って上まで登れるらしい。

2ドイツマルク(≒116円)と安かったのでせっかくだから登ってみることに。

登り始めたは良いが螺旋階段がメチャクチャ長い。

登りながら「高っ!」と呟いたら上から降りてきた兄ちゃんに「まだあるぞ、頑張れ!」みたいなことを言われた。

何語で話したのかは判らなかったが、そのニュアンスで何を言っているのかが分かった。

言葉は判らないけど、何を言おうとしているのかが判ることもあるんだな。

観光施設に落書きがあるのは万国共通らしく、内部の壁にはたくさんの落書きが。

中には日本語の落書きもあってどう見ても品があるとは言えない落書きだった、バカ日本人め…

ようやく登りきった頂上は強風・極寒。

でもあれだけ苦労して登ったのにすぐに降りるのはなんだか勿体無い。

頂上にいるのは若者旅行者が3,4人だけ。

やはり天気も悪いし寒いので人は少ないのだろう。

頂上では皆とりあえず写真を取る。

お互い旅行者なので気軽に「シャッター押して貰えますか?」と言える。

そのシャッター押して貰えますかのコミュニケーションの中でアメリカから来たという若者と少し喋った。

顔は東洋人で最初は日本人と間違えたくらいだが、アメリカから来たという若者。

英語で少々の会話、それでも彼の言っていることが全ては分からない。

全て分からなくてもなんとなく分かって会話が成立しているから不思議だ。

彼が先に頂上にいたので「では良い旅を。」と言って先に降りていった。

旅の小さな出会いだった。

我々も戦勝記念塔を降りて次に目指すはブランデンブルグ門。

戦勝記念塔から長い道がブランデンブルグ門へと延びている。

このブランデンブルグ門のすぐそばにベルリンの壁が存在していたのだ。

ブランデンブルグ門を目指して歩いた。

ところが残念、なんと門が工事中なのか巨大な幕がかかっていて門の全容を全く見る事が出来なかった。

門のすぐ近くには壁があった跡を示すためかいくつかの写真や文が看板に掲示されていた。

巨大な幕はかかっていたもののブランデンブルグ門をくぐって旧東ドイツ領内へと入った。

10数年前には通ることが出来なかった門をくぐって旧東ドイツ領内へ、感慨深いな。

旧東ドイツの大通りを歩き、喫茶店に入りビールを注文。

寒かったのにビールは如何なものかと思ったが、歩き疲れていたので冷たいビールでも美味かった。

やはりドイツへ来たからにはビールでしょう。

ビールを飲んで店内で暖をとってゆっくりして再出発。

目指すは壁が作られた当時の資料を集めた壁博物館。

東西ドイツを行き来する為に作られた検問所跡のすぐ近くにあるという。

そこへ向かう為に大通りを歩いているとバス停に戦勝記念塔で会ったアメリカの若者がいた。

「おぉ!」という感じで挨拶を交わし、一緒に歩くことに。

英語で会話しながら歩く。

彼はドイツを回っているらしく、フランクフルト〜ミュンヘンへ行って帰るという。

なんだかこういう時に私は何を喋って良いのかよく分からない、しかも英語だし。

だから聞かれたことを答えるというふうな会話になってしまった。

もう少し積極的に会話しても良かったかな。

大通りの途中でお互い目指す所が違うので(彼はペルガモン博物館へ行くと言う)お別れ。

最後に握手をして別れた。

小さな旅の出会いが良い思い出になった。

少し歩いて壁博物館に到着。

館内はあまり広くないように感じたが入ってみると上の階とかもあって結構広かった。

思ったよりも人はいたが混雑しているという感じではない。

壁があった当時や壁を見張る軍隊、壁を越えようとして捕まっている人々の写真等々。

東側から西側へ脱出しようとした人の脱出方法やルートなどがパネルで紹介されていたり。

鞄の中に入った子供の写真、地下道を掘る計画の写真、脱出するための気球…

ところどころでビデオにより脱出の模様や抗議運動のようなものなどが上映されていた。

壁の威圧感や時代背景、書いてある説明文こそ読めないが写真を見ているだけで感じるものは充分にあった。

壁博物館には売店もあってそこの売店ではベルリンの壁が売られていた。

かなり大きい壁でイラストが描かれている。

壁に描かれていた絵が芸術作品なのか当時の絵のままで3800ドイツマルク(≒220,400円)もした。

22万円も出して壁を買う人なんかいるのだろうか…と思っていたら「SOLD」の札が貼ってあるものもあった。

それにしてもベルリンの壁のカケラは駅前の土産物屋でも安価で小さなカケラが売られていた。

果たして全てホンモノなのかどうか…怪しいものである。

どこの土産物屋に入っても売っていたし…。

その壁博物館の脇に当時のままというベルリンの壁の一部が残っていた。

どことなく当時のままっていうのは胡散臭く感じてしまった。

壁博物館を出て旧東ベルリンの中心地へ行こうかとも思ったが疲労と寒さでそれを断念。

それほど興味を引かれるようなものもなかったし。

帰り道は来た道を戻るのではつまらないのでポツダム広場などの再開発エリアを通って戻った。

再開発エリアは文字通り再開発するエリアで、工事現場が広がっている。

その中心地にあるのがソニーセンターなる建物。

どの辺がソニーなのかはよく判らなかったが、かなり巨大な建物で色々な店や映画館なども入っていた。

ソニーセンターのソニーはあのソニーだよな…

結局歩いてホテルまで戻った。

ベルリン・ツォー駅〜戦勝記念塔〜ブランデンブルク門〜壁博物館〜ポツダム広場〜ベルリン・ツォー駅

やはり歩き通した。

ホテルで休んだ後に晩飯。

雪も降っていたので遠出はせず無難に安全に結局前日と同じ店へ行った。

 

ベルリンも相変わらず歩き通した。

ビールが格別に美味いとは思わなかったが、無難に美味かった。

コンビニみたいな所でビール500mlとミネラルウォーター500mlの値段が同じなのはさすがドイツ。

水の如くビールを飲め、と。

ベルリナービール500mlが1.95ドイツマルク(≒113円)、エビアン500mlが2ドイツマルク(≒116円)
むしろビールの方が水より安い…

ブランデンブルグ門が殆ど見られなかったのが最も残念。

あとは壁がもっと当時のままの壁っぽく建っていてほしかった(ドイツ人に怒られるかな)。

少しの間だったけど外国の旅人とも仲良くなったしなかなか良かったぞ、ベルリン。

日本人はあまり見かけなかった、ベルリン・ツォー駅周辺で数人見たくらい。

やはり日本人はドイツっていうとファンタスティック街道やロマンティック街道などの古城を見に行っているのかな。

 

2月5日 月曜日 ドイツ・ベルリン〜ポーランド・クラクウ

列車は早い時間に出る予定なのでそれに間に合うように起床。

予定では8時間ほどもかかる列車の移動なのでホテルでの朝食をしっかりと取っておいた。

外へ出ると雪は降っていなかったが、路面に積もった雪が凍り付いていた。

ベルリン・ツォー駅で小銭処分の為に売店でビールやつまみの買い込み。

8時55分にベルリン・ツォー駅を出発予定の特急列車。

ところが時間になっても列車が来ない。

掲示を見ると20 minutes laterとなっている、どうやら20分遅れらしい。

ホームはとても寒かったが20分遅れくらいだったらホームで待つことに。

ところが20分経った9時15分になっても一向に列車の来る様子がない。

しかもホームの掲示にも我々が乗る列車の表示が無くなった。

プラットホームが変わったりしたのか?

果たして大丈夫だろうか…不安になり一旦駅構内へ戻り発車一覧掲示を見る。

するとプラットホームは変わっていなかったが20 minutes laterから60 minutes laterとなっていた。

1時間遅れである、オイオイ…。

そんなに長いこと寒いホームで待ってられないので少し駅構内で休む。

しかし少し早く列車が来て置いていかれたら大変だと不安になってすぐにホームへ上がってしまう。

今度こそちゃんと(?)9時55分に列車が来て無事に乗ることが出来た。

しっかりとした特急列車で良かった。

車内は空いていて4割程度の入り。

特急列車の指定席はそれぞれの席番号の所にBerlin→Krakowと紙が貼ってあった。

今回の旅で最初で最後となるであろう、その国の首都ではない都市へ行くことになった。

ポーランドの首都はワルシャワである、しかし我々が向かうのはクラクウ。

何故にポーランド、何故にクラクウに行くのかをここで説明しなければなるまい。

本当の目的はクラクウではない、クラクウ近郊のオシフィエンチムという所である。

そのオシフィエンチムに何があるのか…アウシュビッツ強制収容所である。

ナチス・ドイツが第2次大戦中に多くのユダヤ人・ジプシー・共産主義者等を捕らえ、強制的に収容した場所だ。

強制的に過酷な労働に従事させたり即座に殺されたり、ガス室での大量殺人なども有名な話しだ。

そのアウシュビッツ強制収容所がポーランドのクラクウ郊外のオシフィエンチムにあるのだ。

ある本を読んでいてその作者がアウシュビッツへ行った時の様子をエッセーに書いていた。

それを読んで興味を引かれて行ってみたいと思ったのだ。

ナチスドイツが作った強制収容所だからドイツにあるものだとばかり思っていた。

しかし調べるうちにそれはドイツではなくてポーランドのクラクウ郊外にあるのだと判った。

ヨーロッパを旅するならせっかくだからアウシュビッツを見ていきたいとどうしても思った。

だから敢えてユーレイルパスが通用しないポーランド、しかも首都ではないクラクウに行こうと思ったのだ。

今回の旅で何が一番見たいかというとそれはアウシュビッツだったのだ。

以上がポーランド・クラクウへ行こうと思った理由である。

とはいえこの旅で初めて旧共産主義圏の国に入るので少々緊張した。

どうも旧共産主義圏というとなんとなく恐いイメージを持ってしまう。

共産主義が崩壊して民主化の波が訪れ、貧富の差が拡大し、犯罪が増える…と言うような。

あくまでもイメージだがどうしてもそういうイメージを持ってしまうのだ。

列車に乗っていてドイツ国内と思われるところでパスポートチェックがあった。

この時はパスポートを見せるだけだった。

そしてポーランドに入ったのか今度は軍人みたいなのが数人乗ってきてパスポートを見せる。

別に何もなく無事にハンコを押してくれたけど"軍人ですっ!厳格ですっ!"って感じで雰囲気が恐かった。

パスポートチェックの軍人が去った後は麻薬犬を連れた軍人が列車内を往復していったし…

そういえば列車での国境間移動でパスポートにハンコを押されたのは初めてだな。

列車内では買っておいたビールとポテトチップで空腹を満たす。

なにせ8時間近く列車に乗っていなければならない。

乗車券の検札は4回もあった。

その際に車掌が「Do you speak Polish?」と聞いてきた。

ポーランド語を喋れるかということだ、「No」と答えると

「This train is 100 minutes later.」と言われた。

ワンハンドレッドミニッツレイター?!なんと100分遅れだという。

1時間遅れてきて更に100分遅れとはどーゆーことだ。

快適でないわけではないが、何時間も列車に乗っているとケツも痛くなってくる。

列車内が空いていたのが唯一の救いだけど…

ガイドブック読むのもそろそろ飽きたし、もう結構眠ったし、腹も減ってきた。

ぼんやり窓の外眺めていたらどこぞの駅でホームの若者にこっち向いて中指立てられるし…恐いな、もぅ。

何もしていないのに妙に疲れて列車がようやくクラクウ中央駅に着いたのは19時すぎ。

当初の予定では17時20分に到着だったのに…あっ、100分遅れってのはピッタリ当たってる。

辺りは既に真っ暗、しかも雨まで降っている。

とりあえず両替をしなければならない。

両替の場所を駅のインフォメーションで聞くと外の両替商KANTORへ行けという。

ところが時刻は19時すぎ、2件くらい両替商を見たが既にどちらも閉まっていた。

どうしよう、ポーランドの通貨ズォティを全く持っていないし両替をする術もないのだ。

おまけにガイドブックに夜のクラクウ中央駅は治安が悪いとまで書いてあった。

外は暗い、雨も降っている、金はない、初の旧共産主義圏の国、治安が悪いと書いてあったクラクウ中央駅…

とりあえず駅を避けて街の方へ出てみよう、開いている両替商もあるかもしれない。

というわけで雨の中を歩き始めた。

開いていそうな両替商を見つけて店内に駆け込む。

ようやく両替が出来ると思ったが「Exchange finished.」と冷たくあしらわれた。

両替が出来ない、これ以上雨の中を街まで出て両替商を探す気も失せた。

もうこうなったらポーランド通貨を持っていないことをホテルで説明してなんとか泊めてもらうしかない。

いざとなればクレジットカードもあるしなんとかなるだろう。

とりあえず外は暗いし雨も降っているのでホテルへ落ち着くことを第一に考えた。

すぐ近くにガイドブックに載っていた中級ホテルがあったのでとりあえずそこへ飛び込んだ。

ガイドブックに載っているようなホテルならとりあえず安心だろう。

フロントで英語で事情を説明「クラクウに着いたのが夜でポーランド通貨(ズォティ)を持っていない。」と

すると「No problem」だと言う。

米ドルでもクレジットカードでも宿泊はOKだと言うのだ。

幸いにして我々は日本円の他に米ドルも持っていたのでホッとした。

クラクウでは2泊する予定だったのでもうそこで2泊する手続きを取った。

2泊で114ドル(1ドルが当時118円くらいだとすると≒13452円)、そんなに高くなくて良かった。

宿泊手続きを終えるとフロントのオジさんが明日クラクウの郊外観光をするか?と聞いてきた。

アウシュビッツまでタクシーで案内してくれると言う、もちろん有料。

アウシュビッツはクラクウ郊外にあり、バスや列車で行けるのだが行き方に不安があった。

行き方はなんとなく判っていたが、郊外にあるのでバスで行くにしろ列車で行くにしろ不安があったのだ。

クラクウに着いた時の様々な状況からかなり精神的に参っていたので楽な方へと気持ちが流れた。

その場でアウシュビッツの郊外観光もお願いした。

とりあえずポーランドでのテーマである"アウシュビッツ"を安全に遂行することにした。

ちょっと楽な方へ流れすぎたかなと少し思った。

 

殆ど体を動かしていないのに妙に疲れた1日。

ようやくホテルの部屋で休むことが出来る。

しかしそれにしても腹が減って仕方ない。

考えて見ればちゃんとこの日は朝飯以外はしっかりした飯を食っていない。

特急列車内ではビールとポテトチップス、サービスで出たウェハースのオカシのみ。

そりゃ腹も減るわけだ。

しかし我々はポーランド通貨を全く持っていない、何も食えない。

ベルリンで小銭処分の為に買ったビールを空きっ腹に流し込む。

さらに小銭処分の為に買ったチョコレートを食べてなんとか飢えをしのいだ。

ビールとチョコレート、変な組合せだがないよりはまし。

それにしてもこんなに飢えていても確実に夜はビールを飲んでいる我々って…

 

2月6日 火曜日 ポーランド・クラクウ,オシフィエンチム

朝の9時にフロントへ行くと昨夜ホテルのフロントにいたオジさんが我々を待っていた。

彼の運転する車(普通の車)に乗り、アウシュビッツを目指す。

天気は曇り、雨が降っていなくて良かった。

車内では英語で少々の会話。

オジさんが英語を話せたので幾分気が楽だ、ホテルのフロントの人だから安心も出来たし。

ポーランドの道は空いていて北海道の道を連想させた。

道が空いているのでそのオジさんは車を飛ばす飛ばす。

1車線しかないのに平気で前の車を追い抜いていく随分無茶な運転だった。

車内では英語で会話、ネイティブイングリッシュではなかったので逆に判り易く感じた。

何を言っているのかはだいたい判るが単語の意味が判らないことが多かった、単語力って重要だわ。

1時間強走ってアウシュビッツに到着。

かなり飛ばして1時間強だから普通に行ったらもっと時間がかかっていただろう。

少々寂しい所にあって、バスや電車を使って自力で来ていたらちょっと不安になっていたかもしれない。

アウシュビッツは跡地が博物館になっていて自由に中に入って見る事が出来る。

入場は無料、館内には日本語のパンフレットも売られていた。

アウシュビッツに到着するとインフォメーションでオジさんが軽くアウシュビッツの説明を英語でしてくれた。

そして「後は自由に見てくれ、私は車で待っている」と自由行動になった。

最初の印象は結構狭いんだな、ということ。

「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)と書かれた門をくぐってアウシュビッツ跡地へと入る。

その門からは外周を有刺鉄線が取り囲んでいる。

アウシュビッツ入り口
これがかの有名なアウシュビッツの入り口

敷地内は当時のままなのか再建されたのかは知らないが同じような建物が整然と並んでいる。

外観は収容所とは思えないくらいにただ整然と同じ建物が並んでいるだけ。

それらの建物は収容者を収容する為のものだ。

その建物の内部1つ1つが展示室として公開されている。

数多くの建物があるが、その中は電気も殆どないので暗く空調も効いていなく寒い。

そしてその寒気をもっと増長させるような展示の数々。

ガラスケースの中には大量のメガネ、ブラシ、靴、スーツケース、義足など。

その全てはアウシュビッツに強制送還されてきた収容者の持ち物。

無造作にそして大量にガラスケースの中に積み上げられたそれらを見ていると強烈な寒気がしてくる。

極めつけはガラスケースの中に入れられた大量の髪の毛、もちろん収容者のものだ。

その無造作にガラスケースの中に積み上げられたさまには人間のカケラも感じなかった。

それがまさにナチスの非人道的な行為を表わしているような感じを覚えた。

展示品を見ているだけでかなり迫ってくるものがあった。

常に鳥肌が立っていたのは寒さのせいだけではあるまい。

その他の展示室は壁一面の収容者の写真、やせ細った子供や女の写真、強制収容の様子を描いた絵。

収容者の服、収容者の寝床の様子。

そしてほぼ当時まま残されていると言う「死のブロック」と呼ばれた建物。

その中にはナチス親衛隊が待機する部屋もあり、その部屋の中にあったヒットラーの写真が印象的。

建物の地下には地下牢が当時のまま残されていて、殆ど陽の光がささない地下だけに真っ暗で不気味。

「死の壁」と呼ばれる収容者を大量に銃殺した広場の壁は当時のままだという。

ガス室跡や焼却炉跡もしっかり残っていて中は冷え冷えとしている。

その寒さもただ空気が冷たいからだけではないだろう…

ガス室跡には花が奉げられていた。

展示室内の強烈な展示の数々でかなり気分が暗くなる。

広島や長崎の原爆資料館を見たときと同じような気分。

しかし原爆資料館よりも迫ってくるものはあった。

アウシュビッツの場合はまさにココでそれが行われたということ。

さらにヒトがヒトを非人道的な方法で惨い仕打ちを行なっていたということ。

建物内部の冷え切った暗い雰囲気も一層現実味を持たせていた。

パンフレットによると当初アウシュビッツはポーランド人政治犯を収容する為に作られたと言う。

そしてポーランド人もそこで大量に虐殺された。

その現場であるアウシュビッツはポーランドにある。

そして現在アウシュビッツ跡地はユネスコの世界遺産に指定されて博物館となっている。

それに対するポーランド人の国民感情と言うのはどういうものなのだろうか。

他国から侵略して自分達の土地に自分達を殺すための施設を建てて、それが現在は観光地…

複雑だろうな、果たしてそれを観光に来るドイツ人はどんな気持ちなのだろうか。

なんてことも考えた…

 

およそ1時間ほどアウシュビッツ内を見て回った。

その気になってちゃんと建物内を見学していたら2時間くらい優に過ごせたと思う。

アウシュビッツのインフォメーションの中に両替所があったので残っていたドイツマルクだけ両替した。

なんとなく観光地の両替所はレートが悪そうだったので…

オジさんの車へ戻り、次に目指すはビルケナウ・第2アウシュビッツである。

アウシュビッツから車で5分くらいの所にあり、アウシュビッツよりもかなり広大。

広大な敷地には収容者が入れられたバラックの跡が点々と残っている。

敷地の中央には線路が敷かれている。

ここに列車が到着して収容者が連れてこられたのだ。

ビルケナウ
広大なビルケナウ(第2アウシュビッツ)

ビルケナウの回りはのどかな村という感じで、ビルケナウも広々としていてかなりのどか。

のどかで広大な敷地とそこで行われていたことを考えると嫌でも感じるものがあった。

ナチスドイツが撤退の際に爆破したガス室の跡がハッキリと残っていた。

その他には国際慰霊碑やバラック跡が残っているくらいで細かい展示品等はなかった。

 

オジさんの車へ戻ると、ヴァエリチカ岩塩採掘場へ行ってみるか?と言う。

そこも有名な世界遺産らしいが追加料金もかかるしあまり興味もなかったのでパスした。

再び車を飛ばしてクラクウに戻る。

疲れからか車内では眠ってしまった。

14時頃にクラクウ市街へ戻ってきた。

オジさんに料金を払う、280ズォティ(≒9520円)。

高いような気がしたが、ホテルのフロントにも280ズォティと書いてあったからそんなもんなのだろうか。

まぁ安全に確実にアウシュビッツへ行くことが出来たから良しとしよう。

クラクウに着いてまずすべきことは翌日行く予定のチェコ・プラハへの乗車券を買うことだ。

ポーランド・クラクウからチェコ・プラハまでの列車は1日1本の夜行列車しかない。

だから夜行列車の乗車券を買わなければならない。

この旅初めての夜行列車だ、果たして無事に乗車券が買えるのだろうか。

アウシュビッツへ向かう車の中でオジさんに夜行列車が幾らくらいかを聞いておいた。

出来れば1等寝台車を使った方が良いと言われ、それだと8〜9000円くらいだと言う。

夜行列車だから、1泊分のホテル代が浮き、安全と安眠を考えると1等寝台が妥当という結論に達した。

クラクウ市街で両替商を色々見て周り、一番レートの良さそうな所で1万円を両替。

ポーランド通貨1ズォティは約34円。

ようやくまともにポーランド通貨を手にしたのでまずはクラクウ駅へ向かい夜行列車の乗車券を買うことに。

値段は正確には覚えていないが8000円くらいで1等寝台を買えたような気がする。

思ったより高くなかった、移動と宿泊が同時に出来るから何だか得した気分だし。

明日の行く所が決まったら次に我々がすべきことはただ1つ、飯である。

アウシュビッツへ行く車の中でオジさんがオカシをくれたが、それ以外は何も口にしていない。

まともな飯と言うことになると、前日のベルリンのホテルでの朝飯以来だ。

しばらくまともな物を食ってなかった。

コンビニみたいな所で缶ビール3.5ズォティ(≒119円)を購入。

駅のすぐ近くにいくつか地元ファストフード店があったので適当な店へ入った。

メニューを指差してハンバーガー3.5ズォティ(≒119円)を注文。

チェーン店系のファストフードよりは美味そうで、その場で肉や野菜をパンに挟んで作ってくれた。

缶ビールと一緒に久しぶりのまともな飯。

たかがハンバーガー、されどハンバーガー、かなり美味かった。

ビールと一緒にハンバーガー、至福の瞬間だ。

まだ夕方前だったのでクラクウの街をブラブラ。

翌日の夜行列車が22時40分過ぎ。

だから翌日はその時間までクラクウ市街で時間を潰さなければならないのだ。

夜の知らない街というのはなんとなく恐い、そこで22時過ぎまで時間を潰さねばならないのだ

何があるかをあらかじめ把握しておく必要がある、どこか時間を潰せるような場所を…

そう思って歩いているとインターネットカフェを発見。

深夜0時までやっているというので、時間潰しはネットカフェで行うことに決定。

街の方もなんだか簡単に中心部を歩き回れてしまった。

歴代ポーランド王の居城だったというヴァヴェル城(世界遺産)へ行き広場のベンチで一休み。

なんかヴァヴェル城にまで来てしまったら明日行く所があまりなくなってしまった。

アウシュビッツ観光がこれくらいの時間に終わるのだったら今夜の夜行列車でも良かった。

自分の中では既にある程度クラクウは見尽くした感が出てきてしまった。

ホテルに戻って小休止後に晩飯。

いつものように目に付いたレストランに入る。

やはり物価は多少安いようでチキンとポテト、サラダ、生ビール2杯で40ズォティ(≒1360円)

食後、翌日の予行演習ということでインターネットカフェに入ってみた。

1時間5ズォティ(≒170円)、パソコンは日本語もカバーしていた(日本語入力は出来なかったが…)

店内も綺麗だったし、ここでなら充分時間をつぶせることが判った。

自らの掲示板に書き込みをしたり旅立つ前に登録してあったフリーメールを家に送ったりした。

ホテルへ戻って就寝。

真夜中のアウシュビッツなんてめちゃくちゃ恐いだろうな、なんてことを考えながら寝た。

夢に出るなよ…

 

 

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